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戻る場所は、まだ消えていなかった

作者: ごはん
掲載日:2025/07/31

最初に違和感を覚えたのは、いつだっただろうか。

世界がどこか透けて見えるような、現実の皮膚の裏側にもうひとつの層があるような――

そんな奇妙な感覚を抱きながら、私は日々をなんとかやり過ごしていた。


職場では、周囲の言葉がシャボン玉のように聞こえていた。意味を持たず、すぐに弾ける。

けれど私は、「元の私」に戻るためには、この場所で働き続けなければならないと信じていた。

それが、唯一の「現実」だと思い込んでいた。


そんなある日、私は幻覚を見た。

何かが迫ってくる。恐ろしい何かが。

それは私だけに見えて、誰にも届かず、誰も気づかない。

でも、私には確かにそこに「いた」。


「誰かが巻き込まれてしまうかもしれない」

そう思った私は、必死だった。

助けたかった、守りたかった。

けれど結果として、私は笑われた。

奇異の目で見られた。

何もかもが壊れたように感じた。


その後のことは、よく覚えていない。

記憶はところどころ白く霞み、断片だけが残っている。

誰かの声、白い天井、重いまぶた。

そしてただ、「もう戻れない」と思った。


時間がたち、病名がついた。

解離性障害。

その言葉を見たとき、私は少しだけ泣いた。

「そうだったんだ」

自分を責める材料が、一つ消えた気がした。


そして――

ただの沈黙だと思っていた家の空間に、

そっと差し出される湯飲み、

話しかけられなくても隣に座ってくれる人、

「今日もゆっくりしてていいよ」と言ってくれる声――

そうした日々の中で、私は少しずつ、心の温度を取り戻していった。


もう職場には戻れない。

でも、それでもいいのかもしれない。

“あの頃の私”を、どこかに置いてきてしまったとしても、

今ここに、“新しく目を開けた私”がいる。


傷ついた自分も、迷っていた自分も、

誰かを守ろうと必死だった自分も――

全部ひっくるめて、ようやく私はこう思えるようになった。


「まあ、良いか」って。


そして今日も、家族の湯気の向こうに、

まだ消えていない「戻る場所」を見つけながら、

私はまた、静かに一歩を踏み出す。


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― 新着の感想 ―
 謎の危機感の迫り・無性に湧き出る“助けなきゃ”等の思い・周囲からの隔てりや嘲笑。抗いきれない苦難ですね……。  しかしながら、焦らせるでも追い詰めるでもなく、そっと支えてくれる人の支えもあって再起す…
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