第23話:北の大地に積もる灰
【1869年 夏 ―― 蝦夷地・アイアン・パレス、居住区画】
箱館の街は、完全にアイアン・パレスの管理下に入り、かつての面影は消え去っていた。
道路は幾何学的に整備され、人々は階級や出自に関係なく、割り当てられたIDに基づく住居と仕事を与えられている。
土方歳三は、労働管理局でのシフトを終え、配給所の列に並んでいた。
配給されるのは、栄養素が完璧に計算された合成ペーストと、清潔な水。美味とは言いがたいが、かつての京都で新選組の平隊士たちが啜っていた粥に比べれば、遥かに上等な「命を繋ぐもの」であった。
「土方さん。今日の配給は、少し味が改良されているそうですよ」
列の前の男が、気さくに声をかけてきた。かつて、箱館戦争で共に戦うはずだった旧幕府軍の兵士だ。彼の目には、かつての悲壮感はなく、ただ「今日の食事」を楽しみにする穏やかな光が宿っていた。
「……そうか」
土方は短く応える。
「いやぁ、本当にいい時代になりましたねぇ。昔みたいに、いつ撃たれるかビクビクしなくていいし、こうして毎日腹一杯食える。……九条様には、足向けて寝られませんよ」
男の言葉に、周囲の人々も頷く。
彼らは、アイアン・パレスに支配されているという被害者意識をとうに捨て去っていた。魁斗がもたらした「圧倒的な生存の保証」は、彼らから過去の怨念や、思想への執着を綺麗に洗い流してしまったのだ。
(……これで、いいのか)
土方は、自分の手のひらを見つめた。
剣ダコは消えかけ、代わりに書類や端末を操作するための新しいタコができ始めている。
人々が笑い、腹を満たしているこの世界を、誰が「間違っている」と否定できるのか。新選組が命を懸けて守ろうとした「幕府」という古いシステムは、この完璧な管理社会の前に、いかに脆く、非効率なものであったか。
「……お悩みですか、土方さん」
不意に、背後から声がした。
振り返ると、黒い礼装に身を包み、片眼鏡を光らせたロキが立っていた。彼は配給の列に並ぶ人々を、まるでよく躾けられた家畜を見るような目で眺めている。
「ロキ……」
「いやぁ、素晴らしい景色だねぇ。君たちが必死に守ろうとしていた『誇り高き武士たち』が、今やマスターのシステムの中で、一番優秀で大人しい『部品』になっている。彼らはね、自分で考えることを放棄した代わりに、この上ない安心を手に入れたのさ」
ロキは、楽しげに笑い声を漏らす。
「……何が言いたい」
「君も、そろそろ楽になればいいのにって思ってね」
ロキは土方の耳元に顔を寄せた。
「君のその『怒り』や『違和感』は、もうこの世界には必要ないんだよ。周りを見てごらん。誰も君の怒りに共感しない。みんな、この温かい檻の中を愛しているんだから。……君が一人で牙を剥き続けたところで、それはただの『時代遅れのノイズ』さ」
ロキの言葉は、土方の心の一番脆い部分を的確に突いていた。
守るべき民が、この支配を歓迎している。共に戦った仲間が、このシステムを肯定している。
だとしたら、自分が抱え込んでいる「武士の意地」とは、一体誰のためのものなのか。
「……俺は」
土方は言葉を濁した。
「マスターは優しいからね。君が自分から折れるまで、いつまでも待ってくれるよ。この、完璧で、退屈で、残酷な平和の中でね」
ロキは踵を返し、人混みの中へと消えていった。
土方は配給された食事を受け取り、無言で口に運んだ。
味は確かに改良されていた。だが、それは土方にとって、灰を噛むように無機質で、自らの魂が少しずつ削られていくような、絶望の味がした。
日本の「精神の最適化」は、音もなく、しかし確実に完了しようとしていた。
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