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妖精の子 6

 クラウスは、とっさに兄の体を支え、他への反応が遅れた。

 その間に、唖然としたサーレスの目の前で、義母の手により扉が閉じられる。


「なに簡単に、母上に蹴倒されてるんですか! 鍛え方が足りませんよ!」

「ちょっと待て、お前は母上に蹴倒されたことがないだろう! あれけっこう強烈なんだぞ!」

「いつも蹴倒されてるなら、背後に母上が来るような動き方をしなきゃいいでしょうが! 少し考えて動いてください!」


 兄弟の言い合う声が扉の外から空しく響いている。しかし、肝心の義母はそれにかまうことなく、素早く鍵を閉めた後、髪から引き抜かれた何かを鍵のつなぎ部分に差し込んだ。

 義母の手慣れた様子に、唖然としたまま、サーレスは腕をひかれていく。


「あの……」

「あなたも覚えておくといいわ。クラウスは、鍵を閉めただけでは外からすぐに開けてしまうけれど、内側から一本ピンを刺すだけでも時間稼ぎができるのよ。ただ、すぐに別の道から入って来るから、本当の意味で締め出しはできない。顔を合せたくない時は、逃げるが勝ち! さ、こっちよ。別の道を行くわ」


 そう言った義母の手は、壁に掛かったタペストリの裏側の壁を開け、サーレスを中に引き込んだ。その手際は魔法のようで、なるほどこの人はクラウスの母親なのだなと改めて納得してしまった。


「この道は、あなたの部屋に繋がってた抜け道と同年代に作られたものなの。あの時代は、いくつかの閉じられた道を経由する作りが一般的なのよ。だからここだけだと道として意味を成さないし、中から開ける為の場所をちゃんとわかっていないと使えないの。だからかしらね、あとの世代の城主達は、もっとわかりやすい道を作って、この道のことは伝えなかったみたいなの」


 声しか聞こえない暗闇の中で、義母の手は迷うことなくサーレスを導いていく。その足取りも、まるでこの闇の中が見通せているかのようだった。

 サーレスは、さすがに、明るいところから突然この場に入ったため、まったく視界は通らない。自分の手の先すら見えない闇の中、義母の手だけが、先に進むための手がかりだった。


「少し、あなたと二人きりで話がしたかったの。だけど、クラウスが警戒していたから、少し強引な方法を取っちゃった。驚かせてごめんなさいね」

「え、いえ……」


 少し強引という言葉に首を捻ったが、サーレスはあえて口を噤んだ。

 顔は見えないのに、楽しそうな笑顔が思い浮かぶ声だった。それを遮るのが、躊躇われたのだ。


「ランデルに聞かせてしまうと、国に知らせるのと同じことになってしまうから」

「……」

「さっきの、ディモンの番いの馬って、あなたの馬なんでしょう? どうかしら。あなたから見て、ディモンは怖い? 恐怖を感じないなら、乗れる可能性もあるのだけど」

「え、あの……」

「あら、いくらなんでも、二度抱きつけば、体付きはわかるわ。そして、クラウスが、自分の体の一部と言っていたディモンを渡してもいいと言うほど、心の内に入れている人間が、二人もいるとは思えない。だから、あなたがその番いの馬の乗り手。そして、その乗り手だという従者は、あなた」


 くすくすと笑う声が聞こえる。


「それくらいは、ランデルも気が付いたでしょうけれど、あの子は国王だから、情報は多方面から確認を取らない限り使わない。安心していいと思うわ。それに、本当に聞きたいことは、ディモンのことではないし」

「あの、それじゃあ、いったいなにをお話しするんでしょうか?」

「あなた、ラズー教に何かした?」


 問われた言葉に、一瞬押し黙る。その事に気付いたのか、義母の動きが止まった。


「私は、今は他に間者を飛ばしてはいないけれど、ラズー教の動きは探らせているの。この冬あたりから、ラズー教が、突然ノルドを避け始めた。その時、普段と違った事と言えば、あなたが嫁いできたというその一点だわ。だから、その原因はあなたにあると思ったの。初めは、カセルアが手を回したのかと思ったのだけれど……あなたに会って、それは違うと確信した」


 周囲の闇は、自分の姿すら隠しているのに、正面に視線を感じた。見えないそこで、緑の瞳がこちらを見つめているのを感じる。


「あなたなのでしょう? 新しい騎士の星というのは」

「……どうしてそう思われましたか?」

「あなたは、姫と従者、そして専属女官の三人でここに来た。そのうち、姫と従者が同じ人物なら、残っているのは女官。女官の彼女は、あなたの後ろにいたあの子でしょう? カセルアのティナにそっくりなあの子は、とても騎士には見えなかった。でも、あなたは間違いなく騎士だわ」


 先程までの、家族揃った時の子供っぽさは、まったく見えない。サーレスは、目の前にいる人物の姿を、この闇の中で初めて見た気がした。

 幼い容姿を闇に隠したこの人は、間違いなく、かつてこの国の象徴を病床の国王に変わり務めていた王妃であり、現在王太后として、国王の最大の後ろ盾として君臨する女性だった。


 サーレスは、気が付いたら、肩の力が抜けていた。思わず、笑みがこぼれた。


「あいにく、その騎士の星の持ち主は、私ではありません。ですが、騎士として完成されているのは当然です。なにせ、人生八〇年、前線で戦うために時を費やした、私の師匠の星ですから」

「……どういうこと?」

「カセルアの偉大な守護者の星を借りました」

「カセルアの……ゴディック将軍?」

「私の星は、騎士の星ではありません。ですが、私が知ってさえいれば、その星に変わることができる、少し変わった星なのだそうです」


 サーレスが告げた事を、義母はしばしの沈黙で受け止めているようだった。


「……その星というのは、なに?」

「私には詳しいことはわかりません。魔法騎兵隊長のマルクスが教えてくれたことです」

「そう……あの人が……それなら、詳細は彼に尋ねればわかるのかしら」

「私には、ラズー教の知識がほとんどありません。ですが、知識をお持ちのお義母様がお聞きになれば、わかることも多いかと思います」

「わかったわ」


 そう告げた義母は、向き合っていたと思われる姿勢から、再びサーレスの手を取り、一歩足を踏み出した。


「あの子に安全な場所を作ってくれて、ありがとう。……それをね、言いに来たの」


 それは、今まで聞いた義母のどんな言葉よりも優しい、慈愛に満ちた声だった。




 止まっていた足を、再び動かし、少し移動したところで止まった義母が、かさかさと何かを触るような音を立て、そしてその場から光がこぼれた。

 まぶしさに目を眇めたサーレスが見たのは、先程の部屋から二つ隣に移動したところにある、客間の寝室だった。


「もう一回潜るわ。さ、こっちよ」


 やはり同じように壁の入り口らしき場所を開けた義母の手招きに、サーレスは素直に従い付いていく。

 再び闇に包まれた視界の中で、再び義母の口は開かれた。


「本当に体が弱い姫君だと、こんな道は連れ回せないわね」


 くすくす笑いながら、実に楽しそうな義母は、弾むような足取りで自らの体も見えない闇の中を淀みなく歩く。


「体が弱くなくても、普通の姫はよほどの事がない限り、抜け道は通らないのでは?」

「あら、そうかしら? 意外とどこの姫君も、度胸があるものよ。苦手なもの相手に気絶してれば世が進むなんて思っているような姫では、貴族社会を生き残れないもの」

「そ、そうですか?」


 サーレスには計り知れない世界が、貴族の少女達にはあるらしい。

 その点を、まったく学ばなかったサーレスにしてみれば、可愛らしいだけだった貴族の少女達に、そんな点があるなど、思ってもみなかった。

 思わず唸るサーレスに、義母は笑いながら手を引いていく。


「さあ、もう少しよ。ここから、下りになるから気をつけて」


 その言葉通りに、下り道になる。少し土の匂いの混じった匂いで、そこが地下であるのが推測できる。

 明かりがあれば、もっとよく見られるのにと思ったが、なにせ入ったのがサーレスにしてみれば予定外だった。普段なら、簡単に明かりが作れるように道具も持っているのだが、さすがにドレスにまでその仕掛けはない。

 そもそも、この闇の中、まるで見えているような義母の方が謎である。


「お義母様は、先程から、この闇の中が見えているように進まれるのですね」

「ええ、見えているから」


 その意外な答えに、さすがに驚き、声が出た。


「私の目は、妖精の目なの。妖精達が、自分の姿が見えるように、私が産まれたばかりの頃に力を使って変えてしまったそうなの。金の差し色があるでしょう? あれが、妖精の力の名残。私が産んだから、その力が子供達にも若干入ってしまったそうで、ランデルやクラウスも、他の人より夜目が利くのよ」


 さすがに、ここまで光がないと、クラウスも見えないでしょうねと義母は笑ったが、そう言うという事は、義母はこの闇でも、普通に見えるという事だ。


「妖精の力とは、すごいですね。もしかして妖精馬というのも、妖精が何かしているのですか?」

「妖精馬は、森を守るために産まれるの。妖精達が祝福しているのは一緒だけれど、私のように体を変えていたりはしないわよ。あの子達は、森の物を食べて、森の水を飲み、森の力をその身に取り込んでいるだけ」

「それだけで、あのように賢くて強い馬が生まれるんですか?」

「ディモンは特別頭がいいのよ。あれは妖精馬でも特別なの」

「ですが、お義母様が乗ってきた馬も、こちらの話を理解していたようでしたよ?」

「あら、もう会っていたの?」


 くすくすと笑った義母が、再び足を止め、壁を探っている。


「代々、長になる馬は、妖精が特に気にかけて力を注ぐから、頭がよくなるの。ただ、ディモンは、その力をとても受け入れやすい個体だったそうでね。あの子は、産まれて一年で長になってから、今までずっとその地位を保っていたのよ」


 その言葉と共に、軽く石がはまるような音がしたかと思うと、正面に光の筋が現れた。義母が手をかけると、そこが少しずつ、扉のように開く。

 眩しさに慣れ、外に出てみると、そこはなんと城壁の外だった。

 普段、同じような石組みが並んでいるはずのその場所に、入口が現れていたのだ。

 呆気にとられていると、義母はその入り口を閉め、にっこり微笑んだ。


「ここは、中からの一方通行よ。入り口は別なの」


 再び手をひかれ、城壁の傍を歩く。視線を感じて見上げてみると、おそらく今日の警備担当らしい、顔を見知った黒騎士の一人が、あんぐり口を開けて下を見ていた。

 仕方なく、そちらの方に心配するなと手で合図して、義母に大人しく付いていく。

 義母は、しばらく進んで、再び壁に手を付くと、再びそこに、入り口らしき隙間が開く。


「……この城は、抜け道だらけか?」


 あまりにもあっけなく簡単に入り口が開く様を見て、思わずサーレスはつぶやいた。

 その言葉に、義母は、うふふと嬉しそうに微笑むだけだった。  



 最後に開いた抜け穴は、城の庭にそのまま通じていた。

 正面にある使用人棟の入り口を見て、サーレスは自分の位置を把握した。この場所からなら、すぐ傍に馬場がある。

 義母もわかっているようで、サーレスの手を取ったまま、そちらに歩いて行く。

 建物の影を出れば馬場があるという所まで足を進めたサーレスの耳に、先程扉の外にいたはずの二人の声が聞こえてきた。


「だから、母上と別行動をする時は、目的地に行っとくのが早いって」

「だからって、いつまでも母上と姫を一緒にしておきたくはないんです」

「もうすぐ来るだろ。あ、ほら、来たじゃないか」


 二人が、連れだってきた義母とサーレスに視線を向ける。

 後ろの運動場に、ルシエンという名の妖精馬とフューリーが並んでいた。


「ルシエン。ディモンを呼びなさい」


 義母の言葉で、ルシエンはそのまま身を翻し、運動場の中央に行くと、嘶きながら、激しく足を踏みならしはじめた。


「ディモンがここを出たのは、どれくらい前なの」

「兄上が忍び込んだくらいの時間ですよ」

「それなら、すぐに帰ってくるわね。クラウス、ルシエンは鞍をつけることに慣れてないの。乗るならその点は自分で訓練なさいね」

「わかりました」


 まるで踊っているようだったルシエンが、嘶きをやめ、再びフューリーの隣に帰ってきたのを見て、クラウスは運動場の中に入った。

 ルシエンに向き直ると、そのまま頬を撫で、体を撫で、そしてその背に無造作に飛び乗った。

 ルシエンは、違和感からか、しばらく落ち着き無く動き回っていたが、それでも振り落とすことはしない。クラウスがその首筋を撫でると、すぐに大人しくなった。


「……大丈夫そうね」


 ルシエンは、運動場の外にいた義母に向かってしばらく鳴いていたが、すぐにそのまま、運動場を走り始めた。


「あ、フューリー。あれについて走っちゃ駄目だぞ」


 あきらかに走りたそうなフューリーを慌てて宥め、サーレスは再び運動場の中に視線を向けた。

 裸馬だというのに、それをものともせずに、膝と手のひらでルシエンを操るクラウスは、風になったように見える。

 それを見ながら、サーレスは、本当に自分がディモンに乗れるのか、疑問に思い始めていた。難しい表情で考え込んだサーレスの手に、フューリーがちょんと鼻をつけ、甘えるようにその手に頬を擦りつける。

 思わず微笑んだサーレスが、視線を運動場から逸らした直後、その場に嘶きが轟いた。

 思わずそちらに目を向け、サーレスは息を飲んだ。


 まるで、空を飛んできたようだった。


 空中から突然現れたディモンが、まだクラウスを乗せて走っていたルシエンを追いかけ、併走しはじめたのだ。


「あら、帰ってきたわ」

「お、義母様……。いまのは、いったい」

「あれは、共鳴という現象なの。血縁の妖精馬の間だけで使える特殊な魔法よ。ルシエンは、ディモンの姪に当たる馬なの」

「ま、ほう……? ディモンは魔法が使えるんですか?」

「魔法とは言っても、あれは妖精馬がお互いの血縁を確認するための儀式のようなものだから、他では使えないものよ。だから、研究もされてないの。私が命じればいつでもやるけれど、普段は春の繁殖期にだけ行われるのよ」


 サーレスが驚きに固まっている間も、ディモンはルシエンと共に走っていた。しばらくすると、ようやく納得したように、速度を落とし、サーレス達の正面に足を止めた。


「ディモン。長の譲渡の件、了承しました。森を治める者として、あなたの長きに渡る尽力に、感謝します」


 ディモンは、静かな視線で、その言葉を受けていた。しばらくすると、深く頭を垂れ、そしてフューリーの側に移動し、寄り添う。


「それがあなたの番なのね。……これから産まれる妖精馬の血を受けた子に、森と風の祝福が授けられますように」


 祝福の言葉を受け、微笑んだように見えるディモンに、フューリーは自分からその身をすり寄せる。

 まるで憑き物が落ちたように、ディモンの身からは穏やかな感情が溢れていた。


  

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