中幕 2 ヒューマン・フェイクに対する考察と光明
記憶を辿るも、やはり、モニカの顔を鮮明に思い出す事はなかった。死に顔の刹那のみが、マイケル・コール大佐にとっての、モニカ・ヘルムスリーの永遠となり、他の造形を全て覆い尽くしている。
それでも、モニカと過ごした日々は、情景として克明に蘇る。
それが、一層辛かった。
その時々で、モニカと何を話したか、モニカと何をしていたのかは、はっきりと思い出せる。しかし、その時々のモニカの表情は1つとして思い出せない。
モニカの笑顔は、眩かったーー何がどのように眩いのか。
モニカの泣き顔は、まるで煌びやかなステンドグラスにひびが入った様なものだったーーそれはつまり、どのような泣き顔だったのか。
言葉としての印象によってしか、モニカの表情を振り返る事の出来ないジレンマは、マイケル大佐を加速度的に焦燥にからせる。
あるいはーー
ヒューマン・フェイクを根絶やしにすれば、モニカの表情は俺の記憶に蘇るのではないだろうか。
永遠となった死に顔に、再び生命の灯火が宿るのではないだろうかーー。
憎しみは過度の盲信に変わりつつある。マイケル大佐は、自身の崩壊を懸念しつつも、それを止める事が出来なかった。
縋るものが、何か1つでも欲しいのである。縋るものさえなかったのなら、ヒューマン・フェイクに対する復讐の原動力など、エンジンの切れかかった車に等しい脆弱なものだ。
モニカは帰ってこない。
解っている。
解っているからせめて、記憶の中にだけでも、モニカの笑顔を取り戻したいんだ。
ヒューマン・フェイクから、奪い返してやりたいんだ。
そのためなら、俺はどのような犠牲も厭わない。悪魔にだって、進んで魂を売り渡してやる。
この1年、ヒューマン・フェイクの生態については、数限りない程の議論が、あらゆる分野の科学者達によって展開されていた。
その中で最も焦点を据えられていたのが、ヒューマン・フェイクの身体的な構造である。
標準型の身長は、個体差によって多少のバラつきがあるものの、確認されている限り、平均2メートル前後。人類とそこまで歴然とした差がある訳ではない。
次に体つきであるが(これは視認のみの見解であるため、必ずしも正確であるとは言えないが)、筋肉は発達している。しかし、それは鍛錬を重ねた格闘家と同程度、と専門家は評する。
つまり、容姿が異形であるという点を除けば、ヒューマン・フェイクの身体構造は我々とそこまで変わらない、という事なのである。
にもかかわらず、ヒューマン・フェイクには、あらゆる兵器が通用しない。ミサイルを打ち込まれたところで、その体には傷一つつける事が出来なかったのだ。
しかも、彼(あるいは彼女)らは、人間を簡単に殺傷したり、戦闘機を玩具のように打ち落とす破壊力を備えている。さらには、音速に近いスピードで飛行する能力も有する。
物理的に有り得ない。そもそも、空を飛ぶ為には翼が必要なはずである。まして、音速に近いスピードで飛ぶという事は、体にかかる負荷も並大抵のものではない。生身の人間がほんの少し発達した程度の肉体で、到底耐えられるものではないのだ。
結論は仮定の域を出ないが、科学者達の通説によれば、ヒューマン・フェイクの体の周りには、何らかしらの、不可視のエネルギー(もしくはテクノロジー)が働いているという事になっている。それが時として、あらゆる物理攻撃を阻む鎧となり、あらゆる対象を破壊する武器となり、同時に音速で大空を翔る翼となっているのではないか、と。
いずれにせよ、それが人類にとって、また、この地球にとっても未知のエネルギーである事になんら変わりはなく、結局現存する兵器で不毛な攻撃を繰り返す事しか出来ないのが現状であった。
もし、1体でもヒューマン・フェイクの捕獲に成功したのであったなら、そこからそのエネルギーを研究し、光明を見いだす事も可能であるかもしれない。
だが、ヒューマン・フェイクには、1体でも全人類を根絶するだけの戦闘能力がある。何度か試みるも全て失敗に終わっていた。
ここで1つ、疑問が生まれる。
それほどまでに高い戦闘能力を持ちながら、彼らヒューマン・フェイクは、何故それをしないのかという疑問である。
彼らが意図的に殺害したのは、世界中の十代〜三十代の女性だけなのだ。もし、彼らがすでに目的を果たしているとしたらーー。
ひょっとすると、こちらから攻撃さえしなければ、人類はもう、安全なのではないか。
こう考える者も少なくない。
しかし、それには何の保証もないし、それ以前に、彼らから大切な者を奪われた人間に、そんなお為ごかしは通用しない。
ヒューマン・フェイクは敵なのだ。泣き寝入るなど、どうしてできようか。
復讐しろ、奴らを根絶やせ、地球を人間のものに取り戻せ。
世論は、地球防衛軍に畳みかける。
俺はそいつらの恨みも全て背負って、奴らを滅ぼさなければならないのだ。
マイケル大佐は言い聞かせる。
何故なら、光明が見えたのだ。人類が、ヒューマン・フェイクに対抗出来る唯一の道が、ついに発見されたのだ。
マイケル大佐はキャンプ内の自室にいた。全神経を、来るべき明日の作戦にむけて集中させる。
明日の作戦が成功すれば、恐らく、戦況は著しい変化を見せる。その作戦の、もっとも重要な位置を占める役割を、自ら志願した。
ノックの音がした。
「どうぞ」
と促すと、明日の作戦でマイケル大佐に同行する、通訳のクリス・ゲインズ二等兵が入ってくる。
「どうした?」
「明日は、よろしくお願いします。自分は、以前から大佐を尊敬しておりました。ご同行できる事に、身の余る光栄を感じております」
クリスはまだ顔にあどけなさを残す新米兵士だが、日本に留学経験があり、日本語の堪能さでは隊で彼の右に出る者はいない。その事から、今回の作戦に大抜擢されたのだ。
「こちらこそ、よろしく頼む。クリス、気を引き締めろよ。明日は俺達が、人類の運命を背負うんだ」
「心得ています。大佐の足手まといにならないよう尽力します」
「あぁ。今夜は、早く寝ろ」
「はい」
クリスは部屋を出ようとしたが、思い出したように立ち止まり、マイケル大佐に振り返る。
「今夜は、星が綺麗です。大佐も御覧になったらいかがですか?」
マイケル大佐は苦笑する。願でも掛けろというのか。
ふと、モニカの事を思い出す。確かあれは、モニカとモンゴルに旅行に行った時だったか。
地平線の見える草原の上、無限の星が輝いていた。モニカはその光景に感動して〈星に願いを〉を口ずさんでいたっけな。
日本じゃ、モンゴルのそれには到底かなわないだろうが、それもーー。
「それも悪くないな」
と呟いた後、クリスの肩を叩いて、マイケル大佐は部屋を出た。