うつくしいもの/3
どうも。弥塚泉です。
『うつくしいもの』完結です。お楽しみいただけたれば幸いです。
感想、評価、助言、等々お待ちしております。
最後の最後で名残惜しくて仕方ない。それは面白い小説の残りページを確認してしまった気持ちに似て、先に進めて終わらせてしまいたくない。ずっとこうしてかぐやと歩いていたい。だけど永遠に突っ立っているわけにもいかない。何事にも終わりはくる。俺は告げた。
「着いたぞ」
「ここって…」
ぼやけた視界でもはっきり分かるだろう特徴的な形のその物体。ものがあまり見えない彼女に世界で一番美しいものを見せるための、今日最後の目的地。
「観覧車、だよ」
俺はゴンドラにちょっとした細工をして、彼女を招く。
「思えば今日はとんだ時間の浪費をしたよな」
ゴンドラのゆっくりとした振動を感じつつ、ふと今日を振り返る。
「ごめんなさい。わたしが最初から言っていれば…」
申し訳なさそうに俯くかぐやに俺は慌てて手を振る。
「いや、責めてるわけじゃなくてさ。もしかしたら聴覚とか嗅覚とか、そういうとこから感じれるものを用意してた方が良かったのかなぁって思ったんだけど…」
俺は言ってる途中で間違いに気づく。
「でもよく考えたら今日の俺って方向性はあってたよな」
かぐやには見えてないんだろうけど、ゴンドラに乗ってから俺とガッチリ目が合っている。急にそんなことに気がついて恥ずかしくなって窓の外に目を向ける。
「そういう方向性でいくと、視覚の機能を無視することになるもんな。他の感覚器官から美しいって感じさせるのはかぐやの頼みとは……いや、俺がかぐやに焼きつけてほしい美しさとは違うんだ」
もうそろそろ頂上だな。あんまり引っ張りすぎて見逃しても意味がない。
「かぐや、窓の外を見てくれ。左側」
かぐやが左を向いたのを確認して、俺は握っていた服の袖を引っ張る。瞬間、ゴンドラの中が鮮やかな朱に塗りつぶされて、同じくらい突然に群青の世界に変わった。俺がゴンドラに施した細工とは特にすごいものじゃない。夕陽を遮るように上着を窓にくくりつけただけ。夕陽がかぐやを照らさないようにするくらいの面積は上着で隠すことができた。が、まさか日没寸前だとは思わなかった。俺は鮮やかに染まる夕空をかぐやに見せるつもりだったのだ。
『あ』
思わずあげた俺の情けない声と、知らず漏れたかぐやの感嘆の声は同時。いつの間にかかぐやは上を向いている。俺もつられて上を見ると透明な天井の向こうに星空が見えた。真上には北極星が輝いている。
「綺麗…」
かぐやは俺たちの後ろのゴンドラが天井を覆い隠すまで、星空をずっと見上げていた。
「ありがとうございます」
病院の最寄り駅に降り立った後。しばらく余韻に浸っていたようなかぐやが口を開いた。
「素晴らしいものを見せていただきました」
最後まで黙っていようと思ったが、かぐやの嬉しそうな顔を見て良心が咎めた。
「あー…ごめん」
「何を謝っているんですか?」
「いや、その…実は俺が見せようとしてたのは夕焼けの空で…」
俺はいたたまれない気持ちでごにょごにょと真実を告げる。すると、意外にもかぐやはくすくすと笑いだした。
「桜上くんは誠実な人ですね」
「へ?」
俺は意味が分からなくて間抜けな声を出してしまう。
「そんなの黙っていれば分からないのに。桜上くんの場合は顔を見ていれば分かりますけどね」
「じゃあダメじゃん」
「そうなんですけどおかしくて」
「でも良かった。星、見えたんだ」
北極星は大丈夫だと思うけど街の光もあって他の星の輝きは少し弱く感じた。
「はい。もちろん、正常な視覚で見るのとは比ぶべくもありませんけど……それでも」
話しているうちに自然公園まで来ていた。ここから病院まではすぐそこだ。
「美しかった、です」
俺が聞きたかった言葉。その意味は昼間ここで願ったものとはもう違っている。
「わたしの願いは叶えていただきました。今度は桜上くんの願いを叶える番ですね」
一歩踏み出すかぐや。
「ありがとう。でもやめとくよ」
「え?」
「考えが変わった。やっぱり心残りがあった方がいいや」
「どうして?」
「俺の手術は失敗したら死ぬかもしれない。でもさ、よく聞くじゃん。三途の川を渡ってる途中で戻ってきたとか。そういうことができるのって心残りがあるからだと思うんだ。いざという時にさ、これをやんなきゃ死にきれないって。きっとそうやって戻ってこれるんだ。だから、お預けにしといてくれないか?」
かぐやは少しだけ迷うみたいに俺を見ていたけど、頷いてくれた。
「俺は成功しても二週間は外に出れないんだ。かぐやは?」
「わたしも包帯が取れるまで二週間です」
「ちょうどいいな。じゃあ二週間後、今日と同じ時間に同じ場所で待っててくれ」
「はい。あの…なんて言えばいいのか分かりませんけど…頑張ってくださいね」
「かぐやも。成功を祈ってる」
そして二週間後。自然公園のベンチ。時刻はすでに午後四時を回り、俺はといえば無事手術を終えて、今日は朝の九時からここに座っている。俺が急いでどうなるものでもないけど、一刻も早くかぐやの手術の結果を知りたかったんだ。俺と同じ日に眼の手術を受ける女の子のことを調べようかと思わなくもなかったけどやめた。かぐやの名前とか、かぐやが言わなかった余計な情報まで知ってしまいそうだったし、今日会うって約束もあったから我慢できた。しかし、もう夕方だということが俺の想像を悪い方向に膨らませる。俺はそれを振り払うようにいつかのかぐやに習って、目の前の池に目をやる。夕方の陽は穏やかで、それに応える水面も昼間のようにぎらぎらしていない。視界がぼやけていた二週間前のかぐやにはちょうどよかったかもしれないが、目が見えるようになったばかりの今のかぐやにはこのくらいの輝きがいちばん綺麗に見えるかもしれない。 そんなことを思うでもなく思っていると、「あの」と控えめな声が聞こえた。振り返ると笑顔の彼女。いたずらっぽく彼女はこう言った。そのとき頬が紅潮していたのは恥じらいからか夕日のせいか。
「わたしとキス、しませんか?」
この世でいちばん美しいものってなんでしょうか。
世界遺産とか一瞬の奇跡的な風景とか。友情、愛情とかもありそうです。
最後にかぐやが美しいと言ったのは、星のことだけじゃなかったかもしれませんね。
行人は一日で答えを出そうと頑張っていましたが、みなさんには時間制限がないので、なんとなくぼーっとしているときにでもそれをじっくり考えてみるのはいかがでしょう。
私ももう一度考えてみようと思います。
『うつくしいもの』のテーマとした感情は特にありません。前回もぽろりと漏らしましたが、『うつくしいもの』は元々独立した短編でしたので、完全に勢いで書いた話です。
後付けすると、『希望』でしょうか。
『華麗なる日々』はまだまだ続きますよ。次回はまた登場人物が変わりますので、お楽しみに。