中幕 4 Hayataの帰還を、マイケル大佐が祝福する
それを地球防衛軍が捉えたのは、それがキャンプに到達する15分前の事だった。
北の空域を超スピードで飛行する2体のヒューマン・フェイク。否、1体は人間であった。
マイケル大佐は驚きを隠せない。それがMikaとHayataであるからだ。
人工衛星は確かにその2人の映像をキャッチしていた。
何故だ?あの少年は1年前、俺が撃ったMikaを庇って死んだはず…。
作戦本部は騒然としていた。先程から護身銃で射撃を試みるも、まるで当たる気配がない。
誰もが恐怖に震えていた。ーー殺される。
しかしマイケル大佐だけは、体の奥底から湧き上がる歓喜を隠せず、思わず快心の笑みをこぼす。
モニカ。やはりお前の言うとおりだ。死者は蘇る。そういう事だったのだ。お前もあの少年の様に、この世界に帰って来るんだな。
【ええそうよ。私は帰ります。あなたの元に肉を伴い帰ります。だからあなたは殺し続けて】
マイケル大佐は作戦本部室の長椅子に腰掛けて、目を瞑り、自身の幻想と対話した。
「大佐!奴らはあと10分程でこのキャンプに辿り着きます!もう駄目だ。逃げましょう!」
クリスがマイケル大佐に駆け寄ってきた。
問い掛けに返事がないので、クリスは怪訝そうにマイケル大佐の顔を覗く。
「大佐?」
マイケル大佐はクリスの姿など、まるでそこに存在しないというように、宙を眺め続けている。
「大佐!」
マイケル大佐の体を揺さぶりながら、クリスが叫んだ。
やがて、今まで目を開いたまま眠っていたとでもいうように、気だるそうに、マイケル大佐は視線を移す。
「クリスか。どうしたんだ、そんなに慌てて」
「何を言ってるんです?奴らが来たんです。あの少年は生きていたんですよ!恐らく、我々に復讐する為にやってきたんだ。早く、逃げましょう!」
生きていた?
マイケル大佐はクリスの言葉がさも信じられないという素振りで、顔の前で手を振った。
「何を言っている?あの少年が生きていた訳ないだろう?生き返ったんだよ。あの少年は一度死んで、それから生き返ったんだ」
この時初めて、クリスはマイケル大佐が狂気に浸食されている事に気が付いた。明らかに、自分が知っているマイケル大佐の言葉ではない。焦点もどこか定まっていないのだ。
「大佐こそ何を仰いますか。死んだ人間が生き返るはずないでしょう!彼は《生きていた》んですよ!」
クリスは必死に、マイケル大佐を現実に引き戻そうとしていた。彼の言葉は、それを願うからこそ発せられた言葉なのだが、いかんせん、クリスは気付くのが遅すぎた。
「生き返るはずないだと?」
マイケル大佐が立ち上がった。
「えぇ、生き返るはずありません。そんな事より、早くここから…」
言い切る前に、クリスの頬に衝撃が走った。痛みに変わるまで、時間はあまりかからない。
「貴様に何故そんな事が解る!?」
間髪入れず、もう一撃。クリスが床にしりもちをついた。マイケル大佐はさらに、クリスに覆い被さり、マウントポジションを取る。
胸倉を掴みながら、殴る。頭突き。殴った。
「言え、貴様に何故そんな事が解るんだ!」
混乱した作戦本部室の面々は、逃げる事に必死で、誰も2人に気付かない。
殴り、殴り、殴った。クリスの顔が文字通り、腫れ上がって歪んでいく。
クリスはこれまで、こういった狂気が根底にある暴力を受けた事がなかった。それは彼にとって、あまりに理不尽で、あまりに耐え難い暴力だった。
得体のしれないマイケル大佐の怒りに対して、クリスはなすすべもなく、ただ恐怖し、ただ殴られた。
何かを言おうと思ったが、何を言えばいいのか解らない。それ以前に、口内が血で満たされて、そもそも言葉を発する事事態、今の彼には困難であった。
「生き返るんだよ。人間は生き返るものなんだ。あの少年は身をもってそれを証明したんだ。逃げるだと?馬鹿を言うな!俺達は彼の帰還を祝福するべきなんだ!」
恐るべき矛盾だった。その矛盾が、一層クリスを恐怖させる。
1年前、確かにマイケル大佐はあの少年を憎み、人類の怨みを代弁して暴力に打ってでた。暴力に正当性が生まれるかは別としても、その行為は少なくとも納得できるものだったのだ。
しかし、マイケル大佐は今、その少年の生存を祝福しろと言っている。それをしないクリスに暴力を働いている。
マイケル大佐の暴力に、もはや納得出来るものはなかった。マイケル大佐は、すでにマイケル大佐で無くなっている。
クリスは、訳も解らず泣いた。痛みによるものなのか、それとも尊敬していたマイケル大佐の変貌に嘆いているのか。
いずれにせよ、クリスは声をあげて泣いた。
「泣くな!俺達は笑うべきなんだ!少年の帰還を、モニカの帰還を、俺達は笑うべきなんだ!」
なおもマイケル大佐は殴り続ける。クリスの視界が虚ろになり、意識の線が切れそうになった頃、マイケル大佐は吹き飛んだ。正確には、誰かに顎を蹴り上げられた。
クリスはその人物を見る。厳格と強靭を形にしたらこの男になるだろうというその人物の名を、傷だらけの唇で、何とかクリスは口にした。
「バーン、ズ、司令、官」
バーンズはクリスの体を抱き起こし
「1人で立てるか」
と優しく尋ねる。
ふらつくものの、問題はなかった。
「お前は先に逃げろ。私はこの男と話がある」
バーンズの視線が、立ち上がろうとするマイケル大佐の元に向けられた。
「し、かし、大佐や、司令官も、早くしないと…」
息も絶え絶え2人を気遣うクリスの姿勢に、バーンズは悲しそうな表情を見せた。
「いいんだ。すまなかったな。この男がこうなってしまったのには、私にも責任の一端がある」
本部室に警報が鳴り響いた。それに伴い、赤いランプが至るところで点灯を始める。
「時間がない。間もなく、奴らはここにやって来る。私達を気遣ってくれるなら、お前は今すぐ、ここを去るんだ」
射抜くようなバーンズ大佐の眼光に、クリスは断る事が出来なかった。ここで断るという事は、なにか、バーンズ司令官の、人間的な尊厳を損なう行為に思われたからである。
痛みに耐えながら、しかし、きっぱりと敬礼した後、マイケル大佐の豹変を憂いつつ、クリスは本部室を出た。
マイケル大佐は唐突な顎の痛みに、しばし事態を把握出来なかった。しかも、自分の顎を蹴り上げたのがバーンズだという事実に気付くと、さらなる困惑が彼の思考を乱し始める。
立ち上がり、バーンズを見据えた。
「何をするんです」
返事はない。ただ、バーンズの空虚な視線がマイケルに返ってくるだけだ。
沈黙。
けたたましい警報が確かに鳴り響いているのに、周囲は静寂に包まれていた。
静寂を切り裂いたのは、バーンズの行動だった。深々と、マイケル大佐に頭を垂れる。
「お前にはすまない事をしたな。謝ってすむとも思えないが、それでも、聞いてくれないか。私が、間違っていたよ。悪かった」
驚愕、混沌、その他ありとあらゆる理解不能を示す感情が、マイケル大佐を駆け巡る。
司令官は、何を言っている?
「娘が死んだ事を、お前の責任になどするべきでなかった。お前を責めるべきではなかったんだよ」
小さいながら、バーンズ・ヘルムスリー司令官の懺悔が、警報にかき消される事はなかった。