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妖精の子 1

 ブレストアに、ようやく夏の気配が訪れた。


 この短い夏の間に、ブレストアのあちこちで、まるで息を吹き返したようにあらゆる物が動き始める。

 この国を治める若い王ランデルも、この季節は城にじっとしている事の方が難しい。あちこちに視察だ夜会だと呼び出され、どんどん積もってゆく書類は際限なく、宰相と侍従長は、髪が全て抜け落ちないか見ている方が心配になるほどに忙しそうに走り回る。

 城に帰ると書類の山。外に出ると、独身である若い王は女性達が猛獣に見えるほどに狙われる。一時も気が休まらない季節なのだ。


「夏、もういいから終われ……」


 書類が積み上げられたサイドテーブルを見るのもいやで、顔をそむけてふて寝していたランデルの鼻に、微かに風に乗って、異臭が届く。


 ふと顔を上げたそこに、先程まではなかったはずの姿があった。


 磨き上げられた柔らかそうな肌も、その幼く見える姿も、相変らずだった。

 陽に透けてふわふわ揺れる薄茶色の癖毛を、そのまま肩にまとわりつかせ、肩越しに書類をのぞき込みながら微笑んでいる。

 衣装は、黒の男性従者用の物を身につけているが、なぜかその衣装には、僅かに埃が見て取れる。

 その姿を遠目から見れば、この城にいる大半は、黒騎士ノエルを思い出す。近くから見ても、その顔の作りはまったく同じ。だが、この姿の本来の持ち主は、ノエルではない。

 翠玉に金の差し色が入った瞳。このブレストアでは他にない瞳を持った、この国の最高位にある女性。

 そして妖精に愛され、妖精の森に認められた、妖精の娘と呼ばれるただ一人の森の主。

 それが、レイラ=ラニウィック=ブレスディン。クラウスとランデルの母だった。


「……母上」

「相変らずねぇ。こんな文書を用意する前に、やる事はいくらでもあるでしょうに」


 山積みの書類を一枚手に取り、さっと目を通すと、母はそれをぱたぱたと折りたたみ、国旗の紋章めがけて飛ばした。

 紙は高級品なのだから遊ぶなと言いたいところだが、そんな気力さえなく、ランデルは机の引き出しから、一枚の大きな地図を取り出した。


「今度はどこから入ってきたんですか。そろそろ、この部屋に繋がる抜け道は教えてくださいよ」

「あら、やぁよ。それを全部教えちゃったら、私が入って来られないじゃない」


 可愛らしい舌をぺろりと出した母に、ランデルはその感情を隠すことなく、苦々しい表情で地図を見下ろした。

 それは、この部屋を中心にした、この城の見取り図だった。そして、この部屋から、無数の点線が繋がっている。


 この部屋は、この人が王妃時代、王に許されて勝手に改造していたため、王家の誰も把握していない抜け道が無数にある。これだけ穴を掘って、よくここが部屋として維持されていると、王宮建築士が妙な感心をするほどに、抜け穴だらけなのだ。

 だからこそ、ランデルもここを執務室として使っているのだが、母のあとに使い始めたこの部屋の抜け道を、いまだ全ては把握できていなかった。


「部屋の防衛の観点がどうのこうのと、クラウスも怒ってますよ」

「あら。私の部屋に、勝手に居座っているのはあなたでしょう。王の執務室はちゃんと別にあるんだから、そっちに行けばいいじゃない」

「あの部屋の抜け道は、宰相が全部知ってるじゃないですか。抜け出すに抜け出せないからいやですよ。それに、母上はまだ王太后としてこの国の最高位にあるんですから、素直に正面から入ってきてくださいよ」

「ぜったい嫌よ。正面から入るなら、正装しないと駄目でしょ。あれ重いのよ。あれで離宮から馬車の旅なんて、冗談じゃないわよ?」


 「兄弟仲良くやるように」 と告げて王宮を辞したとされる王太后は、それ以降正式に、ここに顔を出した事はない。

 だが、正式でなければ、かなりの頻度で顔を出し、息子達を見に来ている。ただ、その姿を遠目から見ても、黒騎士ノエルがうろうろしているようにしか見えないだけなのだ。

 だからこそ、いまだに、黒狼のノエルは存在し得るとも言えるのだが、近寄ればわかりそうなものなのだ。なんといっても、母は間違いなく女性で、その細身で小柄な体には不似合いなほど、立派な胸が付いている。そしてそれを、特に隠しもしない。堂々と、女性の体で、男性従者の服を身につけ動き回っているのだ。

 近くで見てもわからない者は、それこそノエルの変装だと思っているに違いない。

 さすがのランデルも、この母には敵わない。今日も大きなため息と共に、その地図を再び折りたたみ、机に仕舞い込んだ。


 どうやって父がこの母を御していたのか、その方がいっそ不思議だった。

 弟の事があったからだとは思うが、少なくとも父が在位していた期間、母は王妃として、病床にあった父の代わりに、国の顔を務めていたのだ。

 どうやってこの人に、王妃の衣装を着せて、謁見の間に座らせていられたのだ。

 父から帝王学を学んだランデルも、母の御し方は学べなかった。

 しっかり聞いておけば良かったと思ったのは、自分が即位したあと、ひょっこりと弟と同じ姿をして現われた母を見た瞬間だったのだ。


 つまり、もう手遅れだった。


「ねえ、ランデル」


 母は、反対側から、机の上にあった書類の上に突っ伏し、先程までのランデルを真似ているみたいにうつぶせ状態のまま、上目遣いの無邪気な笑みで息子を見つめていた。


「なんです?」

「あーそびーましょ」


 その言葉に、ランデルの思考は一瞬止まった。


 母の体の下には、特に急ぎとされた書類達。サイドテーブルには、王の判断が必要とされた書類の山。

 それはもちろん母の目に入っている。だが、そんな事は母の知った事ではないのだ。

 そしてランデルは、にぃっと唇を引き上げた。


「なにして遊びます?」


 この母にしてこの子あり。

 王宮の、全ての人間が、心の底から悲鳴を上げる王の悪癖は、全てはこの母から始まっている。


「おいかけっこー」


 無邪気な少女のように、母は言い放った。

 なにより恐ろしいのは、母の外見は、そういった言葉遣いをしても、あまり違和感がないところだった。年相応の姿ではないのだ。内面が落ち着いている弟の外見より、無邪気さが表に出ている母はさらに若く見える。

 だからこそ、妖精の娘と言われる所以だった。


「いいですね」

「ランデルが追いかけてね」

「いいですよ。で、範囲はどこまでです?」


 これを聞かない限り、追いかけっこは始まらない。なぜなら、母の追いかけっこは、うっかりすると隣国まで行きかねない。

 他の者が聞いたら、「そんなところまであんたらはそっくりか!」 と、悲鳴を上げたに違いない。

 ランデルが笑顔で告げると、母の表情は変わった。無邪気な仮面は剥がれ、ランデルが浮かべたのとそっくりな笑みを見せると、体を起き上がらせた。


「今頃ノルドは、花盛りなの」


 ぴょんと机から飛び降りると、体についた埃を簡単に落とし、ランデルを振り返る。


「花を見に行きましょ」


 息子は、母の本当の目的地を知り、自分も立ち上がると、おもむろに着替えはじめた。

 本当に親子なのかと思うほどに顔の作りに似た所のない親子は、そこにまったくそっくりな笑顔を浮かべ、二人してそこから姿を消したのだった。

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