第48話:1870年7月、経済という名の虚像
本日2話目
フランスのナポレオン三世とプロイセンのビスマルクによる対パレス秘密同盟が結ばれてから数週間。
パレスの極めて論理的かつ冷酷な「解体作業」は、水面下で着実に進行していた。
【1870年7月1日:偽情報と鉄道網の麻痺】
事の始まりは、パリとベルリンを結ぶ電信網の掌握だった。
「……前線の駅長から報告! 指令部からの命令書と全く異なるダイヤで、臨時軍用列車が次々と発車しているとのことです!」
「単線区間での列車同士の鉢合わせが多発し、全線の運行がストップしています!」
両国の鉄道指令所は、かつてない大混乱に陥っていた。
海底ケーブルを物理的に掌握した情報戦統括ロキが、各駅の電信室に「偽の運行命令」を乱発したのだ。
パレスの演算能力をもってすれば、彼らの暗号など無に等しい。弾薬を積んだ列車を逆方向に走らせ、空の貨車を前線に大量に送り込む。
電子制御など存在しない当時の鉄道において、紙の命令書と電信のみに頼る運行システムは、ダイヤを少し書き換えられただけで完全に麻痺し、前線への兵站は物理的に絶たれた。
【1870年7月10日:血液の汚染と銀行への介入】
輸送網が機能不全に陥り、前線の物資が枯渇し始めた頃、経済・資源統括マモンの仕掛けた第二の罠が牙を剥いた。
「総督。なぜ銀行を経由するのか……それは『信用』を汚染するためです」
マモンは、金の縁眼鏡を押し上げながら、淡々と説明を続けた。
「市中で偽札をばら撒いても、少額であればただの騒ぎで終わります。しかし、国家の金庫である中央銀行の準備金が『偽物』にすり替わっていれば話は別です。彼らが軍隊に支払う給料、物資調達のための決済……それら全てが、我々の提供した『毒』に置き換わるのです」
パレスの工作員たちは、ハデスの地下ルートを利用し、夜陰に乗じて銀行の地下金庫へと侵入。
極限の印刷技術で作られた偽札を、正規の準備金とすり替えた。
翌朝、何も知らない政府が軍への給与としてその「毒」を放出し、兵士たちがそれを持って市場へ繰り出す事で、インフレーションの要因となる。
さらに、パレス側の工作員が市場で戦略物資を異常な高値で買い占めることで、物価の上昇に拍車をかける。
パン一つ買うのに昨日の十倍の札束が必要になり、昨日まで価値があった紙幣が、文字通りただの紙切れへと変わっていく。
「素晴らしいですね、マモン。彼らの国家というシステムは、血液(経済)が完全に汚染されました」
私は満足げに頷いた。
【1870年7月18日:飢餓と軍隊の機能停止】
インフレはハイパーインフレへと加速し、両国の経済は完全に死滅した。
軍隊への給料の支払いは停止。頼みの綱だった備蓄庫はパレスの工作員による放火によって灰燼に帰し、鉄道網の麻痺によって新たな物資も届かない。
「……暴動だ! 飢えた兵士たちが命令を無視し、街の食糧庫を襲っている!」
ビスマルクが誇る鉄と血の軍隊は、ナポレオン三世の華やかな帝国軍は、敵と銃火を交える前に「飢え」という最も原始的で非効率なノイズによって、その機能を完全に停止した。
【1870年7月19日:科学の鉄槌】
両国が完全な無政府状態に陥り、ビスマルクとナポレオン三世が司令部に立て籠もっていた運命の日。
「……総督。目標の上空に、航空爆撃部隊が到達しました。フランス軍総司令部、およびプロイセン軍主要兵器廠。共にロックオン完了」
軍事・戦術統括カルマの抑揚のない声が、戦略会議室に響いた。
「撃ちなさい、カルマ。彼らに、純粋な『科学の暴力』というものを教えてあげましょう」
私の命令と同時に、パリとベルリンの空を、地鳴りのような重低音が包み込んだ。
「な、なんだあの音は……! 空が鳴っている!」
地下壕から地上へ駆け出たビスマルクは、曇天の空を見上げて息を呑んだ。
雲を突き抜けて姿を現したのは、たった三機の、しかし見上げるほど巨大な多発エンジンの重爆撃機だった。
その鈍く光る鋼鉄の巨躯は、威圧的な轟音を響かせながら、悠然と目標の真上へと到達する。
「空飛ぶ鉄の船だ……!」
市民たちがパニックに陥り逃げ惑う中、爆撃機の腹部が開いた。
……ヒュルルルルル……!
空気を切り裂く風切り音と共に、数発の巨大な航空爆弾が目標に向かって垂直に落下していく。
パレスの演算システムによって弾道と風力計算を完璧に行われた、精密誘導爆弾である。
……ドガァァァァァァァンッ!!
パリのフランス軍総司令部が、連続する巨大な爆発に呑み込まれた。
ほぼ同時刻。ベルリンのクルップ社の巨大な兵器工場群もまた、空からの猛烈な爆撃によって火の海と化し、連鎖誘爆を起こして吹き飛んでいく。
猛烈な爆風と、鼻を突く硝煙の匂い。
それは、彼ら自身が戦争の道具として用いている「火薬と大砲」の到達点だった。
「……大砲を、空から撃ち下ろしているというのか……!?」
ビスマルクは、炎上する兵器廠の黒煙を遠くに見つめながら、膝から崩れ落ちた。
自分たちと同じ理屈の延長線上にありながら、決して手が届かない絶望的な科学の格差を見せつけられたことは、軍人であるビスマルクの精神を完全にへし折った。
「……カルマ。作戦は完了です」
私はモニター越しに、炎と黒煙を上げる両国の拠点の残骸を見下ろした。
1870年7月19日。史実において両国が血みどろの戦争を始めるはずだったその日、彼らの国家としての機能は、完璧な物理計算の前に完全に沈黙した。
高評価とブックマークをよろしくお願いします。
コメントへの返信はしないと思います。




