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「ええっと……これはどういう状況でしょうか……」
目の前には肩を小さくして項垂れる国王陛下。
そして、陛下を横目に優雅に紅茶をすする父がいた。
――ライアン様は一度目を覚ましてから、再び深い眠りに入ってしまった。
ルーク様いわく、毒を排出するのに体力を消耗しており、まだしばらくは眠り続けるだろうということだった。
いつの間にか医者が姿を消してしまったため、正確な診察ができず困っていたところに現れたのが国王陛下だった。
陛下は何名もの医者や看護師を引き連れ、ライアン様の処置をするよう命じた。
しかし、どの医者も口にするのは『処置は適切』という賛辞ばかりだった。
その後のケアは医者たちがしてくれる事となり、私たちは一旦身支度を整えるため解散をしたのだが――
「……ノア、この状況分かりますか?」
「……いえ、申し訳ございませんが俺にもさっぱりでして」
私たちは汚れた体を綺麗にし、身支度を整えるとなぜかこの場に呼ばれ、今に至るのだ。
陛下は私たちの家に付いてきて、分からないままティータイムが始まった。
といっても口をつけてるのは父だけで、陛下も私たちも無言のまま。華やかさとは無縁の、お通夜のような空気だ。
「えっと……お父様、これはどういう意図が……」
痺れを切らし、この場で一番冷静な父に問う。
父はお茶を数口飲むと、陛下を睨みながら乱暴に言葉を発した。
「この馬鹿王が王妃様に嫌われたと、鬱陶しいのだ」
「お、お父様!?」
国王陛下に“馬鹿”だなんて、不敬罪で罰されても可笑しくない発言。
それに礼儀に重んじる父からの発言とは思えず、呆然とその場に固まってしまった。
一方で、陛下は特に気にする様子もなく――いや気にする場合でもないというのが正しいだろうか。
変わらず暗い空気をまとわせて、ブツブツとぼやいていた。
そのぼやきをノアといっしょに耳を澄まして聞いてみる。
「馬鹿、そうさ俺は馬鹿さ。リリアに嫌われた俺は無能で生きる価値もない。どうしよう、死ぬしかないかな。でも死んだらもうリリアに会えない。あんなに美しい人だ。良い人なんてすぐできる。そんなの絶対に嫌だ。どうしたらいい。リリア。リリア。リリア。リリア。リリア……」
何度も繰り返し王妃様の名前を唱える姿は、背筋が冷えるほど不気味だった。
ノアと顔合わせ、互いに苦笑いを浮かべる。
これは、スイッチを入れた父になんとかしてもらうべきだろう。そう思い、父を見ると――
「これは来たときから壊れていた。私のせいではない」
見透かされているかのように、先手を打たれてしまった。
しかし、あんなに威厳がある陛下がこのような状態になってしまったのだろうか。
この場所に通されたのだ。それぐらい、知る権利はあるだろう。
「なぜ、陛下はこのような状況に……?」
「ルーク殿下への扱いが全て王妃様にバレて、“二度と顔も声も聞きたくない”と言われたそうだ」
迷惑そうに話し、紅茶を飲み進めた。
「それは……自業自得ですね」
笑いながら正論を言うノアに、陛下はビクリと体を震わせて、ついには顔を机に突っ伏してしまった。
私の気持ちはノアの発言と全く同じだ。
あれだけルーク様を苦しめ、放置をしたのだ。
しかも王妃様に嘘までついて会わせないようにした。
それがどれほど罪深く、非情な行動か。
王妃様の怒りはごもっともだし、思い返して私の腸も煮えかえってきた。
(これは、フォローの余地なし……)
腹の虫を落ち着かせるために、私も父についで紅茶を飲み進めた。
礼儀など、気にする必要などこんな馬鹿王には無いだろう。
そんな私の様子を見て、父はなぜか愉快そうに鼻で笑った。
「なぁ、リネットよ。私との約束は覚えているか?」
「約束、ですか……?」
紅茶を置いて、問いの意味を考える。
父との約束。今思い浮かぶのは、ライアン様のために手配した材料運搬時の“貸し”ぐらいだろうか。
(……まさか)
最悪な展開を思い浮かべ、顔から血の気が引いて行くのが分かった。
しかし、嫌な予感ほどよく当たるという。
私の表情を見て、父は満足したように目を伏せる。
「さすが察しがいいな。貸しを返す時だ、この鬱陶しいウジ虫を王宮に連れて帰り、王妃との仲を取り持ってやれ」
予想的中である。
目頭を押さえて現実逃避をする。しかし、目を開けても状況は何も変わっていなかった。
「良かった、貸しでお姉様がしばらく王都を離れることになったらどうしようかと思っていたので!」
花でも周りに飛んでいるんじゃないかと思うほど、ノアは嬉しそうに笑っていた。
一方で私の頭は痛くなるばかりで、眉間にしわを寄せてため息を吐いた。
なぜ、ルーク様を苦しめた人を助けなければいけないのか。申し訳ないが私は聖人君子ではない。
大切な人が傷つけられれば、その分牙を向けるような存在だ。
私のあまりにも“嫌だ”というオーラを察してか、父が告げる。
「ここで国王に作る貸しはとてつもなく大きな後ろ盾になるぞ」
「ぐ……っ」
分かっている。分かっているが、気持ちが、感情が許せないと叫んでいた。
それに、これはあくまで私の感情。
この怒りを陛下へぶつけるべき存在は私ではない。
王妃様。そして、ルーク様が伝えるべきなのだ。
(彼のために、なるのなら――)
怒りを落ち着かせるため、大きな深呼吸を一つ。
「……私、無礼な発言しそうなのですがお許ししてもらえるでしょうか……」
「彼女との……仲を取り持ってくれるなら、どんな不敬も許す……」
「言質、取りましたよ」
「ああ、しかと私も聞いた」
やり取りを聞き終えた父は、カップに紅茶が残っているというのに、立ち上がりその場を去ろうとする。
厄介事が押し付けられて、満足したのだろう。
「ノア、お前も共に行くぞ。コイツのことはリネットに任せるとしよう」
「もう少しお姉様と一緒にいられると思ったのに、残念です」
少しだけ拗ねた様子のノアが近づいてきて、耳元で静かにつぶやいた。
「俺の“ご褒美”も、忘れないでくださいね」
「っ!」
吐息交じりに、話す声に身体がぞくぞくと震える。
意地悪な笑顔で満足気に微笑む姿は、どことなく父と似た面影を残していた。
立ち去る二人を見届け、未だに顔を突っ伏している陛下に質問を投げる。
「先ずは、王妃様とどのようなお話をされたか、お聞かせいただけますか?」
最初は言いにくそうにする陛下だが、少しずつお話をしてくれた。
それは、なぜ国王陛下がこんなにもルーク様を嫌うのかだった。
「ルークは、王妃の腹を突き破って産まれた」
それは、いわゆる帝王切開というものだった。
元々身体の弱い王妃様にとって、帝王切開は大きく体力を消耗させ、一時生死を彷徨うほどだったという。
王妃様を愛している陛下にとって、その時間は息ができないほど辛く苦しかっただろう。
そんなとき、王弟が陛下に言ったと言う。
“産まれ方は、子が決める”
普通の人ならそんな事は嘘だと見抜けるだろう。
しかし、陛下は冷静ではなかったのだ。
愛しの人を苦しめ傷つけるルーク様が憎くて憎くて、正直今も……あの日を思い出すと、ルーク様に憎悪の感情が浮かんでしまう、と。
「私は、ずっとルークのせいで、王妃が苦しんでいると思っていたんだ……王妃を傷つけるルークは悪魔の生まれ変わりだと、弟に言われても何も疑問を持たなかった――だが、王妃に言われたんだ……」
帝王切開にしたのは、王妃様とお医者様が決めたのだと。
当時、ルーク様の出産は何時間と難航したという。
このままでは、母子ともに危ないと判断した医者が、王妃様の体力を気遣い帝王切開に切り替えたこと。
確かにその後は体調を崩したが、陛下との間に生まれた愛しい我が子をその手に抱くまでは、絶対に死ぬことはできないという強い思いで、持ちこらえたのだと話してくれたと教えてくださった。
「むしろ、王妃を励ましてくれたのがルークだったと、初めて知ったのだ」
『私は、陛下を愛していますが、同じぐらいルークを愛しています。彼は、私の生きる希望です。そんな大切な息子を苦しめ、蔑み、非道に扱った貴方を許せません』
そして、二度と口も顔も合わせたくない……という話になったそうだ。
陛下の話を聞いて、私は話す言葉を選んでしまった。
お二人の気持ちが、共によくわかるからだ。
大切な人が死ぬところだった原因が疎ましいこと。
愛しい子のために、生死を彷徨ってでも会いたかったこと。
その気持ちを否定することはできない。
しかし、陛下は一つ肝心なことが頭から抜けている――
「陛下。王妃様からの話を聞いて、ルーク様への思いは変わりましたか?」
「……ああ、勝手な思い込みでひどく傷つけてしまったと思っている」
「その気持ちを、ルーク様へお伝えしましたか?」
「……いいや、していない」
そう呟くと、陛下ははっとして顔を上げる。
酷いことをした。分かっているのに謝罪の一つもしていない。
結局は、自分と王妃様のことしか考えていなかったということだ。
「きっと、王妃様が怒っている理由も、それだと思います」
王妃様は家族を大切にしてほしかったのだ。
彼女だけでなく、息子であるルーク様も。
王妃様の機嫌をとるばかりで、一番辛い思いをさせてきた人を蔑ろにする陛下が許せなかったのだろう。
「……まだ、間に合うの、か?」
陛下の声は酷く震えていた。深く後悔しながらも、まだ自分にはやれることが残っているのかと――そんな一縷の希望に縋るような声音だった。
その問いが出た瞬間、胸の奥で小さく何かがほどけた気がした。
陛下はまだ迷っている。けれど、完全に背を向けたわけではない。
この一言こそが、変化の兆しなのだと感じられた。
「間に合うかどうかは、陛下次第です」
私はゆっくりと告げた。優しさでも、厳しさでもなく、ただの事実として。
「ルーク様は、もう子供ではありません。彼はご自分で考え、ご自分の足で立とうとされています。その成長を喜ぶのではなく、蔑み、避けてきたのは……陛下です」
陛下の肩がびくりと揺れた。だが、私は視線を逸らさずに続けた。
「それでも、彼は今、必死に誰かの命を救おうとしています。誰かの苦しみに、心を砕ける人です。どうか、その姿を、ちゃんと見てあげてください」
陛下は膝に置いた拳をぎゅっと握りしめた。重く沈む沈黙が、部屋を満たしていく。
しばらくして――
「……私は、父親失格だな」
ぽつりと、弱々しい声が落ちる。
「ええ、その通りです」
「…………」
私の言葉に、陛下は目を見開いた。だが、非難の色は浮かばない。ただ、受け止めようとする覚悟の気配が、そこにはあった。
「けれど、それでも父であることには変わりありません。傷つけた分、時間をかけてでも償えばいい。愛しているなら、形にして伝える努力をしてください。……それができるのは、陛下しかいないのですから」
私の言葉が届いたのか、陛下はゆっくりと立ち上がった。
まだ膝が震えている。顔には迷いと疲労の影が濃く残っていた。
それでも――
「……リネット嬢」
「はい」
「私は……私は、ルークに謝りたい。そして、もう一度、家族としてやり直したい……。だが……どうすれば、いいのか……」
その問いに、私は少し考えてから、そっと微笑んだ。
「まずは、“ありがとう”と“ごめんなさい”を、心から伝えてあげてください。それだけでも、きっと、彼の心に届きます」
「……ありがとうと、ごめんなさい……か……」
まるでそれが初めて口にする言葉のように、陛下は何度も繰り返して呟いていた。
「陛下。王妃様との仲立ちをする前に、ルーク様へ向き合う時間を持ってください。その後のことは……それからでも、遅くありません」
「……ああ。そうだな――今から、会いに行こう」
ようやく、国王陛下の瞳に、かすかながらも光が戻り始めていた。
それは――長く閉ざされていた扉が、ようやくほんの少し、開き始めた兆しだった。




