表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国一番の美少女だけど、婚約者は“嫌われ者のブサイク王子”でした  作者: 玖坂
第三章:翳りの庭に、ひかりの雨が降りそそぐ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/33

28

 ――馬車の車輪が石畳を弾く音が、やけに遠くに響いていた。

 王宮からの帰路、窓の外に流れる街並みを、何度も見ては目をそらし、また見て……その繰り返し。

 胸の奥はざわめきっぱなしで、焦燥を押し隠す余裕などなかった。


(ライアン様……どうか、どうか――)


 心臓の鼓動が強まり、握ったハンカチが指の形にしわくちゃになる。


「ただいま戻りました!」


 馬車が止まるや否や、扉を押し開けて玄関を駆け抜けた。

 いつもなら静かに歩みを運ぶところだが、今はそんな礼儀を気にしていられない。


「お嬢様!? そのお姿――」

「後にして、父の執務室へ通して」


 侍女たちの驚く声を背に、まっすぐ廊下を進む。

 呼吸は早く、足音も落ち着きを欠いていたが、頭の中はただ一つ――間に合わせなければ、という思いでいっぱいだった。


「お父様、リネットです。急な訪問、申し訳ございません。少しお時間をいただけますでしょうか?」


 少しの沈黙のあと、ガチャリと扉が開けられる。

 中から出てきたのは、父と共に仕事をしていたのか、心配そうな顔をしたノアが顔を覗かせた。


「お姉様、一体どうしたんですか!?」


 乱れた私の姿を見ると、目を丸くさせたノアが慌てて肩をつかむ。

 その掴む力があまりにも強く、思わず顔をしかめた。


「っ……ノ、ノア……力が……」

「すみません……ですが、お姉様の身なりがあまりにも……」


 髪は乱れ、裾にはうっすら土の汚れ。

 確かに、この格好では何かあったと思われても仕方ない。

 心配を宥めるように微笑み、問題ないと首を振ると、ノアはようやく手を緩めた。


「それでは、どうして……」

「その話は、中でお父様と一緒に……」


 なおも言いたげなノアを制し、執務室へ入る。

 それにあわせて、書類仕事のために机に向かっていた父が、顔を上げた。


「……リネットか。淑女にあるまじき姿だな」


 静かに、しかし確かに責める声音だった。

 父の灰色の瞳が私を捉え、乱れた髪や泥の付いたドレスを冷ややかになぞる。


「はしたない姿で申し訳ありません、ですがどうかお二人にご協力を仰ぎたいのです」

「……何をした」


 その言葉は心配から出たものではない。

 ただただ“公爵家の面子”を案じるための質問だった。

 私はそれを分かっていたから、すぐに用件を告げた。


「ライアン様が……毒を盛られ、昏睡状態です。三日以内に解毒しなければ、命は――」


 それから、私は王宮であったことを伝えた。

 全てを聴き終わると、父はため息をひとつ吐く。

 その表情は呆れとも失望もとれる顔だった。


「目立つことはするなと言ったはずだが……」

「申し訳ございません、私の警戒が怠っておりました」


 いつも、父の顔色を伺って過ごしてきた。

 だからこそ、その声色に含まれる怒気に体がびくりと震える。

 父も、私がこんな失態をするのを初めてみただろう。

 けれど、そんな恥やプライドなど捨てても私はライアン様を助けたかった。


「公爵様、そんな怖い顔しないでください」


 ノアが軽く笑いながら口を挟む。


「お姉様、蒸留ワインとはちみつですよね? 安心してください。最高級のものをすぐ用意させます」


 あまりに自然に父へ口を利くその様子に、思わず目を見張る。

 確かに、常日頃ノアは父の扱いが上手いと思っていたが、ここまで遠慮なく話せるほど親しくなっていたとは、知らなかった。


「またお前は、勝手なことを……」

「ですが、それをどうやって王宮内に持ち込むか、ですね……」


 王宮内に何かを持ち込む場合は、必ず検査を通してからになる。

 普段から特に止められもしないだろうが、王弟の息がかかっている可能性も高い。

 そうなるとせっかく用意した材料が届けられず、ただ時間を遊ぶことになるだけだ。


 こんな時、私の力不足を痛感する。

 いくら口や頭を回しても、いざという時にその能力が発揮できなければ意味なんて、ないじゃないか――


「お姉様……そんな顔しないでください」


 ノアがそっと私の頬を撫でる。

 指先についた水滴から、涙を流していたことに気がついた。


「公爵様、なにか良い案はあるでしょうか?」


 父はしばし私を見据え、目を閉じる。

 父の懐中時計が数拍時を刻んだのち、静かに口を開いた。


「王宮内に古くからの知り合いがいる。彼を通して、材料を渡すことは出来るだろう」


 低く、思案するような声。

 その言葉を聞いて、私は勢いよく顔を上げた。


「……本当ですか、お父様!」

「ただし――これは、貸しだ。分かるな、リネット」


 その言葉に深く頷いた。

 公爵家当主に貸しを作る。それがどれほど大きなことか、私はよく分かっていた。

 父の希望であれば、数年王都から離れ、実績を作ってこなければならなくなるかもしれない。

 しかし、そんなこと今の私には苦でもなんでもない。

 それぐらいで彼を救えるなら、私はなんだってする。


「はい、もちろんです。どんなご要望でもお答えする所存です」


 父はふっと鼻で笑い、従者に一つの手紙を書いて渡した。

 その様子を見ていたノアは小さく笑いながら言葉をこぼしていた。


「……まったく、素直じゃないんですから」

「ノア、お前も行ってこい。当主代理として渡せばより信用が得られやすい」

「承知いたしました」


 ノアは軽くお辞儀をし、すでに動き出そうとする。

 だが、その前に私の方を向き、少しだけ表情を和らげた。


「ノア、すみません。付き合わせてしまって……」

「謝らないでください。俺も、ライアン様の容態が気になります。それに――」


 彼はそっと私の手を取り、手のひらを優しく撫でた。

 優しくも、ほんの少し強引な温度が、指先から伝わる。


「手、強く握りすぎです。こんな姿のお姉様、不安で一人にはできません」

「ノア……」

「ほら、指先が温かくなってきましたね……俺の手って安心しますでしょう?」

「もう、またからかって」


 いつものようにからかってくるノアに呆れつつ、その優しさに顔が緩んでいく。

 ずっと強張らせていた顔は、ちりちりとした痛みを残していた。


(こんなに、顔に力が入っていたのね……)


「ありがとうございます、ノア」


 力が抜けた私を見て、ノアも安心したかのように笑い、そっと手を離した。

 「準備してきます」と言い残し、扉が閉まる音が響いた。

 静まり返った執務室で、父は再び書類へ視線を戻している。


「お父様、本当にありがとうございます。……必ず、報います」

「そうしなさい」


 短い言葉とペンの走る音だけが部屋を満たした。

 その背を見つめ、私は深く息を吸い、執務室を後にする。


「――絶対に、間に合わせるわ」


 玄関を出ると、秋のはずなのに肌にまとわりつく湿った空気が頬をなぞる。

 ほとんど夜色に沈んだ空を見上げ、一歩でも早く――その思いを胸に足に力を込めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ