第四章 ラザフォード司教、悪魔と一緒に孤児院に行く。
ものすごく、今更感がありますが、ルビがおかしいところがあるかもしれません。修正していきたいと思っています。
朝だが、俺は比較的平和だった。他の連中……とりわけ、悪魔連中にとっては、一昨日しかり、地獄だったらしい。……もっとも、宿舎にいたモラさんとその晩、大聖堂内の情報収集担当だった最後の一人、アンジェには関係のない話だったが。
悪魔のくせにアンジェなんて不謹慎だろ、と名前を聞く限りではそうだが、見た目と性格を知れば納得だ。あいつは、マジで天使だ。
ちなみに、猫男爵、モラさん、アンジェの三体の悪魔は先代の時からいる古株である。
ここにいる女子悪魔は性格いいのしかいねぇのな。……癒しだな。
……おっちゃんと組んでるから大丈夫とか思ったが、おっちゃんの判断であの機動力を無駄にするのは忍びなかったそうだ。だから、どっちが多く悪魔憑きを増やす呪術式の類をみつけられるか勝負しようとしたらしい。
おっちゃん猫ペアとヴィルドでエリア指定は大聖堂外と……まぁ何ともアバウト。……確かに、おっちゃんにはそんな指示してるけど。それでも、メインは北西地区だけどな。くどいようで何回も言うが。あそこ、夜になると半端なく危険だし。リアル犯罪者が普通にうろうろしてるしな。
しかし、それをヴィルドにも適用したのね。
確かに、ヴィルドもおっちゃんも実績を上げてくれた。
どうやって、入ったのか、聞きたくも知りたくもないが。……絶対正攻法じゃねぇだろ、お前ら!
昨日、俺とクリスが昼に入った刑務所内部からもみつけてくれていた。
……その時のヴィルドは、妙に目が冷たかった。いや、もういっそ汚物や悪魔連中を見るのと大差なかった。それはみつけられなかった、俺やクリスを非難してっていうのも何割かあっただろう。しかし、最も大きかった要因は、その物だろう。
おそらく、ごみ処理の最中に拾ったのだろうもの。いわゆる春画…エロ本の類のものだったのだ。しかし、拾った物って私物化して刑務所内に持ち込んでいいのだろうか? そのあたりの規律って知らねぇからよくわからない。
それとも、そこで働いている人間とか、面会に来た人とかが差し入れとして渡したものかもしれんが。どっちにしろそれをみんなで回し読みしてるようだった。だから同じ房や違う房にも複数人に出てたのかもな。
そういう可能性も考えて、調査とかもしなきゃならんのだろうが……。クリスにその手の伝言頼むか。そんで夜、おっちゃんに囚人達に訊き出してもらう…か? いや、さっき正攻法じゃねぇよな、とか言っていたが、それは今、ちょっと棚に上げておくか。非常事態だからな。俺なんかより、聞き出しやすいっていうのがあるだろうし。……どんな方法を使って聞き出すのかは、正直知りたくないが。優しくするようにってお願いするぜ?
……ヴィルド、気持ちはわからなくないが、落ち着け。二級資格試験に受かるレベルの人間なら、解呪の呪術式も知っているだろうからな。ヴィルドもその呪術式を消して無害にしてからでも。いくら俺たちに知らせるためとはいえ、持ち歩きたくなかったのだろう。
本人としても、破り捨て……いや燃やして灰にしてしまいたかったのだろうなぁ。この潔癖症め。――いや、まぁ、十代ってそういう潔癖なとこあるもんね。仕方ないか。
モラさんも、その物に顔をしかめて、アンジェの目から隠していた。……確かに、アンジェには刺激強いかもな。一瞬見えたのか、顔と耳が赤くなっていた。うん、かわいい。
――昨夜そのおかげで、とても大事なことがわかったが。
ヴィルドは、絶対に一人で街を散策させてはならねぇ! ……あいつ、悪魔の気配を感知したら、即攻撃だぜ?! その悪魔が対象物の側にいようものなら、何発か食らわせて、弱らせるとまで執拗に。顔も名前も気配も一切合財覚える気ねぇ! 一緒に別の司教補佐と組んでいたペアの方にはその補佐が止めてくれたそうだ。そうじゃないのは……悲惨だったのは、いうまでもない。
しかも、どこから呪術式やナイフの攻撃が飛んでくるのかわからなかったらしく、恐ろしかったらしい。ヴィルド本人も登場するのが、上からだったり、路地からだったり、地下からだったり(?!)とバリエーション豊かで。
「悪魔より断然こえぇぇぇ!!」と俺と契約している悪魔達にトラウマを新たにがっつり植え付けてくれた。町の方が、怖い…とわかっただけよかったか? フィールドもめちゃくちゃ広いし。
残念なことに契約者とその悪魔はみつけられなかったようだった。何かわかったら、全員に知らせるように、合図出せよとは忠告した。こっちは初心者の心得に書かれていたから、大丈夫だろう。
で、今日はその恐怖の権化が休みとあって、あからさま悪魔連中はホッとしていた。……アンジェも今日は外だから安心だ。
「よし、アンジェ。一緒に行くぞ」
目線をクリスより下……いやヴィルドと同じくらい、いやいやそれ以上、下まで下げた。
「はい」
上……俺を見上げてはにかむ六歳ほどの少女。ふわふわの腰近くまである金髪。大きな濃い紫色の瞳。色白の肌で桜色の小さな唇に、ふっくらとして紅で淡く染めたような頬。……天使だろう?
悪魔となったときと先代と出会う前は悪魔らしく黒の服を着ていたらしいけど、今は先代と他の者達、ならびに俺の意向もあり、白いひらひらとしたワンピースタイプの服を着ている。
そんな見た目もあり、また天使自身も自覚しているようだ。もっぱら、感知系の仕事を担当している。確かに、呪術式で強化しても、あんま強くねぇし。取り柄なのは、丈夫だけと自嘲気味に言っていた。
「徹夜だが、大丈夫か? 別の非番のやつ連れてくし」
「平気ですよ。参りましょう、フォードさん」
俺に気を使わせないように笑って。健気過ぎるだろ。俺、泣きそうだよ。
「ラザ、吾輩の時と態度違うにゃー。相変わらず、ひいき半端にゃいにゃー」
ブーブー文句を言う猫。黙れ。お前は昼間休みだろ。天使は徹夜だっつぅの。ほれ、ちげぇだろ。
「司教ー、じゃあ俺は休みますけど、アンジェちゃんに手を出さないで下さいよー」
「出すかっ!?」
おかん、なんつーこと言いだすかなぁ?! 確かに、今でも十分だが、十数年後が楽しみ…いや、美少女に違いない見た目ではあるがなっ!
「大体、俺のその手の守備範囲は十五から四十までだ! それ以上、それ以下は、対象じゃねぇよ! 下手したら犯罪だろ、それっ!」
「ラザフォード司教は聖職者では?」
……あかん。何か知らんが、災いの源の琴線に触れたらしい。こいつ、やっぱり潔癖すぎだろ! 無表情で俺を汚物みたく見るんじゃねぇ! 軽蔑しすぎだろ!
「ヴィルドさんよー。呪術式をな、より効果的に使えるってことでな。後世に残す義務も聖職者とはいえども、あるわけでな。どこぞの貴族の娘とかとな、お見合いとかやらされるんよー。俺も正直、うんざりしている」
だって化粧濃いし、性格悪いし。影でこそこそ、いろんな人の悪口言ってるようなやつらだぜ? 絶対ヤダ。そういうやつらに捕まってもらっても困るってことでな。何か知らんが、ここの人達、その手の噂も集めてくれてんのな。捕まんねぇよ。その情報収集の折に、あの子供司教の話もつかんでくれたんだがな。
「……それが、あなたが実家を出られた遠回しの理由ですか。……本当の名前まで捨てて」
ぽつりと小さく小さく近くにいた俺とクリス、天使くらいしか聞こえない声で呟いたヴィルド。じじいから聞いたんか?
「いいえ。ここ数日、ラザフォード司教を観察した結果です」
本当にこいつ、観察眼すげぇ。正解だ。
ラザフォードって名前は、先代の司教の姓で、ここに来てすぐくらいにもらった。
悪魔祓い師になったのも……母親が避暑のために訪れた、ここ北部地方で悪魔憑きになったからだ。それを祓ってくれたのも、先代だがな。母親と父親が引き留めようとしたが、先代についていったのも、確か十二のことだったかなぁ。……ヴィルドと大体同じくらい。
それでも、ここまで悪魔とかに対する負のオーラ、俺は出していなかったぞ。
元の貴族に戻りたければ、いつでもじじいにそう言えばいいっていうが、戻る気ねぇよ。領地の管理だなんだ、なんて知らねぇし。今頃、親戚だか何だかが、跡取りとして頑張ってくれているだろう。
★
アンジェ、もしくはクリスが一緒だとよく北東区にある孤児院近くを散策する。やっぱり、顔が怖くないってことでな。子供に怖がらせねぇためにもな。
ヴィルドとも一緒でも違和感ねぇかなとか思ったが、あいつの性格考えて無理だろ。怖すぎるだろ。子供よってこねぇよ。
ただ、天使と一緒に歩くとひとつだけ弊害がある。どこぞの貴族とか大きな商家の女達の目から欺くのにはいいんだがなぁ。
どう見ても、俺の隠し子くらいの年齢なんだよ! 髪の色も、俺は蜜色に近い金髪で、天使は明るい…それこそレモン果汁のような金髪だからな。髪質も俺は癖が付きやすい直毛で、天使はふわふわウェーブだから、似てねぇって言われたいんだが。
石畳をトテトテと歩き、立ち止った俺に「来ないの?」とばかりにキョトンと下から俺を見上げる天使。……はい、行きます。もちろん、俺より年上で、俺が宿舎に入った時から見た目変わっていないとはいえ、庇護欲をくすぐってくれるよな。
俺も十二で悪魔祓い師の宿舎に入り、宿舎に入ってすぐに悪魔達と同室だったというように、モラさん、アンジェ、猫と一時同室だった。微妙な年頃だっただけに、俺の妹な年頃のアンジェ。そして俺のお姉さんぐらいの年頃のモラさんだと……もう、猫の肉球をプニプニするしかねぇだろ?! 眼なんか合わせられなかったなぁ。嫌な汗、背中にかきっぱなしだったぜ。
ヴィルドもいつか、モラさんやアンジェ、そして猫と同室にしなきゃいけねぇんだろうが。モラさんとアンジェが可哀想過ぎるから、止めておこうとみんなでこそこそ話している。こっちは初めてのパターンだよ。モラさんやアンジェに気を使うってやつはいるけど。モラさんとアンジェが気を使うパターンって。
いや、いい子達だから「ベッドどうぞ~」なんて譲ってくれようとしてねぇ。内勤や感知するだけの自分達より大変だろうから~。なんて言ってくれちゃうけどさ。目茶苦茶、気を使ってくれてるけどね。見た目はか弱い乙女と幼女な悪魔達を床で寝かせて、自分一人、ベッドで寝れるような豪胆でもクズな性格じゃねぇよ、俺は!
猫はいいのかって俺なんかは思うが。契約者のおっちゃんにすぐチクるからなぁ。それで対処だってするだろうからな。
……とにかく、天使は俺が守るぜ。
「あんま、先々行くなよ。転ぶぞ」
これ、絶対父親の発言だよな、とか思った。そんな中、「平気ですよー」なんて、嬉しそうに笑って返されると、癒しです。こんな素直でかわいい娘なら、オッケーかなぁとか思うあたりダメだろうな。
真正の悪魔嫌い(=ヴィルド)あたりからすれば、俺と、もれなく天使を蔑みの目で見降ろして(あいつは無表情だろうが、雰囲気な)「悪魔は人間を誑かすモノなのですよ」とか。「それが悪魔の手段です」とか。平気で言い切りそうだが。……いや、絶対にあいつなら言うな。言わないはずがねぇな。
いいんだよ。天使はいろいろと苦労してんだから。ちょっとくらい、うちで甘やかして。
「フォードさん。……何か、今日、警邏の人が多いですね?」
キョロキョロとせわしなくあたりを見渡し、分析結果を言う天使。警戒心の強い小動物みたいだ。
黒服に顎で止めた黒帽子ってそのままな、いかつい男達が、北部大聖堂から北東区へ続くメインストリートにさっきから何人か見かけるからな。いつもなら、一組か二組すれ違うだけなのに。
あの警邏隊は、国から派遣された人間で。大聖堂や教会とは違う組織の人達だ。それでも、日々の生活の上で、かかわってくるので(特に俺の部署では)友好的な関係を築きたいものだと常々思っている。
「だな。何かあったのか、聞いてみるよ」
俺が街を歩いていても、仕事中と町の人達は知っている。なので、遠目にみつけても、会釈するくらいだ。話しかけると悪魔の痕跡を捜すのに集中している相方の邪魔をするってわかっているんだ。だから、略装の時は緊急時や非常時以外、話しかけてこねぇよ。正装時だと別に気にしねぇけどな。……決して、俺が嫌われているからではないと思いたい。
天使に「そこにいてくれよ」と一声かけてから、たまたま周囲を警戒していた二十代と四十代と思われる警邏がいたので聞いた。
「昨晩、怪しい人影を何組か見かけたと通報がありまして」
四十代半ばのおっちゃんが、そう俺に申し訳なさそうに答えてくれた。
何でも、子供くらいの小柄なのと、成人男性と思われる人影が、家の屋根から屋根へと跳び移っていたとのことだ。
光が走ったと思ったら、あたりに響く、断末魔に等しい悲鳴が轟いた…とか。
しかし、その悲鳴が上がったところへ行っても、何かを焼いた跡などの痕跡はあっても、既にその者達は立ち去った後だった……と。
「ラザフォード司教の方でも、何か情報がおありならば、どんな些細なことでも構いませんので、お教えください」
そう言われたが。
――ピンポイントで心当たりがあります。
だが、言えねぇ。
全部うちの者です。なんて口が裂けても言えねぇよ。
「……新手の悪魔かその関係者の仕業……かもしれませんね」
もう、白々しく答えるしかねぇだろっ?! 実際、その襲撃者の性格とか実力とかが、悪魔より恐ろしいだけになっ! 目が泳いでるかもしれねぇな。俺、こういうウソつき慣れてないもので!
「我々の方でも警備を強めます」
優等生な回答しかできねぇよ。仮に模擬戦闘にしても、各省庁に打ち合わせなしでは、普通やらねぇし。そんなつもりもさらさらなかったし。
情報提供に感謝して、司教らしく「両柱の加護がありますように」とか言って、その警邏達とそそくさ別れた。
聖職者なのにウソついた。しかも、隠し事したし。それも、小さい天使の前で……。いや、一応、天使も悪魔なんだけどね。
あぁ、きっと天使も俺のこと、失望しただろうなぁ。嫌われたかも。
「フォードさん、怖いです。そんな悪魔がいるなんて……」
顔を青ざめて、プルプル震える天使。気づいていないのね! なんて純粋な子!
「大丈夫だ。俺がいるからな」
安心させるように笑った。そして、高い高い、と抱き上げて、肩車してやった。
それだけで、天使は「はいっ!」と元気よく答えてくれた。えぇ子や!
「よーし、このまま北東区行くぞー」
少し駆け足気味で行くと、「わー!」と嬉しそうな声を上げて、俺の帽子にしがみついていた。
★
「あー、司教ー。まるで親子みたいですねぇー、とか言ってもらいたかったんですか? どう見ても人攫いでしょ。いい家の幼女をターゲットにするとは、さすが聖職者でございますね。目のつけ所が違いますねぇ。とかそんな感想しかもてませんよ、俺はっ! アンジェちゃんに手を出すなって言ったでしょうが!」
孤児院に先に来ていたクリスに、すげぇ嫌味言われた!? 俺、何も知らない人がパッと見たら、そう見られるの?!
天使を肩車したままの俺に、そんな冷水浴びせて。なんつーこと、言うのよ、お前!
ほら天使も怯えて、泣きそうな声で「フォードさん」とか言ってしがみついてきてるよ。ごめんなぁ、怖がらせて。
俺、そんなつもりじゃねぇからな? ほら、降りるか?
「悪魔を肩車させて喜ぶ二十代男性(自称聖職者)ですか。悪魔祓い師の資格を返却された方が、よろしいのではありませんか?」
「自称じゃねぇよ?!」
やっぱり、悪魔関係には辛辣なヴィルド。っていうか、お前も一緒に来てたんかい!?
ツッコムところはそこじゃねぇだろとばかりに、もう冷たい視線(雰囲気な。表情は変わっていない)を俺に向けるなよ。氷かと思うだろ。しかし、孤児院ほど似合わねぇとこねぇよ、お前。
「司教ー、ヴィルドくんにここまで言わせちゃダメですよ。もっとビシッとしてくださいよ」
「ねぇ?」とヴィルドに同意を求めるクリス。ヴィルド、お前もコクと頷くなよ。そっちをツッコメよって意味か。というか、全文否定してくれってか? 確かに喜んでたが。資格は返却しねぇよ。ヴィルドの前では……一級らしいこと、まるでしていないが。
ピルピル震える天使。可哀想に。俺の帽子、そんなに気に入ったか?
「で、なんで司教とアンジェちゃんまで来るんですか? 俺、非番だって言いましたよね?」
そりゃ、お前が非番って言ったら、孤児院にお菓子とか本とかおもちゃ持って遊びに来るって知ってたけどさ。だって、天使と一緒だし? 変に浮かない所ってここしかないじゃん? 人攫いとか言われたくねぇし。
「うっわ、めっちゃすねてますよ。俺が言ったことを根に持って……。相変わらず大人げないですねぇ」
お前、どっちだよ?! 俺は全然気にしていないけどな! 相変わらずって……前からそうだって思ってたんかい! 暴言半端ねぇな、お前!!
「悪魔に孤児院の子供の相手をさせよう、と? 好きにしてください」
好きにしろとか言いながら、お前、何天使にガンくれちゃってんの?! ここの子供に変なことしたら、ただじゃおかねぇぞごぉらぁって、目してますけど?!
――っていうか、殺気飛ばすんじゃないよ!
ほらほら! 天使は、さっきから、お前見て怯えてんの! お前のガンガン飛ばしている殺気に怖がってんの! やめろって言ってんでしょうが!
……もしかしなくても、子供と遊んでないで、町歩けって意味なのか。無表情だけど、そんな目だよな、お前。
「……ラザフォード司教は悪魔の肩を持つのですね」
「当たり前だろ。アンジェは仲間だからな。仲間を大事にするのが俺のモットーだ」
俺、いいこと言った風だったのに。ヴィルド、冷たいっていうか、反応うっすい。「そうですか」の一言だけ。えぇ、ちょっとー。
「ヴィルドー。なんでそんなにドライなんよー。俺は、お前のことも仲間だと思ってるんよ?」
ヴィルドってば、いきなり俺を振り返ったと思ったら、まじまじ俺の顔見て。な、何よ!? やんのかっ?! やるのか?! 思わず、かまえちゃうぜ。
「まずは御自分の身の安全を確保してからにして下さい」
ついっと猫みたく顔そらしやがった。お前は憎まれ口叩かにゃ、気が済まんのか。
ニヤニヤ、悪い笑いをこらえるクリス。……何よ。
「司教、愛されてますねー。俺、妬けますよ」
「どこが!?」
今のは『自分の身も護れねぇやつが私の心配してるんじゃねぇよ、バーカ』だろ?! 俺の翻訳機、間違ってんのかっ?!
「何言ってるんすか。『頑丈な悪魔なんかにうつつぬかしてないで、司教自身の身の安全確保をしてくれないと私は心配ですよ』って意味っすよ。悪魔は人間と体の回復力とか構造とか違うんですから。アンジェちゃんだって、持久力だけだと普通に司教に勝てますよ? そんなんだから、マジで女の子にもてねぇんすよ」
だって、相手ヴィルドだよっ?! そんなツンデレみたいなこと言うか!?
「ヴィルドくんも司教に対しては素直じゃないんすから。……面と向かってそんなこと、言えるわけないでしょ」
そうなの? じゃあヴィルドも俺のこと……。
「曲解されても困ります。止めて下さい」
ほら! ほら!! ほらぁぁぁぁ!! 真顔で、はっきりとこんなこと言われたら、俺も立場ねぇだろ?! どう考えても、『クリスさん、気持ち悪いこと言わないでください』だろ、これ! ヴィルドを指さし、泣きそうになってクリスの方を見た。
そんな様に、ブフッと噴くクリス。笑うなよ! だからって、両手で口元に手を置いて笑いこらえるなよ。
「だ、大の大人が子供にからかわれて……ブフフ」
うるっさいわ! 勘違いさせるようなこと言ったの、お前だろうが!!
孤児院の建物からわらわら子供たちが出てきて「クリスホサー」「クリスおにいちゃーん」とか言われていた。そりゃー、運動場でバカ話に興じてたからな。あぁ、ナイスなタイミング。ヴィルドを叱るに叱れなくなったじゃねぇかよ!
一瞬目を離しただけなのに、いなくなっていた。ヴィルドは一体どこに……探すと、もうすでに孤児院の出入り口近くにある木の上に一人、避難していた。
……お前も子供嫌いなんか? 本当に、何しに来たの!?
子供受けのいいクリスと天使に子供の面倒を押しつけた。ヴィルドがその場から離脱というか。敵前逃亡というか。離れたため、天使は肩から降ろした。
木の上にいながら「こっち見るんじゃねぇ!」とばかりに、俺を睨みつけているヴィルドがいる木の下に来ていた。……木陰で一休みだ。今日はいい天気だからな。春なのに日差しがきついくらいだ。帽子かぶってんのに、とか言うな。
「お前よー。なんでここ来たよー。クリスの荷物持ち?」
クリスに押し切られたら、さすがに断りきれんか?
「……こちらの地区は、昨夜、回りきれなかったので」
真面目っ! 子供嫌いでも、しぶしぶ来てくれたのか。
「……子供は、別に嫌いではありませんよ?」
「じゃあ、行けよ! こんなとこに隠れてねぇで!!」
思わずヴィルドに向かって本気でシャウトしたら、ヤベ、ガキがこっち見てきたし。
こ、こっち来んなぁ!!
「……ラザフォード司教は、子供が嫌いなのですか?」
「……素直じゃなくて、聞き分けなくて、かわいくねぇのはな」
特に、お前みたいな子供は苦手だよ。嫌いとは言わねぇ。
「子供はみんなそうでしょう?」
一般論みたく言うんじゃねぇよ! お前はなまじ頭いいし、力持ってるだけに、より性質悪いだろうがよ!
「……確かに、お前で慣らされた感があるから、多少は」
「ラザフォード、くらえぇぇ」
ポカポカと脚の方、殴りつけてきましたよ、このガキども! ヴィルドよりか、ちょい下…七歳から十歳くらいの元気なガキども。五、六人で囲んで俺を殴るなんて。これだから、男は嫌なんだよ! 女の子はこんなことしねぇよ! こいつら、絶対いじめっ子だろうな。
「こ、こら。や、やめろよ、お前ら……」
子供相手にムキになるのも大人げないよな。うんうん、ここは冷静に注意をだなぁ。
「へっへー。だぁれがやめるかぁ」
今度はリーダー格と思われる、体格も子供にしては立派なのがゲシゲシ蹴ってきてますが。だって、こいつ、ヴィルドより背もたけぇし、太いぜ? これで十二以下かよ。
ここの孤児院、十二以下までだからな。十二になったら、社会の荒波にのまれるわけよ。一応、仕事も紹介してくれるしな。呪術式の扱いがうまいやつだと、大聖堂内にある、その手の部門にもいけるらしい。ただ即行、俺の部署に来るやつや物好きはそういないが。誰だって、命は惜しいだろうし。悪魔に狙われて襲われる率も負傷率も死亡率も高いし。そんな子供に早死にされても、俺だって目覚め悪すぎるわ。
……やばい、グーで殴りたい。いやいや、パワー系ではないとはいえ、成人男性だし。仕事柄、力は使う方だから、シャレにならんか。
「……ラザフォード司教、よろしいのですか? いけないことはいけないと、今のうちに注意しなければ、将来、ろくな大人になりませんよ」
木の上から、完全に他人事みたく言うんじゃねぇよ! いいよな。お前は安全な位置にいつでも行けるから!
俺の周りで「やれやれー」とはやし立てていたガキも、俺を蹴とばしていたガキもピタリと止まった。いきなりなんだ。
「いやさぁ、そう言っても。施設の関係者じゃねぇ俺が、そういう差し出がましいことをするのも」
「ラザフォード司教は何もされないと知って、甘ったれている子供などに気を取られている場合ですか?」
悪魔連中相手にする時並みに手厳しいな。ヴィルドって、年齢差とかを鑑みての上下関係もちゃんとわきまえているんだよな。そこは評価だよな。ただ、俺へのあたりが妙に冷たい気がするが。
「悪魔以外のことは放っておけって? ガキだって、色々たまってるんだ。ちょっとくらい、大人がはけ口になったっていいだろう?」
施設にいる小さい子供に向けられたら困るしな。そこまで、クズではないと思いたいが。
「そういう子供が将来契約者、もしくは悪魔憑きとなる傾向が高い、ということはご存知ですか?」
淡々と話すヴィルド。いや、もちろんそういう傾向がないということはないって知ってるけどさぁ。攻撃性も高いし。将来、別の危険性もあるけどな。
はっきりと俺が上を向くと、ガキどもも一緒に怖々と上げていった。
「ヴィルド、お前やっぱ人間も嫌いなんか? どうした。今日、変だぞ?」
木の幹に体重を預け、俺を見下ろすヴィルド。初めて会ったときみたく、目が冷たい。
俺の周りにいたガキどもも、気のせいか血の気が引いているような……?
「ヴィ……ヴィルド?」
「お、お前。もう、ここには帰って来ねぇんじゃなかったのかよ?!」
ガチガチと歯の根が合っていない音が聞こえた。よくよく見ると、ガキども、目も大きく見開いて。足、ガクガク震えてる?
「えぇ。ですが、お世話になった方々に、ご挨拶をしようと思いまして、ね?」
木の幹から背を離したヴィルド。次の瞬間には、もう地面に足をついて、木から降り立っていた。……これ、肉体強化の呪術式使ってなくて、だろ? レベルたけぇな。
「相変わらず、くだらないことをされているようですね?」
地を這うように、低い低い声。おかしいなぁ、いつもと変わらない声音のはずなのに。ドスをきかせているように感じる。そいつらを下からねめつけるように見るヴィルド。無表情のはずなのになっ! 俺の背や頬、首筋にも、嫌な汗がふつふつと浮いた。実際、ヴィルドのやつ目茶苦茶怒ってるんだろうな。きっと幻覚だと思うけど、背後に黒いオーラが見える気が……。うん、幻覚だな。気のせい。俺も疲れているんだろう。
「……バ、化物が、か、帰ってきたぁぁぁぁ!?」
「に、逃げろぉぉぉ!!」
蜘蛛の子を散らしたように、ガキどもは走り去っていった。もう、こっちも振り返らず、一目散に。俺に謝れよ?! 悪いことしたって自覚なしかっ?!
ここでもヴィルドはそんな扱いを。お前、どこでもトラウマ製造機なんだな。
「……っていうか、お前。ここ出身者だったんか?」
「えぇ。四年ほどお世話になりました」
あの大飢饉のピーク時とほぼ重なるな。あとヴィルド、ちょっとフランクな言い方になってねぇ? いつもは俺に嫌味なほどの丁寧さなのに。少し頭に血が上って、地が出てるのかもな。たとえそうでも、ほっこりしない不思議。天使や猫、モラさんならするのにね。
「ヴィルドよー。もしかしなくても、三年とちょっとくらい前、ここでアンジェと会ったりしなかったか?」
あんま当たらない、俺の勘が珍しく警鐘を鳴らしている。もう、警報レベルでガンガン打ち鳴らしてやがるよ。
「いいえ。悪魔と遭遇したことはありますが」
「それなっ?!」
思い出したくもねぇ! いつものように、天使とクリスとは別の補佐が孤児院に行ったらしい。多分、その補佐は契約者ではなかったと思うんだが。契約者なら、ヴィルドのやつも、アンジェやその契約者もただでは帰さねぇだろうし。もっと荒れてるだろうし。帰ってきた時の天使は泣いていたし。三カ月近く、部屋の外に出たがらなかった。
……なんか、恐ろしい目に遭ったんだろうなぁとはわかったが、詳しくは聞けなかった。天使も天使で、深く語りたくなさそうだったから。話したくなるまでそっとしていて、これだけたったが。
……元凶、お前だよ! お・ま・えっ!! 他にできるやつ、そうそう多いとは思いたくねぇし!
「ここの孤児院は、悪魔に対する強力な結界が張られているのですよ? それなのに侵入を果たすとなると、私の息の根を止めに来たと考えますでしょう?」
「考えません!!」
どういう思考回路してんだ。自意識過剰も大概にせぇよ?!
殺られる前に殺れってことで、天使襲撃したんだろうな! 簡単に想像できるわ!
「あの頃は、私もナーバスになっていたのです。かなりの小物でしたので、舐められたものだとは思いましたが。罠の可能性もあったので、少し脅して逃がしました」
あー、その小物を抹殺したら、ここの結界が消えるかもって? 当時から、頭の切れ方半端ねぇな。用心深いわー。しゃべったら、今度こそ、消すとか言ったんだろうなぁ。天使もしゃべれねぇよ。後で、慰めといてやろう。
「アンジェは堕ちた経緯からして可哀想なやつなんだよ。そっとしといてやってくれや」
聖職者の俺でも、同情したくなるからな。
下から「それが悪魔の手段なのですよ。当然わかっていますよね? あなた一級もちなのですから」的な目で、見てもダメです。俺を非難がましく見てんじゃねぇよ。
ヴィルドが言葉にしなくても、会話できそうだな! 俺をずっとディスってることしか、考えてないのはわかってんだからな! 無表情でも、バリエーション豊かだな!
「ヴィルドよー。確かに、どの本にもはっきりと書いてねぇよ? もう禁書レベルだからな。見習いや二級レベルじゃ知らんくても、全然不思議じゃねぇが。悪魔っていうのはな」
「人間が、こことは別の次元にある門や扉、ゲートなどと呼ばれるものを開け放ち、くぐって帰ってきた成れの果て。……それくらい、存じております」
心なしか、目を伏せ気味のヴィルド。話していても、あんまり気持ちのいいものではないからな。
これは、肉親で堕ちた人間がいるパターンか。下手したら、その肉親を祓ったのも、ヴィルド自身なのかもしれねぇな。――確かに、重いものを背負っているな。
そして、人間に害をなすものと成り下がった者達を『悪魔』もしくは『堕ちた者』と呼んでいるんだよな。
「別次元へと続く…その『門』? 人によっては、自分で研究を重ねてみつける場合と自分自身の力ではどうしようもない状況に追い詰められて、突然現れる場合とがあるらしい。アンジェは後者の方だ。好きで悪魔に堕ちたわけでもねぇし、悪魔になってからもあいつは人間に害は与えてねぇ。むしろ、人間の方があいつに害を与えてんだよ」
前者の場合、悪魔の姿は堕ちる前後で変わるものほど、堕ちる前、力が弱かった身の程知らずだったという証拠である。いい例が猫男爵だ。だからこそ、余計にヴィルドは、猫への風当たりが冷たいんだろう。
後者の場合、そのどうしようもない加減が大きいものほど変化が少ない。モラさんもそっちだった。アンジェは、今と同じ姿で堕ちた。何があったのか、想像の域は出ないが、どちらにしても、胸が悪くなる話だ。
「……みんながみんな、強い訳ではない…ですか」
ポツリと小さく漏らした言葉。そうだな。聡明なヴィルドなら、自分自身が悪魔に堕ちても仕方のない境遇だったんだって、わかってるんだろうな。たまたまヴィルドは自分自身の力で何とかなっただけで。そんなヴィルドの前にも『門』は現われたのかもしれねぇな。
……もっとも、堕ちるくらいなら、潔く死を選びそうなタイプではあるが。
「ラザフォード司教、一つだけ訂正を求めます。私は人間や子供が嫌いな訳ではありません。モラルの欠ける行いをする者が嫌いです」
さっきの連中みたいなのは、な。弱い者いじめや無抵抗な者を痛めつけるようなことはな。
「ヴィルド……じじいからも言われたが、あんま自分自身を追い詰めんなよ? なんか、危なっかしいし」
一昨日、俺がナイフで怪我しそうになって、自分のせいって思うんだからなぁ。
「……追い詰めません」
淡々と言うヴィルド。よかったよ、追い詰めるのは悪魔とか、その関係者だけってか? それでも苛烈そうだが。
「で、挨拶しなくていいんか? こんなところじゃあ、お世話になった司教補佐なんかに話せんだろ」
ここの孤児院は東区の礼拝堂を兼ねた教会に併設されてるんだわ。で、教会とかの運営は司教だが。子供の相手なんかをするのは、保育士とかそういう資格を持った司教補佐なんだわ。こっちは確か、一級の資格はなかったはず。で、孤児の中には、そのまま残って、その資格を取るために見習いとして働く者もいるらしい。
ここの補佐も悪魔祓い師同様、法衣は黒だ。ただし、悪魔祓い師は戦闘も行うため、法衣をいじってもいいんだ。俺も両脚までかかる法衣にはスリットがはいっている。正規のままだと大きく広げられなくて、走りにくいし、邪魔。法衣の裏にもいろいろ呪術式を描いていて、いつでも発動できるようにしている。他の連中だってそうだろう。
クリスと話している温和そうな三十代後半ごろから四十代前半くらいの司教補佐。ここの司教付きなのか、緑の腰紐。おそらく、ヴィルドがお世話になった人だろう。
「あれだけ子供が集まっている中に行けと? 絶対に嫌です」
「―――お前、やっぱり人間も嫌いなんじゃね?」
うろんげにヴィルドを見た。確かに、司教補佐の近くでは天使と子供達が楽しそうに鬼ごっこのようなものをしているが。あの中に入る気はないと? 十二か三だから、そんなことはしないってやつか。
「……私が行けば、場が白けますでしょう?」
子供って自分達と違う気配なんかに敏感だからな。ヴィルドなりに気を使ったってか。もしかしなくても、この木に登っていたのも、それを防ぐためか。俺に声をかけたのも、俺がガキどもに絡まれて困っていたからか。何もなければ、ずっと姿を隠していただろうな、こいつの性格上。……何だかんだ言っても、根はいいやつなのかもな。素直じゃないだけで。
「ヴィルドー。お前が、ここでどんなだったかも、大体わかるけどな。きちんと挨拶はしないといけねぇぞ? いや、わかっているから来たんだろうがな」
さっきの連中の怯え方でな。……大方、ヴィルドにちょっかいをかけようとして返り討ちに遭ったんだろうな。で、あのガキどもは、補佐だか見習いに、ヴィルドがぶったとかなんとかチクッたんか? 狡賢そうだっただけにやりそうだ。
……今まだ、連中が生きてるってことは抹殺してなかったんだなぁ。普通に、ヴィルドさんできそうなだけに、恐ろしい。
「本当は、もう少し経ってからしに来たかったのですが。きちんとします」
それは、俺のところが終わる、つまり一カ月経てからってことだな? 長引かせてもいいもんじゃねぇだろう? 終わらせるものなら、さっさと終わらせておけよ。
「……それも、そうですね」
おもむろに袖口からナイフを出して。何しようってんだよ!
「ちょ! 何考えて……」
シュッと投げたのは、運動場を囲っている壁? そして、その上に止まっているカラスに当たった。「クケェェェェ!」と鳴いたと思ったら、紙になった。
「前と同じ、偵察用の使い魔です。私の方には朝からいなかったので、ラザフォード司教と悪魔の方を追ってきたのでしょう」
落ちてきた紙を拾い、その術式をまじまじと見るヴィルド。危険はないと判断したのか、俺にその紙を手渡した。
「……感知系でも、使い魔うんぬんは気づきにくいが?」
どういう鍛え方したら、気づけるのか伝授してもらいたいものだ。全体のレベル向上につながるからな。
「日々の観察あるのみです」
……さいですか。
ヴィルドのやつ、何が気に入らないのか、怒ってる? 怒ってらっしゃる? 俺を見る目、もう恐ろしいくらいなんだけど。無表情で、黒い瞳もむしろ無機物めいてるのにね。一瞬俺を見るときにね、きらりと光ってね。それでわかるというか、知りたくないというか……。
「あの悪魔、本当にラザフォード司教などの悪魔祓い師が管理しきれておりますよね? 絶対に人間に害をなさないと誓わせました?」
天使を疑うのか?! お前、してもいいことと悪いことがあるぞ?!
「あったりまえだろ!? きちんとあいつ自身の名に誓わせたよ!」
自身の名に誓わせ、その文言を破ると悪魔って、こっち側の世界に存在できなくなるんだと。自分自身の存在の否定になるそうだからな。だからこそ、悪魔を使った悪魔祓い師は、その手段を用いる。無論天使もモラさんも、他の悪魔達もそういう契約をしている。
「……で、しょうね」
コツコツコツとナイフの峰で自身の側頭部を叩くヴィルド。何か考えているのはわかるが、ナイフを持って考えるの、おっちゃんしかり、お前しかり、元とある業種の人間の癖なのか? 心配になるからやめて。
さっき聞いたのもヴィルド自身わかっているけど。その前提の下、きちんと情報を整理して仮説を立てたいからの確認ってやつだろう。
ナイフの動きが止まった。なんか、いい案思いついたんか?
「……やはり、消しますか」
ヴィルドの目はマジで。ある一点……天使に照準を合わせていた。しかも、ナイフ、両手の指と指の間に取り出してる?!
「ヴィルドさん、ストップ!! それは、あかん。あかんって!! ここ孤児院っ! スプラッタはいくらなんでもあかんよ?!」
思わず、ヴィルドの腕を握ってストップをかけた。言葉遣いが変になったが、気になんてしてらんねぇ! 天使を殺すなというより、子供達の前だからダメっていうのは、悪魔嫌いへの説得にまだ使えるパターンだ。そこは冷静だ。
しかし、ヴィルドの腕、本当に細いな。もっとちゃんとした飯食えよ。俺でも力加えたら、折れそうじゃねぇか。普通に俺の親指と人差し指が触れてるぞ。
「……触らないで下さい。汚れます」
邪魔をした俺に、何の表情も見せず、俺の腕を振ってほどいたヴィルド。
汚れるって。天使を触った俺の手でお前を触れたら、俺が汚れるってか? それとも、契約者の俺がお前に触れたら、手袋越しといえどお前が汚れるってか?! 絶対後者だよな! そこまで悪魔嫌いかよ!?
「悪魔を仕留めるのに、血など流させません。別次元に送り返して、消滅させるだけです」
手にもったナイフを見せるヴィルド。一つ一つにそんな呪術式が描かれてありますね。そのナイフを天使の周りに刺して、強制返還させる系だね。一応、その呪術式も二級といえども、正確にナイフ刺すとか実際にやろうと思うと、難易度たけぇよな?! でも、一瞬でやろうと思えば、できるもんね、あなた!! そんな腕や技術あるもんね! 俺も経験済みだよ! 残念なことになっ!
「ヴィルドー。お前、もう二級の試験受けねぇ? 俺、推薦状書くよ?」
絶対この人受けたら受かるレベルだよ、これ。比較的ものぐさの俺がここまでするのもマレだけど。それくらいはするさ。二級の試験は年二回あったから、今度は秋かな? もう春は募集も試験も終わったと思うし。
「受けません」
ピシャリと拒否された。バルトのおっちゃんと同じ口だからかね? 残念だ。
「では、別の術を考えますか」
ナイフも消して、策を練るヴィルドさん。天使を消すのは、なしの方向で頼むぜ?
「なぁ、情報の共有もしてくれよー」
チームワークって、そういうのも大事って言ったよなぁ、俺。
「不確定なものなので。現場を混乱させてはいけません」
ピシャリと拒絶された。一理あるだけに叱るに叱れん。組織の在り方も知っているようだから、どうこう口出しはせんが、な。
「ヴィルドさんよー。情報が確実性を帯びてきた。で、話そうと思ったら、ことがすべて終わりましたー、じゃ遅いんよ? 疑惑の段階でもいいから、俺だけにでもしゃべっちゃいな?」
首を傾げて吐くように促すが。ダメ、かなぁ?
「……ラザフォード司教。いつまでも、あなたはあなたのままでいて下さいね?」
何の話?! 俺にもっとわかるように言って!? 悪魔に堕ちんなってこと? 悪魔祓い師が悪魔に堕ちたらシャレにならんって意味?!
雷に打たれたように衝撃を受けた俺を横目に、ヴィルドは固まった。……どうした?
「ヴィィィィィィィー!!」
猛ダッシュでこっちに走ってくる一人の八歳ぐらいの美少女。……大きな目に涙なんかためて。あぁ、ヴィルドの知り合いか。
ヴィルドの前まで来て、抱きついた。……いや、違う残像だ。ヴィルドすんごい速さで上に跳んでいた。木の枝に立って見降ろしている。
他の孤児院のガキどもと同じように、簡素なスモッグ来ているが、サラサラな金髪を胸くらいまで伸ばしている。真っ青な濁りのない大きな瞳。将来がこれまた楽しみな容姿の美少女。頬も柔らかそうだ。
「ヴィー、帰ってきたんなら、ぼくに会いにきてよ。ぼく……ずっと待ってたんだよ?」
ボロボロと大粒の涙を流して。ヴィルド、可愛い彼女じゃねぇか。
ちょっと微笑ましくなって、ニヤニヤ笑ったら。……あ、ヴィルド、すんげぇ目で俺を睨みつけて。盗らねぇから、安心しろって。それで朝、天使にどうこう言ってたのに、心配したのかな?
白いハンカチを出して、屈んで少女の涙を拭いてやった。
ヴィルドも十二だし、一人立ちしなきゃいけねぇ時期なのに、こっちの美少女に別れの一つも言わなかったんだろう。で、ちょっと落ち着いたし、挨拶にって来たわけな。そして、こうなった、と。わかりやすいなぁ。
ハンカチ受け取って「ありがとう」って無理して笑わなくていいからな。ここにも天使がおる。ヴィルドがちと羨ましいぞ。
「別段、君に会いに来た訳じゃあない。ハンス司教補佐に挨拶に来ただけだよ」
淡々と言って、木の枝から降り立ったヴィルド。また少女に抱きつかれたくなかったからか、少し距離を置いていた。そんな風につっけんどんに言ったら、少女、また泣くだろっ?!
「ヴィー、変わらないね。でも……来てくれてうれしい」
本当に、ニコニコ嬉しそうに笑う美少女。……付き合いが長いから、ツンデレだってわかんのかもな。
チラッと美少女を見るだけで、視線を別方向へと移すヴィルド。表情はまるで変わらねぇのに。まさか照れてるのか?
「……ねぇ、もうここには帰ってこないんだよね? ぼく……絶対ヴィーを追いかけるから。ヴィーより偉くなるから! だから……だから待っててくれる?」
首を傾げ、懇願する美少女。将来、二級のシスターか。――いいなぁ、おい。
「待たない。私の傍にいれば君の命の保証はできかねる。君は君の道を歩みなさい。そう、何度も言った筈だけれど」
はっきりとした拒絶。命の保証って……さっきの思考回路しかり、お前ねぇ。どんな修羅場くぐってきたんだよ。ただの妄想じゃないのかよ。
美少女も、止まったはずの涙がまたあふれてきて、頬を濡らした。……ヴィルド、罪づくり。
「ヤダ! ぼくは……ぼくは、ヴィーと一緒にいるって言ったぁぁ! キミが闇の中でしか生きられないなら、ぼくがキミを照らす光になるって!」
お前ら、なんつぅ会話してんの?! 最近の子供ってすげぇ進んでんなぁ。
「不要。君ごときに何ができる。驕り高ぶるな」
て、手厳しいヴィルド。お前、美少女ワンワン声あげて泣いちまっただろうが。あ、ハンス司教補佐も来てくれた。茶褐色の短い髪に灰色の瞳。ここと中央との二世かな?
美少女の背を優しくポンポンと叩いている。そうそう、慰めてやってな。
「エド、またヴィルドを困らせてはいけませんよ」
……ハンス司教補佐、今何と? 俺、顔引きつちゃったよ。
「そうそうヴィルド、おめでとう。あまりないと思うけど、私物どうする?」
「ありがとうございます。正式にまた後日、改めて参りますが、処分していただいて結構です」
美少女|(?)の時の剣幕と違い、事務用になったヴィルド。ここの施設出れてってやつな。……なぁ、さっきのって。
深々と頭を下げるヴィルド。おいおい、俺にはそこまで丁重な態度、とったことねぇだろ?
「ハンス司教補佐、エドガーをよろしくお願いします」
「……って、この美少女、男かよ?!」
完全に騙されたよ! そりゃあ、ヴィルドが変な目で見るよな! いや、人として子供が泣いてたら慰めるけどよぉ。慰め方もちょい変わってくるだろ?
「今、そこじゃねぇだろ? お前、ちょっと黙っとれや」みたいにヴィルドさん、俺に殺気向けないで下さい。確かに空気読めない発言だったが。
「ヴィー、ぼくはキミを追いかける! キミの隣を歩く!!」
まだ子供同士だからいいけどよー。これ、男同士なんだよなー。一応、国としては本当に愛し合っていればの条件付きでいいですよーな、おおらかなとこも確かにあったと思うが。狭き門っていうか、茨の道だよな。
わんわん大泣きの上に、そんな宣言されて。ヴィルド、よかったな?
「エドガー。君も一度、危険な目に遭えばわかってくれるかな?」
小さく呟いた意味深長なヴィルド。おい、巻き込むなよ。
中空に浮かぶ赤い、炎の呪術式。ダメだ。このままだとハンス司教補佐とエドガーまで……。
透明な板の壁。……違う。厚い氷の壁が呪術式と二人の間にできた。その壁によって、阻まれたか。
もちろん、俺とヴィルドは呪術式も張らず、その場から飛び跳ねてかわした。これくらいの奇襲も職業柄、慣れてますからね。……残念なことに。
「ラザフォード司教。ハンス司教補佐とエドガーを」
厳しく呪術式を向けてきた方を睨みつけたヴィルド。その奇襲を仕掛けてきた連中に向かって施設を囲う壁を越え、走りこんでいった。
今の、どっち狙った? 俺か、それともヴィルドか。帰ってきたらきくか。
「ハンス司教補佐。とりあえず、子供達を施設内へ!」
追撃がないか確認しながら、指示をキビキビ出す俺。クリスも天使も、こっちの異変に気付いたようで、子供たちを施設内へと誘導していた。
後は…ヴィルドが帰ってくるのを待つ……か。この施設も物騒になったもんだ。警邏の人達にも、もちっと頑張ってもらうか。
クイッと下から法衣が引っ張られた。……何よ?
俺を見上げる両目に涙をためたエドガーが、法衣を握りしめていた。
「司教様って、強いんでしょ? だったら……ヴィーを護って? ヴィー、無理ばかりしちゃうから。お願い……」
まだ小さい自分自身じゃヴィルドを護ってやれねぇから、か。あそこまで突き放した言い方をされても、まだそんなことを言えるんだな。
エドガーに視線を合わせるため、地に脚をつき屈んだ。そして、エドガーの頭に手を置いた。
「おう、任せろ。エドガーは早く安全な所へ避難しろ。お前に何かあったら、ヴィルドは悲しむぞ」
さっきの防護壁はヴィルド製だからな。一瞬の出来事とはいえ、自身の回避より先にハンス司教補佐とエドガーを見たヴィルドを俺は見ちまったからな。……その時、俺は反射的に後ろに跳んでたんだがな。そこから呪術式張ってじゃあ、なんかな。
「……そうかなぁ。ヴィー、ぼくのこと嫌ってるし」
「それはないわー。エドガーを傷つけるのが怖くて、遠ざけようとしてるだけだろ」
鈍い俺でも今回のはわかったぞ。相手を傷つけて自分を嫌ってもらうために、きつい言葉をわざとぶつけただけさ。
「もっと自分に自信を持て、エドガー。お前は十分、あいつの光になってるぞ」
ずっと空ばかり見ていたヴィルドが、自分自身の抱えている重荷につぶされなかったのも、エドガーの存在が大きかったのだろう。
「ありがと、司教様!」と嬉しそうに無邪気に笑うエドガー。素直で可愛い子供やのー。男なのがもったいないくらいだ。あぁ、本当にもったいないなッ!
★
ハンス司教補佐に促され、エドガーは施設の中へ入って行った。
……今日のエドガーへのヴィルドの言動を見て、ふと気づいたんだが。なんとなく、俺への対応に似ていなくもねぇか? エドガーの方が断然きつい態度をとっていたが。もしかしなくても、ヴィルド、やっぱりツンデレなのかもな。
クリスと天使も駆け寄ってきて、「何があったんです?!」と聞いてきた。
起きたことをそのまま話すと……やっぱりクリス、目を吊り上げてきたよ。わかってたさ。こうなるとは!
「何、ヴィルドくん一人に行かせてるんですか! あなた、一体全体何してんですか?! 今すぐ追いなさいよっ!」
「行け!」とばかりにヴィルドが走った方を指さすおかん。無理っ! どこ行ったかわからん!!
「あの……その使い魔だったものを使って、追っていけば。わかるのでは……ないですか?」
恐る恐る提案してくれる天使。……そっか! 前ヴィルドがやったみたいにな!
胸の裏側のポケットから紙を出し、ヴィルドが前使っていた呪術式を描いた。その紙全体が青白く光り、ヴィルドが去った方と同様の方をさした。
よし、オッケーだ!
「アンジェとクリスはここに残って安全確保な。そんで別の呼んでくれ」
この二人がいても、足を引っ張るだけだからな。
「はい。お気をつけて!」
紙が示す方……大体中央方面? なんだってこんな地区に? 走りながら今さら気づいたんだが、この使い魔作ったやつヴィルドが追っているのと関係なかったら、無駄だよな? 意味ねぇよな?! 今さら気づく俺も大概だけど。……きっと大丈夫だと信じたい。
「ラザフォード、本当にこっちであってんのかぁ? 間違ってたらしばくぞぉ」
昨晩、一応補佐とペアだったから、さほど狂災に巻き込まれなかった、青髪のロベルト。今日、中央区担当だから、早かったのか。昨夜、一体で動き、南西区をメインに歩いていて、一番被害が大きかったオメガは夜に行かせることになっている。
昨夜は俺と天使がいた北東区辺りを一体で歩いていて、元凶とさほど出くわさなかった、戦闘系のなかでも一番強いウェスタ。あいつは今日、北西区を司教補佐と回ってるから遅いか。どっちかというと、性格とかその他色々とチャラいロベルトより、見た目だけがチャラいウェスタの方がよかったんだがな。
「使い魔作ったやつはな。実際にそいつかわかんねぇが」
「おいおい、何だよそれ。もし違ってたら、ラザフォードどうすんだ?」
「知るか!」
無責任だけど、しゃあねぇだろ。これよりほかに手がかりねぇんだから! ヴィルドに居場所知らせてもらうのを期待すんのも、情けなさすぎるだろ!
「……え、あの化物もいんの?」
プカプカ飛んで、俺の後を追いかけていたロベルトが減速。……っていうか、止まってんじゃねぇよ!
「さすがのあいつもそこまで見境なくねぇだろ! ……タブン」
「今、俺の不安を煽るようなこと言わないでねっ?!」
契約者の俺も下手したら攻撃されるよ。その時は、旅は道ずれ、世は情け、さ。
いい笑顔で誤魔化したが「俺、帰るっ!!」と言いながら、逃げ出しそうになるロベルト。
「ふざけんじゃねぇ! 仕事しろや!!」
ロベルトは黒のヒラヒラとした服を着ていたから、そこをつかんで引きとめた。戦闘系のこいつら。一応全員、自力でみつけたんだろうが。手伝えや!! あいつじゃねぇが、消滅させるぞ、こらぁ!
「あの化物一人でも大丈夫だって! 一人で組織だろうと何だろうと壊滅させるって!」
「二次被害出るだろ?!」
あいつとて万能じゃあないんだから。人死にが出たらどうするんだよ!
しかし、なぜかあいつが死ぬとか怪我するとかそういう姿は想像できないんだわ。
ものすごい説得力があったのか(被害悪魔の会の会員だからか)しぶしぶとはいえ、ついてくるロベルト。最初から駄々こねるなよ。二次被害出したくないって気持ちは立派だけどな。
「……で、方向あってんのかぁ? こっち、人も多い地区だぜ?」
俺にきくな! この使い魔作ったやつに言ってくれ。
民家と民家の間の狭い路地……おいおい、どこにいるんだよ、製作者。
赤い光が射した。誰か、呪術式発動させたな。
あわてて駆けてくる……いや突き飛ばされたような小男。もう、どんくさいんか知らんが、さらに狭い路地から出てきたと思ったら、ずっこけてんだぜ? しかも、腰から下、力抜けてんのか、ずりずり狭い路地の方見て、下がってる。そっから、目をそらしたら、ようやく逃げだせたのに、そいつが襲ってくるとでもいいたげだ。
「ラザフォード。そいつ悪魔憑きだよぉ。解除して確保しよ♪」
……だな。こいつが使い魔作ったんかもな。青白い紙も、こっちの方を指してるし。
「おい、平気か?」と、その幸薄そうなおっさん……おそらく五十代くらいに声かけたら「ウヒヒァッ!」とのど鳴らされた。そんな怯えられたら、傷つくじゃねぇかよ。俺ってば、どこかの誰かとは違って、ガラスのハートなんだからよぉ。
「バ、化物が……化物と戦って……」
狭い路地にはカラスと猫とネズミとかが混ざり合ったような醜悪な姿のもの。使い魔が混ざったんだろうなぁ。それにナイフをブン投げているヴィルド。的がでかいだけに全部当たったよ。
……こっち退治するのに邪魔だったから、このおっちゃんを蹴とばしたんだろうなぁ。ナイフに呪術式仕込んでたか。その生き物に雷が走った。カラスの口から、最期のあがきとばかりに炎の呪術式と火の玉が現れた。もちろん、ヴィルドは何の苦もなくかわしてましたが。
その使い魔だった化物が、三枚の紙になった。それをヴィルドは普通に手に取って回収していた。もし、それに爆発系の呪術式描かれてたらどうすんだ、お前。もちろん、その危険もないって判断したんだろうけど。
「……お疲れ様です、ラザフォード司教」
俺がいるって気づいていたから、ヴィルドも俺の足元にいるおっさんをこっちの路地に放り出したのかもな。てててと、おっさんにも化物扱いされたヴィルドが近づいてきた。
「おぅ。……ヴィルド、今のは?」
「この悪魔憑きが奇襲に失敗したため、黒幕が仕向けた使い魔といったところでしょう。……語られては、非常に厄介な情報を握っていると解釈しますか?」
え、そこは疑問形? そうじゃねぇの?
「あの程度の使い魔で悪魔憑きを亡き者にしても、別の方法でこの悪魔憑きから情報は得られますから」
「あの、ヴィルドさん、ヴィルドさん。できませんけど?」
信じられない、とばかりに俺を見ないでね。普通の人間にはできねぇよ! ロベルトも、俺の後ろに隠れてねぇで、なんか言ったって!
「暗部にも通じているバルトくらいなら、拷問用の呪術式くらいなら簡単に使えるだろうけどねぇ。死体からは無理じゃね?」
オイ、ロベルト。おっさんビビらせてるんじゃねぇよ。言い方とか考え方とかはやっぱチャラいな。さらっと怖いこと言えるとこあるよな、こいつも。しかし、ヴィルドと顔を合わせたくないとばかりに後ろに隠れながら言っても、あんまかっこよくねぇよ。
悪魔とは口もききたくないのか、もう無視のヴィルド。悪魔憑きのおっさんの服の胸付近をナイフで切っていた。悪魔憑きにも近づきたくねぇのか、上にナイフ投げてそのまま任せるままにストン、と。皮一枚で切っていた。他は切らないって、すごい腕。
「……一連の悪魔憑き騒動と同じ呪術式ですね」
胸の中央に描かれた五センチほどの黒い呪術式。逆五亡星ってベタベタだよな。ヴィルドが見ているのは、その周りに描かれた文字の方だったかもしれねぇが。
こういう呪術式にも個人の描き癖のようなものとかが出るようでな。個人の特定なんかにも用いられるものなんだと。筆跡鑑定的なこともできるんだって。もしかしなくても、その手のことができるのか、ヴィルド。スキル半端ねぇぞ、おい。そういうことができるといっても、もう驚かない俺もいるが。……慣れって怖いね。
「よし、じゃあ無効化、と。悪魔憑きって、悪魔契約者や悪魔本体に好き勝手に操れちまうからなぁ。気ぃつけろよ」
きっちり色々吐いてもらうために、一応、大聖堂の方に連れていくか。
警邏隊と思われる者たちがバタバタと来てるけど。……あ、ちょっと派手にしすぎたか? それとも、うるさかったか?
「ラザフォード司教! ありがとうございます。そいつ、盗人なんです」
……いや、こいつ、悪魔憑きでしてね。こっちでも、取り調べがしたいんだけど。
あ、あ。別の警邏の人に連れていかれていく……。お礼じゃなくてさぁ。ちょっと身柄貸してもらっても……。
「どんな罪を犯したのかという取り調べをこれから行うのですか? ……と、ラザフォード司教は関心があります」
お、ヴィルド、いい質問だ。いいぞ、いいぞ。どんどんいけー!
「えぇ、そうですが。……ラザフォード司教も立ち会われます?」
喜んで!!
★
えっと、警邏隊の取り調べ室。窓もないのが二部屋あって。一つは机と向かい合ってある椅子が一脚ずつあった。もう一つの壁に机と椅子があった。
で、もう一部屋。窓越しにその部屋が見える部屋の方に、俺とヴィルドは立ち見で見学だ。……え? なんでヴィルドがいるかって? ……なり行きだ。ロベルトのやつはヴィルドがいるから嫌ってことで、元の職務に帰って行った。
警邏隊も子供なヴィルドが気になるようで、ちらちらとこっちを見ているが。本人はまるで気にしてねぇな。本当に面の皮、厚いよな。
そういう尋問担当っぽい人が椅子の向かいにつき、小男を問い詰めて、もう一人が小男の後ろに立っていた。……で、もう一人は壁に向かって座り、二人の会話…主に男の供述を書き取っていた。
こっちで俺達が見学しているのも、ぼそぼそ話しているのも、向こうには見えも聞こえもしていねぇみたいだった。ガラス越しといえども、こっちには向こうの姿も見えているし、聞こえてもいるのにね。
やはり警邏の連中は、いつ、どこで、何を盗んだかに終始聞いてるな。もちろん、証拠やら目撃証言がきちんとあるものを立件してくれてるようだ。
俺としては、悪魔憑きにしたやつとか、聞きたいんだけどなぁ。横で見ているヴィルドも難しい顔して|(雰囲気な)。なんか、引っかかる?
「……悪魔憑きの呪術式。解きました、よね?」
ヴィルド、お前も見てたろ? 聞かんでくれよ。俺の不手際みてぇじゃん。
「―――解けておりませんよ。体表はフェイク。体内に埋め込まれているのが本命のようですね。いかがします? このまま放置しておけば、あと五分くらいで死にますよ」
こういう時に慌てず騒がず、冷静なのもありがたいね?! クリスなら、今頃パニックになってるよ! 呪術式の変化に気づいて、難しい顔|(雰囲気)されてたのね!
「体内に呪術式かよ。解呪したことねぇぞ。一体…どうすりゃあ」
「――一級の試験には出ないのですか?」
「出るかっ?! そもそも、どうやって施すんだよ!」
ガラス越しに、小男の方を見て、歯噛みした。今はまだ、平気そうだが。いざとなったら、どうにかしてでも、解かねぇと。
「一つは外科的に施術。二つ目は食物や空気に混ぜて、体内に侵入させ、組織に定着。三つ目は東のある一派で用いる気功術で体内に浸透、呪術式を植え付ける。四つ目は胎児の段階で呪術式を描き込む。――今回のケースは、二つ目と三つ目の可能性が高いと思われます」
「知ってんのかよっ!?」
そこは俺の質問に律儀に答えなくていいよ! ちょっとばかり、焦ってくれよ、ヴィルドさんよぉぉ!!
「もちろん、邪法です。普通の精神状態で人間に施すことなどありえません。素人が成功する例など、ほんの一握りなのですから」
……ですよね。この手のことを知ってんのも、実験体にされたからかもな。特に、四つ目のやつがそうだろうな。バカみたいに強いし。その一握りの成功例なのだろうね。
「で、解き方はっ?! 知ってんのなら、教えろや!」
人に物をきく態度じゃねぇのは百も承知だ。だが、今はそれどころじゃねぇだろ?!
「……手っ取り早いのは、一つ目の外科的に施術でしょうか。お手伝いしましょう」
シャキンとナイフを片手に取り出すヴィルドさん。……この人はただ切りたいだけじゃなかろうか。なんて疑いたくなってしまった。
「ダメだ。俺……血と内臓は苦手だ」
ポツリと漏らす情けない一言。できれば、それはなしの方向で頼む。
俺に解呪させる気だったヴィルドさんは、ナイフを消さず、コツコツ側頭部を叩いていた。
「無菌状態でないと難しいものですので、どちらにしても、ここではできませんね。二つ目では時間がかかりすぎますから、必然的に三つ目ですか。ラザフォード司教に気功術が使えると思えませんね」
そういうものがあるってのも初耳だよ、ヴィルドさん。
ナイフをようやく消したヴィルドさん。なんか、思いついたんか?
「……たとえ、情報をどんな形であれ、手に入れられたとしても。ラザフォード司教はあの悪魔憑きを助けたい……ですか」
もうわかっているけど確認とばかりに語るヴィルドさん。当然だろ。たとえどんな市民でも助ける。俺のモットーさ。
「……では、ラザフォード司教、御指示をお願いします」
俺を見上げるヴィルド。
ヴィルド自身では動かん。いや、動きたくないが。
「……ヴィルド、命令だ。悪魔憑きの解呪しろ」
「了解しました」
――俺の命令ならきく。そういう意味か。
「……悪い」
「いいえ。私も久しぶりなので、成功するか分かりません」
コキコキと右手の指を鳴らすヴィルドさん。久しぶりって、やっぱりやったことがある御人なのね。
ガラスの向こう側で胸を押さえ、椅子から転げ落ちた小男。……こりゃあ、そんなに猶予もなさそうだな。
「ちょっとごめんよー」と謝りながら、小男達と同じ部屋に入り込んだ。あー、脂汗かいてるな。ここまで来たら、確かに助からんかもな。
「ラザフォード司教、しっかり縛りつけていて下さい」
目がいつかのように真剣で。ヴィルドさん……瞳孔も開ききってるんじゃなかろうか。
「おう」と返事をして、男の両腕と両脚を糸状の呪術式で絡めとった。ピンと伸ばして、おそらく呪術式があると思われる胸付近に何も障害物がないように。「……ありがとうございます」とヴィルドも俺の気遣いに気づいたようでそう言った。
ヴィルドの右の掌に描かれた、見慣れたはずの解呪用の呪術式は黒く、禍々しささえ持っているように見えた。
縛った男の前に立ち、ヴィルドはその肩幅ほど足を広げていた。特別な動きもなく、ただヴィルドの右手に描かれた呪術式を、半端ない速度で、男の胸に叩きつけていた。
男の体に、その呪術式が浸透したのか、その腕はぶるぶると痺れていた。
ヴィルドは手を外し、マジマジと男を見ていた。ちゃんと解呪できたのか、掌の呪術式は消えていて、ほんのりと赤くなっていた。
「もう大丈夫ですよ。ほどいて下さい」
感知系じゃないからよくわからない。「はいはい」と言いながら、呪術式をほどいた。人使い荒いのー。なんて思うが、ヴィルドからしたら、俺の方が荒いし、激しいのか。
倒れ込んだ男の側に屈み、その背にそっと手を置くヴィルド。……こうなると意外と優しいんじゃねぇか? 人に触れるのも触れさせるのも嫌ってやつなのに?
荒く呼吸をする男にヴィルドは、いつもの態度を崩さず、「――あなたを悪魔憑きにしたものは?」なんて尋問していた。……おい、そっちかよ! 心配してんじゃねぇのかよ!
男がヴィルドの方を向き、口を開き、何か言おうとするが「はい、もう結構です。ご協力ありがとうございました」と言って、手を離した。何があったの?!
ヴィルドはもうこの男に用はないとばかりに、背を向け一人、部屋から出て行った。本当に何のよ、この子!
部屋に残った警邏の人達に礼を言いつつ、ヴィルドの後を追った。
もう、怒ってらっしゃるのか、結構速いなぁ! 追いつけねぇ!!
「ヴィ、ヴィルドー。ヴィルドさーん!! い、いずこに行かれまするかー?!」
俺、司教なんだけどなぁ。偉いんだけどなぁ。なんで振り回されてんの!?
その言葉にピタッと足が止まってくれた。ちょっと小走りになってヴィルドの横についた。膝に手をついて、休憩とかやっていると、俺を見る目がちょいきつい。切れ長の瞳がいつも以上に険しくね?
「……勿論、宿舎に戻りますよ?」
俺がいるってのを忘れてたのではなかろうか。そんな足のスピードでしたよね。
「そう、か。……じゃあ、俺も帰るとすっか。ヴィルド、今日は散々な休日になったな?」
「まだ一日は終わっておりません」
――それもそうね。この後くらいはゆっくりしていてほしいものだが。
「……午後の交代まで、時間はありますね?」
「あぁ、こっから帰っても間に合うと思うぜ?」
一応、ここの警邏のための建物も、中央区にあるし。東区の教会に比べりゃ、近いわな。
ヴィルドは淡々と「そうですか」と言うだけ。えー。冷たいやつだなぁ。
「ヴィルドさんやー。わかったこと俺にも教えてくれよー」
下手下手に出ているが、あら、無視? スタスタと行っちゃった。ヴィルドさんさー。俺と何か話そうよー。俺、寂しいぜ?
今度は俺の一歩分に合わせてくれた早さだから、まとわりつけるがな。俺の声なき懇願に気づいてくれたヴィルドは「はい。宿舎に戻りましたら」とつれない返事。
う~ん。なんか避けられてるような? 気のせいか?
★
……気のせいじゃあ、ありませんでした。宿舎帰るまで、一っっ言も口きいてくれねぇわ。目も合わせねぇわ。前と同じ、いや以下でした、と。ものすごい、よそよそしいっつうか。他人行儀なんよねー。話しかけるなオーラ、半端ねぇのよ。前からそうだったけどさー。
一緒に……いや、ヴィルドがほとんど解呪したし? ちょっとは打ち解けてくれるかな? なんて期待したけどさー。……俺としては、司教らしいことなんて、まるでしてねぇけどな。幻滅されたーとかなら、まだいいんだけどさ。
いや、いいことないけど。そっちなら、ちょっとは活路あるじゃん? 俺のこと期待してくれたんだな? なんて、さ。それもないわけで。……やっぱ、契約者だからかね?
戻ってきたクリスに「お帰りー」と迎えられた。だけど、ロベルトとかはまだみたいなのか、広間にいなかった。
おっちゃんと猫は、そいつら待ちなのか、ソファに座って遊んでいるが。……猫じゃらしじゃねぇよな、それ。ナイフに布の切れ端くっつけたやつで、ふらふら振って遊ぶなよ。危ねぇだろ。
「ラザ、お帰りにゃ! このギリギリ感が楽しいにゃ!」
いや、ギリギリって。お前がケガしねぇようにおっちゃんが高さを調節してんだよ。知らぬが花というか、言ってもわかんねぇだろうな。だから、あえて言わんが。
クリスもいるってことは、天使もいるんだよな。今日も天使は怖い目に遭ったから、慰めねぇと。キョロキョロ探すが。あら……いないの?
ズンズンと壁際に突き進むヴィルドと、追い込まれる天使。……ちょ、何してんの?!
バンと結構激しい音を立てて壁に右手をつくヴィルド。噂に聞く壁ドンだよ! いや、壁バン? どっちでもいいけど、そんなことしたら、びっくりするだろ! ビクリと肩を跳ね上げる天使。もう、怯えてんじゃねぇかよ! やめんか!!
右手で、天使を逃がさないように包囲しつつ、左手で、たぶん使い魔を作った紙と思われるものを突きつけるヴィルド。もう態度、めちゃくちゃ強硬じゃないかよ!
「……この男に見覚えは?」
天使に向かってお前、知ってんだろ。キリキリ吐けや、と言わんばかりの態度! や、やめてあげて!! もっと普通に聞いてあげて!!
「む、無理矢理、契約しろって言った人」
天使の目にめっちゃ涙たまってるよ! 天使にとっても嫌な記憶しかないんか、泣いちゃいそうだよ!!
「ラザフォード司教、言質が取れましたよ」
「何のだよ?! 悪魔が天使を脅しているようにしか見えなかったよ!?」
天使にもう興味はないとばかりに、その場から離れるヴィルド。
天使はモラさんの方へ、駆けて行って抱きついてるよ。可哀想に。あいつに何回トラウマ植え付けられたらいいんだろうな。モラさんも天使を慰めてやってな。よしよしって背中撫でてるよ。……お母さん!
「ですから、この男が今回の黒幕だと言っているのです。早く指名手配して捕まえて下さい」
さっき天使に見せた紙を俺に手渡すヴィルドさん。この胡散くさそうな、黒縁眼鏡男が? 北の住人らしい五十手前のおっさんが? なんか絵というよりも実写に近いんだが。
「ヴィルドさんよー。この男の顔、なんでわかった? 使い魔の残留物じゃ、わからんだろ?」
本心では聞きたくないけど、後々のために、な。それにこの情報が正しいのか、精査するためにも、な。
「警邏隊にいた男から聞いたからですよ」
一緒にいたのに、なんでわからないの? なんて言いたげだね。聞く前にお前、途中で打ち切ったじゃねぇかよ!
「ラザフォードちゃん、尋問系の呪術式使えば、顔くらい相手から引き出せるよー。警邏の連中もどうしてもっていう時は使ってるらしいと噂で聞いたことはあるけどな。もちろん、ラザフォードちゃんは知らんでいい、違法で邪法な呪術式ね」
おっちゃん、いい笑顔で言わない! 正規の呪術式使おうよ!
ヴィルドさん、その呪術式使ったのね?! 使ったんね?! これ! 俺の方を見なさい! ひょっとしなくても、帰り道、ずっと黙ってたの、邪法呪術式使いまくったからか?! 後ろめたかったからか?!
「司教ー、大人げないっすよー。そこはお礼こそ言っても叱るとこじゃないっす。司教、一度でもヴィルドくんに、ちゃんとお礼を言いました? ずーっと謝ってばっかだったんじゃねぇすか? ヴィルドくんにそんな呪術式使わせて、悪いとか思う前に、もっと先にすることあるんじゃねぇっすかねぇ?」
横から茶々を入れるクリスに、いつの間にか帰ってきていた悪魔達。クリスの後ろに隠れて「そうだそうだー」と加勢していた。だから、クリスの前とか横にいて言えよ。
「えっと、えっと。とりま、話整理すると。このおっさんがアンジェの契約者なんか? でもよぉ、別の悪魔祓い師と契約してんのに、アンジェと契約なんて」
「悪魔祓い師と出会う前に強制されたのでしょう。……さっさと切ればよいものを」
じろりと天使睨まんでね? ほら「キュー!!」とか言って、モラさんに抱きついている。契約は人間側の力とかが強ければ、何人とでも割と簡単にできるもんね。アンジェのような小悪魔じゃあ、そいつも楽だったろうな。
「別に契約してても害ない類なんじゃね? 向こうが有利な契約だと、アンジェからは切れんし……」
助け船を出してやると、でしょうねとばかりのヴィルドさん。わかってたなら、威嚇せんで上げて。ヴィルドさんって、いるだけで悪魔たちビビるから。
ヴィルドさんは、悪魔祓い師の宿舎に来たんなら、前もって、そういうことは告げておくべきだろって言いたいのだろうね。脅して口止めされてたかもしれんから、責めてやるなよ。
「そりゃー、悪魔になっても、元が弱けりゃ、弱いままだし? そのおかげもあって、普通の人間が悪魔祓い師なんて稼業なんてできるようなものだからなぁ」
元が強い人間が堕ちると、さらに強くなるから厄介なんだけどな。こっちの手もお見通しなわけだし。もう祓うの、大変なんだよね。
「契約者ですと、普通の人間より物理的な力も呪術式を扱う速度なども増しますからね」
「だからと言って、ヴィルドさんさー。アンジェを消すのはない方向でって、俺、何度も言ってるよなぁ」
ヴィルドさん、孤児院に行ったとき、天使の関係者だって気づいてたんかもな。だから消そうとしたか?
「危険思想を抱いている人間を野放しにするおつもりで? せっかくの目印がなくなるのでいたしません」
ヴィルドさん、とっても合理主義。割と好きかもしれない、その考え方。
確かに天使を消せば、その契約者もただの人になるからな。反対に、悪魔憑きの場合は、かけた悪魔や契約者を消しても残るんよね。とても不思議で厄介なことに。そこから消したはずの悪魔が復活するってことはないけどさ。『門』の向こう側に送り返しただけなら、それもあり得るそうだが。そのための保険として、悪魔や契約者は悪魔憑きを増やすっていうのもあるらしいが。
「……もしかしなくてもあの契約者、アンジェ消そうとしたヴィルドさんに攻撃しようとしたんか?」
もちろん、ヴィルドさんはあっさりかわされていたが。
ヴィルドさんは俺に何とも答えられず。またコツコツコツとナイフで側頭部を叩いていらっしゃった。――その癖、やめて。
「ヴィルドさん、ヴィルドさん。めっちゃ悪どいこと考えていらっしゃらない? そうやっている時、悪魔的で猟奇的な解決法を思いつかれるもの」
…………なぜだろう、嫌な予感しかしない。
ちょっとはコメディらしくなったかな? なんてかなりどきどき。
どうでもいいですが、ラザフォードはロリk…うわぁ、何をする! やめっ…………