中幕 5 崩壊
『父さんはね、ああ見えて、あなたの事すごく気に入ってるのよ…』
いつかのモニカの言葉。
『あなたは真っ直ぐな人だって。真っ直ぐな人は、正しい道を進んでいる限り、間違う事はないって。だから、安心して私を任せられるって』
いつかのモニカの言葉。
『無愛想で、なかなかキチンと人を認められない人だけど、大丈夫。あなたの事、父さんはしっかり認めているわ』
いつかのモニカの言葉。
『大丈夫よ』
『ねぇ、もうすぐ、私達夫婦だね。恋人同士の、最後の旅行になるんだよ。楽しもうね』
『ずっと一緒なんだ。そんな事にこだわらなくてもいいだろう』
俺の言葉。
『いいの。恋人と夫婦は違うんだから。けじめをつける事も大事でしょ?』
モニカの言葉。
『でも、本当の意味であなたとずっと一緒にいられるなんて、夢みたい。ふつつか者ですが、これから一生、よろしくお願いします』
…死ぬ直前の、モニカの言葉…。
マイケル大佐は振り返る。過去を、バーンズの懺悔の真意を探る為に。
『ふざけるな!貴様、何故娘を守れなかった!』
バーンズ司令官の拳。痛みはなかった。あの時から、肉体をあらゆる方法でなぶっても、痛覚が反応する事はない。
『娘を、私の娘を返せ!』
変わりに、心の痛覚が過敏になっていた。些細な言葉の一つ一つが、鋭利なナイフに、口径の広い銃になって、俺の心を裂いていく。
全てヒューマン・フェイクに奪われた。
モニカの命も、記憶の中の表情も、義父になるはずだった、バーンズ司令官の信頼も。
取り返そうと思った。取り返す為なら、何もかも、あらゆる犠牲を厭わないつもりでいた。
【そうよ私は帰ります。あなたの元へ、肉を伴い帰ります】
いつからか、モニカの声が聞こえてきた。
【だからあなたは殺し続けて】
殺し続けた。
『よくやった』
とバーンズ司令官は言った。
最初に信頼が戻ってきた。モニカの言うとおりにすれば、何もかもが戻ってくる。
確信した。
だから殺し続けた。俺の過ちを修正する為に。
モニカを守れなかった、あの瞬間の俺を殺す為に。
少年が蘇ったのは、恐らく兆しだ。どこかに黄泉の国の扉が開いて、死者は各々大切な者の元へ帰るのだろう。
俺の過ちは、修正されつつあるのだ。
その筈なのに…。
『私が間違っていた』
何を言う?
『お前を責めるべきではなかったんだよ』
何を言う?
俺を責めるべきではなかったーーバーンズ司令官が間違っていた?
ーー俺は間違っていなかった?
違う。違う。
俺はモニカを守れなかった。間違っていない筈は
「奴らの戦闘能力の前に、生身で立ち向かえる奴なんぞおりはしない。私にだってそんな事は解っていたよ。解っていたが、モニカの父親として、誰かを責めずにはいられなかったんだ。すまない。本当にすまなかった」
バーンズ司令官は床に頭がつく程に、深い土下座で懺悔した。
「死んだ者は帰ってこない。私が悪かった。不毛な復讐は、もうやめろ。そろそろ、お前の人生を元に戻してやるんだ」
【だからあなたは殺し続けて。その果てで、私はあなたを待っているからーー】
そうだ。
バーンズ
は
嘘を
ついてる
高らかにマイケル大佐は笑った。
何だ
何だよ。
あんたも俺の邪魔をするのか。
それじゃあ、まるでヒューマン・フェイクと一緒じゃないか。
あんたもそんなちっぽけな嘘で、俺からモニカを奪おうとするのか。
【殺し続けて】
解ってるさモニカ。
殺し続ける。お前の表情を取り戻すまで、再びお前に出会える日まで、
邪魔する奴は、1人残らず殺し続けてやる。
マイケル大佐は、窪みに設置してある護身銃の元へと走る。警報の赤いランプが彼を照らす。
鬼であった。赤い光を纏った彼の姿は、人の皮を被った復讐鬼であった。
彼はすでに、人間もどき(ヒューマン・フェイク)になりつつあったのだ。
バーンズは彼を眺める。絶望と悔恨の念をもって。
立ち上がろうとはしなかった。逃げようとも思わなかった。
いかなる懺悔や詫びをもってしても、もはや彼には雑音にしか聞こえないのだろう。
ならば彼を追い詰めた罪を、彼に殺される事で償うしかあるまい。
こんな形で、お前に会いに行く父を許してくれーー。
バーンズはモニカに祈った。うつ伏せのまま、十字を切る。
神よ。どうか、彼を救いたまえーー。
マイケル大佐は銃口をバーンズに向ける。
感情が超越されていた。そこにあるのは純粋な廃絶の意志のみである。否、意志はもはや本能にまで進化を遂げた。
殺し続ける。モニカの復活を邪魔する者は、1人残らず皆殺し。
護身銃が淡く光る。
どこまでも真っ直ぐな男よ、それが愚直である事に、何故お前は気付かないーー。
『父さん。私、あの人と結婚する事にしたの。いいよね?』
思えば、どこかでこの男を疎んでいたのかもしれない。娘を奪われる父親の気持ちーー。
そんなものが、私にもあったのだな。
今にして思えば、それが全ての過ちか。それがこの男にあたってしまった、私の罪の因子なのか。
せめて、笑顔で祝福してやるべきだったなーー。
バーンズは無意識に涙を流していた。床にそれが零れ落ちさえしなければ、バーンズ自身、気が付く事はなかっただろう。
年甲斐もない。涙などーー。
流すべきではない。私にそんな資格はないのだ。
バーンズは立ち上がり、敬礼した。
「マイケル・コール大佐。貴君の行く道の果てに、望む答えが存在する事を切望している」
そんなものはない。解っていたが、切望しているのもまた本心であった。
バーンズは両腕を大きく広げる。
「さらばだ。息子になるはずだった男よ」
甲高い音が護身銃から鳴り響く。
マイケル大佐の耳に、バーンズの声は届かない。
聞こえるのはーー
【殺し続けて】
ーー撃った。