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「リ、リネット様……!」


 それは、彼の元へ通い始めて七日目の事だった。


「助けて、ください……!」


 今にも泣き出しそうな顔で訴える彼の手には、あの花瓶。

 大切そうにぎゅっと抱きしめていた。

 中には、首を垂れた白いチューリップ――しかし、その命は尽きていた。

 彼の気持ちを落ち着かせるため、私はそっと手を引き、椅子に座らせる。

 そして、なるべく穏やかに声をかけた。


「仕方ありませんわ。そのお花は、静かに役目を終えたのです」


 ――そう。このチューリップは、彼に多くの“感情”を残してくれた。


 きれいだと思う気持ち。

 大切にしたいと思う気持ち。

 そして――“助けたい”と思う気持ちを。


「切り花の命は、せいぜい五日ほど。でも、七日も咲き続けてくれたのは……きっとルーク様のそばを離れたくなかったのでしょうね」


 彼の黒髪にそっと触れた。もう、以前のようなフケはどこにもなかった。

 その言葉が意外だったのか、彼は恥ずかしそうに顔を伏せていた。


「もしよろしければ、一緒にお庭に埋めに行きませんか? そのお花の栄養が、きっと次の命を育んでくれますわ」


 この提案は、小さな賭けだった。

 なぜなら、それは彼を“外の世界”へ連れ出すことを意味していたから。


 けれど――、


「行きます」


 はっきりと。声は少し震えているが、それでも迷いのない瞳で、ルーク様は私にそう言ってくれた。


 ――そこからの私の行動は早かった。


 外出の準備として、彼の服を整え、少し乱れた髪をそっと梳かしてあげる。

 ちょうどよく顔を出したライアン様には、うまく――いえ、丁重にお願いして、庭園の使用許可も取りつけた。


「俺のお・か・げ、で行けるんだからな」

「ええ、ライアン様。本当にありがとうございます」

「うん……ありがとう、ライアン……!」


 これで準備は整った。庭園の場所は――、以前父と訪れたことがあるので問題なく行けるだろう。

 チューリップを持ったルーク様の手を取り、扉に手をかけようとしたそのとき――


「な、ちょっと待てよ!」


 背後からライアン様の声が飛んできた。


「どうかなさいました?」

「……俺も、行く」


 思わぬ申し出に、私は驚いた。

 ゲームの中のライアン様は、花や情緒あるものにまるで興味を示さなかった。

 いつも鍛錬と勉学に時間を割き、どのルートでも“努力型の王子”として描かれていたのだ。


(それなのに、どうして……?)


 疑問はあったが、ここ数日の彼の行動を思い出せば、少しだけ合点がいった。


(私がいる時間に、必ず現れる)


 以前、ルーク様に聞いたことがある。

 私が訪ねる前、ライアン様は“不定期”に現れていたそうだ。

 それが今では毎日決まった時間に訪れ、こうして外出にもついてくる。


(……もしかして、警戒されてる?)


 疑念が頭をよぎる。


「えっと……ライアン様は、お忙しくないのですか?」

「はぁ? 誰が忙しいって言ったよ」

「いつもお帰りの際に、“これから剣術だ”とか“先生が来る”とか仰ってたので……」

「今日は暇なんだよ。……って、何だよ。俺がついて行くの、迷惑ってことか?」


 むすっと唇を尖らせ、こちらを睨むように見る彼の顔。


(……ああ、これは)


 私は思わず微笑んだ。


(……一緒に遊びたいのね)


 たしかに彼は十二歳。年齢の割に落ち着いているけれど、心はまだ幼さを残している。

 きっと、こうして一緒に外に出るのが嬉しいのだ。


「とんでもありませんわ。ライアン様がいてくださるなんて、心強くて頼もしいですもの!」

「……なっ!」


 顔を赤らめ、ぷいとそっぽを向くライアン様。

 だが、ほんの少しだけ口元が緩んでおり、嬉しさが滲んでいた。

 ルーク様も一緒に行けることが嬉しいのか「うんうん」と何度も頷いている。


「それでは、三人で行きましょう!」


 初めて、三人での“外出”が始まった。


***


「わ……すごい、広い……!」


 城の庭園は、やはり見事だった。以前見たときも思ったが、圧巻の広さだ。

 そこでは色とりどりの花たちが、庭師の丁寧な手入れを受けて、宝石のようにきらめいていた。

 その美しさにルーク様も目をぱちぱちとさせながら、楽しそうに花々を見ている。


「おい、ルーク! あんまりはしゃぐな、転ぶぞ!」

「あっ……!」


 ライアン様の忠告も虚しく、ルーク様はつるりと足を滑らせて転んでしまう。


「言ったそばから……」

「ルーク様! 大丈夫ですか!?」


 私は急いで駆け寄る。

 彼は腕に抱えたチューリップを見せて、少し得意げに「お花は、無事、です!」と言った。

 けれどその腕には、細かな擦り傷ができており、私は持っていたハンカチで、優しく傷口を拭った。


「ご、ごめんなさい……リネット様……」

「気にしないでください……と言いたいですが、ルーク様は、もっとご自身も大切になさって」


 いつも、自分より誰かを優先する彼。

 優しい彼だから仕方ないことだろうが――、


「ルーク様に傷ができるたびに、私は……とても悲しくなりますの」


 彼にはこれ以上、些細な痛みも残したくない。

 

「ど、努力……してみます……」


 ここで、「はい」と言わないのがまた彼らしい。

 私はそっと微笑み、気を取り直して、チューリップを埋めるのにふさわしい場所を探すことにした。


 満開の花々の香りに包まれながら、私たちはゆっくりと歩を進めた。

 ふと目を向けると、一人の庭師が丹念に花の手入れをしている。

 ライアン様が彼に声をかけ、どこかふさわしい場所がないかと尋ねると、庭師は穏やかに頷き、日当たりと風通しのよい木陰を教えてくれた。


「ここなんか、いいんじゃねぇか?」

「うん……ここ、すごく……気持ちいい」


 頷いたルーク様に小さなスコップを渡す。

 土を掘るのも、きっと初めてだろう。

 それでも彼は、慎重に、丁寧に、少しずつ穴を掘り進め――静かに花を横たえた。


「……ありがとう」


 土の中に眠るチューリップに向けて、彼は小さな声でそう囁いた。

 それは誰に強いられたわけでもない、彼自身の想いから生まれた“感謝”だった。


 ――感情は、確かに育っている。


 私は、そっと目を閉じて手を合わせた。

 続いてライアン様も、少し気恥ずかしそうにしながら、短く「……安らかにな」と呟いてくれた。


***


 花を見送ったあと、私たちはもう少し庭園を歩いて回ることにした。


「それにしても、本当に広いですね……二人だけだったら、迷っていたかもしれませんわ」

「うん……ライアンがいてくれて、ほんと助かった、よ」


 ルーク様の素直な感謝に、ライアン様は鼻を高くして胸を張る。


「そうだろう、そうだろう! そうだ、さらにいい場所を教えてやるよ!」


 ライアン様はそう言って、庭園のさらに奥――、背の高い木々のトンネルを抜けた先へと私たちを導いた。

 その先にあったのは、白く光る小さな屋根のある建物。

 白を基調とした、繊細な装飾が施されたガゼボだった。


「すごい……まるで絵本の中みたい……」

「だろ? 令嬢たちがティータイムする場所らしいぜ。今度、使用許可取っておいてやるから、三人で来ようぜ」

「まぁ、それは楽しみですわね!」

「う、うん!」


 ルーク様も嬉しそうに頷いている。

 そんな話をしていると、ガゼボに向かって、数名の令嬢たちが集まってくるのが見えた。


「……今日、誰か予約入ってるって言ってたな。たしか、昼からだったか」

「それでは、近くで見学できただけでも幸運でしたわね。そろそろ帰りましょう、か……」


 そう言いかけた瞬間――

 私の足が止まった。


 風に揺れるスカート。春の芽吹きを思わせるような若草色の髪。

 愛らしい桃色の瞳に、桜のようにふんわりと色づく唇。


「……あら。殿方もいらっしゃるんですね」


 微笑みながらこちらに向けた、鈴のようその声――

 私は息を呑む。


 ――そう。

 このゲームの主人公。

 “オリビア・フルリエ”が、そこにいた。

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