一 初出勤
「おはようございます」
「おはよう。今日から本庁だったね」
表を掃除していた近所の小父さんと挨拶を交わす。
「そうなんですよ。突然本庁から辞令が来て、あれよあれよという間に決まっちゃったんです」
「本庁勤務なんて栄転じゃないか、何か手柄でも立てたのかい?」
「経理の私がどうやって手柄を立てるんですか?」
「不正経理を摘発したとか」
「そんなドラマみたいな事はありません!」
「まぁ何だ。きっと偉い人がみやちゃんの隠れた才能を見付けたんだよ」
「本庁にも経理として移動するんですけど、経理の才能が凄いって事……な訳ないでしょ」
「栄転には間違い無いんだからさ、頑張ればいいと思うよ」
「はい。じゃあ行ってきます」
あの小父さん、刑事ドラマの観過ぎだなと思った。
「みやちゃん」私の名前は田辺都。だからみやちゃん。
大好きな御祖父ちゃんが付けてくれた名前だけど、小さい頃は嫌だった。
少しクセッ毛だった事もあり、付いたあだ名が「都こんぶ」可愛そう過ぎでしょう女の子なんだから。
近所の大人の人は「みやちゃん」と呼んでくれて、その呼ばれ方は大人になった今でも好きだ。
それが下町の良さなのだろうか、暖かな交流は気持ちの良いものだ。
それが防犯にも役立つなどと考えてしまうのは、警察職員の性なのだろうか、少し自己嫌悪を感じてしまう。
皆の生活を護る警察官に憧れたけど、採用されたのは事務職員としてだし、配属されたのは会計課つまりは落し物係という理想とかけ離れた部署だった。
「癒し系のアンタにお似合いの部署じゃない」と友人に言われたけど、自分でもそう思えちゃったのが何だか悔しいな。
見つかった落し物を渡す時に感謝されるのは気持ちいいし、人の役に立ったんだと実感できるんだけど、やたら拝まれるのは何だかなぁ。
表を歩いていても拝まれちゃうし、念仏まで唱えちゃうお年寄りまでいるんだもんなぁ。
「わたしゃ仏さんとちゃうわ!!」って言いたくなっちゃうな。
いやぁ~驚いた。今まだは徒歩通勤だったから経験しなかったけど、通勤ラッシュって凄いんだなぁ、これが毎日続くと思うと栄転だなんて喜んでいられないよ。
本庁はテレビで見たイメージより大きかったけど、それ以上に組織構成が紛らわしかったなぁ。
「公安のゼロ課に配属になったのですけど、どちらになりますか?」と聞いたら受付の人は一瞬息をのんで固まっちゃうし、電話で確認しても的を得なかった様だし、改めて辞令を見せたら正しい配属先は、警視庁公安第零課という事だった。
警察庁と警視庁、公安警察と公安部、ゼロと零課、建物だって隣合ってるし間違えちゃうのもしょうがないよね。
それに、こういうのが組織の無駄って事だろうし、腐敗の温床になるんだと思う。
民間の方々が不景気で苦労しているんだから、我々公僕はきちんと襟を正さないといけません。
だけど、私の正しい配属先が分かった時の、周りの人達の反応は何だったんだろう。
配属先の場所を聞くと、何か皆さん一歩と引いた様だったのは、私の気のせいだったのだろうか?
答を得られず困っていると配属先から迎えの人が来てくれた。
挨拶もそこそこに二人だけで案内されたエレベーターに乗った。
地下六階に到着する。
エレベーターホールの前には扉が一つあるだけで、「零課」とだけ書かれたプレートが付いている。
もしかして、ワンフロア全部使ってるって事なの、どれだけ大きな課なのと考えながら扉の横を見ると、指紋認証、IDカード認証、光彩認証?パスワード打ち込みの機器が付いている。
私の配属先って一体何なの?と不安になった瞬間扉が開いた。
拍子抜けするくらい普通のオフィスが広がっている。
普通じゃないのは広いオフィスに誰もいないという事。
私は事務職だから九時五時だけど、公安って二十四時間営業じゃないの?
自分の席も分からないから、案内してくれた人に聞こうと思ったら……いなくなっている。
何だか怖くなって退室しようと思ったら呼び止められた。
「田辺都さんですね。課長の安倍です」
「おはようございます。本日よりこちらに配属となりました田辺都です」
「思ったより早く来られたので、迎えが遅れて面倒を掛けてすいませんでした」
「いいえ、私の確認不足が悪かったのですから、こちらこそすいませんでした」
「昨日大きな事件がありましたので、今日はまだ誰も出勤していませんので、私が簡単な案内をしましょう」
「先程まで案内して下さった方がおられなくなったのですが、どちらかに行かれたのでしょうか?」
「彼は迎えに出て連れて来るまでが仕事だったのです」
「そうなんですか」
「まずは、廊下の奥の左側が更衣室となっています、ロッカーに名札が付いてると思いますので、そこを使って下さい」
「分かりました」
「そちらが田辺さんの机になります。パソコンのキーワードは好きに設定して構いません」
「私の仕事はやはり経理ですか?」
「はい。ただし、この課はかなり特殊な部署なので、かなり変わった使途もありますけど、それは追々慣れてもらいましょう」
「特殊な部署なんですか?」
「直に慣れますよ」
「それで伝票や書類はどちらでしょう?」
「こちらなんですが……」
「……この量はどうゆう事なんでしょうか?」
「いや、この課に経理の人がいなくて自分達でやっていたんですが、それも限界を超えてしまったという訳です」
「経理がいないなんて、有り得ないと思います」
「会計課にお願いしたんですけど、誰も希望者がずっといない状態なんです」
「それで所轄の私に声が掛かった訳ですね」
「田辺さんの場合はそれだけじゃ無いです」
「気を使って頂かなくても大丈夫です」
……私の出来る事は経理だけって事くらい自分で分かってますよ。
「本当に思っていた以上だったのに驚いています」
「まだ私は何もやっていませんが?」
「あぁ、仕事の邪魔をしてはいけませんね。それでは宜しくお願いします」
「任されました」
何これ?何で世界中から水なんて買ってるんだろう?送料だって馬鹿にならないくらい掛かってる。
これも変。わざわざ京都に紙を注文するって意味が分からない。いい値段だけど余程特殊な紙なの?
これは……金属加工の会社みたいだけど、警察の仕事にどう関係するのかしら?
刀剣?研ぎ料?怪し過ぎる……。
何だかまだまだ変なの出て来そう……。
課長は特殊な部署だからって言ってたけど、それのしたって怪し過ぎる使い道じゃないの。
朝言われたみたいに不正経理でも見つけちゃいそう。
あぁ~、そんな事気にしてたら仕事にならないわ。取り敢えず、整理だけでも今日中に終えなくちゃ。
「お先に失礼します」
何とか整理は終わったけど、これだけ放置していたって有り得ない。
いくらなんでもって事が多すぎるけど、まだこの部署の事が何も分かって無いんだから詮索は止めておこう。
課長の名前も「安倍晴信」って、どこの武将か陰陽師なの?って感じで怪しさ倍増だったなぁ。
そのせいか、課長に聞いてみようという気にもならなかったから、まだ聞く段階じゃあ無いって事なんだろう。
昔からそういう勘は良かったから、間違って無いだろうから。
それにしても、結局今日は誰も出勤して来なかったけど、どういう仕事する課なんだろう?
課の空気は分からなかったけど、フロアの空気には大夫慣れた様な気がする。
朝は少し重い感じがした空気が帰る頃にはスッキリと軽くなった気がした。
何もかも忘れる程の伝票整理にハイになっているだけかもしれないけど。
明日は同僚に会えるといいなと思いながら帰途につく。
廊下の奥からゾロゾロと人が話しながら歩いて来る。
「いやぁ~ありゃ凄かったですねぇ」
「まるで明治神宮がこのフロアに飛び込んで来たのかと思っちゃいました」
「このフロアの穢れた空気がこんなに浄化されるとは驚きです」
「普通の人ならとても一日いる事なんて出来ない程の穢れでしたから」
「私達が受けた穢れも浄化されちゃいました」
「あんな凄い力持ってるのに本人は自覚無いんでしょ」
「菩薩の化身かってくらいの力でしたねぇ」
「あの人がずっといてくれれば私達も助かります」
「皆さん大夫回復された様ですから明日には会えそうですね」
「あの乱暴者に会わすのは後回しの方がいいと思いますねぇ」
「でも回復力が半端じゃないから明日はきっと出てきちゃいますよ」
「今夜は満月だから間違い無いでしょ」
「課長。まだ出て来るなと電話をお願いします」
「そういう訳にはいかないでしょう。それと私を変な事に使おうとしないで下さい」
「そうですよ。あんな人材を見付けて来てくれただけどもありがたいでしょ」
「より一層我等を働かせる為だったりしてねぇ」
「そんな、ブラック企業じゃあるまいし、私は純粋に皆さんの為にと思って彼女を引っ張って来たんです」
「ブラック企業だって小学生を働かせないとは思います」
「私はお父さんのお仕事手伝っているだけなんだからいいでしょ」
「手伝ってるどころか、相手によっちゃ最強の戦力ですよ」
「晴美ちゃんには随分助けられたからねぇ」
「ウチの娘をサカナに遊ぶのは止めて下さい。それと、あれだけの人は滅多にいませんから、逃げられない様に気を付けて下さい」
認めたのであろう、全員が頷いた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
私の家はお祖父さんの代から始めた和菓子屋さん。
修行に出ているお兄ちゃんで三代目だから、なかなかのものなのかな。
周りには江戸時代からとかの有名店も多いけど、それでもやっていけてるんだから大したものかも。
味なら完全に勝ってると思うし、贔屓にして下さる方がいるのはそういう事だと思う。
「今日から新しい職場だったろ、どうだった?」
「それが変わった部署だったの」
絵の描いたような一家団欒の我が家の夕食は、いつも全員の一日の報告で始まる。
今日は私の話で、食事そっちのけで盛り上がり夜が更けて行った。
行儀としては問題あるけど、私はこんな我が家が大好きだ。
初体験の通勤ラッシュと慣れない職場に疲れたので早目に寝る事にした。
明日は同僚に会えるだろうか?どんな人達だろうか?と思いをはせながら私は眠りについた。
その男はプラチナブロンドのサラサラヘアーに碧色の瞳を持ち、人種を問わずイケメンといえる人間離れした顔立ちをしている。
さらに、モード服に包まれた見事にシェイプされた肉体が見る者を魅了してしまう。
魅力的な異性に耐性が高いであろう国際線のCAでさえ彼の虜になっていまっている様で、ギャレーでさえずっていた。
「デュカ・アスカリってお名前なんですね」
一人が搭乗員名簿を見て呟いた。
「お客様のプライバシーを探るとは何事ですか」
「……いぇ、より良いサービスをする為にと思い……」
「言い訳はいりません。それよりもデュカとはDucaですか?」
「そうですけどそれが何か?」
「失礼があってはなりませんよ、相手は公爵様です」
「そんな方が御一人で行動されるんでしょうか?」
「お忍びの旅を楽しまれているのかもしれませんから配慮しなさい」
「分かりました」
そう彼は楽しむ為に旅立ったのである。
そして、目的地の日本に到着した。