アルマゲドンが終わるまで 4 答えを美佳とおばさんが出す
何を言っている?
おじさんがそう言うのも無理はなかった。顔の筋肉が引きつって、熊みたいな顔が、熊らしさを失っていく。
「だから、人類根絶しないってば私」
困ったおじさんの顔を見つめながら、美佳はきっぱりと言い放つ。
「何故だ?」
「だって隼太と約束したんだもん。もう誰も殺さないって」
おじさんが僕を睨んだ。熊らしさを失ったおじさんの顔が、徐々に鬼へと変貌していく。
「隼太君、君は…」
「だから私は誰も殺さない。隼太の言う通りにする」
僕を見つめながら美佳はそう言う。
「待ちなさい美佳」
おばさんが口を開いた。
「私達が人間と戦争した理由は、元々あなたのワガママにあるのよボンクラが。いい?あなたのせいで同胞がたくさん死んだのよ?そのあなたが、自分の責任をとらないでどうするのマザファッカ」
まくしたてるおばさんを、おじさんがたしなめる。何もそこまで言わなくても…と、しどろもどろのおじさん。
「大体、あなたが甘いからいけないのよ!昔っから甘やかしてばっかりで、美佳はこんなにワガママになっちゃったじゃないダメ亭主!しっかり美佳を叱りなさいよ!」
おばさんはおじさんの頭をはたく。おばさんの顔も鬼へと変わった。
美佳はさらにさらに、きつく僕の手を握り締める。美佳の顔を覗く。怯えていた。何に?多分、自分の言葉とその選択に。
「とにかく、人間と戦わないっていうなら、私があんたをぶちのめすわよ」
おばさんだった鬼は憤怒の形相で美佳を怒鳴りつけた。いやだからそれはまずいって…、とおじさん。
「いいよ。私、ママと戦う」
何だか事態は恐ろしく変な方向に向かっていた。
「みんなも、そうした方がいいと思うでしょ?」
美佳は鬼達に尋ねるが、返事は返ってこなかった。
「やってやるわよ美佳。あんたには一度、キツいお灸が必要だったみたいだからね」
おじさんの制止を振り払い、おばさんが戦闘態勢をとる。
「オッケーママ。私だって一回くらい親子喧嘩してみたかったもん」
美佳が僕の手を離す。僕を見つめる。大好きと呟く。
僕がちょっと待ってと言う前に、美佳とおばさんが空へ跳ぶ。
美佳とおばさんの戦いは早すぎて見えない。ただ、痕跡として周囲の流氷がどんどん砕け散ってった。
僕はおじさんの元へ駆け寄る。
「おじさん、止めてください!」
「無理だ。妻の力は私の1,5倍程、美佳の力は2倍以上ある。手出しの出来る領域じゃない」
情けなさそうにおじさんが言った。実際とても情けなかった。やれやれ、お父さんの権威が失墜しつつあるのは人間に限った話じゃないみたい。
美佳の言ったように、一番強いのは美佳らしいけど、それじゃおばさんの敗北は必至のはずだ。それなのに…。
美佳が空から、ズサッと落ちた。傷だらけで。
僕は美佳に駆け寄り抱き寄せた。
「美佳、大丈夫?美佳?美佳!」
美佳は息を荒げながら、平気、と何とか言葉を口にする。
おばさんが降りてきた。おばさんも、やはり所々に傷を負っている。
「美佳、元の姿に戻りなさい。いくらあんただって、人間の姿のままで私に勝てると思ったら大間違いよ」
元の姿っていうのは鬼の姿なんだろう。そうか、美佳もやっぱり元々はああゆう姿をしているんだろう。そして真の力はその姿に戻らないと発揮できない。
何で美佳は鬼の姿に戻らないんだ?
「だって、隼太の前だもん」
胸を痛くさせる言葉だった。
「呆れたわね馬鹿娘。隼太ちゃん、どきなさい。まだまだ、折檻は終わってないわ」
おばさんが僕達に近付いてくる。僕は美佳に覆い被さるように、おばさんに背を向けて抱き締めた。
美佳は責任と戦っているんだと思った。自分が招いた結果に対し、その身をなぶる事で、償おうとしているのだと思った。僕の前なら元の姿に戻れない。だからおばさんには抗えない。
この場合の責任というのは、人間達に対するものではなくて、鬼達に対してのものだけだ。
僕は僕なんかが守れる訳ないと知りながら、美佳を守ろうと必死だった。
僕はあっさりおばさんに摘まれ、軽くポイと投げられる。
転がって立ち上がった。おばさんへ走る。氷に滑ってまた転がった。立ち上がった。
おばさんは片手で美佳の髪の毛を掴んで、宙にぶらぶらさせている。
「自分の足で立てるわね?」
美佳が目だけで頷くと、おばさんが手を離した。僕は走る。
「隼太ちゃん」
おばさんが僕を止める。
「邪魔しないで。これは母と娘の問題なのよ」
僕は止まる。
おばさんは美佳の頬を平手で叩く。美佳は抵抗せずにおばさんの目をじっと見つめていた。
「あんた、好き勝手にやりすぎたわ。今までもずっとそうだったわね。自分の思い通りにならないと、思い通りになるように、たくさんの世界を壊してきた。それはあんたが、自分が一番強いと思い込んでいたから。そして周りの大人が、それを認めてしまったからよ」
そこでおばさんはおじさんの方へ振り返り、キッと睨んだ。おじさんは目を逸らしてたじろいでいる。
「それは確かに、その通り。あんたは強いわ。間違いなく。けれど、こうなる事もある。あんたの強さに振り回されて、挙げ句の果てに死んでいった命がある」
なぜか、おばさんの言う命には、人間のものも含まれているような気がした。
「だからあんたには義務がある。死んでしまった命に対して、償う意味での義務がある。あんたは人間を殺し、人間に仲間を殺された。解る?命を奪うっていうのは、それがどんなに小さな生き物でも、しっぺ返しを食らう可能性があるって事なの。だから、それを防ぐ為に、私達は人間を殺さなければならない」
おばさんの言葉は、倫理とかそういうものからはかけ離れていたけれど、論理として正しいように思われた。
「だから私達は人間を滅ぼすわ。復讐と防衛。その2つの目的を果たす為に。もしあんたがそれを拒否するなら、あんたが私達を滅ぼしなさい。人間を守りなさい。人間はあんたを許せないだろうし、私達だってあんたを許さないわ。それでも良ければ、あんたの最後のワガママ、ママがきっちり聞いてあげる」
ざわざわと鬼達が騒ぎだした。おじさんは頭を抱えている。
美佳は目を閉じ、それについて必死に考えているようだ。
ややあって、美佳が口を開いた。
「それで、いい」
静寂が周囲を支配した。
「私、隼太と生きる。他の全部を棄ててでも、隼太と一緒に生きていく」
「そう。解ったわ」
おばさんが美佳の頭を撫でる。僕は訳の解らない気持ちになった。凄く嬉しいし、凄く悲しいのに、それらは僕の中でぶつかり合わず、等しくすっぽり納まっていく。
「私達はあんたを許さないけど、親としてあんたの覚悟は受け入れてあげる。行きなさい」
おばさんが僕の方を向いて、お辞儀した。
「隼太ちゃん。娘をよろしくお願いします」
僕はお辞儀を返すだけで、何も言えなかった。
「美佳、あんたに2日チャンスをあげる。その期間で人間を止める事ができたら、とりあえず人間の根絶を見送る隼太ちゃんの意見を飲むわ。出来なかったら、あんたと隼太ちゃんを殺してでも、私達は人間を滅ぼします。いいわね?」
それはおばさんの優しさなんだと思う。2日というのはかなりシビアな猶予だけれど。
美佳は頷いて、ありがとうと呟いた。そりゃあどれだけ覚悟を決めても、おじさんやおばさんと殺し合うのは嫌なはずだ。
「あんた達もそれでいいわね?」
おじさんを含めた鬼の面々は、誰も反論しなかった。
美佳は僕の元へ歩み寄る。僕は美佳の元へ歩き出す。
僕達は顔を見合わせる。これで僕らは、完全に2人だけになってしまった。
美佳は小さく
「行こう」
と僕に微笑んだ。
僕も小さく
「うん」
と美佳に微笑んだ。
「さよなら」
と美佳が全ての鬼達に呟いた。
「さよなら」
と僕も全ての鬼達に呟いた。
美佳は僕を抱えて空を飛ぶ。
おじさんやおばさん達の顔があっという間に見えなくなってしまったが、美佳は一度も振り返らなかった。