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妖精の子 7

「だからな、いっつもいっつも、自由に動けなくなるんだって」


 食堂の一角で、テーブル一つを占領している状態のサーレスの正面で、酔っぱらいがくだを巻いている。その酔っぱらいは、この国の王様なのだが、周囲は皆、遠巻きにしながら生暖かく見守っていた。

 まだドレスを着たままのサーレスの右には、義母のレイラ王太后が、そして左には、何を思ったのか突然可愛らしいドレスに着替えてきたクラウスが、それぞれすがりつき、恭しく給仕をしている状態だった。

 見た目だけなら両手に花だった。

 しかし、誰もうらやましがったりはしていない。むしろ気の毒そうに見守られている。

 気の毒だと思うなら、せめて正面の酔っぱらったこの人をどうにかできないかとちらちら視線を送るが、その都度、あからさまに目を逸らされ、どうしようもない状況に陥っていた。


「でな、聞いているか、姫」

「聞いています」

「俺は、トレスほど上手く避けられないんだけど、あれってどうやんの?」

「あれとは?」

「トレスは、パーティに行ったときに踊る令嬢をどうやって選んでんの?」

「兄上は、事前に踊る女性を決めておられるはずです。それ以外の女性の手は、絶対に取りません。調査自体は、梟がやっていますよ」

「……そうなの?」

「ええ」

「選ぶ基準とかは?」

「存じません」


 むぅ、と沈黙したランデルは、頭を抱えていた。


「お隣で同じ歳だし、俺とトレスの嫁は、大体同じ相手が目標になるだろ? あっちも嫁探しで奔走してそうなもんなのに、ちっとも噂も聞かないしな……」


 おかげで自分の目標が定まらないと愚痴たランデルに、サーレスは微笑んで一撃を放った。


「兄上の妃は、すでに内定しています」

「……は?」


 その意味が理解できないとばかりにぽかんと口を開けたランデルに、サーレスはにっこりと微笑みながら、さらに追い打ちをかけた。


「カセルアの上位貴族は、相手は知らなくとも、内定している事は知らされているので、それほど騒がないんですよ」

「ちょっとまて。どこの誰だ?」

「それは父上と兄上しか知りません」

「それでカセルアは納得しているのか!?」

「父上が、兄上の意向を確認の上で内定したと発表しましたので」


 愕然としたランデルは、ぎこちない視線を嫁にすがりつく弟に向けた。その視線の意味を悟った弟は、ふるふると首を振った。


「……知りませんよ。そもそもトレス殿下の婚約の話も聞いたことありません」

「御前会議で、一回だけ発表したことだから、他国の密偵には知られていないんだろうな。別にこれに関しては他国に流れてもよかったんだが、結局流れなかったし。おかげで、上位貴族達の口の硬さもよくわかった」

「カセルアは、城に密偵を置きにくいですからね。故意に流されたものでないと、城の情報は拾えないんですよね」


 現在、王宮に入れるただ一人と言ってもいい密偵が、そんな言葉を暢気につぶやく。

 ランデルは、すっかり酔いも醒めたように、突然立ち上がると、さわやかな笑みを浮かべて手を挙げた。


「じゃ、ちょっとカセルアに……」


「―――行かせませんよ、国王様」


 その言葉と共に、今まで座っていた椅子に、ランデルは上から押さえつけられ再び座らされていた。


「あら、久しぶりね、黒狼」


 ランデルの正面に座っていた王太后は、突然上から降ってきた真っ黒の人物を見て、声をかけた。

 この城では珍しくもない、黒い装束を身につけた人物は、その声に顔を上げた。

 黒狼の仮面で顔の半分を隠してあるが、この場の全員、それが誰なのかわかっている。なぜなら現在、この仮面をつけるのは、ただ一人だけなのだ。

 ランデルを足で挟むように椅子の上に降りたマージュは、そのままランデルの背中にしがみつき、がっしりと腕で首を固定していた。


「いけませんよ、国王様。明日はリーべル侯の邸宅で園遊会でしょう。侯爵家ご令嬢エレナ様が、すでに王宮でお待ちですよ?」

「なんだと? 王宮にきてるって、なぜ!」

「なぜって、あんたが逃げないようにでしょうねぇ。今晩はお泊まりだそうですよ。さ、大人しくお家に帰りますよ、国王様」

「嫌だ! エレナは、堂々と正面から夜這いをかけてくるんだぞ? 絶対今回も来るだろうが!」

「いやだって言っても、侯爵家の招待を受けたのはあんたでしょう。受けたからには、どっちにしろ明日には侯爵家の邸宅に行かないといけないんですからね」

「受けたのは俺じゃない、宰相だ!」

「でも、承認の判をついたのは自分でしょう。さ、いきましょうねぇ」


 その二人のやり取りに、しばし唖然としていたサーレスは、くすくす笑ってマージュに声をかけた。


「もう帰るのか。忙しそうだな」


 その問いに、マージュは実に楽しそうに、口元に笑みを浮かべた。


「これが今のところ、最優先の役割でねぇ。平和でいいことです。ノルドに向かっていると聞いたから、すぐにノエルが叩き出すと思って待ってたんですけどね。一向に出てきそうにないから、迎えに来たんですよ」

「それは悪かった。立て込んでたんだ」

「じゃあ、この辺で失礼しますよ」


 そういうと、あっさりとランデルを拘束して、荷物担ぎにしてこの場を立ち去った。それを見て、ランデルが荷物として運ばれるのに慣れている理由が、よくわかった。


「エレナちゃん、昔から押せ押せで迫ってくる豪快な子だったから……」

「あの方は、初めてお会いした時から変わりませんね……」


 その人物を知るらしい両隣からの声に、サーレスはこっそりと小さなため息を吐いた。




 翌朝、いつもと同じ白の騎士服を身につけたサーレスは、クラウスと共に厩舎に足を運んだ。

 毎朝同じように寄り添って立つディモンとフューリーの傍に、今日はそれを見守るようにルシエンがいる。

 そしてその三頭の前に、小柄な、黒の従者姿の人物が立っていた。

 それが誰なのかは、遠目であっても間違えようがない。


「お帰りじゃなかったんですか」

「あら、居たらいけない? ……それが普段の姿なのね。よくお似合いだわ。やはりあなたには、その衣装でも、黒より白がいいわね」


 王太后に笑顔を向けられ、サーレスもぎこちなく笑みを返す。

 昨夜、ランデルが強制的に連れ帰られたことで、王太后はひとまずルシエンで帰り、改めてこちらに単体でルシエンを向かわせる事になっていた。

 しかし結局、どこかにこっそり滞在していたらしい。


「あら、寝る場所ならいっぱいあるもの。鍵もいらないし」


 ホホホと笑って告げられ、クラウスは、近くの窓辺にいた使用人に、全客室の点検を命じた。


「ディモンに乗ってみるの?」

「ええ。本当に乗れるのかどうかはわかりませんが」


 サーレスはそう告げると、改めてディモンに向かい合う。ディモンは、いつものわかりやすい表情ではなく、静かな瞳で、サーレスの言葉を待っているように見える。


「……ディモン。クラウスは、お前は私を背に乗せてくれると言っていたんだが、それはお前も了承している事なのか?」


 正面の揺らがない瞳に、なおも言葉をかける。


「私では、お前をクラウスほど走らせることはできないが、それでもか?」


 完全に一体となったような、クラウスとディモンの走りは、真似できるとは思えなかった。あれは、クラウスとディモンの、信頼関係そのものを表している。一朝一夕で、それを真似ることはできないだろうとサーレスはごく自然に考えていた。

 サーレスの言葉を静かに聞いていたディモンは、ふいっと体を厩舎に向け、歩み去っていった。


「やっぱり、無理なんじゃないか?」


 戻ってきたクラウスにそう告げると、クラウスは静かに首を振る。


「もうしばらく待ってみてください。あれはちゃんと、あなたを受け入れていますから」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、その口に二種類の革紐のようなものをくわえて、ディモンは姿を現した。

 受け取れとばかりに、サーレスの前に差し出されたそれは、二種類の手綱だった。

 一つは、サーレスがいつも使っている、カセルアの紋章とルサリスの花の紋章が入れられたフューリーのもの。そしてもう一つは、黒騎士の紋章とノルド公の紋章が入った、力の強い妖精馬のためにと特別丈夫な皮で作られた、ディモンのためだけに用意されたものだった。


「……ディモン」

「……手綱を預ける。ディモンはそう言っているわ」


 手綱から目を上げると、いつの間に近寄ったのか、すぐ横に王太后が立っていた。微笑みながら、ディモンの首筋にそっと手を当てている。


「大丈夫。その手綱を、あなたがつけてあげて」

「は、はい」

「クラウス。ディモンの鞍を用意して」

「わかりました」


 サーレスがそっと差し出したハミを、ディモンは迷うことなく自ら咥える。その時、サーレスは、ようやくディモンの思いを理解できた気がした。

 慌ただしく、サーレスの手によって、ディモンに馬具が装着されていく。ディモンは、それを暴れることなく、静かに受け入れていた。

 窓からその様子を眺めていた黒騎士達が固唾をのんで見守る中、サーレスは、ディモンの背に、初めてその身を預けた。

 フューリーよりも一回り大きいディモンは、やはり勝手が違っていた。だが、その身体自体は、まるで長年連れ添ったように、不思議なほどにしっくりと馴染む。

 その意味するところはただひとつ。


「……ディモン。もしかして、私に合わせてくれているのか」


 耳を後ろに向けていたディモンが、ちらりとその背に視線を向ける。そして、ゆっくりと歩き始めた。

 乗っただけで、息を飲んでいた窓辺の黒騎士達は、その瞬間、大騒ぎで他の黒騎士達を呼び集める。

 どんどん増える観衆の前で、サーレスとディモンはその速度を上げた。

 その駆ける速度が、フューリーとほぼ同一になった瞬間、ディモンは運動場の柵を跳び越え、そのまま外に駆けだした。

 狭い運動場だけでは、お互い物足りなくなったらしい。そのまま姿を消したが、窓から聞こえる歓声が、二人の軌跡を追うように続いている。


「……大丈夫そうね」

「私より速いですね。さすがです」


 満足そうに答えた自分の息子を見ながら、王太后はそっと手を伸ばし、しばらくぶりに、自分とほぼ同じ背丈の息子の頭をそっと撫でた。


「ディモンとあなたは、気に入る相手まで一緒なのね」


 くすくす笑いながら、王太后が視線を向けたのは、運動場に残されたフューリーだった。

 ディモンが走り去り、寂しそうにうろうろしていたフューリーに、ルシエンが慰めるように寄り添っている。

 フューリーは走るのを好む馬だ。食べる分だけ、常に走る。サーレスの姿を見て、走りに行けると思ったのか、けなげに馬具が装着されるのを待っていたフューリーを見て、ひとまずディモンを殴りたくなったのは、どことなくフューリーの印象がサーレスに似ているからだろう。

 なにせフューリーは、母馬が出産する時にサーレスが自ら取り上げ、それからずっと育ててきた、彼女にとっては娘のような存在なのだ。サーレスにとって娘ならば、クラウスとしてもフューリーは可愛い娘に他ならない。娘に手を出されたなら、父親としては殴っていいはずだとクラウスは結論付けた。


 あきらかに、母親の表情にその状況を面白がる気配を感じ、息子は返事を保留した。


「母さん。そろそろ、その姿で出歩くのはやめませんか。思ってもみない場所で自分の噂を聞くんですが」

「あら、一応浮気したとか疑われないように、花街付近には近寄ってないわよ?」

「酒場巡りはやっているでしょう。あと、近隣諸国の祭りからも出没情報が来てます」

「酒盛りと祭りは妖精達にとって一番の楽しみだもの。私が行かないと、本人達がでてくるわよ?」

「それを押えるのが母さんの仕事じゃないですか……」

「とかなんとかいいながら、あなたも結局、黒狼の時は同じ姿に化けるくせに」

「そりゃあ、師匠から、「使えるものは親でも師でも見知らぬ他人でもどんどん使え」というありがたい訓示をいただきましたので」

「……マージュってばもう」


 ルシエンに慰められ、少し気を持ち直したらしいフューリーが、運動場の柵に咲いていた花を食べ始めたのを見て、王太后は微笑んだ。

 立ち姿は美しく、走る姿は凛々しく、そして食べる姿は愛嬌のあるフューリーは、見ていて大変和む。

 その姿に、ほんの一瞬、この場に落ちた暗い影のようなものが、払われている気がした。


「私はそろそろ、黒狼の仕事からは完全に引退します。黒狼のノエルは、もう出てきませんよ」

「……」

「ですから、その姿ではなく、お好きな姿で出歩いてください」

「お好きな姿というなら、このままの姿でも問題ないわね」

「……母さん?」

「元々この姿は私のだもの。勘違いしているのは他の人達だし、それを利用したのはあなたでしょう?」

「まあ、そうですが」

「噂は噂、そのままにしておきなさい。……クラリスも、ノエルも、クラウスも、全部あなただもの。どの子が消えるのも嫌よ」


 にっこり微笑んだ母に、それ以上なにも言えなくなったクラウスは、肩をすくめて母の言葉を了承した。

 それから間もなく、サーレスとディモンは帰ってきた。

 クラウスの予想より遙かに早く姿を現し、なんの躊躇いもなく軽やかに運動場の柵を飛び越える。その後いきなり止まるようなことはせず、しばらく足を慣らして、フューリーの側に足を止めた。


「大丈夫そうですね」

「さすがだな。私がなにかをする必要がない。本当に乗ってるだけで走っている気がする。……楽は楽だが、楽すぎて物足りないくらいだ」


「だからこそ、ディモンなんです。暴れ馬にあなたの身は預けられません。特に今は」


「……ん?」


 馬上で、夫の言葉に首を傾げたサーレスに、その横から義母が笑いながら答えた。


「あんなに可愛がられていたら、いつ懐妊するかわからないものね」


「……っ!」


 その言葉の意味を理解したサーレスは、一瞬で顔を真っ赤に染める。

 それを見ていた王太后は、にんまりとランデルとよく似た微笑みをうかべていた。


「姫の懐妊と、フューリーの出産、どちらが早いかしらね」


 そう言ったが早いか、そのまま柵に走り寄り飛び乗ると、心得たように傍に来ていたルシエンに身軽に飛び乗った。


「姫も、森に遊びにいらっしゃいね。妖精の森のすべてで歓迎するわ!」


 それだけ言うと、あっという間に走り去る。


 サーレスは、馬上でそれを見送り、一言つぶやいた。


「……お義母様は、自由奔放な女性なんだな」

「―――后を、我以外が妨げるべからず。父の遺言なんです。あの人の行動を止められる人物はこの国には居ませんので、嵐のようなものです」


 呆然とその言葉を聞いたサーレスは、カセルアの両親に聞いた、ブレストア王太后の人物評を思い出していた。



―――とてもとても愛情深い、可愛らしい方よ。



 その評価に納得し、思わず頷いた。

 隣りにいたクラウスは、なんだか疲れたような表情をして、肩を落としていた。


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