第40話:甘美なる鳥籠と堕ちた白百合たち
本日2話目
ロンドン近郊に接岸された巨大戦艦『鳳凰』の最上層。
霧の都と呼ばれたロンドンは、今やパレスの管理下で二十四時間稼働する巨大な工廠へと変貌しつつあった。
かつてのバッキンガム宮殿よりも豪華で、かつ機能的な『鳳凰』のラウンジでは、魁斗が各国の令嬢たちに囲まれ、束の間の休息を取っていた。
魁斗の目的は、この星の非効率なシステムを解体し、最適化することにある。
その最適化は、すでに欧州の心臓部である大英帝国を呑み込み、大陸へと波及していた。
本来、パレスの運営はシエルをはじめとする側近たちが完璧にこなしている。
しかし現在、軍事統括のカルマや工学統括のノアたちは、スエズ運河を越えて東洋へと向かう遠征艦隊の指揮と、占領地ロンドンのインフラ再構築に忙殺されていた。
そのため、このエリアに控えているのは、メイド長のシエルと、彼女が直接指導した、感情豊かな人間のメイドたち数人のみである。
「総督。大英帝国の貴族たちが、パレスの提示した『資源供出計画』に署名いたしました。」
シエルが穏やかな笑みを浮かべ、魁斗の肩を揉みながら報告する。
「彼らは誇りよりも、パレスが提供する『飢えのない秩序』を選んだということですね。賢明な判断です。」
魁斗は大人の余裕を漂わせ、アリス王女の膝を枕にして目を閉じた。
アリスは、かつての王女としての重圧から解放され、今はただ魁斗の髪を愛おしそうに撫でている。
「魁斗様。わたくし、もうロンドンに戻りたいとは思いませんわ。この温かくて、何不自由ないパレスこそが、わたくしの本当の居場所なのです。」
彼女の言葉は、パレスの教育が彼女の精神を完全に書き換えたことを示していた。
「アリスばかりずるいですわ。……見てくださいませ、魁斗様。アフロディテ様がわたくしのために選んでくださったこのドレス。パリのどのオートクチュールも、このパレスの色彩美には及びませんわ。」
フランスの令嬢イザベラが、艶やかな絹のドレスを揺らしながら魁斗の足元に跪いた。
彼女の祖国フランスは、パレスの経済介入によって通貨価値が暴落し、かつての華やかな社交界は瓦解した。
しかしイザベラは、その惨状を憂うどころか、パレスの技術によって自身の美しさが永遠に最適化されることに恍惚としていた。
「……お静かに。総督がリラックスされているのが分からないのですか。」
プロイセンのルイーゼが、生真面目な顔でイザベラをたしなめる。
彼女は当初、鉄血宰相ビスマルクの教えを胸に魁斗へ反旗を翻そうとしたが、パレスの軍事論理に完膚なきまでに叩きのめされた。
「非効率な感情に流される軍隊など、ただの暴徒に過ぎません。……魁斗様、我がプロイセンの兵士たちをパレスの『治安維持ユニット』として再編する許可をいただき、感謝いたします。彼らもようやく、真の秩序に仕える喜びを知るでしょう。」
かつての軍事大国の誇りは、パレスという巨大なシステムの一部であるという機能美に取って代わられていた。
「……はぁ。みんな、すっかり出来上がっちゃって。まぁ、私も人のことは言えないけど。」
暖炉の傍らで、アメリカの大財閥令嬢メアリーがシャンパングラスを傾けながら溜息をついた。
マモンによる徹底的な市場操作で、彼女の一族が築き上げた鉄道王の帝国は一晩で「無意味な紙屑」と化した。
「あんなに必死に金を積み上げていたのが馬鹿らしくなるわね。このパレスの中じゃ、ドル札も金貨も、ただの装飾品以下の価値しかない。……でも、魁斗様に認められることだけは、数字じゃ測れない価値がある。そうでしょ?」
彼女の瞳には、パレスという神にも等しい力に対する、諦めと狂信が入り混じっていた。
アリスたちが甲斐甲斐しく立ち働く様子を、周囲のメイドたちは温かな、それでいて規律ある眼差しで見守っている。
「……さて。シエル、東洋の状況は?」
「はい。先に平定を終えた日本を拠点とし、遠征艦隊がいよいよ大陸へ向け出航いたしました。史実では今年、明治政府が『版籍奉還』を行うはずでしたが……パレスの介入により、日本の武士たちはすでにその刀を、パレスの歯車として振るっております。」
冷徹な支配者の休息は、甘美な香りと、世界が書き換えられていく確かな予感の中で過ぎていく。
高評価とブックマークをよろしくお願いします。
コメントへの返信はしないと思います。




