第17話:崩れ去る帝都の意地
本日3話目
【数日後 ―― 東京城(旧江戸城) 評定所】
雨上がりのじめじめとした空気が漂う評定所は、葬式のような重苦しい沈黙に支配されていた。
大久保利通の目の前には、横浜の居留地から馬を飛ばして届けられたばかりの「急報」が置かれている。
そこに記された内容があまりにも非現実的で、大久保は三度、その書状を読み直していた。
『箱館ニテ、英・仏・米ノ連合艦隊二十隻、正体不明ノ武装集団ニヨリ全艦沈黙。死者ゼロナルモ、大砲ハスベテ溶カサレ、動力ヲ絶タレタリ』
「……馬鹿な。あの無敵のロイヤル・ネイビーが、たった数十分で赤子のようにひねり潰されたと言うのか」
大久保の絞り出すような声に、木戸孝允が青ざめた顔で扇子を握りしめた。
「横浜の公使館はパニック状態だと密偵が伝えてきている。パークス公使はすっかり正気を失い、『悪魔の城だ』と譫言を繰り返しているそうだ。……どうやら、誤報ではないらしい」
列強の武力を背景に、不平等条約を盾に日本を半ば属国のように扱ってきた西洋の使節たちが、恐怖に震え上がっている。
本来であれば痛快極まりない話のはずだが、新政府の首脳陣に笑みを浮かべる者は一人もいなかった。
最強の虎を、息をするように容易く捻り潰した「得体の知れない龍」が、今、自分たちの頭上を見下ろしているのだ。
「大久保どん」
西郷隆盛が、腕を組んだまま静かに口を開いた。
「我々が今まで相手にしちょったのは、徳川や、あるいは毛唐(外国人)どもじゃった。じゃどん……相手は人間じゃなか。理の外におる化物でごわす。武士の意地や大義名分で、国を灰にするわけにはいかん」
西郷の言葉は、重く、悲痛だった。
新政府は、近代化を進めて列強に肩を並べるという途方もない夢を抱いて出発したばかりだ。しかし、そのゴール地点のはるか先、雲の上に陣取る絶対者が現れた以上、彼らの努力はすべて「無意味な徒労」となってしまった。
その時、再び評定所の障子が勢いよく開かれ、伝令の士族が飛び込んできた。
数日前に「空からの手紙」を持ってきたのと同じ男だったが、今回はその手の中に、奇妙な光沢を放つ黒い金属の筒を抱えていた。
「も、申しあげます! またしても、本丸の庭の中央に……これが!」
大久保が筒を受け取ると、それはカチリと音を立てて蓋が開き、中から滑らかな質感の紙が一枚現れた。
それは、アイアン・パレスの主、九条魁斗からの「最後通牒」だった。
『列強の艦隊は制圧した。彼らの技術レベルは確認済みであり、もはや我々の障害たり得ない。
明日正午、貴政府のすべての行政権・軍事指揮権の放棄を要求する。
降伏の証として、東京城の城門をすべて開放し、武装を解除して待機せよ。
抵抗、あるいは逃亡を企てた場合、ただちに貴殿らの所在地へ局所的な「雷」を落とし、新政府首脳を物理的に排除する』
短い文面だったが、そこに交渉の余地は一切なかった。
自分たちを人間として扱ってすらいない。ただの「障害物」として、事務的に処理するだけだという冷徹な意思が滲み出ている。
「……局所的な雷、だと。あのからくり城は蝦夷にあるというのに、どうやって江戸へ雷を落とすと言うのだ」
木戸が震える声で呟く。
「分からん。だが、奴らならやりかねん。現に、この筒も我々の気づかぬ間に空から落とされたのだ。我々の首など、いついかなる時でも刎ねられるということだ」
大久保はギリッと奥歯を噛み締めた。
三百年の徳川の治世を終わらせ、血の滲むような思いで立ち上げた新政府。
そのすべてが、たった数日で、ただの「紙切れ一枚」によって奪われようとしている。
「大久保どん。……おいは、腹を切る覚悟で降伏するでごわす」
西郷の言葉に、大久保は目を伏せた。
武士としての誇りを捨て、未知の化物に国を明け渡す。それが、彼らにできる唯一の「民を守る手段」だった。
「……各藩へ通達を出せ。一切の武装解除を命じる。逆らう者は朝敵として……いや、もはや朝敵も何もないか」
大久保は力なく笑い、手元の筆を折った。
1868年。歴史の教科書に記されるはずだった「明治維新」という壮大なドラマは、未来からの圧倒的な干渉によって、その幕を強制的に下ろされた。
日本は今、九条魁斗というたった一人の管理者の手の中に、完全に落ちたのである。
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