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明治「再」起動 ―暴君が塗り替える近代史―  作者: tky
第2章:帝都の落日と美しき賓客

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第32話:完璧なる箱庭の理

本日2話目

翌朝。私はパレスのプライベート・テラスで、セレスの管理する温室から届けられたばかりの果実にナイフを入れていた。

一月、凍てつくロンドンの空の下では、新鮮なイチゴや瑞々しいメロンなどは、王侯貴族がどれほどの金貨を積んでも手に入らない幻想に等しい。

だが、この艦の中では、植物が要求する光、湿度、栄養分を物理法則に基づいて与えるだけで、季節という不確定な「バグ」を無視した収穫が可能となる。


(……この時代の人間は、自然を征服した気でいるが、実際にはその気まぐれに翻弄されているに過ぎない。冬になれば凍え、作物が実らなければ飢える。その原始的な苦痛こそが、彼らの思考を鈍らせる最大のノイズだ)


私はモニターに映し出される賓客たちの様子を眺めた。

食堂に集まったアリス、イザベラ、ルイーゼ。彼女たちの前には、今朝収穫されたばかりの瑞々しい果実と、パレスのプラントで精製された最高品質の茶葉、そして一滴の不純物も含まない純水で淹れられた紅茶が並んでいる。


「……信じられない。このイチゴの輝き、まるでお伽話に出てくる宝石のようですわ」


フランスのイザベラが、震える指先で赤く熟した実を口に運ぶ。

その瞬間、彼女の瞳が驚愕に大きく見開かれた。

味覚。それは生存に直結する感覚であり、同時に最も容易に人間を支配する鍵でもある。


「甘い……。いえ、ただ甘いだけではなく、香りが……脳の奥まで染み渡るようです。ロンドンの高級店で出されるものが、泥のように思えてしまいますわ」


(……予測通りだ。一度でも、管理された『完璧な栄養と味覚』を細胞が記憶してしまえば、彼らはもう二度と、不完全で不潔な旧世界の食事には戻れない。味覚の隷属は、精神の隷属への第一歩だ)


食事が終わり、彼女たちのバイタルデータが「満足」と「安らぎ」を示す安定域に入った頃を見計らい、私はヴォルフを呼んだ。


「ヴォルフ。アリス王女を私の執務室へ。……ああ、決して急かす必要はありません。彼女が自分の足で、ここへ来たいと思うまで待ちなさい」


「御意。そのように」


ヴォルフが恭しく一礼し、音もなく部屋を後にした。


しばらくして、扉が滑らかに開いた。

現れたアリスは、昨日の沈痛な面持ちとは打って変わり、どこか夢見心地のような、潤んだ瞳をしていた。

パレスの空調システムによって、肺の最深部まで清浄な酸素が行き渡り、血行が改善された彼女の肌は、昨日よりも遥かに瑞々しく、磁器のような白さを取り戻している。


「……お呼びでしょうか、九条様」


彼女の声は、昨日の「覚悟を決めた王女」のそれよりも、ずっと柔らかい。

彼女の纏う、アフロディテが調整した淡い青のドレスは、その肌の透明感を暴力的なまでに際立たせ、彼女自身に「自分が守られるべきか弱い存在である」という暗示をかけている。


「おはようございます、アリス。昨夜はよく眠れたようですね。その顔色を見れば、私の用意した環境があなたを正しく受け入れたことが分かります」


私は彼女を窓際へと誘い、遥か眼下に広がるロンドンの街並みを指差した。

そこでは、煤煙を吐き出す煙突の下で、数百万の民衆が寒さと不衛生、そして明日の見えない労働に喘いでいる。


「見てごらんなさい。あそこであなたの国民たちは、泥に塗れ、明日の食料にすら事欠いている。あなたの父である国王も、その高慢な側近たちも、それを根本的に解決する力を持っていない。……彼らは、古い法律と、枯渇した財源、そして無意味な伝統という名の錆びついた鎖に縛られているからだ」


アリスの身体が微かに震えた。

彼女の視線が、自分が愛すべき国民たちが苦しむ暗い街へと向けられ、そしてすぐに、この清潔で完璧な部屋の中へと戻ってきた。


「ですが、私は違う。私のパレスのシステムを、この無秩序な街に適用すれば、一ヶ月で飢餓をゼロにし、一年で全市民に、あなたが今着ているような衣服を与えることができる。……そう、あなたが私の側で、私の論理に従いさえすれば、私は大英帝国を『優先的に』救ってあげてもいいのです」


(……取引ではない。これは、逃げ場のない救済の提示だ。彼女の責任感という名のバグを逆手に取り、隷属を正当化させる。彼女が私に寄り添えば寄り添うほど、英国の民が救われる――という大義名分を彼女に植え付けてやるのだ。王女という誇りは、こうして依存心へと変換される)


「私に……そんな大きなことが、できるのでしょうか……?」


アリスが縋るような瞳で私を見上げた。

その瞳には、すでに私に対する畏怖よりも、未知の可能性に対する期待が勝っている。


「できますよ。あなたはただ、私を信じればいい。国家の采配や資源の配分は、私の優秀な臣下たちが、数学的な完璧さをもって行います。あなたはもう、地図を見て頭を悩ませ、国民の悲鳴に心を痛める必要はないのです。ただ私の傍らで、安らかに微笑んでいればいい。それが、私にとって最も価値のある助けになる」


私は彼女の顎をすくい上げ、じっとその瞳の奥を覗き込んだ。

彼女の瞳から、最後の一滴の「抵抗」が消え、陶酔が混じり始める。


「……はい。九条様。私に……いえ、私のような者に何ができるか分かりませんが……。あなたが望む『新しい調和』を、もっと教えてください。この国を、救ってくださるというのなら……」


アリスは私の胸に顔を埋め、縋るように私の服を掴んだ。

その仕草は、忠誠というよりも、圧倒的な力への全権委任に近い。

王女としての自我が、私の論理システムに上書きされた瞬間だった。


(……よし。これで大英帝国の『心臓』は掌握した。次はフランス、そしてプロイセンだ。彼女たちの国を物理的に解体し、経済的に破綻させれば、残りの令嬢たちも自ずと、この完璧な檻の中でしか生きられなくなるだろう)


私はアリスの髪を優しく撫でながら、次の最適化のフェーズへと意識を向けた。

三十名の統括官たちによる「円卓」会議にかける議題は、すでに決まっている。

地球の全資源をアイアン・パレスの管理下に置く。そのためのノイズ除去は、これからが本番だ。


(……旧世界の秩序、国家の誇り、そして神――それらすべてを、このパレスの鋼鉄と論理で塗り替えてやる。それが、この星にとっての唯一の救済なのだから)


私は、アリスを抱きしめながら、その背後で淡々と世界の数値を更新し続けるモニターを眺めた。

世界最適化計画は、予定通り第一フェーズの最終段階に差し掛かっている。

私の掌の上で、文明という名の不細工な粘土が、ようやく正しい形に捏ねられようとしていた。

高評価とブックマークをよろしくお願いします。

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