第43話:最適化の盤面と、微笑の裏側
ロンドン郊外、巨大戦艦『鳳凰』。
外の霧深い景色を遮るように、指令室にはパレスの技術によって生み出された一定の光量と、最適な湿度、そして芳醇なコーヒーの香りが満ちていた。
私は、重厚な革張りの指令席に深く身を沈め、空間に投影された地球の立体映像を眺めながら穏やかに問いかけた。
「……シエル。東洋の方々は、私の差し上げた『贈り物』を喜んでいただけたでしょうか」
傍らに控えるシエルが、優雅に一礼する。
「ええ、総督。天津港は既に管理下に。ヴォルフの部隊も、北京へ向けて順調に進軍しております。ただ、清の朝廷は少々……その『過分な親切』に戸惑っておられるようですが」
「おや、それは心外ですね」
私は薄く笑みを浮かべ、手元のティーカップを口に運んだ。
「私はただ、彼らの不合理な負担を肩代わりしてあげようと言っているだけなのですが。五千年も続いた非効率な統治に終止符を打ち、管理される喜びを教えてあげる……これほど誠実な救済が他にあるでしょうか」
「総督、現地の電信局を掌握し、ご指定通りの丁寧な通告をお送りしました。ですが、あちらの西太后という御方は、ずいぶんと感情を昂らせておられるようで」
通信・電信統括のヘルメスが、モニターのデータを操作しながら、呆れたように肩を竦めた。
「困りましたね。感情というノイズは、時として最適化を著しく阻害するバグになります。……ヘルメス、彼女がこれ以上見苦しく騒ぐようなら、北京のライフラインを少しずつ『調整』してあげてください。飢えや渇きという物理的な現実に直面すれば、彼女も少しは理性的になれるはずです」
「承知いたしました。水道と物資の搬入経路から、徐々に絞らせていただきます」
ヘルメスは涼しい顔で頷き、手元の端末に新たな指示を打ち込み始めた。
私は視線を、投影された地球の別の地点――北アフリカと、北米大陸へと移した。
「西太后に限らず、この一八六九年という時代の人々は、無駄な労力を『偉業』と勘違いする傾向にありますね」
私は、彼らが誇る事業のデータを指先で軽く弾いた。
「十年の歳月と数万の命を浪費して、ようやく砂漠に溝を一本掘り終えようとしているスエズ運河。広大な大陸に、鉄のレールを一本敷くためだけに莫大な資金と血を流しているアメリカの横断鉄道……。彼らはそれを文明の進歩と呼んで歓喜しているそうですが、我々の目から見れば、あまりにも遅々として非効率の極みです」
「ええ。ですが総督、パレスの持つ本来の工学技術をもってすれば、どちらも数日で完了し、維持コストも無に等しいはずです。なぜ、我々の圧倒的な力を全開にして、一気にこの星を平定しないのですか?」
工学・機関統括のノアが、データの投影されたタブレットを抱え、純粋な疑問を口にしながら歩み寄ってきた。
「ノア。私たちが彼らの理解を遥かに超えたオーバーテクノロジーを全面的に見せつければ、彼らはどうなると思いますか?」
私は穏やかな声で、若き技術者に問いかけた。
「彼らは我々を『神』や『魔法使い』と錯覚し、新たな偶像崇拝を始めるでしょう。未知への畏怖は、容易に狂信的な宗教へとすり替わります。それは、論理的なシステム管理において、最も厄介で不合理なノイズになるのです」
「なるほど……。無用な信仰心というバグを発生させないために、あえて彼らがギリギリ理解できる『強力な兵器』の範疇に留めて振る舞っているのですね」
「その通りです。私たちが彼らを統治するのは、単に我々の技術が優れているからではありません。彼らの感情や面子に縛られた古いシステムが、地球という資源の最適化を著しく阻害しているからです。だからこそ、神としてではなく、絶対的な『管理者』として、正しい秩序へと導いて差し上げなければならない」
私は立ち上がり、地球の立体映像を愛おしむように優しくなぞった。
「ノア。機関の出力は安定していますか?」
「はい、総督。超高圧内燃機関は予定通りの数値を維持。カグツチによる排熱回収も完璧です。大気や海洋に無駄な熱を垂れ流すような、野蛮な真似は一切しておりません」
「素晴らしいですね。無駄なエネルギーを浪費することは、私の美学に反します。……さて、カルマ。ヴォルフには伝えてありますか?」
モニターに軍事統括官のカルマが映し出される。
『はい。目的は破壊ではなく、旧体制の解体とシステムの導入。無駄な殺生でリソースを浪費するな、と。……ですが、抵抗が続く場合は、その限りではないとも伝えてあります』
「ええ、その通りです。慈悲を理解できない方々には、まずその傲慢さを物理的に粉砕して差し上げるのが、一番の近道ですから」
歴史の過ちを書き換えるの事になるだろう。
「シエル、今夜の夕食会の準備を。各国の令嬢たちには、パレスの秩序がいかに心地よいものか、優しく、丁寧に教えて差し上げなければ」
「承知いたしました、総督」
私は柔らかな微笑を湛えたまま、静かに指令室を後にした。
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