恋せよ男子! 2
恋をしている人間って眩しいなあ、と遠野さんは思う。
そろそろ客足が多くなってきたこの季節、レジ当番用のイスに腰掛けブーラブーラと左右に揺れながら、しみじみ思う。
目の前のカウンターに立っている上野は、となりのテンちゃんことMさんがしじゅう気になるらしく、ソワソワソワソワ落ち着きがない。事情を知らない村田君が「トイレ行ってきたら?」と気を使うほどだ。
(遠野さんは意外と口が堅い。村田君にも上野から恋の相談をされたことは言っていない。ただし日本酒をのむと、いとも簡単に開封されるので取り扱い要注意です。)
人を好きになるということは、実は結構なエネルギーを使っていて、知らず知らずのうちにキラキラとその人の周りで輝いているんだろうな。昔の人も『忍れど色に出りけり我が恋は』とか詠んでいたくらいだし。
テンちゃんも気が付いてあげればいいのに、まあ、天然ちゃんだからなあ……。
「ありがとうございましたー。またどうぞお越しくださいませー」
波が引いて、やれこの隙にとスタッフたちはカウンターを飛び出した。自分の担当棚の店出し、在庫確認、整理整頓をする為である。カウンターの中には上野とテンちゃん、そしてレジに座っている遠野さんが残った。
「あの」
なけなしの勇気を振り絞ったのか、上野が声を出した。かすれて上ずった「あ↑の↓」変な発音になっている。
おお、動き出したか。
遠野さんはブーラブーラを止めて、その動向を見守りつつ身を乗り出す。まるで某有名家政婦のようにレジから覗き見しているその光景は、傍から見たらけっこう不気味。
「趣味って何?」
うおおおい!
遠野さんは椅子から転げ落ちそうになった。
ここはお見合い会場ですか!? せめて血液型とか星座とか当たり障りのない会話をさあ……ってここは合コン会場ですか!? 屈辱! わたし上野と同レベル!!
「特にないです」
テンちゃん、即答! お願い、もっと乗ってあげて! この間、お昼ご飯食べていた時に「ベランダガーデニングにハマっていて、水やりをした後に、葉っぱに残った雫が朝日でキラキラしているのを見るのが好き」
なんて超女子的、超男受けしそうな可愛らしいこと言っていたじゃない!
「じゃあさ、休みの日って何してんの?」
「ごはん食べて寝ています」
会話終了。なんとなく気まずい沈黙。
「えー、いいなー。あたし、ごはん食べて寝たらすぐ太っちゃうよー。っていうかもう手遅れなんだけど」
あははと笑いながら、遠野さん後ろから会話に割り込んだ。助け舟をどんぶらこと出したつもりだったんだろうが、これがいけなかった。
「そんなことないです! 遠野さんは太ってないです!!」
「え? あ、ありがと……」
全力否定されるとは思ってなかった上に、テンちゃんはそのまま遠野さんに完全に向き直ってしまった。
「遠野さんは何しているんですか? お休みの日」
わたしのことなんでどうでもいいんだよー!!
心の中で遠野さん絶叫。上野が恨めしそうにこちらを見ている。
ちょ、やめて、そんなわんこが餌とられたような、そんな目で見ないで!
わたしはただ、この気まずい雰囲気をどうにかしようと思ってだな、自虐ネタを投下したのに、違うのよ、テンちゃんを取ろうなんてそんなつもりはこれっぽっちもないのよ!!
タイミング良くお客さんがやってきて、そのまま大波に突入し、結局うやむやになったものの、後で遠野さんは上野に謝った。
「えーと、ごめん。まさかテンちゃんがこっちにくるとは思わなかったから」
「いいんです……どうせ、ぼくのことなんて、お天道さますら見向きもしないんだ……」
うす暗いストックの隅で、ファイル棚の柱に指で「の」の字を書きながら、上野はいじけた。
「卑屈になるなよー。うっとおしい」
「Mさんは遠野さんに一番懐いてるんですよ。教育担当で一緒にいる時間も長いし」
「あ、そっか」
どおりでカルガモのヒナのようにくっついてくると思った。
「だから遠野さんに相談したのに……」
はーあ、と深いため息をつかれて、さすがに遠野さんもむっとする。
「なにその他力本願。元々はといえばあんたが不甲斐ないからじゃん、人に責任押し付けて自分は楽しようって魂胆がむかつく」
「楽しようなんて思ってません、さっきだってがんばってしゃべりました! それを遠野さんがもっていっちゃったんじゃないですか」
「ああんもう、うっとおしい!」
ついに遠野さん、ブチ切れ!
「ようし、上野! 今日飲みにいくぞ! 覚悟しとけ!」
ストックの片隅で両手を腰に当て、高らかに遠野さんは宣言した。
「はい、おまたせー」
待ち合わせのB2、遠野さんの後ろにいるのは、上野が恋してやまないテンちゃん。
白いフワフワファーコートに、紺のプリーツスカート。なのに足元は何故かコンバースという不思議な組み合わせも恋して盲目状態の上野には、でっかいホタテ貝の上で微笑む女神のように神々しく輝いて見えた。
一気にフリーズした上野に、遠野さんが不気味に笑う。
「Mさんも誘ったんだー。上がる時に上野もいるけど、一緒に飲まない? って。ねー」
「はい!」
「いつも行ってる居酒屋でいい?」
「遠野さんとならどこでもいいです!」
「あはは、じゃ、行こうか。……おら上野、行くぞ」
襟首を掴まれて、上野は悲鳴を上げた。
痛い。夢じゃない。
さて、居酒屋『満天』のテーブル席に陣取った3人さま。
上野とテンちゃんを並んで座らせ、その向かいに遠野さんが腰を下ろす。
「え、だって距離は近い方がいいでしょ?」
まるでやり手ばばあのようである。
その後、遠野さんのリードで他スタッフのネタや仕事の話で会話は盛り上がり、酒の力も相まってテンちゃんも大分、上野に打ち解けてきた。
「嫌われているんだと思ってましたよー」
「そんなこと、ない、ない!」
大慌てで両手を振る上野。
後日、遠野さんは語る。
「なんかさあ、かわいかったよ。並んでいる2人がちょっと体を傾けて、お互い向きあってんの。起ち上る空気がさあ、もう甘酸っぱくてさぁ……、全身かゆくなる一歩手前のほのぼのムードって感じ。これぞ青春、しかもオタク街道まっしぐらだった上野がだよ? もう嬉しくてさあ……日本酒頼んじゃったんだよね」
最後のはどうやら言い訳らしい。
そう言う訳で遠野さん、日本酒を飲み始めた。上野は己の青い春に夢中でそれに気が付いてなかった。
「ところでさ」
気が付いた時には、遠野さんの静かな暴走は始まっていた。
「Mさんってどんな人がタイプなの?」
今、ぼくの前でそれを聞きますか!? 上野は飛び上がりそうになったものの、ぐっと堪えて答えを待った。
「あたし、メンクイなんです」
テンちゃん、きっぱりはっきりと即答!
メンクイ(面食い):見栄えの良い人を好む人もしくはその嗜好を意味する。つまりはイケメン好き。
上野は一気に落ち込んだ。
自分の顔は中の下、そして顎がしゃくれている。「あんた、横から見たら三日月だね」と遠野さんに失礼極まりない発言をされたこともある。
こっぱみじんに砕け散った上野を尻目に、遠野さんは日本酒に口を付けながら言った。
「えー、イケメンなんかつまらないよ。だって顔が良かったらなんの努力しなくても女の子が寄ってくるじゃん。だったらイケメンじゃなくても、喜ばせようってがんばるこっち(と上野を差す)の方が、絶対いいよ」
この時、全世界が突っ込んだ。
お ま え な に さ ま 。
ところがテンちゃんは非常に感銘を受けたらしい。
ハッと胸を突かれたような顔をして、それからしきりに頷いた。
調子に乗って遠野さんは続ける。
「顔なんて3日みりゃー慣れるんだよ。それよか面白い方が楽しいし、楽しい方がいいに決まってる」
「そうですよね、そうですよね」
「上野はおススメだよー。悪いことは言わんから、付き合ってしまえ」
とうとう命令までしてきた。
話に入る隙が無くて、ただ青ざめて口をパクパクさせていた上野だったが、テンちゃんがこちらを向いて恥ずかしそうに笑った、その瞬間。去ったはずの青い春がものすごい勢いで戻ってくるのを感じた。砕け散ったガラスの心だってすでに完全修正および復活。
遠くでリンゴーンと鐘の音が響いた。
「おはようございまっす!」
「うるせー上野。おっきい声だすな……頭に響く」
その翌日。明らかな二日酔いの顔の遠野さんに元気よく挨拶をした後、深々と頭を下げた。
「おかげさまであの後、いい感じになりまして……メルアドの交換して、今度ユニバに遊びに行く約束を取りつけました!」
「ああ、そう、良かったねぇ……わたし、後半何言ったか全然覚えてないんだけど」
「遠野さん」
手をそっと握られて、遠野さんは目を白黒させた。
「今まで酔っ払った遠野さんに、色んなものを壊されてきました。プライド、夢、絶対領域、そうそう、グーで殴られたこともありましたね……。そして今回は、Mさんの価値観を壊してくれました。ものすごく感謝してます。だからこれまでのことは、チャラにしてあげます」
「はあ、そりゃどうも……ってあんた、結構ねちこい性格だな!」
振り払った手で上野の頭をグシャグシャにする。
「ま、何事にもゴールなんてないしさ。これから大変なことはいっぱいあると思うけど、楽しいこともいっぱいあるからさ。そのねちこい性格でがんばれや」
「はい!」
「っつーことで、ちょっと吐いてくる」
フラフラとトイレに向かう遠野さんの後ろ姿を見送りながら、あんな残念な人でも彼氏がいるんだから自分もがんばろう、と決意する上野だった。