第19話:鋼鉄の檻と残酷なる福音
【1868年 晩秋 ―― 東京(旧江戸)】
かつて「八百八町」と謳われた江戸の賑わいは、いまや厚い煤煙と、規則正しく並ぶ赤煉瓦の壁に覆い尽くされていた。大久保利通や木戸孝允ら新政府首脳が、アイアン・パレスの圧倒的な武力の前に「行政権・軍事権の全面委譲」という屈辱的な条件を飲んでから数ヶ月。帝都の風景は、数百年分の時間を飛び越えたかのように激変した。
大通りには、寸分違わぬ平坦さで固められた「舗装路」が走り、その両脇には夕刻になると自動で点火されるガス灯が立ち並ぶ。そこに、かつての提灯の揺らめく情緒はない。ただ、夜の活動を強制する無機質な光があるだけだ。
路地裏の影に身を潜め、深く編み笠を被った男――斎藤一は、鋭い目でその光景を睨みつけていた。
「ふざけるなッ! 俺を誰だと思っている!」
不意に、配給所の前で怒声が響いた。一人の男が作業服を引き裂き、隠し持っていた錆びた刀を振り回していた。かつて新政府軍の中核であった薩摩の士族である。
「あはは、滑稽だねぇ。まだそんな『骨董品』を振り回して、ダンスのつもりかい?」
群衆が割れ、片眼鏡の男――円卓の一員、治安統括のロキが歩み出てきた。
「おかしいに決まってるだろ? 君のその『誇り』とやらを維持するために、どれだけのカロリーが無駄に消費されているか。計算するだけで笑いが止まらないよ」
パンッ! という乾いた銃声と共に、男の膝が砕ける。
「あーあ、せっかくマスターが『無菌室』を用意してあげたのに。わざわざ自分からバイ菌を撒き散らすなんて、非効率極まりないね。感謝してよ、これからは君を『教育』という名のゴミ処理に回してあげるから」
ロキの軽薄な笑い声が、沈黙する群衆の中に響き渡る。その光景を日陰から見ていた斎藤は、握りしめた刀の柄に、己の血が滲むほど力を込めた。魁斗という「静かなる絶対者」の下で、ロキのような狂人が秩序を執行している。その歪な支配こそが、この街を真綿で締めるような閉塞感で満たしていた。
【同時刻 ―― 蝦夷地・アイアン・パレス】
一方、北の地では、土方歳三が展望室の窓外を眺めながら、低く呟いていた。
「……地獄だな、ここは」
路面は地下の熱交換器で常に温められ、雪を融かしている。かつてであれば凍死者が出るような吹雪の夜でも、人々は暖かい部屋で、システムが供給する高栄養の食事を摂り、決められた時間に眠る。
「おや。地獄、ですか。それはひどい言いがかりですね、土方さん」
背後から、丁寧だが刺のある声が響いた。振り返ると、九条魁斗が立っていた。その傍らには、白衣のようなコートを羽織り、端末に視線を落としたままの円卓の一員――医療衛生統括のフローラが控えている。
「現在の住民満足度は極めて高く、乳児生存率は過去の記録から比較にならないほど向上しています。この冬、凍死者も餓死者もゼロ。……私がこの地から悲劇を根絶して差し上げたのですよ? これを地獄と呼ぶなら、あなた方の言う天国とは、一体どれほど野蛮な場所なのでしょうね」
魁斗は薄く笑いながら、淡々と事実を突きつける。
「……腹が膨れて、病気が治ればそれでいいってわけじゃねぇ」
土方は睨みつける。
「生体反応……脈拍上昇。発汗。土方歳三。貴方の言動は生存本能に照らして極めて『異常』です」
フローラが顔も上げずに、機械的な声で割って入った。
「不要ですよ、フローラ。彼はその『バグ』があるからこそ、観測対象として価値があるのです」
魁斗はフローラを制し、土方へ歩み寄った。
「土方さん。もしあの時、京都にこの環境が存在したならば。あなたの仲間たちも、無意味な闘争や病で命を散らすことなく、現在も健やかに稼働していたはずですよ。……それでもあなたは、泥を啜って死んでいく自由の方が美しいとでも仰るのですか?」
土方の脳裏に、死んでいった仲間たちの顔が浮かぶ。
「……あんたは、そうやって人の弱みに付け込んでるんだ」
「弱みではありません。私が提供しているのは『究極の救済』ですよ」
魁斗は冷徹な王の顔で、土方を見下ろした。
「せいぜい、私を憎みながら、完璧な世界で長生きしてください。死ぬことさえ、私の許可なくしては許されないのですから」
アイアン・パレスという名の巨大なシステムは、日本を一つの巨大で完璧な「幸福な檻」へと変貌させていった。
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