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明治「再」起動 ―暴君が塗り替える近代史―  作者: tky
第2章:帝都の落日と美しき賓客

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第33話:極東の箱庭と冷徹なる官僚の絶望

本日3話目

ロンドン沖、テムズ川の冷たい波に微動だにせず浮かぶ巨艦『鳳凰』。

その最上層、外界の喧騒から完全に隔離された展望執務室で、私は一人、静かに思考の海に沈んでいた。


手元には、パレスのプラントで完璧に焙煎された珈琲がある。

その漆黒の液面には、天井の無機質な照明が鋭く反射していた。

一八六九年。世界はこの大英帝国を中心に、石炭と蒸気、そして鉄の力で緩やかに回り始めている。だが、私から言わせれば、その回転はあまりにも遅く、そして致命的なまでに不均等だ。


(……この時代の人間は、蒸気機関という玩具を手に入れただけで、自然を征服した気でいる。だが、彼らの機械は熱効率が悪く、すぐに壊れ、そして何より、それを運用する人間たちの『政治』という名の摩擦が、すべての進化を停滞させている。実に見苦しい、無駄だらけの箱庭だ)


私はカップを置き、部屋の壁面を占める巨大な表示盤へと向き直った。


極細の電信ケーブルを通じて世界中から送られてくる膨大な情報を、機械的なリレー回路と無数の歯車が瞬時に計算し、物理的な文字盤と精密な電送写真として出力し続ける、パレスの中央演算盤の端末だ。


カシャカシャと音を立てて絶え間なく更新される数値は、この星の血流そのものを示している。


「総督。極東方面、極東総督府より定時報告の電信を受信しました。同時に、対象者『大久保利通』との音声回線が接続されました」


執務室の扉が開き、情報統括官のシエルが進み出た。

彼女の足音には一切の乱れがなく、その瞳は純粋なデータのみを私に伝達する機械の冷たさを保っている。


「ご苦労。……繋ぎなさい」


私の短い指示に従い、シエルが通信機のスイッチを入れる。

スピーカーからわずかなノイズが漏れ、やがて、地球の裏側にいる男の、重く、削り取られたような呼吸音が聞こえてきた。


『……九条、殿。いや……総督閣下』


音声通信の向こうにいるのは、大久保利通。

旧日本新政府において、最も冷徹で、最も近代化を急いだ官僚の頂点に立つ男だ。

彼は西郷隆盛のように、刀や旧式銃といった原始的な暴力で私に挑むような愚行は犯さなかった。彼は私の圧倒的な軍事力を目の当たりにした後、「交渉」と「政治力」によって、私の持つ技術を日本の富国強兵に利用しようと試みたのだ。

だが、その程度の小賢しい知恵も、パレスの圧倒的な工業力と演算能力の前では、児戯にすら劣る。


私は表示盤に打ち出された、現在の「江戸」――いや、極東総督府周辺の電送写真に目を落とした。


わずか数週間前まで、そこは木造家屋が密集し、雨が降れば泥濘に沈む不潔な都市だった。 だが今、写真に写っているのは、見渡す限りの巨大な建設現場だ。 パレスの技術によって設計された、山のように巨大な蒸気タービン式の重機群が、昼夜を問わず地響きを立てて区画整理を行っている。 規格化され、ミリ単位の狂いもなく大量生産された鋼鉄の骨組みが、巨大なクレーンによって次々と組み上げられ、特殊な速乾性セメントが流し込まれていく。 そこに人間の大工が入り込む余地はない。すべてはパレスの計算機が弾き出した工程表に従い、機械が圧倒的な速度で都市を「製造」しているのだ。


「大久保さん。あなたが今、窓の外で見ている光景は、どうですか。……耳障りな蒸気の音と、鉄が打ち据えられる音に、夜も眠れないのではありませんか」


私はロンドンの執務室から、静かに、そして極めて冷淡に問いかけた。

私の声が海底ケーブルを伝い、極東の空に響く。


『……これは、悪夢だ。人間が、人間の手で行う国造りではない』


大久保の声は、かすかに震えていた。

彼の抱いていた国家という概念、政治家としての矜持が、パレスの無慈悲な『効率』によって粉々に粉砕されたのだ。


「悪夢? とんでもない。これこそが、完全なる合理化です。……大久保さん、あなたは数十年をかけ、国民に重税を課し、血で血を洗う内戦を経て、ようやくこの国を『西洋の真似事』ができる土俵に上げようとしていた。だが、あなたの思い描く『富国強兵』とやらは、我がパレスの工業システムから見れば、砂場での遊戯にすら劣る非効率な代物です」


(……優秀な頭脳を持つ者ほど、圧倒的な生産力とテクノロジーの差を見せつけられた時の絶望は深い。己の知性が、己の無力さを正確に弾き出してしまうからだ。彼は理解したはずだ。自分たちの議会も、法律も、外交も、すべては『生産能力の低さ』と『決断の遅さ』を補うための言い訳に過ぎないということを)


「あなたが何年もかけて議論するインフラ整備は、私の重機群が三日で終わらせる。あなたが外債を募って買おうとしていた旧式の軍艦など、パレスの溶鉱炉の屑鉄にも劣る。……あなたの政治は、遅すぎるのです。遅すぎるものは、この世界に必要ない」


私の静かで残酷な宣告に、通信の向こうで大久保が息を呑む音が聞こえた。


『……私たちが流してきた血は、何だったのか。……あのような、神の如き鉄の巨獣たちを見せつけられては、もはや我が国がどうこうという次元の話ではない。私たちのしてきたことは……すべて無駄だったというのか』


「ええ、無駄でしたね。ですが、嘆く必要はありませんよ、大久保さん。」


私は手元の端末を操作し、彼に新たな権限を付与する暗号信号を送った。


「あなたの持つ『国を管理し、効率化しようとする意思』そのものは高く評価しています。ただ、あなたにはそれを実現するための『手段』が欠けていただけだ。……今日から、あなたを極東総督府の『内政補佐官』に任命します」


『……私に、あなたの手足となって働けと?』


「手足ではありません。歯車です。あなたの仕事は政治ではありません。我がパレスの中央演算盤が弾き出す指示を、民衆に滞りなく伝達し、反乱分子を法的に処理するための『翻訳機』としての役割です。……期待していますよ。私の巨大なシステムの一部として、その優秀な頭脳を発揮してくれることを」


通信の向こうで、長い沈黙が続いた。

やがて、絞り出すような、しかし完全に屈服した男の声が響いた。


『……御意に、従います。もはや、この国は……いや、この世界は、あなたの敷いた鉄の軌道の上を走るしかないのですから……』


知性の頂点に立つ官僚が、自らの意思を放棄し、完全なシステムの隷属者となった瞬間だった。


(……これで日本の『政』と『武』は完全に掌握した。西郷も大久保も、私が描く世界最適化のための、便利な部品に過ぎない。優秀な部品は、適切に油を差し、適切に管理してやれば、死ぬまで文句も言わずに働き続ける)


私は通信を切り、再び視線を窓の外、ロンドンの街並みへと向けた。

極東の足場は完全に固まった。

残るは、眼下に広がるこの傲慢な大英帝国と、ヨーロッパの残党たちを、物理的かつ経済的に「初期化」するだけだ。


「マモン。準備はできているな?」

私は経済統括官であるマモンを執務室に呼び出した。


「はい、総督。大英帝国の命脈たる『ポンド』の価値を、物理的に崩壊させる準備は完了しております。ロンドンの地下金庫など、我々の圧倒的な資本力の前では、子供の貯金箱に過ぎません」

マモンの冷たい声が響く。


「よろしい。明日の朝、この世界のルールが変わったことを、旧世界の王たちに教えてやろう。……そして、あの美しい令嬢たちにもね」


私は、この艦のどこかで微睡んでいるであろうアリスたちの姿を思い浮かべ、極めて冷酷な、支配者としての弧を唇に描いた。

明日、彼女たちの帰る場所は、この世界から完全に消滅する。

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