第5話:対峙、そして沈黙
本日3話目
蝦夷の冬を間近に控えた冷気が、原生林の葉を白く凍らせていた。
旧幕府軍総裁、榎本武揚は、自ら率いる精鋭の騎馬隊の手綱を引き絞り、その場で絶句した。
眼前に広がる光景が、彼がこれまでにオランダで学んだどの最先端の科学的知識にも、どの近代戦術の教本にも存在しないものだったからだ。
「……これは、城などではない。砦ですらない」
榎本の隣で馬を並べていた、フランス軍事顧問団のジュール・ブリュネ大尉が、信じられないものを見るかのように、掠れた声で呟いた。
「ムッシュ・エノモト……。これは、巨大な装甲艦を陸に上げたのか? いや、それにしては……装甲板を繋ぐリベットが、一つも存在しない。継ぎ目がまるでないんだ!」
彼らの視線の先。
冬の立ち込める霧を切り裂くように聳え立つのは、鈍色に輝く、天を衝くほどの巨大な金属の壁だった。
大砲を撃ち出すための銃眼も、兵が身を隠すための胸壁も、どこの国を示す旗印すらもない。
ただの無機質で巨大な立方体に近いその構造物は、ただそこに在るだけで、周囲の自然を圧倒し、生命の営みを威圧していた。
時折、地底の奥深くから響くような重低音の「唸り」が周囲の空気を震わせ、そのたびに訓練された軍馬たちが恐怖に狂って嘶き、足踏みをする。
(蒸気機関の音ではない……。石炭の煙すら上がっていない。一体、何を動力にしてこれほどの鉄の塊を動かしているのだ?)
榎本の頭脳が限界速度で回転し、目の前の現実を解釈しようとするが、答えは出ない。
「総裁、壁が……壁の一部が開きます!」
兵の一人が悲鳴のように叫び、震える手で小銃を構えた。
巨大な壁面の一部が、不自然なほど滑らかに、何の摩擦音も立てずに横へスライドした。
中から現れたのは、生き残りの兵たちが恐怖と共に語った「黒い鋼鉄の巨人」たちだった。
身長二メートルを超える異形の甲冑の群れが、一糸乱れぬ完璧な歩調で現れ、榎本たちの前に整列する。
彼らには息遣いがない。
ただ、頭部の赤いスリットが、無機質にこちらを観察し、計測している。
榎本は、凍りつきそうになる己の心を叱咤し、鋭い声で命じた。
「銃を下ろせ! 決して撃つな! 礼を失するな!」
相手がこれほどの「威容」と「技術力」を誇っている以上、旧式のエンフィールド銃を向けるのは、象に小石を投げるような自殺行為に等しい。
巨人の列が左右に静かに割れ、中から一人の男が歩み出てくる。
九条魁斗は、防寒具など必要としない環境制御システムが組み込まれた黒い外套を羽織り、新雪を踏みしめて榎本の前に立った。
その後ろには、従者のように付き従う銀髪のシエル。
魁斗はあえて、空に映像を映し出すような「手品」は使わなかった。
ただ、静かにそこに立ち、圧倒的な格の違いを見せつける。
「あなたが榎本武揚さんですね。はるばるオランダまで渡り、近代科学を学ばれた……。この狂騒の時代には珍しい、話の通じそうな方にお会いできて光栄です」
魁斗は、洗練された貴族のように、懃懃に一礼した。
「……貴殿が、この『城』の主か。流暢な日本語を話されるが、一体、どこの国の者だ。米国か、英国か、あるいは……北のロシア帝国か」
榎本は馬を降り、泥に足を取られながらも、旧幕府軍トップとしての威厳を保って問い返した。
魁斗はその毅然とした姿を見て、内心で「旧時代の美徳」に対する小さな賞賛と、圧倒的な同情を覚える。
「国家という枠組みで物事を計るのは、もうおやめなさい、榎本さん。私はただ、この混迷し、血を流し続ける非効率な大地に、『新たな秩序』を上書きしに来たに過ぎません」
「秩序、だと? 我々は我々の国を、民を救い、列強に立ち向かうために戦っているのだ! 貴殿の武力がどれほど強大であろうと、やすやすと国を明け渡すわけにはいかん!」
「その尊い戦いが、どれほどの命と資源を無駄にしているか、お分かりですか?」
魁斗は、懐から一通の「書簡」を取り出した。
それは紙ではなく、信じられないほど薄く、そして硬い金属のシートだった。
そこには、完璧な日本語の活字で、降伏と管理下への移行を促す勧告状が刻印されている。
「私はこの蝦夷一帯を、私の管理下に置くことに決めました。あなたがた蝦夷共和国も、南から迫る新政府軍も、私の効率的な計画に組み込まれるのであれば、命と存続は保証しましょう。ですが……もし拒むのであれば」
魁斗は言葉を切り、背後に控えるシエルに視線を送った。
「シエル。言葉だけでは、私たちの『本気度』が伝わらないかもしれません。少しだけ、威力を絞って見せてあげなさい」
「了解しました、マスター」
シエルが、懐から小さな筒状の端末を取り出し、何かの操作を行った。
次の瞬間。
ドォォォォォンッ!!
榎本たちの背後、遥か彼方にある無人の岩山。
そこに、アイアン・パレスの頂部に設置された巨大な電磁加速砲から放たれた、極超音速の質量弾が着弾した。
光線の軌跡も、火砲の煙も見えない。
ただ、空気を引き裂く真空の咆哮が遅れて届き、山の頂が、文字通り内側から「弾け飛んだ」。
数千トンの岩盤が粉砕され、巨大な雪煙と土砂の柱が、天を衝くように舞い上がった。
「なっ……なんだ、今のは……!」
「山が……大山が、吹き飛んだぞ!」
何が起きたのか全く理解できない榎本の兵たちが、大地の揺れに悲鳴を上げて地面に伏した。
ブリュネは、ただ震える手で胸に十字を切り、「モン・デュー(神よ)……」と、恐怖に引きつった顔で喘ぐように呟いた。
大砲の弾着などではない。あんな距離から、山を一つ消し飛ばす兵器など、この世に存在していいはずがない。
「……榎本さん。現実的で、建設的な交渉を始めましょうか」
魁斗は、崩れ落ちる山の轟音を背に、冷たい笑みを湛えたまま、愕然とする榎本に白い手袋を嵌めた手を差し伸べた。
それは絶対者からの救済か、あるいは破滅への招待か。
榎本の優れた頭脳をもってしても、もはやその判断すらつかなかった。
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