第37話:狂気の煽動と狙われた配給路
本日3話目
ロンドンの地下。
下水道の腐臭と湿気が立ち込める廃倉庫の中で、若き騎士見習いのアーサーは震えを抑え込んでいた。
暗く冷たい石造りの空間は、かつて王宮の華やかな広間で忠誠を誓った日々の記憶を、残酷なほどに遠ざけていく。
アーサーの視線の先には、かつての栄光の象徴であった近衛騎兵隊長、ハミルトン卿が立っていた。
だが、その瞳に高潔な騎士の面影はもはや無い。
血走り、落ち窪んだ眼窩に宿っているのは、自らの特権を奪ったパレスへの、泥のように濁った憎悪だけだった。
「……見たか、同胞たちよ。」
ハミルトンは、薄暗いランプの光の下で声を張り上げた。
「鉄の化け物どもは装甲の後ろに隠れるだけで、我々を追撃することすらできなかった。我々の勇気に、連中は恐れをなしたのだ!」
ハミルトンは、前回の襲撃が完全に防がれ、単に無視されただけであるという事実を、自らの都合の良いように書き換えていた。
アーサーは、その狂気を孕んだ言葉に背筋が寒くなるのを感じた。
(違う……奴らは恐れたのではない、我々を脅威とすら認識していなかったのだ……。)
アーサーはそう叫びたかったが、恐怖で喉が張り付いて声が出ない。
「しかし閣下……。」
別の古参の部下が、恐る恐る口を開いた。
「あの襲撃で、我々は丸腰の市民に銃を向けました。民衆の間では、我々をテロリストと呼ぶ声すら……」
「黙れ! 臆病風に吹かれたか!」
ハミルトンは激昂し、反論した部下の顔を力任せに殴りつけた。
鈍い音が響き、部下が汚水の上に倒れ込む。
「パレスのパンを食う者は、すでに魂を売った奴隷だ。死をもって誇りを取り戻させることこそ、我ら騎士の慈悲ではないか!」
荒い息を吐きながら、ハミルトンは狂気に満ちた笑みを浮かべ、汚れたロンドンの地図を広げた。
「次は、輸送中のトラックを狙う。積載されている食料をすべて灰にし、配給路を断つ。民衆が飢えれば、パレスへの不満が爆発し、必ずや我々に加勢するはずだ。」
アーサーは絶望に目を閉じた。
それは、自国の民衆を故意に飢えさせ、その苦しみをパレスのせいにして暴動を煽るという、あまりにも醜悪な作戦だった。
ハミルトンは、かつて命に代えても守ると誓ったはずの民衆を、自らの自尊心を維持するための「駒」としか見ていない。
「誇り高き大英帝国の復活のためだ……少々の犠牲は、彼らも名誉と思うだろう。」
ハミルトンは手元の錆びた短剣を、地図上の輸送ルートに突き立てた。
巨大航空戦艦『鳳凰』の執務室。
魁斗は、スピーカーから流れる盗聴された音声を聴き終わり、静かに息を吐いた。
「……総督。」
情報統括官のシエルが、冷徹な手つきで端末を操作し、報告をまとめる。
「ハミルトン卿は、明朝、市街地第4区の食料輸送路を襲撃するつもりのようです。」
魁斗は、冷めたダージリンティーのカップをゆっくりとテーブルに置いた。
「ふふ……。誇りのために自国の民を飢えさせるとは。」
魁斗は窓の外、パレスの秩序に染まりつつあるロンドンの夜景を見下ろし、嘲笑を浮かべた。
「これほどまでに滑稽な騎士道があるでしょうか。あまりに醜悪で、言葉もありませんね。」
彼は振り返ることなく、淡々とシエルに命じる。
「シエル、彼らの動向を完全に追跡しなさい。」
傍らで控えていた武力統括官のヴォルフが一歩前に出る。
「どうなさいますか、総督。被害が出る前に、拠点を強襲して殲滅しますか?」
「いいえ。」
魁斗は冷たい笑みを湛えたまま、静かに首を振った。
「あえて彼らに成功の予感を与え、その絶頂で全てを否定するのです。餌がなければ、ネズミは穴から出てきませんからね。」
(……存分に暗躍なさい、ハミルトン卿。貴方のその歪んだ自尊心がどれほど多くの民を苦しめているか。それを、完全な敗北と圧倒的な力の差をもって、骨の髄まで思い知らせてあげましょう。)
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