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漆黒

 ブレストア中の馬の産地から送られてくる名馬の中でも、とびきりに珍しいのが、レイティス子爵領にある野生馬で、妖精馬と呼ばれる黒馬である。

 まず、人に懐かず、用心深い。頭も良いため、罠にもかからず、捕獲が不可能。

 さらに、群れのリーダーがいて、恐ろしく攻撃的で、森の狼ですら、妖精馬の群れには近寄らない。

 極々稀に、気に入った人間にだけ、勝手に付いてくることがあるというその伝説の馬は、百年に一人、主が出るか出ないかだと言われていた。


 それが、ひょっこりとこの厩舎に現われたのは、ノルドの厩舎番として長年勤めた中でも、最大の珍事だった。


 しかも、主が見あたらない裸馬が、勝手に運動場で他の馬を威嚇しながら立っていたのだから、あの時は心臓が止まってもおかしくないほど衝撃を受けたものである。

 その威嚇を、ひと睨みで鎮めたのが、十歳にもなっていない、外見だけなら最高級の人形のごとき少年だったことで、さらに腰を抜かすほどに驚いたのもまた懐かしい思い出である。


 ノルドにも、馬専門の牧場があり、その最大のものは、一番隊長マーカスの妻が経営している。その牧場の跡取り娘として産まれた彼女は、馬鹿が付くほど馬好きで、常々、ここに来ては、熱い眼差しで妖精馬を見つめているのである。

 今日も彼女は、夫と子供達に服を届けに来たついでに、運動場をうっとりと見つめていた。ちなみに、子供達は、母の本命が馬であって、自分達の方がついでである事をちゃんと知っている。


「……ねえ、ハンスさん。ディモンは、いつ繁殖させるのかしら?」


 きらきらした眼差しで見つめられ、ノルド城厩舎番ハンスは、遠くを見つめるような眼差しで黄昏れた。


「あれは無理だぁ……。牝が全部逃げるからな」

「ええ? じゃあ、種だけでも取れないの?」

「そんなこたぁ、ノエル様に言いな。あの方が言わねば、ディモンは言うこと聞かないよ」

「せっかく伝説の妖精馬なのよ? ここで繁殖させないと、また消えちゃうわ」

「そんな事を言ってもなぁ。うちにいる牝は、全滅なんだよ」

「全滅?」

「怯えて逃げるのもなんだが、ディモンも気に入らないらしくてなぁ。牝と二頭だけにすると、ひょいと逃げちまうんだよ」

「鍵でもかけて二頭だけにすればいいじゃない」

「鍵壊して出るんだよ。どう止めるってんだい」

「かんぬきは?」

「足で薄い壁を踏み抜いて出た。あとで修復が大変だから、二度としちゃならん」


 ディモンは、容赦なく壁をぶち抜いた。そりゃもう、豪快にぶち抜いた。

 ついでに、嫌がらせのように、重要な柱の一本も折っていたため、修復に半年もかかったのである。

 ディモンを、二度と繁殖に使わないことだなと、まだ若い団長が苦笑しながらハンスに告げたのは、その修復が終わり、ついでにディモン専用の馬房まで用意してからのことだった。

 ハンスは、もっと早く言ってくれと、その時呟いたものである。


「とにかく、繁殖は、ディモンが本気にならねば無理だ」

「ええ、じゃあ、うちの子で試してみる? うちにも美馬はいっぱいよ、ディモン!」


 悠然と走っていた黒馬が、その言葉で足を止めた。

 しばらく二人の方を見ていたのだが、ふいっと顔をそむけ、なんとそのまま柵を跳び越えて逃げていった。


「あああ、ディモーン!」

「ああ、こら、今日はだめだ! 帰ってこーい! 今日からノエル様は出張だろうがー!」


 慌てて馬に飛び乗って追いかけた二人は、結局ディモンには追いつけず、完全にまかれて疲れ切って厩舎に戻ってきた。

 その頃には、ディモンはとっくに帰っていて、暢気に草を噛んでいた。


 絶対に、この馬は、人の言葉を理解している。

 疲れ切った二人は、がっくりとくずおれながら、その事を思い知った。



 この馬の前で、繁殖という言葉すら使ってはならぬと気を使って約一年。

 ハンスと、彼女の前で、信じられない光景が広がっていた。


「……ハンスさん、あの芦毛はどうしたの?」

「ノエル様が嫁を迎えなすっただろ。それについてきた、カセルアの馬だ」


 目の前で、ディモンに寄り添うように、芦毛の馬が一緒に走っている。

 ディモンに比べれば、小ぶりな体つきだが、その速さはディモンに負けず、風を切るように伸びやかに走る。若い個体だけに、まだまだ速くなる可能性がある。

 彼女は、満面の笑顔をハンスに向けた。


「欲しい。あの子欲しいわ。ねえ、あれは、ノエル様の馬?」

「いんや。あれは、姫様付の従者様の馬だそうだ。だが、連れて行くのはやめとけ」

「あら、なんで」

「……お前さん、あっち見てみ」


 ハンスが指差した先に、ディモンが立っていた。先程まで芦毛と一緒に走っていたはずなのに、今は止まって、その漆黒の瞳を、じっと二人に向けていた。

 あきらかに威嚇する姿勢のディモンに、表情を引き攣らせた彼女も、さすがに理解した。


「この馬、もしかしてディモンの……?」

「そうらしい。まあ、待っていれば、仔もできるんじゃないかね」


 がっくりとうなだれた彼女は、だがめげなかった。

 がばっと起き上がると、運動場の柵に足をかけ、おもいきり両手を振った。


「ディモーン! 早く子供作ってちょうだい。そしてうちに、産まれた仔をちょうだーい!!」


 熱烈にディモンを応援しながら手を振る母の姿を、うっかり厩舎の傍にある資料室で見てしまった長男は、傍にいた同僚に生温かい眼差しで見つめられ、肩を落としながら、そっと部屋のカーテンを閉じたのだった。


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