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国一番の美少女だけど、婚約者は“嫌われ者のブサイク王子”でした  作者: 玖坂
第三章:翳りの庭に、ひかりの雨が降りそそぐ

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 ――静まり返った部屋の中で、ライアン様のうめき声だけがかすかに聞こえていた。

 窓から差し込む夕暮れの光は、どこか頼りなく揺らめき、薄いカーテンを透かして床に影を落としている。


 目の前では医師が額の汗を拭いながら、ライアン様の脈を確かめていた。

 その手元をじっと見つめていると、胸の奥が締めつけられる。


 ――お願い、どうか軽い症状であってほしい。

 祈るように、私は強張った指先を固く組みしめた。


「……いかがでしょうか、先生」


 声が震えているのを自覚しながらも、なんとか問いかける。

 医師は深く息を吐き、眉間に刻まれた皺をゆっくりとなぞった。

 その仕草の一つひとつが異様なほどゆっくりで、胸の奥に黒いもやが広がっていくような不安をかき立てる。


「……残念ながら、これは――」


 言葉を継ぎかけ、彼は一瞬唇を閉ざした。

 まるで、その先を告げるのをためらうかのように、わずかに唇が震える。

 その沈黙が恐ろしくて、私は数秒も待てず、スカートの裾を無意識にぎゅっと握りしめた。


「――毒です。……三日以内に解毒しなければ……命は、持たないでしょう」


 ガタン、と背後で椅子の音が響く。

 ルーク様が椅子から勢いよく立ち上がったのだと気づくまで、一拍かかった。


「……ど、毒……です、か……?」


 かすれた声が、ルーク様の唇から零れる。

 その瞳がわずかに揺らぎ、床を見つめたまま肩が小さく震えていた。


「そ、そんな……解毒薬は……!?」


 私は食い下がるように医師へ身を乗り出した。

 だが返ってきたのは、首を横に振る仕草と、あまりに短い答えだった。


「……ありません。今、この王都のどこを探しても」

「ひ、一つぐらい、ちゃんと探したら……!」


 しかし、医師は目を伏せたまま、罰の悪そうな声を落とす。

 先日、とある貴族主催のパーティーで食中毒が発生し、貴重な解毒薬はすべてそちらに回されたのだという。


「そんな、どうして……」


 頼りない声が空気に溶け、視界がにじむ。

 ライアン様の青ざめた顔が揺れ、目の奥が熱くなった。


 ――助けたいのに、どうすればいい?


 思考は空回りし、何も浮かばない。

 呆然と立ちすくむ私たちを憎たらしく照らしていた夕陽が、ふっと陰る。

 顔を上げる気力もなく、青白いライアン様を見つめていると、頭上から雹を打ちつけるような冷たい声が落ちてきた。


「ルーク様。リネット様。これは由々しき事態ですよ」


 声の主は、ライアン様が倒れたと聞いて駆けつけてきた“レイモンド”という名の初老の執事だった。

 なぜこのような事になったのか、私たちは状況をありのままに説明した。


 王妃からの差し入れだと、メイドが紅茶を持ってきたこと。

 その紅茶をライアン様が飲み、倒れたこと。

 しかも、その紅茶は本来ルーク様の元へ置かれたものだったこと。


 レイモンドはメイドの特徴を聞くと、すぐさま探しに出た。

 しかし戻ってきたとき、彼の横には誰の影もなく、鋭い目だけが私たちを射抜いた。


「残念ながら、お二人から伺った特徴のメイドは王宮のどこにもおりませんでした」

「嘘……そんなはずは……!」


 スラっとした体つきに、私たちより頭一つ分高い身長。

 ブラウンの髪に内側に紫色のメッシュが入っていたのが印象的だった。

 手元ばかり見ていたから、ほかの特徴は曖昧だが、この印象だけで十分に絞り込めるはずと思ったのに――


 ……それなのに、見つからない。

 まさか、外部の人間だったのか?


 そんな不穏な想像が背筋を冷たく這い上がる。

 歯を食いしばり、握った拳に爪が食い込む。


「――このままでは、毒を盛ったのはあなた方ではないかと疑わずにいられません」


 レイモンドの言葉に、思わず目を見開く。

 なぜ、主犯のメイドが見つからないからといって、私たちが疑われるのか。


 さらに彼は、冷たい眼差しをこちらに向けたまま、わざと一拍置いてから続けた。


「……しかも、王妃様が用意したなどと――虚偽を弄して、さらに罪を塗り重ねようとするとは。“王妃の名を盾にすれば許される”とでも、お考えでしたか?」


 その声音の端に、あからさまな冷笑がにじんだ。


「ライアン様に危害をおよぼす理由がありません!」

「理由ならあるでしょう。王位継承権を奪われるのが嫌だった――そうでは?」

「そんなわけ無いじゃないですか!」

「叫ぼうが喚こうが、事実は変わりません。万が一、ライアン様が命を落とせば……ルーク様は良くて永久牢獄行きだと、王弟殿下からのお言葉です」

「なっ……!」

「それに、元をたどれば“カップを交換しなければよかっただけ”の話でしょう」


 ――そうか。

 メイドが王妃の名を出したのは、私たちを油断させるための口実。

 この毒は王弟側が用意したものなのだろう。


 なんて姑息で、狡猾なやり口なのか。


 きっと、彼らにとって毒を飲む相手は問題ではない。

 ルーク様でも、私でも、誰であろうと――ただ一人でも邪魔者が消えれば、それで十分だと考えていたのだ。

 

(嵌められた……)


 王弟からいずれ妨害を受けるだろうと思ってはいたが、まさかこんなすぐに行動を起こすとは。

 もっと警戒すべきだったのに……これは、紛れもなく私の落ち度だ。

 胸が痛み、後悔が押し寄せる。

 どうすることもできない喪失感に、私は言葉を失った。


「ライアンが、助かればいいんですよね……」


 沈黙を破ったのは、ルーク様だった。

 その声は震えていたが、まっすぐ前を――いやその先を見据えていた。


「薬もないのにどうやって?」

「それは、いまから考えます。でも、絶対にぼくたちはライアンを救ってみせます」


 そうだ。自分を責めるのは後でいい。

 医師は猶予を三日と言ったが――そんな悠長な時間はない。

 毎時間ごとにライアン様の顔色が悪くなっているのだ。

 ぐずぐずしていては、間に合わない。

 私は目頭を押さえ、強く息を吸い込んだ。


「ルーク様の言うとおりです。――私も、絶対にあきらめません。ライアン様を、必ず助けます」


 互いの決意が重なり、部屋の空気がわずかに震えた気がした。

 私がそう告げたとき、部屋の隅で腕を組んでいたレイモンドが、ゆっくりと一歩踏み出した。

 足音が床にじわりと染み込む。


「……なるほど。大変、結構なご覚悟で」


 低く湿った声が、私たちの背筋を撫でる。

 その目は冷たく笑い、しかしどこか試すような光を宿していた。


「もっとも、王弟殿下のご意向はすでに伝えたはずです。

 これ以上の騒ぎは、いずれ“処分”としてあなた方自身に返ってくるでしょう。――それでもなお、行動なさるのですね?」


 レイモンドはわざとらしく肩をすくめ、口元だけで笑った。

 だけど、私たちの決意は変わらない。

 大きく頷き、「解毒薬を作ってみせる」と彼に告げた。


「では――せいぜい足掻いてみせてくださいませ。もっとも、その先がどんな末路か……申し上げるまでもありませんが」


 その言葉を残し、彼は深く一礼もしないまま、重い足音を響かせて部屋を後にした。

 扉が閉まると同時に、胸の奥に冷たいものが落ちていくのを感じる。

 恐怖と、悔しさと――それでも負けないという強い決意が、同時に胸を満たしていく。


 ベッドに横たわるライアン様の顔はさらに青白く、呼吸が浅くなっていく。状況が悪化していることが、素人の目で見ても、わかるほどだった。


「先生、どうか……症状を、もう一度詳しく教えてくださいませんか?」


 私は医師へ詰め寄るように問いかけた。

 医師は戸惑いながらも、震える声で症状を並べていく。

 浅い呼吸、腹のくだし、意識障害、そして――


「……先ほど、舌の裏がわずかにただれておりました。口腔を侵す毒は珍しく、特有の症状です」

「舌の裏……ただれ……」


 思わずその言葉を繰り返す。

 その瞬間、私の横でルーク様が小さく息をのんだ。


「もしかして……! リネット様、一緒に来てください!」

「え、ええ」


 彼に手を引かれ、私たちは部屋を飛び出した。

 走っている私たちを見て、すれ違う使用人たちは皆目を丸くさせている。

 そんな周りの目など気にならないと言わんばかりに、彼は走り続けた。

 数分走り続けたのち、たどり着いたのはルーク様が手入れをする花壇だった。


「やっぱり……」

「……っ……はぁ、はぁ……なに、が……ですか?」


 走った衝撃で胸が上下し、息が乱れる。けれど、ルーク様はほとんど乱れていなかった。

 私の質問に対し、彼はすっと指を指した。


「花壇の一部……根こそぎ刈り取られています」


 彼が指差した花。

 それは、以前“毒がある”と言われ、触ることを止められたピンク色の花たち。

 見ると、確かに根っこから花までごそっと一部分が刈り取られていた。


「この花、確か毒があるんでしたっけ……」

「はい、オレアンダーといいます。根、花、葉すべてに毒を含み、口にすると、嘔吐や下痢、意識障害、血圧低下などを起こします。また、粘膜に炎症や爛れを起こすこともあるそうです」

「それって――」


 ライアン様に現れた症状と全く同じだった。

 

「はい。おそらくこちらの毒が利用されたのでしょう。

 それに、先程医者から聞いた話――食中毒の症状にも似ていませんか?」


 はっとしてルーク様を見つめる。

 確かにライアン様に使うにはあまりにも量が刈り取られすぎている。

 おそらく、犯人ははじめにお茶会で毒の効力を確認し、使えると確信して紅茶に毒を仕込んだのだろう。


(なぜ、そんな無慈悲なことができるのだろうか――)


 あまりにも計画的で、無差別なその犯行に体が震えた。


「ですが、毒の原因が判明できました――これで、解毒剤が作れます」

「そんなこと、できるんですか!」


 ルーク様は柔らかく笑うと、読んでいた書物にオレアンダーの毒に効く薬草や材料が記載されていたことを教えてくれた。


「ある程度は近くの庭園で見たことあるので用意できますが……問題は“マリアアザミ”ですね」

「マリア、アザミ……?」

「はい、暖かいところに生息する花です。そのため、王都ではめったに見つけられません。排毒性が高いので、こちらが無いと厳しいかと」


 ルーク様の言葉に、胸の奥がぐっと締めつけられた。

 王都近辺ではまず見つからない――それならお父様にお願いしたところで、すぐに手に入れることは難しいだろう。


 誰か、他に植物について詳しい方は……――


「庭師様なら、ご存じでしょうか……?」


 ぽつりと零した言葉に、ルーク様ははっと顔を上げ、力強く笑って答えた。


「確かに、王宮一の庭師さんなら、何か情報を持ってるかもしれません! 行きましょう、リネット様!」

「ええ、急ぎましょう!」


 考えるより早く、私たちはすぐに駆け出した。


***


「庭師様!」


 王宮の裏手にある温室のそば。

 夕暮れの光の中、剪定ばさみを手にした老練の庭師が、棚を整理していた。

 急ぎ足で近づいた私たちに、彼は驚いたように顔を上げる。


「……おや、お二人とも、どうされました?」

「“マリアアザミ”をご存じでしょうか。紅紫のトゲのような見た目の花なのですが……」


 問いかけると、庭師は目を細め、記憶をたどるように顎に手をやった。

 しばらく沈黙したのち、ぽつりと言葉を落とす。


「――それなら、つい先日、王妃様の庭園で見かけましたよ」

「本当ですか!」

「ええ。陛下が身体の弱い王妃様のために、各地域の珍しい花を集めておられてね。南国から取り寄せたとか……まだ根付くかどうか心配だと仰っていたが、確かに数株は咲いておりました」


 その言葉を聞いた瞬間、胸に希望の火が灯るのを感じた。

 これさえ手に入れば、ライアン様が助かるかもしれない。

 ルーク様と目を合わせ、私はすぐに頭を下げる。


「ありがとうございます、庭師様! 王妃の庭園へ行ってみます!」

「役に立てたのなら何よりです。どうかお気をつけて」


 私たちは息を弾ませたまま、深く頭を下げて走り去った。

 だが、走り出してしばらくすると、ルーク様がふいに足を止め、険しい顔で俯く。


「どうされたんですか? 急がないと……!」

「リネット様、ここから先は――ぼくだけに行かせてください」

「ど、どうしてですか?」

「解毒剤にはマリアアザミだけでは足りません。他に蒸留したワイン、そして上質なはちみつが必要です。ここで手分けをして、時間を短縮させませんか?」


 彼の提案に、私はすぐに頷くことができなかった。

 確かに、一刻を争う状況だ。

 王妃様だけなら、きっと話を聞いてくださるはず。けれど――もしそこに国王陛下が居合わせたら? あの方はルーク様を“悪魔の子”と呼ぶ人だ。説得するには、一筋縄では行かないだろう。

 それならば、むしろ私が行ったほうが良いのかもしれない。


「だけど……」

「大丈夫です、任せてください」


 その表情は、もう迷いのない、すべてを決めた凛としたお顔に見えた。

 分かっている――もう彼は、何もできなかったあの日の少年ではない。

 私を上回る体力と知識をつけ、大切な友のため行動すると決めたのだ。


「……わかりました。では、私は公爵家に戻って、必要なものをすぐに手配します」


 この王宮では、どこに王弟の影が潜んでいるかわからない。

 ならば、時間がかかっても信用できる場所からそろえる方が確実だ。

 ルーク様も同じことを思っていたようで、私の言葉に深く頷いた。


「お願いします、リネット様」

「ええ……必ず」


 夕焼けの廊下で、私たちは短く視線を交わした。

 言葉は交わさずとも、互いの思いは同じだった。


 そして私たちは、それぞれの役目を果たすため、背を向けて駆け出した。

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