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妖精の子 8

 高地にあるノルドは、晴れた空が格別に美しい。ユリアの瞳に似た、深さと透明感のある、どこまでも突き抜けるような青い空だ。

 そして今日、クラウスは、空に負けないほど晴れやかな笑みを浮かべ、上機嫌だった。


 ―――他の黒騎士達が、顔を見た瞬間に一斉に引いていくほどに。


 そんな笑顔でもぎ取った休日を利用して、本当に二人きりでの遠乗りが実現したのだ。

 ディモンはあれ以来、大人しくサーレスの訓練に付き合っていた。

 ルシエンの訓練も今日までに完了し、すでに荷物もクラウスが纏めていた。


 厩舎にサーレスが顔を見せると、今日も、フューリーは嬉しそうに歩き回り、とてとてと馬具を付けてもらうために移動した。

 それを見て、クラウスはとりあえず、ディモンの鼻先を軽く叩いた。

 その様子に苦笑したサーレスは、フューリーの首筋を撫でながら、優しい声で語りかけた。


「ごめんな。フューリーは留守番だ。……じゃあ、マーヤ。よろしく頼む」

「はい。お任せください」


 背後に控えていたマーヤに、フューリーの手綱を預ける。今日は、ディモンがいない間に、マーヤの母がこれからフューリーを担当する獣医を連れてくる手はずになっている。

 ディモンがいると、その獣医になにをするかわからないので、この機会に見にきてくれることになったのだ。


 マーヤは、すでに所属を三隊ではなく団長直属部隊に変更されていた。

 結婚式ののち用意されたマーヤ用の訓練道具は、サーレスの見立て通り、彼女の腕をめきめきと上げた。

 元々体力があり、訓練で基礎の体を作っていたマーヤに、サーレスが付きっきりで武器の扱いを叩き込んだところ、同期の中でも上位に入る腕前となった。

 その為、本人が希望したことで、一部の反対をものともせずに、団長直属部隊の見習いとして、正式に辞令を受けたのだ。

 相変らずディモンには遊ばれているが、元々実家が牧場で、馬の扱いにも慣れているマーヤは、フューリーに懐かれ、ディモンとフューリーの散歩に同行できる程度に、ディモンにもその存在を認められている。

 ディモンも、マーヤが傍にいることを許しているという事で、サーレスがディモンに乗った以上の驚きを、黒騎士達に与えていた。

 今日もディモンは、マーヤがフューリーの側にいるのを見てから、まるで任せるというようにマーヤをひと睨みしてから、くるりと背を向けた。

 マーヤは、サーレスとクラウス、そしてディモンの姿が見えなくなるまで、その場から動くことなく敬礼で見送った。



 崖を越え、森を抜けてたどり着いたのは、山頂にほど近い花畑だった。

 背の低い、小さな色とりどりの花が咲き乱れたその場所は、カセルアの、離宮近くにある花畑を思わせた。

 クラウスがルシエンに乗せて運んできた道具を取り出すのを、興味深そうにサーレスは見つめていた。

 昼食にしようと言って、クラウスはそれらを取り出しているのだが、サーレスにはそれらがなにをする道具なのか、よくわからなかったのだ。


「……食事にするんじゃないのか?」

「ここは体も冷えますし、暖かい物の方がいいかと思って、携帯の調理道具を持ってきたんです」

「……クラウスが作るのか?」

「おかしいですか?」


 ごく当たり前だという表情で首をかしげるクラウスを、サーレスは唖然として見つめていた。

 クラウスにとっては、不思議でもなんでもない。なぜなら、騎士となる前には、野営の訓練は一通り習う。その課程で、携帯の調理道具も、使い方を学んでいるものだ。

 従者や見習いは、正騎士の世話をしなければならないのだ。その際、自分はできませんでは通らない。

 これは、カセルアの騎士もそうだし、元々傭兵団であった黒騎士団では、常識以前の問題だった。傭兵は、そもそも上下関係が希薄なため、自分の事は自分で行う。戦などで食糧の管理を補給部隊が一括で行う場合を除き、自分の食事は自分で作るのだ。

 だが、クラウスはそこまで考えて、ようやく思い至った。

 目の前のこの人が、あくまで王子の影であり、指揮官としての存在だったことを。

 彼女は騎士だが、常に傅かれる立場であり、見習いや従者の経験など、あるはずがなかった。となれば、野営の訓練も、どのような事を学んでいるのかわからない。


「……一緒にやってみますか?」


 クラウスの問いに、サーレスは猛然と首を振った。


「……料理の経験は?」

「狩りの獲物は捌ける」


 真剣な表情で返してくるのがおかしかった。


「そうですね。狩りは自分で狩った獲物を捌くまでが作業ですし……」


 だが、それは料理ではない。心の中で付け加えた一言を感じたのか、サーレスは真剣な表情で厳かに告げた。


「焼くのはできる」


 ぐっと握り拳を作るサーレスを見つめ、クラウスはあっさりと、妻の手料理をここで口にすることをあきらめた。

 サーレスの言う、焼くという行為が、狩りで捌いた獲物を、そのまま木の枝か何かに刺して、焚き火で炙る作業のことを言っているのだと理解したからだ。

 あいにく、サーレスの得意料理を作るための獲物は、クラウスの記憶にある限り、このあたりにはいなかったのだ。


「今度は狩りに行きましょう」


 にっこり微笑んでそう結論づけたクラウスは、そのまま鞄から食材を取り出し、手早く調理を開始した。


 道具を見ても、その道具が上か下かもわからなかったサーレスは、手出しするのを諦め、用意の邪魔にならないようにディモンとルシエンの様子を見に行った。

 二頭は、それぞれ全然別の場所で、気ままに草を食んでいた。

 その口元を見ていると、好みがあるのか、まったく違う草を、上手に選んで食べている。

 なかなか器用だなと思っていると、ふとその視界の端に、妙に心惹かれる形が飛び込んできた。

 それを見て、サーレスは、しばらく逡巡した後、それにそっと手を伸ばした。



 調理と言っても、湯を沸かし、塩漬けの肉と乾燥させた野菜でスープを作り、堅めのパンとチーズを切り分ける程度である。

 それほど手間も時間もかからずに完成したそれを二人で食べながら、普段ではありえないほど、ゆったりした時間を過ごす。

 食事を終え、クラウスが使用した道具を手入れしている間、それを興味深そうにサーレスは見つめていた。


「……それって、黒騎士の道具なんだよな」

「ええ。見習いになった時、支給されるものですよ」

「頼めば、私にも用意してもらえるのかな」

「大丈夫ですよ。これは、黒騎士の備品ですから、在庫はたくさんありますし」


 クラウスがそう言って微笑むのを、若干戸惑ったような表情でサーレスは聞いていた。


「黒騎士にならないと言ったのに、その備品を預かってもいいものか?」

「かまいませんよ。備品の紋章付けは、騎士本人に渡す時につけますから、予備には付いてません。それがなければ、普通の携帯調理器具です。旅をする人々が普通に求めるものと変わりません」

「使い方も、教わっていいかな?」

「お望みでしたら私が教えます。……カセルアでは、こういう道具の使い方は教えていないんですか?」

「いや、たぶん、教えている。ただ、私の場合、軍にいる間は指揮を執ることが確定していて、そういうものを装備して戦場に出る事が想定されていなかったから、道具を使わないで命を繋ぐ術を徹底して教えられたんだ」


 それを聞き、クラウスは頷いていた。

 指揮を執り、象徴として一番目立つ場所に立っていなければならないこの人は、もし何かあり敗走することになれば、間違いなく追っ手が集中する。それこそ、食事の心配などしていられないほどに。

 しかし、死ぬわけにはいかない。

 日頃、王族として過ごすこの人に必要だったのは、泥水をすすり、草をそのまま口にする覚悟だということだ。

 今は穏やかに微笑むサーレスは、あの飄々としたゴディック将軍が、持っていかれては困ると言うほどの完成度を誇る将だった。

 クラウスは、サーレスを見て、微笑んだ。将として、育てられたこの人に、黒騎士として教えることがまだあることが、ほんの少しだけ嬉しかった。


「使えるようになったら、ぜひ手料理を味わってみたいです」

「そうか。がんばるよ」


 サーレスのまったく陰りのない笑顔がクラウスに向けられた。


「そうだ、この油紙、使っていいかな」


 料理を載せるのに使った油紙を、サーレスが指差した。


「ええ、構いませんが、なにに使うんですか?」


 首を傾げたクラウスに、サーレスは腰につけた革袋から、そっとそれを取りだした。

 それは、スノウレストの花だった。

 根から掘り出して、おそらくユリアが刺繍したらしい手巾でその根を包んでいる。

 小さな白い花が、ひとかたまりの鞠状に咲き、地に這うように広がる肉厚の緑の葉が、その可憐な姿をまるで夜空に小さな星が浮かんでいるような印象にしている。


「これ……」

「実際に咲いているのを初めて見たんだ。あなたがカセルアに持って来たのは咲いていない株だったし、髪飾りは布で作ってあっただろう? 綺麗な花だな、スノウレスト」

「持って帰るんですか?」

「ああ。母上に送ろうと思って。……だめかな?」

「構いませんが……花はカセルアまで保たないと思いますよ。一斉に咲いて、二日ほどで落ちてしまいますから」

「そうなのか……。じゃあ、見られて運が良かったな」


 サーレスは、その花をまじまじと見つめ、そして長い指をそっとその花の茎に添えると、根本から軽い音を立てて花を摘み取った。

 それを、クラウスの耳元にそっと飾って微笑む。


「落ちてしまう花なら、咲いているうちに摘み取っても大丈夫だよな?」

「ええ。もともと、薬にするために、咲いているうちに摘み取りますから」

「花が薬なのか」

「部位毎に違うんです、花と根では、薬効が違うんですよ」

「……そうなのか」

「そして、そのスノウレストは、土地毎に、根の薬効が変わることでも有名なのですよ」

「……え?」

「カセルアの根は胸焼けの薬になりますが、ブレストアの鉱山では、これは喘息の薬として有名なんです。それなのに、花は、どこでも強心剤として伝えられているんです」

「……不思議だな」

「だから、スノウレストの花言葉は、「染まらぬ心」と言われているんですよ」

「染まらぬ心?」

「その土地が、どんなに育つのに困難な場所であろうと、その根で地を浄化し、花開く時には、どこであろうと変わらぬ自らを示す。その姿をそうとらえたのではないでしょうか」


 サーレスは、手元にある、小さな花の株を見つめた。


「……あなたの母君は、これを大切な花だと言っていた」

「スノウレストの事を、はじめに母に説明したのは、あなたの母君だそうですよ」

「え?」

「母が、私を身籠もっていた時に、それを庭から掘り出してきて見せてくださったのだそうです。スノウレストは、ブレストアではあらゆる場所に根付いていますから、当時母が出産のために里帰りしていた屋敷の庭にも、株があったんです」


―――お腹の子がどんな場所にあろうとも、この花のように、「染まらぬ心」を持てるように。


「その為には、あなたがまず、この花のようにならなくてはいけない。どこにいようと、なにがあっても、あなたはあなた。変わる必要など無いのだと仰って、出産後の私の処遇に悩む母に、その時は葉しかなかったスノウレストの株を手渡してくださったそうです。それまでは、ただ庭を飾る花でしかなかったスノウレストは、それ以来、母にとって、大切な花になったんだそうです」

「……だから、あの方は、私や母に関わる時に、スノウレストを飾られるのか?」

「ええ。あの出会いの日も、私の頭にスノウレストの花飾りを付けたのは、この子があの時の子だと示すためだったようです」

「そうなのか……そんな事、まったく知らなかった」

「あなたは、わざわざ説明されるまでもなく、染まらぬ心をお持ちです。あのカセルア王妃様の御子ですからね」


 サーレスが、自らが飾り付けたスノウレストを指先で撫でるのをそっと押さえ、その花を髪から外したクラウスは、改めて形を整え、それをサーレスの髪に飾った。

 白い花は、茶色のサーレスの髪に良く映え、風に揺れてその微かな香りをサーレスの鼻に届けた。

 それは、クラウスがクラリスの装束の時につける香りによく似ていた。



「こちらですよ」


 クラウスに手をひかれ、針葉樹の森を抜けると、突然視界が開けた。


「気をつけてくださいね。足元は崖ですから」


 その言葉のあと、クラウスが伸ばした指は、少し下方にある山並みを指していた。その場所には、小さな集落らしきものが見える。


「あそこが、カフラです。そして、その向こうに見えるのが……」


 それ以上は聞かずともわかった。

 緑に覆われた大地。今の季節、麦畑が青々と絨毯のように広がっている、故郷の景色。幼いころは、あらゆる季節、あらゆる時間、世界は緑に覆われているものだと思っていた。

 ノルドは、金属鉱山のある地質からか、緑より、剥き出しの岩や土の風景が印象に残る土地だった。そして、その色すら、冬になると白に染まる。

 遠くにある緑の景色を見つめながら、サーレスの心に浮かんだのは、郷愁ではなかった。


「クラウスは、ここからいつも、カセルアを見ていたんだよな」

「はい。ノルドから一番カセルアに近い場所が、ここでしたから」


 しばし二人で、眼下に広がる景色を眺めていた。


「……綺麗な国だな、カセルアは」


 嬉しそうに微笑むサーレスを見上げ、クラウスはほんのわずかに顔をしかめた。


「……帰りたいですか?」


 すぐ横から、つぶやくような声で問われたことに、サーレスは首を振って答えた。


「ここまで来て、あの光景を見ても、帰りたいとは思っていないよ。私のいる場所は、もう、あなたの隣だから」


 まっすぐに、カセルアに目を向けながらそう告げたサーレスは、そのままの笑顔で、クラウスに視線を戻した。

 クラウスは、今まで見たことのない、はにかんだ笑みを浮かべ、サーレスの手をそっと握りしめていた。


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