第4話:檻の中の理性
本日2話目
アイアン・パレスの地下。
捕虜収容のために急遽用意された独房エリアは、この時代の日本、いや世界中のどこを探しても存在し得ない、不気味なほど無機質で清潔な空間だった。
「……ここは、地獄の釜の底か。あるいは、阿鼻叫喚の先にあるという仏の国か」
捕らえられた新政府軍の士官、山田は、手足を拘束する不思議な手枷を見つめ、力なく呟いた。
鉄のように冷たくなく、革のように柔らかいが、どれほど力を込めても微動だにしない未知の素材。
部屋には鉄格子も、木製の扉もない。
ただ、継ぎ目のない滑らかな灰色の壁が四方を囲んでいるだけだ。
ランプも燭台もないのに、部屋全体が影一つなく、青白い光で均等に照らされている。
(息苦しさがない。隙間風もないのに、空気が澄んでいる……。妖術か、それとも毛唐の未知の船の中か……)
彼は先ほどまで、原生林の中で「黒い悪魔」と対峙していた。
精鋭であるはずの部下たちの銃弾は、石に投げた礫のように弾かれ、仲間たちはその怪力によって、まるで小枝のようにへし折られた。
武士としての矜持も、新しい時代を創るという文明開化への自負も、あの圧倒的な「暴力」の前では塵芥に等しかった。
ふいに、壁の一部が音もなく横へ滑った。
山田は反射的に息を呑み、身を強張らせた。
入ってきたのは、あの鋼鉄の怪物ではない。
完璧な仕立ての、だがどこの国の軍服とも判別がつかない漆黒の衣服に身を包んだ、若く美しい男だった。
その後ろには、透き通るような白い肌と銀色の髪を持つ、人形のように整った女が影のように従っている。
「……驚かせてしまいましたか。少し、手荒な招き方になったことをお詫びします」
九条魁斗は、何もなかったはずの床からせり上がってきた椅子に、ゆったりと腰を下ろした。
その動作があまりにも自然であったため、山田は今のがからくりなのか妖術なのかすら判断できず、ただ目を見開いた。
その若者の態度は極めて穏やかで礼儀正しかったが、その瞳の奥には、虫けらを観察するような絶対的な冷たさが張り付いている。
「き、貴様は何者だ。ロシアの隠し砦か……? それとも、米国の秘密兵器か!」
山田は恐怖を怒りで塗り潰し、声を張り上げた。
「どちらでもありませんよ。私はただの管理者です。そしてここは、私の……そうですね、『領地』だと思ってください」
魁斗は、懐から銀色のシガレットケースのようなものを取り出し、手の中で弄んだ。
それは情報端末だったが、山田にはただの美しい細工物にしか見えない。
「山田さん。現在、あなたがた新政府軍は、この蝦夷に逃げ込んだ賊軍……徳川の残党を掃討しようとしている。……そうですね?」
「……いかにも。我々は、帝の御為に御一新を成し遂げねばならんのだ。古き悪習を絶ち、この国を一つにまとめ上げ、列強に立ち向かうために!」
「非効率ですね」
魁斗が、まるでつまらない冗談を聞いたかのように、冷徹に山田の言葉を遮った。
「刀や古い銃で、同じ国の人間同士が何年もかけて殺し合う。田畑を焼き、若者を死なせる。その間に、海の向こうの列強諸国は、あなたがたが疲弊するのを虎視眈々と待っている」
魁斗は山田の目を、逃げ場のない深淵のような瞳で見据えた。
「国を富ませ、兵を強くする。その目的は結構です。ですが、あまりに時間がかかりすぎる。命の使い方が、決定的に間違っている」
「な、なにを……!」
「私はこの国の秩序を、もっと迅速に、もっと確実に整理することに決めました。あなたがたの『御一新』などという牧歌的で血生臭い計画よりも、はるかに高い精度でね」
それは宣言だった。
この男は、自分たちの大義も、幕府の意地も、すべてを「効率が悪い」というただ一点で否定し、一瞬で塗り替えるつもりなのだ。
山田の背筋に、氷のような絶望が走り抜けた。
山田を解放し、記憶の一部を薬物で混濁させて森へ放逐した後、魁斗は司令室に戻った。
彼の視界の端に、蝦夷全土のリアルタイムな熱源反応と、部隊の動向を示すデータが滝のように流れている。
「マスター。旧幕府軍の総裁、榎本武揚なる人物が、騎馬隊を率いてこちらへ向かっています。我が方の『機甲歩兵』の目撃談を聞き、自らの目で確かめに来たのでしょう」
シエルが、傍らで静かに報告する。
「榎本武揚ですか。国際法に通じ、西欧の論理で物事を考える稀有な男……。彼なら、私の『効率的な提案』を、ただの狂人の戯言とは受け取らないかもしれませんね」
魁斗は楽しげに、指先で玉座の肘掛けを叩いた。
「シエル、歓迎の準備を。ただし、あまり刺激しすぎてはいけません。……彼らにはまだ、私たちが『底知れない力を持つ、圧倒的に進んだ隣人』に見えていればいいのです」
一方、雪混じりの冷たい風が吹きすさぶ峠道を、泥を跳ね上げながら馬で飛ばす一団があった。
「総裁! 報告によれば、見たこともない鉄の城が、一夜にしてあの森に現れたとのこと! 新政府の軍勢も、それに手も足も出ずに散らされたと!」
先頭を行く男、榎本武揚は、厳しい寒さにもかかわらず、その鋭い眼光を北の空へと向けていた。
そこには、本来あるはずのない「光」が、どんよりとした冬の雲を貫くように、不気味に輝いていた。
「鉄の城、か。もしそれが事実であり、西欧の列強のいずれかのものであるならば、我々が拠り所にしている万国公法などという紙切れは、一瞬で無意味になるな」
榎本は、腰に差したナポレオン三世から贈られた短銃の冷たい感触を確かめるように握り締めた。
その指は、寒さのせいか、それともこれから直面する未知の脅威への予感のせいか、微かに震えていた。
高評価とブックマークをよろしくお願いします。
コメントへの返信はしないと思います。




