第24話:最適化された大地と、錆びゆく刃
本日2話目
【1869年 夏 ―― 関東平野、再配置指定区画】
斎藤一がアイアン・パレスの医療センターから「社会適応観察処分」として解放された日、彼を待ち受けていたのは、かつての武士の矜持を根底から揺さぶる、圧倒的な「近代」の風景であった。
かつての房総や武蔵の原野は、泥に塗れた農民が腰を曲げて鍬を振るう場所だった。しかし今、斎藤の眼前に広がるのは、見渡す限りの地平まで真っ直ぐに引かれた石造りの用水路と、一定の間隔で配置された巨大な蒸気ポンプ群である。それらは、パレスから供給される謎の熱源によって、二十四時間休むことなく大地に水を送り込み、かつての荒れ地を瞬く間に肥沃な農地へと変貌させていた。
斎藤は、支給された灰色の労働服の感触を忌々しく思いながら、舗装された街道を歩いていた。腰にあるのは、人を斬るための刀ではない。パレスから支給された多目的ツール――工具である。
「よう、新入り。呆けてないでこいつを運ぶのを手伝ってくれ。遅れるとチーム全体の貢献ランクに響くんだ」
声をかけてきたのは、日焼けした頑健な体つきの男、源蔵だ。彼はかつて長州の奇兵隊で、最新のミニエー銃を手に幕府軍を翻弄した精鋭だった。しかし今、彼の肩にあるのは銃ではなく、アイアン・パレスの化学研究所が精製した高効率肥料の袋だった。
「……長州の者が、なぜここにいる。なぜ、その服を平然と着ていられる」
斎藤が低い声で問うと、源蔵は一瞬、戸惑ったような顔をしたが、すぐに屈託のない笑みを浮かべた。
「長州も会津もねぇよ、今は。この『第一号模範農村』じゃ、みんなアイアン・パレスの『社員』として、食料生産という大義に従ってるのさ。ほら、あっちで計算尺を叩いてるのが久米次郎だ。あいつは土佐の出だが、算術が得意でな。今は収穫予測の担当責任者だ」
久米次郎と呼ばれた男は、木製だが精密な目盛りが刻まれた計算装置を操り、真剣な眼差しで記録帳に数字を書き込んでいた。その周囲では、元盗賊で首の皮一枚繋がった平吉や、夫を戦で亡くした農婦のおさと、足に古傷を持つ元薩摩兵の権座とその妻しの、そして無邪気に走り回る子供の為吉らが、最新式の脱穀機を囲んで談笑していた。
「誇りはどうした。かつての怨敵と手を取り合い、仇敵の作ったシステムの下で飼い慣らされて、それでいいのか」
斎藤の言葉には、抜身の刀のような鋭い殺気が宿っていた。その殺気に、近くで苗の選別をしていた元会津藩士の松之進が手を止め、静かに顔を上げた。彼はかつて、会津戦争で斎藤と共に死線を潜った男だった。
「斎藤殿……。私は今、ここで子供たちに字と理を教えています。あそこにいる吾一や三吉、多恵といった平民の子らが、明日食べるものを心配せずに学んでいる。九条様のシステムは、我々が武士として何百年もかけて成し得なかった『飢えからの解放』を、わずか数ヶ月で実現してしまった。かつての主君への忠義も、死んでいった同志への情も、私は捨ててはいません。しかし、目の前の命が救われ、憎しみ合う必要のないこの合理的な日常に、私は異を唱える言葉を持ち合わせないのです」
松之進の瞳は、曇りなく澄んでいた。
魁斗は人々を魔法で洗脳したのではない。圧倒的な「効率」と「公平な分配」という事実を突きつけることで、復讐や忠義という旧時代の感情がいかに「非効率で、他者を不幸にするものか」を、論理的に理解させてしまったのだ。
「……悪・即・斬……」
斎藤は、自分の信念を呟こうとした。
だが、その言葉は空虚に霧散した。この完璧に管理された農地には、斬るべき「悪」がどこにも存在しなかった。飢えゆえの盗みも、野心ゆえの殺しも、アイアン・パレスの計算され尽くした配給システムが根絶してしまったのだ。
「斎藤さんよ、あんたもそのうち分かるさ」
源蔵が、汗を拭いながら言った。
「腹一杯食えて、誰にも脅かされねぇ。これがどれほど尊いことか。九条様がくれたのは、単なる食い物じゃねぇ。……『争わなくていい理由』なんだよ」
斎藤は、自分の右拳を見つめた。
そこには、人を斬るために鍛え上げられたタコがあった。しかし今、その拳が振るわれるべき対象は存在しない。彼の刃は、誰に折られることもなく、この「正しすぎる平和」という空気の中で、音もなく、静かに錆び始めていた。
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