第9話:絶望の漂着と始まりの整地
本日3話目
本州の北端、青森の港町。
どんよりと鉛色に沈む冬の海から、一隻のボロボロの小舟が流れ着いた。
「お、おい! 誰か乗ってるぞ!」
網を繕っていた漁師たちが駆け寄ると、舟の底には、泥と凍りついた血に塗れた数人の男たちが倒れ伏していた。
彼らが着ているのは、まぎれもなく新政府軍――官軍の軍服であった。
「しっかりしろ! おい、官軍様がどうしてこんな姿に……!」
駆けつけた地元の役人や、青森に駐留していた新政府軍の将校たちが、男たちを助け起こす。
だが、彼らの様子は明らかに異常だった。
傷は手足の骨折や打撲ばかりで、刀で斬られた痕も、銃で撃たれた痕もない。
何より、彼らの目は、この世の終わりを見たかのように焦点が合っていなかった。
「あ、悪魔だ……黒い、鉄の悪魔が……」
一人の兵士が、ガタガタと歯を鳴らしながら譫言のように呟き始めた。
「どうした! 蝦夷で何があった! 艦隊はどうしたのだ!」
将校が兵士の胸ぐらを掴んで揺さぶる。
「消えた……山が消えたんだ……! 音もない大砲が、海ごと艦隊を吹き飛ばした! 弾も通じねえ! 刀も折れた! あいつら、笑いながら俺たちの腕を……!」
兵士はそこまで叫ぶと、恐怖で泡を吹き、気絶してしまった。
他の兵士たちも同様だった。
「見えない壁」「鉄の城」「空を飛ぶ黒い鳥」……彼らの口から語られるのは、到底この世の出来事とは思えない狂気の言葉ばかりだった。
「……馬鹿な。我が軍の最新鋭艦隊が、賊軍ごときに後れを取るはずがない。これは何かの罠だ!」
将校は怒鳴ったが、その声の震えを隠すことはできなかった。
やがて、次々と漂着する小舟と、同じように正気を失った兵士たちの報告により、青森の街は底知れぬ恐怖とパニックに包まれていくことになる。
「北に、人の手には負えぬ化け物がいる」という絶望の噂は、冬の寒風に乗って、江戸にいる新政府の中枢へと瞬く間に伝播していくのだった。
一方、その「化け物」の足元である蝦夷地では、彼らの常識を遥かに超える光景が繰り広げられていた。
アイアン・パレスの周囲に広がる原生林が、凄まじい速度で「切り開かれて」いたのだ。
「おい……あれを見ろ。なんだ、あのからくりは……」
旧幕府軍の兵士たちが、塹壕の中から信じられないものを見るような目で指を差した。
森の中で木々を薙ぎ倒しているのは、見たこともない巨大な「鉄の重機」だった。
アイアン・パレスの第2席、都市工学・インフラ統括のノアが指揮する自動建設機械群である。
もちろん、未来の反重力ブルドーザーやレーザー伐採機をそのまま使うことは禁じられている。
ノアはそれらを、当時の人間が辛うじて「巨大な蒸気機関車のようなもの」と誤認するように、無骨な鉄板や煙突を取り付けて偽装していた。
だが、その作業速度は異常だった。
重機が通った後の原生林は一瞬で更地になり、その後を追うように、未知の素材(特殊コンクリート)を流し込む別の機械が進んでいく。
一晩にして、馬車が十台並んで走れるほど広く、滑らかな「街道」が何十里も完成していくのだ。
「ひどい非効率ですね……。偽装のせいで、本来の出力の三パーセントしか出せません」
ノアは、崖の上からその光景を見下ろし、タブレット端末(当時の人間には黒い手帳に見える)を操作しながらため息をついた。
「文句を言うな、ノア。マスターの命令だ。原住民どもを驚かせすぎるなと」
傍らで腕を組む第1席のヴォルフが、鼻で笑う。
「それにしても、この極寒の中でちまちまと土を掘っている連中を見ていると、反吐が出そうになるな」
ヴォルフの視線の先には、ノアの重機が入れない細かな作業(瓦礫の撤去や、資材の運搬)を命じられた、榎本率いる旧幕府軍の兵士たちの姿があった。
彼らは、かつて武士として刀を握っていたプライドをへし折られ、今はアイアン・パレスから支給された「異常に軽くて暖かい、黒い防寒着」に身を包み、泥まみれになって働かされていた。
土方歳三は、支給された奇妙なスコップで凍った土を掘り返しながら、忌々しそうに空を見上げた。
(……俺たちは、新しい国を創るために北へ来たはずだった。だが、いつの間にか、得体の知れない神様の手のひらで、土をいじる蟻になっちまった)
土方の胸の内で、行き場のない怒りと無力感が渦巻く。
だが、彼らがどれほど不満を抱こうと、アイアン・パレスの支配は完璧だった。
食事は、見たこともないほど美味で栄養価の高い「黒い固形物」が配給され、誰も飢えることはない。
寒さで死ぬ者も出ない。
絶対的な武力と、圧倒的な「豊かさ」による支配。
蝦夷地は今、九条魁斗の冷徹な計算通り、世界で最も進んだ、そして最も自由のない「完全管理都市」へと変貌を遂げようとしていた。
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