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酒の席の戯れ

 ここは、ノルドの大通りにある、ドイド族の酒場である。

 現在、この町にドイド族はたった三人しかいない。それでも、この酒場は、この町で一番有名で、一番大きな酒場だった。

 ドイド族三人のうち、二人は黒騎士の隊長職を、そしてあと一人は、この酒場で女将をしている。

 今日も女将のムジャフ=エン=リウは、つまみを仕込みながら、酒場の開店準備を給仕の店員達と行っていた。

 リウは、絹糸のような真っ直ぐな長い黒髪と青灰の瞳を持ち、この大陸では見る事もない大理石の肌を持つ大変な美女だが、その性格はまさに気っ風のいい女将さんである。兄のキファは穏やかな青年だが、その印象を持ったままリウに会うと、その外見と相まって裏切られたような気分を味わう事になる。だが情にもろく、誰にでも親身になる性格から、街の人々に慕われ、彼女の経営する酒場は、客が客を呼び常に満席になるほど繁盛していた。

 それに加え、二人の隊長達の縁から、黒騎士達が飲む時の御用達として彼らの憩いの場所となっており、さらにはその顔ぶれから、この町で一番安心して飲める酒場として、旅人の常連も多い。

 昼は食堂、夜は酒場となる店は、昼食の時間が終わると店を一旦閉める。そして、夜の開店のために、支度をはじめるのだ。

 ちょうどその支度中、しっかりと閉められているはずの扉が、重い音を響かせながらゆっくりと開かれた。

 リウは、開いた扉に目もくれず、勢いよく言い放つ。


「開店はまだだって表に書いてあるでしょうが。ちゃんと読みな!」

「リウ」


 聞こえた声に、リウはようやくその声の主に顔を向けた。


「なんだ、グレイだったの。どうかした?」

「すまん。今日、うちの部隊の数人が、客を連れてくるはずだ。よろしく頼む」


 その、珍しい頼み事に、リウは首を傾げた。


「特に何かもてなせって話なら無理だけど、席ぐらいは取っておけるわよ。何人?」

「部隊から八人、それ以外が二人だ」

「十人ね、了解。テーブルひとつでいけそうね」


 すぐに給仕に指示しながらも、不思議に思っていたリウはグレイに尋ねた。


「珍しいわね。わざわざそんな事を言いに来るなんて。大切なお客様なの?」

「いや、そういう訳じゃない。訳じゃないが……リウ」

「なに?」

「なにを見ても聞いても、ひとまず問い詰めたりはするな」

「……いったいなに?」

「聞きたい事は全部胸の内に秘めて、あとでキファにまとめて聞け」


 日頃あまり感情表現がないグレイが、悲痛な表情で肩を叩くのを見て、疑問に思いつつもリウはそれを受け入れた。



 受け入れはしたが、今現在目の前にある風景に、「ちょっともう一回顔見せろ」と心の中でグレイに向けて絶叫した。



 常連であるグレイ隊の八人が連れてきたのは、気品を漂わせる、見目麗しい貴族の青年だった。

 それはまだいい。問題は、その腕にしっかりとまとわりついている、おそらく「それ以外の二人」の内の一人だ。

 リウは、これが誰だか知っている。そして、なぜグレイが、休みでもないのに自ら城から降りてきてまで一言言い置いたのかも理解した。

 今日は華やかな、薔薇を思わせる鮮やかな赤と、所々に黒のレースをあしらった、大変艶やかな、こんな酒場に現れるにはもったいないくらいの上等のドレスを着ているその人は、グレイの親友であり、今はこの町で最も高い地位を持つ、黒騎士団の団長だった。

 個人的にも知り合いのこれが、女性としての身分も持っていて、ドレスを常用しているのも知っているが、それが誰かにすがりつく図というのを、リウは想像すらした事がなかったのだ。

 それが、あれだけ毛嫌いしていた貴族の、しかも男性にすがりついている。我が目を疑う光景だった。

 さらに、周囲の人間すべてに威嚇しているような気がする。

 リウの知っているこれは、周囲すべてに興味がない、孤高の狼そのものだった。威嚇などするはずもなく、気が乗らなければ、静かに姿を消すような、そんな狼だった。


 ―――それなのに、なんだこれは。というか、誰だこれは!


 あまりにも今までと違う印象を受けるクラウスを目の当たりにして、唖然とするしかなかった。

 その、周囲を威嚇するすっかり可愛らしくなった狼を腕に纏わせたまま、青年は優雅に微笑みかけてきた。


「はじめまして。あなたがキファ殿の妹君かな?」

「え、ええ……」

「私はサーレス。いつもユリアにこちらに来てもらっていたのだけど、ようやく自分で出向く事が許されてね」

「ああ、いつもたくさんお取り引きいただきありがとうございます。これからもどうぞごひいきに」


 ユリアという名に、リウの顔にもぎこちないながらも笑みがこぼれた。

 可愛らしく有能な、故郷の空と同じ色の瞳を持つ彼女は、毎月休みになるとここに顔を出し、サーレスという名の従者のために、酒を買っていく。

 すでに姫が来て半年ほど。その間に、ユリアはすっかりこの酒場に馴染んでいた。

 ようやく、名前しか聞いていなかった顧客を見て、リウは納得したように頷いたのだが、その様子をじっと青い瞳が見つめている。

 その居心地の悪さに、リウは、たとえ今晩兄が夜勤で城詰めであろうと、問い詰めに行く事を心に決めた。


 一緒に来ていた隊員達は、引き攣った笑みのまま、サーレスと共に酒を飲んでいた。

 クラウスは、そのサーレスの膝の上に乗っている。

 できるなら見なかった事にしたい気分なのだが、凄まじく目立つ色のドレス姿であるためにそれもできない。リウは思わず、目頭を押さえた。

 膝に目立つお人形のようなクラウスを乗せたサーレスは、それに構わず、極々自然に酒を飲み、給仕の女性達が頬を染めて近づくのを許している。時折、自分の腕の中にいるクラウスの頭を撫でたり、手ずから食べ物を口に運んだり、一見甲斐甲斐しく面倒を見ているが、実は不機嫌になったらしいクラウスを宥めているのが見て取れる。


 そして、その日来店した黒騎士達は、全員がその場所から目を逸らして飲んでいた。


 はじめに入って来た騎士は、その場に一歩足を踏み入れた瞬間、すごい勢いで回れ右をしたのだ。しかし、グレイ隊の人員が追いかけ、引き摺って帰ってきた。

 それから、その最初のひとりは、入り口付近に居座り、一歩入った瞬間回れ右をしている騎士たちを全員足止めし、中に引きずり込んでいる。


「せっかく来たんだ。なにか飲んでけよ。ハハハ。……帰るなんて言わないよな?」


 鬼気迫る声と表情に、後続の騎士たちは、泣きそうになりながら頷く事になった。

 おかげで店の収入には変わりないのだが、二人がいる間中、妙な緊張感が店の中には満ちていた。



 見れば見るほど、サーレスが何者なのか、わからない。

 給仕の女性達は、それぞれそわそわと、そのテーブルに近づく機会を窺っているが、近づく度に、サーレスの腕の中にいるクラウスが威嚇している。

 威嚇と言っても、笑っているだけだ。ただ、目は笑ってない。ここまで、この狼を本気にさせているこの人物が何者なのか、想像ができない。

 結局、店にいる間中、兄への質問を頭の中でずらずら書き殴ったリウだったが、結局その質問は、ひとつになった。


 酔えそうにない酒でも、浴びるほど飲めば酔うことはできる。グレイ隊の八人は、それを選択して酔いつぶれ、サーレスはようやく席を立った。

 その場の会計は、サーレスがはじめからの約束だからと気前よく支払ってくれたのだが、扉を出たと思ったら、腕にまとわりついていたクラウスを置き去りに、再び戻ってきた。


「迷惑かけて、ごめん。これで、この場にいる他の人達にも、迷惑料代わりに飲ませてやってくれるかな」


 そう言うと、サーレスは、はじめから用意していたとばかりに、革袋を渡して、帰って行った。

 中を見ると、一晩分の売り上げと同じほどの銀貨が入っていた。

 リウは、黙々と店の裏からワインの大樽を引っ張り出し、それを見た騎士たちは、その瞬間雄叫びを上げた。


 その日の夜、兄のキファにサーレスについて尋ねたが、わかったのは彼が姫の護衛として、カセルアから来た従者だという事くらいだった。

 そしてさらに後日。休日に顔を出したユリアに、彼が彼女だと知らされたリウは、あまりの驚きに手を滑らせ、その時手に持っていた酒壺をひとつ無駄にする事になったのだった。




「なあ。誰かサーレスに言ってやれよ。結局外でも乗せてるじゃねえかって。前は城の中でしか駄目とか言ってたのに……」

「いやだよ。それ言ったら、ノエルが何するかわかんねえだろ」

「そうだそうだ。そんなに気になるなら、お前が言えばいいだろ」

「……俺はまだ死にたくない」


 小さな声で会話をしていた三人は、顔を見合わせた。


「この冬の間、城で飲む時は絶対乗せてたもんなぁ」

「乗せてたってか、ノエルが勝手に乗っかってたからな。あいつ、このためにサーレスを慣らしてたんだなたぶん……」


 サーレスが去った酒場で、それぞれの集団の話題は、どこも似たり寄ったりだった。

 しかし、それぞれ場所は違っても、みんな結局、同じ結論に至った。

 つまり、「触らぬ神に祟りなし」である。 

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