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「え……な、何言っ……!」
「ルーク様、あなたは人を思いやれる、とてもお優しい方です! 実は、私もお会いするまでは誤解していました」
「そ、そんな……」
「いいえ、間違いなくそうですわ。だから、もっともっとあなたのことを知りたいのです」
「え……な……っ」
手を握ったまま彼にぐぐぐっと近づく。
すると、先程ようやく合った彼の視線が、上に、左に――そして今度は右下へ。まるで逃げ場を探すように泳ぎだす。
でも先程の私の言葉に嘘や偽りは一つもない。
彼のこと、彼の本心、彼の意思をもっともっと良く知りたい。
だって、いくら私が頑張ったとしても彼に変わる意思がなければ意味がないのだから。
けれどもし、彼に変わる気持ちがなかったとしたら――そのときは、別の道を探さなくてはならない。
真っ先に思い浮かぶのは“国王夫妻の救済”、そして“婚約破棄”だ。
――けれど、どちらも現実的ではない。
淑女の教育を受けてきた私が国王様たちを守れるよう勉強、訓練するには時間が足りない。それに女性の力で出来ることも高が知れている。
婚約破棄に関しても、日頃王族入りを夢見ていた父がこの絶好のチャンスを逃すはずがない。
結果、更生ルートが一番生き残れる可能性が高いのだ。
だから、どうか……彼に少しでもその兆しがあれば――
「ぜひ、私と……先ずは、お友達から始めませんか?」
彼の手を包みながら祈りの手を作る。
中にあるその手がわずかに震え、逃げようと辿々しく指が動く。
――そして私は、気づいてしまった。
乾燥しきってひび割れた指先、爪はまるで刃のように長く尖っていた。
近くで見ると、肌や髪もひどく汚れ、臭いも強い。白く粉を吹いたようなフケが、漆黒の髪に浮かんでいた。
……それはまるで、城でどんな扱いを受けてきたかを物語っていた。
いくら嫌われていたとしても、ここまで放置されてよいものだろうか。
両親である国王陛下と王妃様は、この姿を見て、何も感じなかったのか。
……心を痛める者は、ひとりもいないのだろうか。
「あ、あの……は、離し……っ!」
突然、彼が手を振り払う。
「きゃっ!」
同時に鋭く伸びた爪が私の手をかすめ、一本の傷を残す。
「いっ……」
わずかな痛みと共に、じんわりと赤い雫が滲む。
それが血だと理解したのは、目の前の彼が「ち……血!?」と慌てていたからだった。
「あ……ぼ、ぼく……!」
「ああ、爪で切れたんですね。かすり傷ですから大丈夫ですよ。それより、ルーク様もお怪我はありませんか?」
私の声は聞こえていないのか、彼は青ざめ、震える指で唇を押さえる。
「……ご、ごめ……」
そして、まるで壊れた人形のように同じ言葉を繰り返す。
「ぼくのせいだ……ぼくのせいだ……ぼくのせいだ……」
肩を小刻みに震わせながら、今にも崩れ落ちそうに立ち尽くす彼。
その瞳からこぼれ落ちた大粒の涙が、ぽたり、ぽたりと床を濡らした。
「ルーク様、本当に、私は平気ですから――」
「ごめん、なさい……っ!」
ついに、彼は堪えきれなくなったようにドアを開け、部屋から飛び出していった。
予想外の素早さに、私はただ唖然と立ち尽くすしかなかった。
「……やってしまった」
静まり返った部屋の中、私はこめかみに手を当てて息を吐き、力なく椅子に座り込む。
そのとき、扉が静かに開く。
「リネット様……ご無事ですか?」
そっと顔を覗かせたのは、心配そうな顔をした城仕えのメイドたち。
「ええ、大丈夫です。少し……驚かせてしまっただけなんです」
微笑みながら、私はハンカチを取り出し、滲んだ血をそっと拭った。
指先より、胸の奥のほうが――ずっと、痛かった。