甘い響きで世界は回る/1
どうも。弥塚泉です。
タイトルは若干うまいこといったと思っております。
感想、評価、助言、等々お待ちしております。
そうだ。死のう。
特になんということもなく、そう決意した。べつにいじめられていたりしているわけじゃない。理由があるとしたらそれはたぶん、さっきの授業が退屈だったからだ。放課後、掃除当番や部活動、または家で待つあまたの趣味に勤しむべく逸るクラスメイトの流れに乗って教室を出る。方法は手っ取り早く飛び降りるつもりだ。
うちの学校もまた他の学校と同じく屋上への扉は施錠されているけれど、傍らに置いてあるボロいバケツの下にある絶妙な形をした針金を鍵に突っ込んで回せばその扉が開くなんてことは誰でも知っている。放課後の屋上なんて絶好のシチュエーション、いつもはなにかしらの用事に使われていることが多いのだが、外は今にも雨が降りそうに暗い。誰かが使うときは針金も中に持って行くことになっているから、それがバケツの下にあるということはみんな今日は早く帰りたかったんだろう。できれば死ぬところを見られたくない僕にとってはラッキーだけれど。こういうのも不幸中の幸いと言っていいんだろうか。針金を鍵穴に突っ込んで適当にガチャガチャやると鍵が開く音がした。僕はドアノブを握ってぐるりと、回そうとした。しかしガチャンという拒絶の音を出して回らなかった。おかしいとは思ったけど、一度屋上に出たことがあるから確かにこの針金で開くはずだ。現に鍵が開く音も聞いた。わけが分からなくてとりあえずもう一度針金で鍵を開けてみる。本日二回目となる鍵開け音を聞き、ドアノブを回してみると今度は扉が開いた。一体なんだったんだ。もう必要もなくなるかもしれないというのについいつも通りに肩にかけていたカバンを少し煩わしく感じながら屋上へと出た僕の頭上では黒い雲がいつ雨を降らそうかと逡巡しているようだった。いっそのこと雨が降れば飛び降りた後、ぐしゃぐしゃに潰れた僕の体から出る血やらなんやらが洗い流されていいかもしれない。なるほど、今日僕が死ぬ決意をしたのは天啓にも似た閃きだったわけだ。そうなると雨が降るまでは飛び降りたくなくなってくる。しょうがないからそれまでは暇つぶしがてらにどこから飛び降りるか決めようか。投げやりに思った僕だったが、これはこれで大事な要素かもしれない。花壇に受け止められて助かりました、なんて情けないことは是非とも避けたい事態だ。屋上を覗いた誰かからちょうど死角になる屋上扉の蝶番の延長線上に僕が目をやると、誰かが落下防止のフェンスに腰掛けてこちらを見下ろしていた。
「危ないよ」
とっさに出たのはそんな間抜けな言葉だった。
「知ってるわ」
さっきから足を変な風に動かしていると思ったら、なんと彼女はローファーではなく校則違反の編み上げのブーツを履いていて、そのかかとをフェンスの網目に絡めて遊んでいる。
「それ、よくバレないね」
僕は彼女の足を指差して言ってみる。
「人の足元なんて誰も見ないものよ」
そんなことを言う彼女はぶらぶらさせる足を見ている。足元は見なくても、ヒール分高くなった身長や甲高い足音に気づかない人なんているだろうか。思ったけれど口には出さない。
「私のことはもともと誰も気にかけていないし」
口には出さなかったけれど、彼女は僕の疑問に答えてくれた。偶然かなんなのかは分からない。分からないことは考えないことにして、僕は一番聞きたいことを聞くことにする。
「ここで何をしてたの?」
「自殺未遂」
彼女の答えは迷いなく、そして簡潔だった。
「今から既遂にするつもりだけど」
そこで彼女は少しこちらに目を向けたけれど、反応を窺うように僕を視界に入れたまま無表情で口を開かない。
「良くないと思う」
とりあえず無難な台詞。
「理由は知らないけど、もう一度よく考えてみたらどうかな。そしたら自殺する理由までにはならないかもしれない」
「白々しい台詞」
彼女の声はずっと呟くような小ささだけど、不思議と聞き取れないことはない。もともと通る声質なのかもしれない。
「言われるまでもなく僕が一番自覚してるよ」
僕の言葉を聞くと彼女は少し笑った。
「違う世界に行ってみたいの」
「え?」
「理由よ。自殺する理由」
彼女は淡々と語る。
「私はこの世界に上手く適応できないんだ。なにをやってもうまくいかない。そんな思考の果てに思ったわけよ。私は生まれる世界を間違えたんじゃないかってね」
あまりといえばあんまりな内容に僕は少しの間、言葉を忘れた。
「以上」
彼女の言い分は終わったらしい。すっぱりと言い捨てるとフェンスの向こう側に飛び降りた。危うく叫びかけたが、どんな運動神経をしているのか、彼女はフェンスの向こうのわずかな縁に降り立っただけだった。
「私の理由は自殺するに足りるかな」
振り返らずに呟く彼女は返事を期待していると思った。彼女を助けたいと思わないわけじゃないけど、さっき言葉を交わしたばかりの彼女を本当に助けたいと思って口を開いたと言ったら嘘になる。僕はそんないい奴じゃない。ただ目の前で人の死体なんか見たくなかったから。自分も死ぬつもりだったくせにそんな理由で口を開くことの後ろめたさに声を潰された結果、僕の言葉は独り言になった。
「足りないよ」
そんな無責任な言葉に彼女は動かない。僕は独り言を続ける。
「違う世界に行くには死ぬしかないわけじゃない」
返事は無いけれど僕はほとんど無意識に言葉を紡いでいく。
「君は世界のすべてを見ていない。なら、この世のどこにも異世界の入り口が無いなんて否定はできないはずだね」
「世界一周しなければ自殺もできないなんて不自由な世界ね」
「じゃあこのあたりにでも異世界への入り口が無いって断言できる?」
「それは……できないけど」
「じゃあ君はとりあえずこっちに戻ってくるべきだよ。なにせその先に行ってしまうと後戻りはできないんだからね」
僕のめちゃくちゃな説得に彼女はこちらに振り向いた。その顔は幾分か不満そうだ。
「手伝ってもらうから」
「え?」
「これより簡単な異世界への行き方があると言ったのはあなたよ。責任は果たしてもらうからね」
とんでもないことになったものだ。適当なことを言った罰だろうか。
「ところで、あなたはここに何をしに来たの?」
意趣返しともとれるその質問の答えには彼女の言葉を借りることにした。
「自殺未遂かな」
「どういうことだ…」
翌日の放課後、僕は絶望の底にいた。そもそも昨日、屋上で今日の放課後に彼女と会う約束をしたときに名前もクラスも聞くのを忘れ、その事実に終業のチャイムが鳴ってようやく気づいたことがすでに悪夢の始まりだった。とりあえず周りを確認すると、僕のクラスにはいないみたいだったからここを除外して尋ねるとしても学年も聞いていないから三十近いクラスを回ることになる。その事実に僕は早くも折れかける心を抱えてとりあえず隣のクラスから当たってみることにしたんだ。しかし現実はあまりにも厳しく、すれ違いの可能性を考慮して三周したにも関わらず、彼女に会うことはできなかった。彼女はまだ校内にいるだろうか。僕を探してくれているんだろうか。諦めて帰ってしまっていてももはや文句は言えない時間が過ぎている。僕は最後に屋上を確認して帰ることにした。
昨日と同じくバケツの下をみると意外にも針金があった。今日も曇ってるとはいえ、雨が降りそうなほどではないからてっきり誰かが使っていると思っていた。僕はすっかり帰る気でカバンやら傘やらを担いできたことを後悔しながら針金で鍵を開けて、ノブを回す。しかしそのとき、ガチャンと、最近聞いたような音がした。当然扉は開かない。
「なんだかこの先の展開が読めるようだけど開けなきゃ話が進まない」
昨日と同じ手順を踏んで屋上に出て、昨日と同じ場所に目をやると彼女は昨日と同じように僕を見ていた。しかしその目には若干の非難するような色がみえる。
「昨日も言ったけど」
そんな目には気づかないふりで僕は言う。
「そんなところに座っていると危ないよ」
「ぅ〜…」
僕の声が聞こえたのか聞こえなかったのか彼女は唸り始める。そして、
「遅い!」
と、細い指先をビシッと効果音が鳴りそうなほど見事に僕に突きつける。
「いや、まあ…」
「言い訳があるなら聞くだけはしてあげる」
「えーっと…君を捜して全部のクラスを三周くらいしてました…」
「なんで!?」
お。いいリアクション。昨日の呟くような声の調子は影も見えない。
「だって名前もクラスも、ついでに学年も聞いてなかったし…集合場所決めとけば良かったね」
「そういう問題じゃなくて…まあそれよりもう二度とこんな悲劇が起きないように一刻も早く名乗っておくべきね」
彼女はまたも華麗にフェンスから飛び下りて、しかし今日は僕の前に降り立った。ついでに髪をかきあげたりなんかして、なんだか彼女の所作はいちいち決まっている。
「私の名前は浜簪亜麻。一年G組よ」
「僕は一年H組の駒繋響也。なんだ、隣のクラスだったんだね。って、放課後すぐに行ったけど見つからなかったよ?どんだけ早く屋上に上がったんだよ…」
「と、とにかく!」
焦ったように叫ぶ浜簪さん。しかし、その後に続く言葉は無い。
「とにかく…なに?」
「しらない」
「ちょっと?」
「駒繋くんが考えてくれるって言うから私はこっちに戻ってきたんだから、私は駒繋くんについていくだけでいーの」
「えぇー……?」
「考えがないなら…飛ぶよ?」
浜簪さんはちらりと目線をフェンスの向こうにやる。
「えぇー……?」
「ほらほら、おんなじことばっか言ってないで、早くどうしたらいいのか教えてよ」
「これいじめじゃないかなあ…」
「can I fly?」
「ノー!というか発音良いね浜簪さん」
「話を逸らそうとしても駄目だよ」
「……まあ考えてたことはあるんだけどね」
「本当に?」
僕が考えてたとは思わなかったのか、浜簪さんは目を丸くする。
「なぁに、ちょっと考えれば思いつくことだよ」
短編集と言いながら、またしても一話で終わりません。
あと二話ほど続きますのでお楽しみいただければ幸いです。
他の方の短編など読んでいると、あっさり登場人物を紹介するのが、短編のコツかもしれませんね。
いずれ試してみましょう。
では、次回。