第36話:帝国の亡霊と醜悪なる抵抗
本日2話目
ロンドンを実質的な管理下に置いてから、数ヶ月が過ぎた。
魁斗が最初に行ったのは、非効率な石炭工場の強制停止である。
空を汚す煤煙を止め、エネルギー源をパレスの地熱導管へと切り替える。
人々の生活基盤を旧来の石炭からパレスのエネルギーへと強制的にすげ替える。
それは、彼らをパレスの配給網に依存させ、反抗の意志を削ぐための冷徹な下準備であった。
だが、すべての人間がこの合理的な支配に膝を折ったわけではない。
霧の立ち込めるロンドン市街地。
その片隅に設置されたパレスの「特別配給所」の前に、長く惨めな行列ができていた。
かつて絹のドレスを着ていた貴族の夫人や、工場を経営していた資本家たちが、泥にまみれた服で、パレスから支給される規格化されたパンを求めて並んでいる。
彼らの瞳から「大英帝国の誇り」はとうに消え失せ、あるのは今日を生き延びるための飢餓感だけだった。
その光景を、路地裏の暗がりから憎悪に満ちた目で見つめる男がいた。
かつての近衛騎兵隊長、ハミルトン卿である。
「……見ろ。あのような機械仕掛けの悪魔が恵む餌に群がる、我が同胞の無惨な姿を」
ハミルトン卿は、旧式のマスケット銃を構え、震える声で部下たちに命じた。
「配給所を破壊しろ。連中が食っているあの忌まわしいパンを燃やせ! 我々にはまだ、戦う意志があることを示すのだ!」
「し、しかし閣下! あそこには我が国の民間人が!」
「構わん! 悪魔の餌を食らう者は、すでに帝国臣民ではない! 撃て!」
ハミルトンの狂気じみた命令により、発砲音がロンドンの霧を引き裂いた。
旧式の鉛弾が、配給所に並んでいた丸腰の市民たちへ向かって飛来する。
だが、市民たちから悲鳴が上がるよりも早く、配給所の周囲に設置されていたパレスの防衛システムが起動した。
鈍い金属音とともに、物理的な装甲板が瞬時に展開し、飛来した鉛弾をことごとく弾き返す。
さらに、屋根に据え付けられた自動銃座が、威嚇のための強烈な空砲を鳴らした。
「ちぃっ! 悪魔の鉄屑め、退け! 退け!」
配給所と市民に傷一つ負わせることもできず、ハミルトンは逃げ惑うかつての同胞たちを尻目に、路地裏へと逃げ込んだ。
巨大航空戦艦『鳳凰』。
魁斗は執務室のモニター越しに、その一部始終を眺めていた。
「総督。ロンドン第十二配給所にて襲撃。被害はゼロです」
情報統括官シエルの報告を聞きながら、魁斗は手元のダージリンティーを一口含んだ。
「……愚かですね。自らの手で同胞に銃を向け、食料を燃やすことで『誇り』を証明しようというのですか」
「貴重な労働力を損なう行為は許容できません。もはや軍人ではなく、ただのノイズですね」
魁斗が冷淡に言い放つと、傍らに控えていたヴォルフが静かに尋ねた。
「どうなさいますか、総督。すぐに鎮圧部隊を差し向けましょうか?」
その問いに、魁斗はモニターの電源を切りながら、静かに首を振った。
「いいえ。追撃は不要です。あの程度の旧式火器では、パレスの装甲にも市民にも傷一つつきません」
「それに、すぐに殺しては、彼が『悲劇の英雄』や『誇り高き殉教者』として、一部の市民の記憶に残る可能性があります。それは美しくありませんね」
魁斗の冷たい瞳が、ロンドンの市街地を見下ろす。
「絶望というものは、希望が最も高まった瞬間に叩き落とすのが一番効率的なのです。彼らがすべての戦力をかき集め、私たちの足元に最後の一撃を挑んでくるまで待ちましょう」
(……存分に不満と憎悪を蓄積させるがいいでしょう、ハミルトン卿。貴方のちっぽけな自尊心がどれほど無力であるか、骨の髄まで思い知らせてあげますよ)
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