第3話:漆黒の鉄槌
蝦夷の原生林。
刺すような冬の冷気が、湿った土の匂いと、焦げ臭い黒色火薬の煙を這わせている。
「ハァッ……ハァッ……、クソッ、追いつかれる……!」
旧幕府軍の残党、佐々木一馬は、泥にまみれた軍服の袖で顔を拭い、苔むした巨木の裏に身を潜めた。
凍える指で探った胴乱は、とうの昔に空になっている。
手元のエンフィールド銃は、今やただの重い鉄の棒でしかなかった。
背後からは、枯れ枝を踏み折る無数の足音と、新政府軍の勝ち誇ったような怒号が迫っている。
不毛な北の果てで、自分は名もなき屍として朽ちる。
薩長の連中に首を刎ねられ、野晒しにされるのだと確信した、その時だった。
森の空気が、一瞬にして「変質」した。
――キィィィィン……。
耳鳴りのような、微かな、しかし内臓を震わせる異質な駆動音。
それは木枯らしの音でも、ヒグマの唸りでも、あるいはこれまで戦場で聞いてきたどの大砲の地響きとも違っていた。
「なんだ……? この音は……からくり、か?」
一馬が顔を上げると、そこには、濃密な霧の中から音もなく這い出してきた「死神」が立っていた。
身長は七尺(約二メートル)を優に超える、恐るべき鋼鉄の巨躯。
西洋の甲冑とも違う、光を一切反射しない漆黒の装甲が、その全身を隙間なく覆い尽くしている。
兜の奥にあるはずの「人の顔」は存在しない。
ただ一筋の細い横穴から、不気味な赤い血のような光が、冷酷に辺りを舐め回していた。
『目標、捕捉。抵抗ヲ排除セヨ』
重なり合う金属を擦り合わせたような、抑揚のない声。
一馬にはそれが、地獄の業火で鍛えられた亡霊の怨嗟に聞こえた。
「バケ……モノ……ッ! 来るな!」
極限の恐怖にパニックに陥った一馬は、無意識に弾のない銃を構え、引き金を引いた。
カチリ、と虚しく撃針が落ちる音だけが響く。
巨人は止まらない。
一歩、また一歩と、泥を抉るような重い足音を立てて歩み寄ってくる。
一馬が絶望に目を固く閉じた瞬間、至近距離で、空気を引き裂くような爆鳴が轟いた。
ドォォォォォン!
見えない巨大な鉄槌が森を突き抜けた。
一馬のすぐ隣にあった、大人三人でも抱えきれないほどの巨木が、まるで紙細工のように半ばから消し飛んだ。
飛散する木片が頬を切り裂き、一馬は悲鳴を上げる間もなく、爆風によって地面に叩きつけられた。
(……火薬の匂いがしない。大砲の煙もない。これは……神仏の業か、それとも西欧の悪魔か……!)
一方、アイアン・パレスの司令室。
九条魁斗は、機甲歩兵の視覚センサーから送られてくる映像を、薄暗い空間で静かに見つめていた。
彼の視界に、空中に浮かぶ光のパネルや、立体的なホログラムは存在しない。
それらはすべて、彼の網膜に直接投影されるシステムへと切り替えられていた。
「マスター。機甲歩兵による初の実戦検証が完了しました。……現地の火器では、我々の標準装甲を突破する物理エネルギーは発生しません。完全なオーバースペックです」
傍らに立つシエルが、音声のみで淡々と報告を上げる。
「当然ですね。ですがシエル、演出には十分に気をつけてください。ドローンやエネルギー兵器の露骨な使用は、当面の間、禁止します」
魁斗は玉座に深く背を預け、冷徹な思考を巡らせる。
(あまりに理解不能な『魔法』のような力を見せつければ、この時代の人間は思考を放棄し、狂信するか、あるいはただ恐慌をきたすだけだ)
(それでは交渉のテーブルにつかせることすらできない。彼らを効率よく支配し、使役するためには、『圧倒的だが、理屈の通った西欧列強の最新兵器』と誤認させるのが最も効率的だ)
「……あくまで『圧倒的な軍事力を持つ、謎の勢力』として振る舞いなさい。未知の火薬、未知の鋼鉄、そう思わせておけばいい。それが、この未開の地を効率的に管理するための最善策です」
「承知いたしました。光学迷彩の使用を制限し、重圧感を与える『質量』としての威圧を優先します」
軍事担当のヴォルフが腕を組み、飢えた獣のように不敵に笑った。
「閣下、新政府軍の斥候が、木陰からこちらの機甲歩兵を震えながら覗き込んでいます。一馬という男と共に、一気に『片付け』ますか?」
「いえ、一馬という男は泳がせなさい。生かして帰せば、彼は勝手に私たちの『恐怖の語り部』になってくれます。……代わりに、あの斥候たちを指揮している将校クラスを一人、無傷で捕らえてきなさい」
魁斗の唇が、三日月のような弧を描く。
「この時代の『作法』と『常識』を、少し教育する必要があります」
森の奥では、一方的な蹂躙が静かに、そして確実に続いていた。
新政府軍の兵士たちは、自分たちが何に襲われているのかさえ理解できないまま、泥の中に沈んでいった。
一斉射撃の弾丸は、黒い巨人の装甲にキンキンと虚しい音を立てて弾かれる。
そして、巨人がその太い腕を振るうたびに、人間が、木々ごと紙くずのように吹き飛ばされていく。
断末魔の悲鳴さえ、冷徹な金属の駆動音にかき消されていった。
佐々木一馬は、腰が抜けたまま、ただ霧の向こうへと消えていく漆黒の背中を見送っていた。
その日、蝦夷の空には、かつて見たこともない冷たい星が輝いていた。
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