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妖精の子 4

 からからと転がる木製の置物が、窓際の壁にぶつかり、その動きをようやく止めた。

 破壊音は、どうやら主寝室にも届いていたらしい。隣の部屋から慌ててユリアが駆けつける。

 呆然と、サーラの部屋の入り口に立つサーレスは、その間、まばたきもできないまま、部屋の中の一点を注視していた。


「まだこの道を見つけてなかったのかしら。いくら緊急時の抜け道だからって、百年も使わないとさび付いて駄目ねぇ。維持できる程度には、人に伝えればいいのに」


 ぶつぶつと小声でぼやきながら、穴から姿を見せたその人を見て、サーレスは愕然とした。


 小さな手足を見た時は、まさかと思った。

 薄茶色の癖毛を見ても、信じられなかった。

 その顔を見て、息を飲んだ。正真正銘、女性の体をしたクラリスだった。


 だが、それはありえない。

 サーレスは、クラリスの顔が誰に似たのか、誰に似せているのか知っている。目の前にいるのがクラリスでなければ誰なのか、それが答えだった。

 呆然としたつぶやきが、サーレスの口から漏れる。


「……レイラ、王太后陛下……?」


 そのつぶやきに、サーレスの背後でユリアが息を飲む。

 部屋の中で、その声を聞きつけた侵入者は、ゆっくり視線を上げた。

 その変化は、劇的だった。曇り空から、太陽が覗くように、その表情に輝くような笑顔が広がる。

 そして、次の瞬間には、なぜかすでにサーレスの目の前にその人は立っていた。

 サーレスの目にも、何が起ったのかよくわからない。音もなく、いきなり動いてきたようにしか見えなかったのだ。

 きらきらとした瞳で見上げてくるその人は、二十代の息子がいる女性には見えなかった。どんなに多く見積もっても、上の息子より年下に見える。そして下の息子とは……瓜二つの双子に見える。

 サーレスは、出会って間もない頃のクラウスが、自分と母は瓜二つでほんの少し身長が違うくらいだと言っていたことを思い出していた。母と息子が身長以外ほぼ同じという話に、そんな事があり得るのかと当時は思ったのだが、今まさに、その実例が目の前にある。


 まさかここまで夫とそっくりだとは思わなかった。王太后が、向こうから来るとは思わなかった。淑女として育てられたはずの女性が、抜け道から尋ねてくるようなことをするとは思わなかった。


 そして、夫が見つけられないような抜け穴が、この部屋に存在しているとは思わなかった。


 だが、正面まで詰め寄っていた少女のような義母は、そんなサーレスの混乱もお構いなしに、感動も露わにサーレスの顔を見つめていた。


「まあ……まあ、まあ、まあ! 素敵だわ! お父様に面差しはそっくりなのに、目元はお母様の面影があるのね」


 感極まったように告げたその人は、サーレスにギュッと抱きついた。


「初めましてサーラ=ルサリス姫。いつまで待ってても息子があなたを紹介してくれないから、待ちきれなくて会いに来てしまったわ!」


 その感触に、ぐるぐると思考が回転していたサーレスの意識が、目の前の女性に戻る。


「お初にお目にかかります、レイラ王太后陛下。サーラ=ルサリスでございます。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」


 がっしりと抱きつかれているため、膝を折ることはできなかった。

 後ろ手に、ユリアに抜き身の剣を渡し、張り付いていた王太后をそっと引き剥がす。


「あなたのご両親とは、あなたが産まれる前からのお友達なのよ。あなたが息子に嫁いでくれて、そしてブレストアに来てくれて、とても嬉しいわ」


 満面の笑顔に、サーレスは微笑みを返した。

 その笑顔は、やはり夫のものとは違う。顔はそっくりなのに、感情の出し方が違うと、表情も変わるらしい。

 こんなに似ているのに、似ていない場所ばかりが見える。

 サーレスは、クラウスが、自分と兄を見分けている方法を、なんとなくだが理解した。確かにこれなら、明確にわかる。

 よく似た人物を見分ける方法は、片方をより知ること。要はそういうことらしい。


「ご病気と聞いていたけれど、お顔を見る限り、大丈夫そうね。このノルドは、ブレストアの中でも気候が厳しい土地だから、心配していたの」

「お気遣いありがとうございます。幸い、この地は私にとってとても過ごしやすい気候なのです。夫も城の者達も、そして黒騎士の方々も、皆が良くしてくださいますので、不自由もありません」


 嬉しそうに微笑む王太后は、再びサーレスに抱きついた。


「あの、王太后陛下」

「まあ、そんな堅苦しい呼び方はしなくてもいいのよ。お義母さまと呼んで?」

「ではお義母様。ただいま私は身支度中で、もうしばらくお時間をいただきたいのです。大変申し訳ないのですが、別室でお待ちいただけますか。身支度が調いましたら、改めて、お茶にお誘いしたいのですが」


 サーレスは、あえて意図的に、兄に似せた笑顔で微笑んだ。

 主に、女性に異議を唱えさせたくない場合、この笑顔は効果覿面だった。

 すでに成人した息子がいる女性に効果があるかどうかはわからないが、今、侵入者状態の王太后の存在を、クラウスが知らないままなのはまずい気がしたのだ。

 この国の、一位二位の権力者が、たまたま偶然同じ日に同じ城に、それぞれ別に侵入しましたなど、それこそ冗談でもありえない。しかもおそらく、この目の前の、少女のような女性は、息子を陽動に使って、ここまで入ってきたのだ。

 ここに来る度に侵入を試みるため、黒騎士達に目をつけられている国王なら、囮としてうってつけである。

 どこまで計算し、結託しているのかはわからないが、どちらの目的も、明確にわかっている。つまり、サーラとの面会である。


「まあ、まあまあ。お茶をご一緒できるなら、喜んでお待ちするわ」


 王太后は、頬を薔薇色に染め、頷いた。この笑顔は、一応この人にも効果があったらしい。心の中で密かに兄に感謝した。

 ユリアが、心得たように客間に王太后を案内するために扉を開ける。

 そして一歩外にでたところで立ち止まり、なぜか再び素早く中に入ってきた。

 どうかしたのか問おうとしたサーレスの前に、扉から飛び込むように姿を現したのは、珍しくも息を切らせた夫のクラウスだった。


「……隠し通路は使わないでくださいと、あれほど申し上げたのですが、まさかお忘れでしたか」

「あら、だって、入り口は騎士たちがたくさん立っていたんですもの。あれじゃあ入れないわ」


 可愛らしく小首を傾げた義母の姿は、サーレスの目には潤いになるが、実の息子の心には何の感銘もなかったらしく、あっさりと突き放す。


「入れないように見張りをたてているんです」


 息子の素気ない態度で、ぷーっと義母の顔がリスの頬袋のように膨らんだ。


「だってだって、会わせてくれたっていいじゃない。あれだけ私がサーラ姫に会わせてってお願いしたのに、ずっと知らないふりして!」


 子供のような仕草をすると、下の息子とすら年齢が逆転しているように見える。

 唖然とした周囲を見渡し、ある程度状況を把握したような表情のクラウスは、そのまま母を睨み付けた。


「馬車を用意しましたので、お帰りください」

「いやです!」


 打てば響くように返された、ほんの僅かな躊躇いもない拒否に、クラウスの表情に苦々しいものが広がった。


「兄上ももう拘束されてますよ。二人まとめて送り返して差し上げます」

「いや! だって、お茶に誘っていただいたもの!」

「……は?」


 怪訝な表情になったクラウスは、そのまま、サーレスに視線を向けた。

 そして王太后も、涙を溜めた大きな瞳でサーレスを見つめていた。その二人分の瞳に対して、サーレスは軽く頷いて見せた。


「……お茶だけですよ。終わったらすぐに兄上と共にお帰り願いますからね」


 クラウスはそう告げると、母親をぐいぐい部屋の外に押し出していく。


「あ、そうだわ。せっかくお茶に誘っていただいたのだし、着替えたいわ。クラリスのドレスを貸してちょうだい」


 いよいよクラウスの表情が、なにやら途方に暮れてきたのを感じ、サーレスは、ユリアに王太后の案内と着替えを手伝うように命じ、その後ろ姿を見送った。


「……悪かった。あなたはもしかしたら、母君の存在をまだ関知していないのかと思って、逃げられるよりはと思って足止めしたんだが」

「いえ、確かに気が付いていなかったので、かまいません」


 なにやら、疲れた様子の夫に、元気付けるように頭を撫でた。その手を嬉しそうに受け入れた夫に、苦笑する。


「よく、母君が来ていることがわかったな」

「……妖精馬です」

「あれは、母君に関係しているのか?」

「今、妖精馬に何かを命じられる人間は、妖精馬の長の主である私と、森の妖精達に認められた、森の長である母だけです」

「……森の、長?」

「母は、産まれた時に、森の妖精にラニウィックという名を授けられ、妖精達の守護者になりました。そして妖精馬は、妖精の森を守護する存在です。彼らにとっては、母も守るべき存在なんです。ですから、母が大きく動く時は、傍に妖精馬もついてきます。求められれば、背に乗せることもします。ここに来ているのは、おそらくディモンの次に長となる馬です」

「つまりあれは、母君が乗ってきたのか?」

「ええ。母は、他の馬に乗ることはありません。昔、王妃だった時は、常に馬車での移動でしたが、王宮を辞してから、移動はいつも、妖精馬でした」


 クラウスは、会話をしながら、王太后が抜けてきた穴を手早く調査を始めた。

 しばらく、ゴソゴソと道の中を探ったあと、クラウスは奥まで行くのを諦めたように、穴から顔を出した。


「ここはとりあえず、どこに繋がるのかを調査してから、塞ぎます」

「ん、わかった」


 手拭を手渡し、軽く埃を払おうと手をさしのべると、クラウスはその手をすっと避けた。


「せっかく綺麗に身支度されてますから」


 ようやく笑顔を見せた夫に、せっかくのドレス姿をくるりと身を翻して披露する。


「体にぴったりだ。さすがの腕前だな。どうかな、似合うかな?」

「よくお似合いです」


 ブレストアは、長い冬の間、男も女も、家の中でできる仕事に従事する事が多い。女性ならば、機織りや刺繍。男性ならば、彫刻や彫金など、ほぼこの季節の作業だけで、一年分を賄うらしい。

 クラウスの作ったドレスは、もちろんクラウスの手による刺繍が施されている。冬の間、暖炉の近くで二人過ごしている最中に、その手は常に忙しなく動き、ドレスに刺繍していたのだ。

 そのひと針ひと針の時間を思い起こし、サーレスは微笑んだ。


「あなたに真っ先に見せられればよかったんだが、先に母君に披露してしまったな」

「……残念です。次は、客人が来ない時に、私のために着てください」

「そうするよ」


 二人は、穏やかに微笑みあった。


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