第41話:スエズの号砲と大陸の黄昏
本日3話目
一八六九年十一月。
史実において世界を驚かせ、欧州とアジアの距離を一気に縮めた「スエズ運河」の開通式典。
本来ならば、エジプト副王イスマイル・パシャが列強の王族を招待し、ヴェルディの歌劇『アイーダ』の初演と共に華々しく幕を開けるはずの祝典であった。
しかし、紅海と地中海を繋ぐこの大動脈に現れたのは、招待された各国の装甲艦でも、華麗なヨットでもなかった。
水平線の彼方から現れたのは、太陽の光を不気味なほど吸収する漆黒の鋼鉄艦隊――アイアン・パレスの分艦隊であった。
「警告。これよりスエズ運河の管理権はパレスへと移行する。全ての船舶は即座に機関を停止し、検閲を受けよ。抵抗は最適化の障害と見なす。」
全波長の電信をジャックしたパレスの通告が、各国の軍艦の通信室をパニックに陥れた。
誇り高き列強の海軍たちは、この正体不明の侵入者に対し、果敢にも一斉砲撃を仕掛けた。
大英帝国の最新鋭艦、フランスの木鉄混交艦――。
彼らが放った数トンの砲弾が、パレスの駆逐艦の装甲に命中する。
しかし、龍炎が精製した特殊炭素鋼の表面には、火花が散るだけで傷一つ付かなかった。
「……低効率な抵抗を確認。物理的介入を開始します。」
パレス側の艦隊から放たれたのは、火薬による砲弾ではない。
電磁加速されたタングステンの弾丸が、音速を遥かに超える速度で空気を引き裂いた。
一瞬。
列強の主力艦たちは、何が起きたのかを理解する間もなく、船体の中央を巨大な串に貫かれたかのように粉砕され、轟沈した。
スエズの青い海は、燃え盛る重油と残骸によって黒く汚された。
この「スエズの惨劇」は、パレスが欧州とアジアを結ぶ「血液」を完全に掌握したことを全世界に知らしめる号砲となった。
それから数週間後。
ロンドンの魁斗から指揮を委ねられた遠征艦隊は、すでに平定済みである「日本」の横須賀港へ入港し、補給と最終調整を終えていた。
かつて戊辰戦争を経て、脆い基盤の上に近代化を歩もうとしていた日本は、今やパレスの「東洋拠点」として、その姿を劇的に変貌させていた。
横須賀の海岸線には、巨大なクレーンと、ノアの設計による自動化された製鉄所が立ち並ぶ。
かつて刀を差していた武士たちは、武芸統括・桜華の指導のもと、超硬合金の刀と最新の自動小銃を装備したパレスの親衛隊へと再編されていた。
彼らにとって、パレスの論理に従うことは、封建的な主従関係の延長線上にあり、驚くほどスムーズに受け入れられた。
「……準備は整いましたね。」
『鳳凰』に次ぐ巨艦、遠征旗艦『朱雀』の艦橋で、軍事統括のカルマが冷徹に告げた。
今回の標的は、アジアの盟主を自負し、五千年の歴史を盾に「眠れる獅子」と称される清帝国である。
史実では、この後、清帝国は「洋務運動」によって近代化を試みるが、パレスはその猶予すら与えない。
「ロキ。清帝国の北洋艦隊へ、最後通牒を。彼らが『天朝』という幻想を抱いている間に、全てを終わらせます。」
「了解。電信網はすでに掌握済み。彼らの皇帝が宮廷で形式美にこだわっている間に、北京までの一本道を整備してあげましょう。」
漆黒の鋼鉄艦隊が、日本の領海を抜けて大陸へと向かう。
ノアが管理する一〇〇万馬力級の超高圧内燃機関が、重厚な振動を海に伝えていく。
船底近くの排熱口からは、機関の熱交換を終えた超高温の排気が、水中へ向けてダイレクトに噴射されていた。
水深数メートルの位置で数百度の高圧蒸気が放出されることで、艦の周囲の海水は物理的に沸騰し、巨大な白い航跡となって海面を覆い尽くす。
それは遠目には、巨大な龍が雲を引き連れて海を駆けているかのような、幻想的で威圧的な光景であった。
「……見て。あれが、古い世界が消えていく景色よ。」
甲板では、教育・洗脳統括のアテナが、パレスの思想に適合した日本の若き士官たちに、大陸の影を指し示していた。
メイドたちは、慌ただしく立ち働く士官たちに冷たい水と食事を運び、その献身で兵士たちの士気を支えている。
彼女たちの微笑みは、この残酷なまでの技術格差が生み出す「絶対的な平和」への祝福のようにも見えた。
五百年の技術格差。
スエズを断ち切り、日本を牙城としたパレスの暴力が、今度は大陸の古い門をこじ開けようとしていた。
魁斗の望む「最適化」という名の審判が、黄海の霧を切り裂き、清帝国の最前線である北洋艦隊の前にその圧倒的な質量を現す。
歴史という名のプログラムが、今、完全に上書きされようとしていた。
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