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明治「再」起動 ―暴君が塗り替える近代史―  作者: tky
第2章:帝都の落日と美しき賓客

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第31話:支配者の微笑と甘美な解放

テムズ川の河口に、圧倒的な威容を誇って静泊する漆黒の巨艦『鳳凰』。

その最上層に位置する展望執務室の窓からは、煤けた霧に霞むロンドンの街並みが一望できた。

一八六九年。大英帝国が世界の覇権を握り、文明の絶頂にあると自負する時代。だが、私の視界に映るそれは、未完成ゆえの歪みに満ちた、非効率な「旧世界」の残骸に過ぎない。


(……石炭の煤に汚れ、馬車が排泄物を撒き散らす。この街の住人たちは、自分たちが文明の最先端にいると信じているが、パレスの管理システムから見れば、ここは巨大なスラムと変わらない。あらゆる歯車が噛み合わず、エネルギーは摩擦と無駄に消え、人々は無意味な感情に振り回されている。実に見苦しい)


私は手元のティーカップを置いた。

カップの底に残った、完璧な温度管理と抽出時間で淹れられた茶葉の香りが鼻腔をくすぐる。

この一杯の茶、その一滴ですら、旧世界の王侯貴族が一生を費やしても到達できない物理的な「最適解」の一つだ。

この世界において、私の論理を超える秩序は存在しない。


背後で、重厚な扉が音もなく開いた。


「総督。シエルより連絡が入っております。昨夜、親善大使として迎え入れたアリス王女、ならびに各国の令嬢たちの準備が整ったとのことです」


報告したのは、陸戦統括官であるヴォルフだ。

非の打ち所がない軍服の着こなしと、一切の無駄を削ぎ落とした立ち振る舞い。彼は私の意志を具現化する精密な執行者として、艦内の規律を完璧に維持していた。


「……そうですか。では、ヴォルフ。案内してください。……ああ、決して彼女たちを急かさないように。怯えすぎて思考を停止されても、管理に手間がかかるだけですから」


私は静かに立ち上がり、鏡の前で自らの身なりを整えた。

鏡の中に映るのは、冷酷な侵略者などではない。知性と圧倒的な包容力を湛え、見る者に安らぎと畏怖を同時に抱かせる、若く気高い指導者の姿だ。


(……暴力による支配は、常に反発という摩擦を生む。だが、圧倒的な『善意』と『救済』による支配は、魂を内側から腐敗させ、甘美な隷属へと導く。彼女たちの心に巣食う『国家への忠誠』という名の非合理なバグを、これから一つずつ丁寧に摘出していくとしよう)


長い回廊を抜け、レセプションルームの巨大な扉が開かれた。

そこには昨日、私の足元で震えていた大英帝国のアリス王女、そしてフランスのイザベラ、プロイセンのルイーゼといった、各国の「最高級品」たちが待ち構えていた。

彼女たちは、国家の命運をその細い肩に背負い、まるで死刑台へ向かう囚人のような悲壮な決意を瞳に宿している。

一晩の猶予を与えたが、その顔色は青白く、昨夜は一睡もできなかったことが一目で見て取れた。


「……九条、様」


アリスが、重いドレスの裾を指が白くなるほど握りしめながら、声を絞り出した。

その視線は私の足元を彷徨い、恐怖と矜持の狭間で激しく揺れ動いている。


「おはようございます、アリス。昨夜はよく眠れなかったようですね。……そんなに強張る必要はありません。私はあなた方を無為に損なうつもりはないのだから。むしろ、その逆ですよ」


私は努めて優しく、だが突き放すような絶対的な上位者としての微笑みを彼女たちに投げかけた。

私の声は、彼女たちが想像していた「野蛮な侵略者」のそれとは正反対の、洗練された静かな響きを持って空間に満ちる。


「……私たちは、我が国の平和を乞うために参りました。どうか、私たちの命と引き換えに……これ以上の軍事行動を……」


アリスが声を震わせ、一歩前へ出た。


(……自己犠牲。国家への忠誠。美しいが、リソースの無駄遣いだ。この少女は、自分が救おうとしている国民たちが、実際にはどれほど醜く、どれほど救いようのない感情のノイズに満ちているかを知らない。その無知ゆえの献身を、私のために塗り替えてやろう)


私はゆっくりと歩み寄り、アリスの冷たくなった手を取り、包み込んだ。 「アリス。あなたが背負っているその『国家』という荷物は、あまりにも重すぎる。本来、一人の女性が背負うべき重さではありません。それを強いる世界の不合理が、私には実に不愉快に見える」


私の指先が、彼女の頬に触れる。

「まずは、その重荷を降ろしなさい。……シエル。彼女たちのために、パレスの管理下にあることの利便性を教えなさい。まずは、その窮屈な衣を脱ぎ捨てさせることです。パレスにおいて、機能美を損なう締め付けは罪に等しい」


シエルの合図で、側に控えていたメイドたちが音もなく彼女たちを取り囲んだ。


「な、何を……っ! 辱めるつもりですか!」


プロイセンのルイーゼが顔を紅潮させて叫ぶ。だが、彼女たちを囲むメイドたちは、一言も発さず、ただ精密な機械を思わせる正確な動きで、ドレスの複雑な留め具を次々と解いていく。


「辱める? とんでもない。……ルイーゼ、あなたのその身体は、今この瞬間も悲鳴を上げている。そのコルセット、そして幾重にも重なった布の層が、あなたの心臓の鼓動を妨げている。それは美徳ではなく、ただの非効率な自傷行為です」


実際、彼女たちが纏っているコルセットは、医学的にも物理学的にも最悪の拘束具だ。

肋骨を歪め、内臓を押し潰し、肺の機能を著しく阻害する。この時代の「美」は、自傷行為の上に成り立っている不合理の極致であった。


メイドたちの手によって、複雑な紐や鋼鉄の骨組みが次々と解かれ、床に落ちていく。

アリスは羞恥に顔を伏せたが、次の瞬間、彼女の身体を貫いたのは、人生で初めて経験する「呼吸の自由」だった。


「……あ、っ……」


肺の奥深くまで、淀みのない、パレスによって最適化された空気が流れ込む。

締め付けから解放された血管が脈打ち、全身に酸素が行き渡る感覚。

不純物を完全に取り除き、適切な湿度を保たれたこの艦内の空気は、煤煙に包まれたロンドンのそれとは次元が違う。


「それが、あなたが本来持っている『生命の輝き』です。……アフロディテ、用意したものを」


被服統括官のアフロディテが差し出したのは、パレスの工作精度が産んだ極限の衣だった。

旧世界の絹や綿とは比較にならないほど軽く、肌に吸い付くような質感を持ちながら、体温を完璧に保つ機能を有している。

ダヴィンチの意匠によって設計されたそのドレスは、王女たちの身体の曲線を最も美しく見せつつ、動きを一切妨げない。


新しい衣服に袖を通したアリスは、鏡に映る自分の姿に息を呑んだ。

そこには、重苦しい権威に押し潰されていた少女ではなく、生命力に満ち溢れた、一人の美しい女性がいた。


「……なんという、柔らかさ。着ていることすら、忘れてしまいそうです」


フランスのイザベラが、自らの腕をさすりながら、うっとりと呟いた。


「アリス、そして皆様。私はあなた方を、政治の道具として扱うつもりはありません。ただ、私の管理下にある以上、最高級の扱いを保証しましょう。……あなたはもう、王女として死ぬ必要はない。私の側で、私の用意した完璧な保護を受けること。それが、今のあなたに与えられた唯一の役割です」


私はアリスの背後に立ち、その耳元で低く囁いた。

「これからは、私の定めたことわりが、あなたを守る盾となる。……あなたは、私にとって何よりも価値のある、守るべき至宝なのですから」


(……彼女は今、自らの存在意義を見失いかけている。そこに『唯一無二の価値がある』という事実を突きつければ、彼女の心は自ずとこちらへ開く。誇りを解体し、依存という名の調和を植え付ける。この快感を知った彼女が、不自由な王宮へ戻りたいと思うはずがない)


アリスの瞳から、ポロリと一粒の涙が零れた。

それは悲しみではなく、あまりにも大きな重圧から解放された、安堵の涙だ。

彼女の誇りという名の強固な壁は、暴力ではなく、圧倒的な「快適さ」と「救済」によって、音を立てて崩れ始めていた。


(……一歩目だ。肉体的な快感と、精神的な解放。これに抗える人間は、旧世界には存在しない。……さあ、次は彼女たちの『魂』の拠り所である国家そのものを、根底から揺さぶってやろう。彼女たちが縋る場所を、このパレス以外に無くすために)


私はアリスを優しく抱きしめ、その金糸の髪を撫でながら、窓の外に広がるロンドンの街を見据えた。

そこには、これから私が「最適化」すべき、数百万の無知なリソースたちが蠢いている。

そのすべてを、私の掌の上で完璧な形に捏ね上げる時間は、すぐそこまで来ていた。

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