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第1話 白樺の水辺

明治初期の北海道・樺太方面を舞台にした、北方SFファンタジーです。



二人が出会う白樺の水辺から、物語は始まります。


第1話は、測量師はかりびとの少女・雨宮まちると、星衣をまとった異星の任務者・エアノーレの出会いです。


挿絵(By みてみん)



第1話 白樺の水辺


白樺の幹は、昼の光を吸って白く立っていた。


北の森は静かだった。

風が葉を鳴らし、遠くで水の流れる音がする。

その向こうに、小さな集落があった。


家屋はまばらで、煙突から薄い煙が上がっている。

馬の鼻息。

薪を割る音。

子どもの声。


まだ地図の上では線でしかなかった場所に、人の暮らしが確かに息づいていた。


その集落の端に、ひとりの女が立っていた。


白い肌。

銀に近い髪。

雪を薄く溶かしたような、淡い青の瞳。


まとっている衣は、地上の布とは違っていた。

白を基調とした軍服のような装いに、透き通る青い布が風もないのに揺れている。


村人たちは一瞬、彼女を見る。


けれど、誰も声を上げなかった。

誰も長く見つめなかった。


見ているはずなのに、目がすべる。

そこにいるはずなのに、意識が留まらない。


女――エアノーレは、静かに村人たちの間を歩いた。


挿絵(By みてみん)


彼女の胸元で、小さな核が淡く脈打っている。


星衣核。


星衣を動かし、通信を行い、魂の波形を識別し、必要な個体に星痕を残すための中枢。


エアノーレは、村人の一人に目を向けた。


年配の男だった。

手には薪割り用の斧。

顔には北の風に晒された深い皺がある。


「少し、確認します」


その声は穏やかだった。


男は怪訝そうに顔を上げたが、次の瞬間、視線がぼんやりと揺れた。


エアノーレの星衣から、微弱な認識干渉波が広がる。


それは人の記憶を奪うものではない。

ただ、エアノーレに関する短期記憶を、心の奥へ定着させない。


見たはずなのに、忘れる。

聞いたはずなのに、曖昧になる。


まるで夢の縁を掴もうとして、指の間から零れていくように。


星衣核の内部で、判定が走る。


トメイン照合――該当なし。


エアノーレは男から視線を外した。


トメイン該当なし。

ならば放置。


その個体は、古帝国軍の地球牢獄システムに組み込まれたまま、記憶消去と輪廻を繰り返す。


それは救出対象ではない。

いま処理する理由もない。


次に、若い女。

次に、子ども。

次に、商人らしき男。


どれも、トメイン該当なし。


エアノーレは淡々と確認を終えた。


この集落に、保護対象はいない。

星痕を残すべき個体もいない。


彼女は白樺林の方へ歩き出した。


その背を、先ほどの男がぼんやりと見送る。


「……さっきの、えらい色白のべっぴんさんだったべ」


隣の男が、斧を持つ手を止めた。


「え? 誰のことだ」


「いや、ついさっき、ここに……」


男は言いかけて、眉を寄せた。


そこに誰かがいた…。

そんな気がする…。


白い何か。

青い光。

けれど、顔が思い出せない。


「……あれ? 俺、何の話してたべ」


「寝ぼけてんでないのか」


隣の男は笑った。

薪を割る音がまた戻る。


集落は、何事もなかったように日常へ戻っていった。


ただ一人だけ、少し離れた場所でその様子を見ていた者がいた。


雨宮まちる。

彼女は、北方の地を測って歩く測量師はかりびとである。


挿絵(By みてみん)


濃い緑の詰襟上着に、実用制帽。

腰には革帯、肩には測量帳と地図筒。

そばには真鍮の測量器が据えられた三脚があり、その上に白い小さなエゾリスがちょこんと乗っている。


白変種のエゾリス。


まちるが道中で拾った、群れに馴染めなかった小さな同行者。

名は、ハク。


ハクは、白樺林へ消えていくエアノーレの背を見つめ、細い尻尾をぴくりと震わせた。


「……今の人、何だったんだろうな」


まちるは小さく呟いた。


測量帳には、いくつもの線が引かれている。

父、雨宮森蔵が遺した未完の地図。


その余白には、通常の測量線とは別の印があった。


水辺。

星。

針の乱れ。

北へ続く不自然な点の連なり。


父は、ただ地形を測っていたわけではなかった。

何かを追っていた。


まちるには、まだそれが何なのか分からない。


だが、父は北へ向かった。

志半ばで倒れた。


だから、まちるも北へ向かっている。


「父さん……」


まちるは懐から古びた方位磁針を取り出した。


針は北を指している。

けれど、ほんのわずかに揺れていた。


風のせいではない。


まちるはそう思った。


白樺林の奥。

水のある方角。


父の地図の印も、そこを指していた。


「行くぞ、ハク」


ハクが三脚の上で短く鳴いた。


まちるは三脚を畳み、背負い直した。

測量棒を腰に差し、方位磁針を胸元へ戻す。


そして、白樺の森へ入っていった。



水辺は、森の奥にあった。


小さな沼とも、湖とも呼べない。

白樺の幹が水面に映り、空の色がその隙間に沈んでいる。


午後の光は、淡く青かった。


風は止まり、鳥の声も遠い。


その水辺に、エアノーレは立っていた。


集落で見た時とは、まるで違っていた。


肩から流れる青い布のようなものが、光を含んで揺れている。

布でありながら布ではない。

霧のようで、星の尾のようでもあった。


星衣。


エアノーレが星を渡るための衣。

だがそれを機能させるには、胸元の星衣核が必要だった。


挿絵(By みてみん)


彼女は水辺に片膝をつき、星衣核を安定させていた。


水は、星律波をよく映す。

通信を整え、核の乱れを鎮め、古帝国残滓の反応を拾うには、水辺がもっとも都合がよかった。


水面に、星粒のような光が浮かぶ。


「本部、こちらエアノーレ」


声は小さい。

だが、その言葉は地上の空気ではなく、星衣核を通じて遠いどこかへ向けられていた。


「第七区画、選別完了。トメイン該当個体なし。星痕付与なし。次地点へ移行予定」


星衣核が淡く明滅する。


しかし、返答はなかった。


代わりに、細いノイズが走った。

水面がわずかに揺れ、青い光が乱れる。


エアノーレは目を細めた。


「古帝国残滓反応……微弱」


水底か。

あるいは、この水辺そのものか。


古帝国軍の残した中継器が近くにある可能性があった。

だが、位置はまだ特定できない。


エアノーレは星律棍に指を触れた。


腰に収められた白銀の収納棍。

トメイン星衛軍の制圧装備。


通常時は短いが、展開すれば伸縮し、磁場干渉、接触スタン、慣性補助、短時間の遅延場を発生させる。


星衣核が万全なら、その性能はさらに高まる。


だが今は、核の波形を整えている最中だった。


余計な出力は避けるべきだった。


エアノーレは水面を見つめていた。


そのとき、背後の草がわずかに鳴った。



エアノーレは振り返る。


白樺の幹の間から、ひとりの女が現れた。


濃い緑の服。

実用制帽。

肩に測量道具。

足元には白いエゾリス。


地球個体。

単独行動。

武装反応なし。

携行物は測量器具と思われる。


通りすがりの旅人……のようだ。


エアノーレはそう認識した。


一方、まちるはエアノーレを見て、一度だけ目を細めた。


すぐに分かった。

ついさっき、集落で見かけた女だ。


妙に白い肌。

銀に近い髪。

そして、地上の布とは違う、青く透ける衣。


ロシアの連中とも違う。

和人でもない。

アイヌの者にも見えない。


どこの国の旅人か、と考えるより先に、まちるの体は周囲を測っていた。


驚きはあった。

だが、叫ばない。

逃げない。


まず見る。


白樺。

水面。

青い布。

胸元の光。

女の立ち位置。

足元の濡れ方。

退路。


まちるは、無意識に三脚の脚へ手を伸ばしていた。


本来なら測量道具だ。


けれど、父・雨宮森蔵が残したそれは、北方踏査用に堅牢な金属芯を入れた特注品だった。

獣除けにも、足場の支えにも、いざという時の護身にも使える。


まちるは刀を持たない。


父を奪った武器と同じ形のものを、手にしたくなかった。


だから彼女は、測るための道具で身を守る。


敵意の有無を探るように、まちるは口を開いた。


「あんた、ここで何をしてる」


それから、わずかに顎を上げる。


「悪いけどさ、私もここに用があるんだよね。そこ、どいてくれないかな」


エアノーレは静かに立ち上がり、まちるを見つめた。


最初は驚いた。


星衣核の安定化作業中に、地球個体がここまで近づくことは想定外だった。

しかも、この水辺は集落から少し離れている。

偶然入り込むには、いささか奥まっていた。

だが、驚きはすぐに冷静な判断へ戻る。


通常個体。

接触しても問題はない。

認識干渉波により、記憶定着は阻害される。


この場のことは、時間が経てばこの女の記憶から消える。


問題ない。

無難にやり過ごせばいい。


エアノーレは、地球人が警戒しすぎない程度の声を選んだ。


「水質を確認していました」


まちるは、黙ってエアノーレを見た。


「水質ね……」

「なるほど、そういう風に見えなくもないがな」


だが、胸元の光。

風もないのに揺れる青い布。

水面に残る星粒のような反射。


どれも、水質確認で済むものではなかった。


まちるは、ほんの少し顎を引いた。


「あんた、さっき村にいたよな。人探しをしてたのか?」


その瞬間、エアノーレの思考が止まった。


表情は変えない。

呼吸も乱さない。


だが、胸元の星衣核だけが、かすかに脈を乱した。



私を、覚えている…?



村人たちとの接触から、すでに複数刻。

集落の個体は、認識干渉波の影響下にあったはず。



その場に人間がいたのであれば、通常なら、姿も声も、接触印象も定着しない。



にもかかわらず、この女は覚えている。




通常個体ではない。



「……あなたは、私を見たのですか」


「見たよ。集落で。えらい色白だから目立ってた」


「…いつですか」


「昼過ぎだな。薪割ってた男に声かけてただろ」


エアノーレは黙った。


この女は、こちらを覚えている。

しかも、具体的な行動まで。


通りすがりの旅人。

通常個体。

無害。


そのいずれでもない可能性が、初めて浮かび上がった。


「周囲の者は、覚えていないはずです」


「そんなことは知らない。でも私は覚えてる。」


ハクが、まちるの肩の上で毛を逆立てた。


エアノーレの瞳が冷たく澄んでいく。


記憶保持。

認識干渉、無効。

接触から複数刻経過。

該当地域の個体数照合、異常なし。

村の選別記録に、この女はいない。


では、この女は何か。


「確認します。動かないでください」


「何を」


「あなたが何者かを」


エアノーレは、すっと立ち上がった。


「測る必要があります」


「は?」


まちるは半歩、後ろへ下がった。


エアノーレの胸元で、星衣核が強く光った。


まちるの周囲に、見えない輪が広がる。


魂波形の照合。

トメイン系統との一致確認。


星衣核の光が一度、まちるの瞳を照らした。


判定が走る。


トメイン照合――該当なし。


通常なら、そこで終わる。


該当なしならば、放置でいい。

その個体は、地球牢獄システムに組み込まれたまま、記憶消去と輪廻を繰り返すだけだ。


エアノーレに関する記憶も、残らない。


だが、まちるの場合は違った。


この地球において、トメイン該当なしとは、すなわち古帝国軍側の魂波形を意味するはずだった。


にもかかわらず――。


古帝国管理登録――照合不能。

地球輪廻系接続――不明。

認識干渉――無効。

魂波形――未定義。


エアノーレの視界に、赤い警告表示がいくつも重なった。


CLASSIFICATION FAILURE/分類失敗

UNKNOWN IS-BE SIGNATURE/未定義IS-BE波形

REINCARNATION LINK: NOT FOUND/輪廻接続、検出不能

COGNITIVE INTERFERENCE: INVALID/認識干渉、無効

PROTOCOL: NO MATCH/処理規定、該当なし


星衣核の光が、青から白へ、白から赤へと瞬いた。


水面に浮かんでいた星粒が、ばらばらに崩れる。

耳の奥で、硬い硝子を引っ掻くようなノイズが鳴った。


つまり、どちらでもなかった。


トメインでもない。

古帝国側でもない。

地球牢獄の輪廻系にも、正常に接続されていない。


星衣核に、鋭いノイズが走る。


「……」


エアノーレは、わずかに息を止めた。


まちるは、その変化を見逃さなかった。


「…今、何をしたんだよ」


「識別です」


「識別?へぇー。で、私の何が分かったっていうのさ」


エアノーレは、まちるを静かに見やった。


「分かりませんでした」


「はぁー?」


「あなたは、測れません」


その言葉に、まちるの眉が動いた。


測れない。


測量師はかりびとである自分に向けられたその言葉は、妙に耳の奥へ残った。


エアノーレは静かに腰へ手を伸ばした。


白銀の収納棍を抜く。


星律棍。

短い柄が、彼女の手の中で微かに音を立てた。


「雨宮まちる。あなたは任務秘匿保持上、危険因子と判断されました」


まちるの目が細くなる。


「な……なんで名前知ってんだよ」


「あなたの持ち物から確認しました」


「ずいぶん礼儀の悪いやつだな」


「現地判断により、あなたを地球輪廻系へ還送します」


まちるには、その言葉の意味が分からなかった。


「還送?」


「肉体活動を停止させます。心配には及びません。あなたの状態は、おそらく輪廻接続上のバグのようなものだと思われます。リセットされれば、魂はこの星の輪廻機構に正常復帰するはずです」


聞いたことのない単語が、流暢に放たれる。


「ばぐ? りせっと? ……何言ってんだ、こいつは」


まちるの指が、三脚の脚を握り直した。


熊に遭ったことはある。

吹雪の中で足を滑らせたこともある。

崖の縁で、足元の土が崩れたこともある。


命が危ういと思った瞬間なら、何度もあった。


けれど。


目の前の女は、まるで荷物の仕分けでもするように、自分の死を告げていた。


それだけは、分かった。


「それを、こっちじゃ殺すって言うんじゃないか」


エアノーレの瞳は揺れなかった。


「あなたの記憶は消去されます。次の器へ移行するだけです」


「ふざけるな」


まちるは、胸元の方位磁針に一瞬だけ触れた。


父の遺した針。

北を指し続ける、古い道具。


「私には、まだ描き終えてない地図がある」


エアノーレは答えなかった。


星律棍の先端が、白い光を帯びる。

収納されていた節が滑るように伸び、一本の細い制圧棍へ変わった。


まちるは三脚を肩から外した。


挿絵(By みてみん)


普通なら逃げる。

だが、背中は見せない。


熊と向き合う時も同じだ。


目を逸らすな。

逃げ道は見る。

だが、相手には悟らせるな。

真正面から受けるな。

踏み込む線を見る。


エアノーレは、静かに構えた。


その姿は美しい。

無駄がない。

まるで動く前から、勝敗が決まっているかのようだった。


「最終警告です。抵抗しないでください」


「こっちも最終警告だ」


まちるは三脚を半分だけ開いた。


真鍮の脚が、白樺の根元の湿った土に触れる。


「人を荷物みたいに扱うな!」


「処理を開始します」


エアノーレが踏み込んだ。


速い。


白銀の星律棍が、空気を裂いた。


普通の人間なら、反応する前に膝を撃たれていた。

殺すためではない。

動きを止めるための一撃。


しかし、その速度は人の域を越えていた。


まちるは、動かなかった。


いや、動いた。


半歩だけ。


ほんの半歩。


白樺の根が作ったわずかな高低差。

湿った土と乾いた草の境目。


そこへ、彼女はすでに足を置いていた。


星律棍の一撃は、まちるの袖をかすめ、空を切った。

その瞬間、エアノーレの瞳が初めて揺れた。

ありえない、という感情が、ほんのわずかにその顔へ滲んだ。


挿絵(By みてみん)


速くない。

反応が異常に早いわけでもない。

筋力も標準域。

訓練値も高くない。


なのに、届かない。


まちるは反射で避けたのではない。

エアノーレの肩の向き、爪先の角度、踏み込みの深さを見て、突きの線を読んだのだ。

だから彼女は慌てない。ただ半歩、横へ外れただけだった。



まちるは三脚の脚を支点に、体を低く落とした。

ハクが肩から飛び降り、白樺の根元へ走る。


「熊の方が、まだ分かりやすいな」


まちるは低く言った。


エアノーレは星律棍を握り直す。


白樺の影が、水面に揺れていた。

青い星衣が、わずかに乱れる。


「……あなたは」


エアノーレの声が、初めて揺れた。


「いったい、何なのですか」


まちるは答えなかった。


ただ、父の地図を背負い、三脚を構え直した。


北へ向かうはずだった旅路は、

この白樺の水辺で、星から来た女と交差した。





つづく




主題歌:ZESTIAS「測れなき魂」

作詞:Sera Ruby/作曲:Luka Starlet


https://youtube.com/shorts/C9vIp0adnPI?feature=share


次回、第2話。

白樺の水辺で、まちるとエアノーレの戦闘が本格化します。


測る者と、星の律を操る者。

二人の最初の衝突を描きます。

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― 新着の感想 ―
白樺の森で、測量の女の子と星から来た女性が出会うシーンは映画のようで素敵ですね。 魔法が効かないまちるの「特別感」がカッコいいです。 不器用で真っ直ぐな彼女の姿は温かく、懐かしい明治の風景とSFバ…
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