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――どうして、こんなことになったのか。
「あ〜……とりあえず、湯に浸かる前にシャワー浴びるか……お前、汚ねぇし」
「う、うん……!」
「今日も特に変わりなかった」そう父に報告し、その後は稽古の時間まで自由に過ごすつもりだった。
いつも通り、適当に話してさっさと帰ろうと思ったのに――
「あれもこれも……あの女狐め……」
ルークの婚約者である、リネットという女。あのわざとらしい笑顔を思い出すだけで、腹の底が煮えくり返る。
俺にメイドの真似事のようなことをさせやがって――さすが宰相の娘と呼ぶべきか、父親に似てやり方が小賢しい。
「えっと、これで……いいのかな……」
「うわっ!! つ、つめてぇ! おい、ルーク。これ水じゃねぇか!」
「え……? でも、ぼく……水しか、使ったことないよ?」
「はぁ!? なに言って……――」
ああ、そうだ。こいつはそういう“役割”なのだ。
俺を引き立てる、そういう“存在”。
いつからこうなったのか。
いつからコイツを“そんなふう”に見ることに抵抗がなくなったのか。
――俺の父である、王弟は今でも王になる野望があるらしい。
しかし王に子ができれば、必然的に王位継承は王弟ではなくその息子――ルークになる。
こんな小さな子どもにすら、立場が負けることが気に食わないのだ。
だから始めた――“ルークを徹底的に排除する”ことを。
まずは兄、ルークの父親に彼を疎ましく思わせるよう印象づけた。
頼れる母親と乳母を取りあげ、執事や侍女を付けなかった。
マナーや勉学をする機会も与えない。
外に出て助けを求められても厄介なので、本を与えて部屋に閉じ込めた。文字の読み方すら知らない、ルークに難しい本を山ほど。
与えたものはもう一つ――高カロリーの食事だ。
食事を与えないという手もあったが、ルークを醜くさせて、誰も近づかないようにした。
それに、ふくよかな見た目なら、たまに母親に会わせたとしても“それなりに、裕福な暮らしをしている”と錯覚するだろう。
(……我が父親ながら、恐ろしい)
このままではルークは国王に選ばれないだろう。
――頭の切れる者が、近くにいない限り……
そんなルークの前に現れたのがあの女。リネットだ。
彼女が婚約者として選ばれた日、父は激しく動揺した。
なぜなら、彼女はすでに社交界で人気があり、その気品や美しい所作に誰もが釘付けだったからだ。
一方で、そんな彼女だからこそ、ルークとの婚約はすぐに破棄すると思っていた。
……しかし、実際は違ったのだ。
彼女は毎日、健気にルークの元へ訪れ、返事のない扉へ話しかけた。その姿に驚いたのは、城の者たちだけでなく――俺も同じだった。
なぜ、そんなに必死なのか?
なにか裏があるのではないか?
そんな疑問を抱かないものはいないだろう。
『彼女の本性を暴き、婚約破棄をさせろ』
そう、父が俺に命じた。
ルークに少しでも異変があれば、すぐに父に知らせること。
それが、俺がこの部屋に定期的に訪れる理由だった。
そんなこととは露知らず、バカみてぇに笑って、「また来てくれて、うれしい」なんて言うから、余計に腹が立った。
俺は、そんな善人じゃないのに……――
「あー、そっちだけじゃなくて、右も同時に回してみ? あったけぇだろ?」
「わっ、本当だ!!」
「ただし、右だけじゃだめだぞ。熱すぎて火傷するからな」
「うん、気をつける……!」
だからこそ、彼女の“本心”が気になった。
いくらコイツが優しいからと言って、無償で近づくことなど、ないはずだから。
――俺がそうのように……
「……っと、こんなもんか? だいぶマシになったんじゃね?」
「う、うん。ありがとう、ライアン!」
「ま、次からはひとりで入れよ。おい、リネット! 着替えはないかー?」
とりあえず棚にあったバスローブを着て、普段着を渡されるのを待つ。
その隣では、バスローブに不慣れなルークが、もたもたと紐を結んでいた。
「えっと……その、お着替え……なんですが……」
扉の先から、歯切れが悪い返事が返ってきた。
「なんだよ。着替えくらい、あるだろ?」
向こうの返事は待たず、勢い良く扉を開けると「きゃっ!」という声と、両手で顔を隠すリネットがそこに居た。
「バスローブ着てるから良いじゃねぇか」
「そ、それでも破廉恥ですわ!」
「んで、着替えは?」
部屋を見渡すと、この短時間で掃除が進み、床にきちんとした通り道ができていた。
もう一つ変わった変化、それは大きく広げられた大量の服たちだった。
「一応……すべて見てみたのですが……」
そう言って首を振るリネット。
どうやら、綺麗に洗われた服はひとつもなかったようだ。
俺なんて、一度しか袖を通さない服もあるのに。ルークはこんな使い古され汚れた服しか持っていないと思うと、流石に胸が痛む。
「仕方ねぇな……おい、外にいるんだろ!」
呼びかけると、控えていた複数のメイドがすぐに姿を現した。
“こんな部屋に入りたくない”と言わんばかりに頬を引きつらせ、俺の一言を待っている。
「なんか適当に着替えもってこい。ついでにルークの分もな」
「かしこまりました、ライアン様」
その返事から数分後には、新しい服が用意されていた。
こんな当たり前の事にも、ルークいちいち「すごい……」だの「さすがライアン……」と無垢な目をしながら褒めてくる。
俺は、お前が本来持つべき場所を奪っているだけなのに……
「とりあえず、着替えはなんとか……なってねぇな」
用意されたのは俺サイズの服。ルークに着られた服は、今にも破れそうだった。
そんな姿を見たメイドたちは、くすくすと意地の悪い目で笑う。
ああ、くそ。胸糞悪い。
だから嫌だったんだ、ルークと深く関わるのは……
醜い姿を見たくなかった。
周りの――そして、自分の……
手を差し伸べてやれるのに、何も行動を起こさない。
父の言いなりの自分に、本当嫌気がさす――
「ご、ごめんなさい……ぼくは、ある服で……」
「お城務めのメイドは、公爵家より優秀だと思っていましたが――どうやら、違うようですわね?」
その言葉に、部屋がしんと静まる。
「だって、そうじゃなくて? 服のサイズが違うことなんて、ひと目でわかることですもの」
「もしかして、貴方たちには私とライアン様も同じサイズの服を着ているように見えるのかしら?」
「だとしたら……王族の前で失礼かもしれませんが、雇う方たち、見直したほうがいいのでは?」
淡々と言い切る彼女のその言葉に、メイドたちは言葉を澱ませた。
その恥ずべき行いを正当化できる者など、いないだろうから。
「ルーク様、すぐにご用意できなくて申し訳ありません。テイラー家の従者たちに衣類を手配させますので、もう少し我慢できますか?」
「え!? そ、そんな、わざわざ……!」
凛とした姿でメイドたちを叱責した姿と異なり、ルークに対して優しく話しかけるリネット。
そんな彼女と比べ、自分はいかに無様でしょうもない奴なんだろうか……
それを実感したとき、顔が熱くなるのがわかった。
「情けねぇな……」
たったひとりの従兄弟すら守れず――何が、“王子にふさわしい”だ。
「本当、リネットの言う通りだな……雇う奴ら見直したほうが良さそうだ」
「そんな、ライアン様!」
「泣き言いう暇あんなら、さっさと持ってこいよ。大人用でいいから。あるだろう、ルークが着れる服!」
そういうと、一斉に部屋から飛び出し、新品では無いものの、ルークが着れるサイズの衣類を何着か持ってきた。
「あら、やれば出来るじゃありませんか。それでは、ついでに“こっちも”お願いしようかしら?」
と言ったかと思えば、リネットはテキパキと指示を出し、部屋の掃除。ゴミの処分から衣類の洗濯まであっという間に終わらせた。
その間、俺達は窓際の席で、いつの間にか用意されたお茶を飲むことしかできなかった。
「リ、リネット様……す、すごいです!」
「本当にな……」
父が恐れる理由はこれだったのか。
まさにカリスマ。その一言に尽きる。
一日にして、これだけの変化を作り上げた張本人は、ふふんと満足気に微笑んでいた。
「そうでした! 実は私、ルーク様にプレゼントがありますの」
そう言うと、キッチンの方から白いチューリップを生けたガラスの花瓶を持ってきて、俺らの前に置いた。
「わぁ……きれい、です……こんな、キラキラ……と」
「素敵でしょう? 水を入れると、まるで宝石のように輝くんです。
そこで、ルークさま。お願いがあります……!」
“毎日、この花瓶のお水を変えていただけますか?”
続けて彼女が言うには、この花瓶は、水が少しでも濁れば、たちまちその輝きを失うという――つまり、細やかな世話が必要ということだ。
そんなこと、面倒くさくて俺はやりたくもない。
「や、やってみます……!」
――まだ、彼女を完璧に信頼したわけではない。
だけど――、
「よーし、じゃあ。ちゃんと世話できてるか、俺が見に来てやるよ」
この花瓶の輝きは、毎日見に来てもいい。
そう、思った――