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国一番の美少女だけど、婚約者は“嫌われ者のブサイク王子”でした  作者: 玖坂
第二章:陽だまりにほどける、蕾たち

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 赤紫色に染まるぶどう畑には、いつも心地よい風が吹いていた。

 小さな村の一角で、俺はその風景に囲まれて育った。


 父は公爵家から任された代官として、この農業に向かない土地でぶどうを育てていた。

 痩せた土壌、冷え込みやすい気候――それでも、父は毎年必死に食らいついた。

 当然のように、その努力は俺にも求められた。


「今年が駄目なら、手放すしかないかもしれない……」


 五歳の誕生日を迎える直前、父がこぼした一言が、今でも耳に残っている。

 この畑がなくなる――その可能性に、子どもだった俺は強い拒絶を覚えた。


「そんなの、絶対に嫌だ!」


 あの風、匂い、土のぬくもり。なにより大好きなぶどう畑がなくなるなんて、想像もしたくなかった。

 子どもだった俺は、ただその景色を守りたくて、無我夢中で祈るように土に向き合った。

 けれど、現実はそう上手くいかなかった――


 そして訪れた、運命の日。

 村の命運を握る領主が視察にやってきたのは、皮肉にも俺の誕生日だった。

 高級な馬車が止まり、中から降りてきたのは――まるで赤ぶどうの雫をまとったような髪を持つ少女。

 澄んだ瞳と、背筋の通った佇まい。その姿に、俺は息をのんだ。


(……きれいだ)


 王都の人間は、こんなにも眩しいのか。

 土まみれで痩せこけた自分と、あまりにも違いすぎて――とてつもなく、恥ずかしくなった。


 父は震える手で、今年のぶどうを差し出す。


「領主様……こちらが、今年の出来でございます……」


 領主はぶどうを一粒口に含むと、すぐに顔をしかめた。

 そして、それ以降手を伸ばすことはなかった。


「……これは、もう無理だな。とても街に出せるものではない」

「ど、どうか……もう一年だけ……!」


 父の懇願も空しく、領主は冷たく告げた。


「この一年が最後の猶予だった。もう十分だ」


 父はその場に崩れ落ち、村の人々のすすり泣く声が響いた。

 俺は、ただ唇を噛みしめた。自分が何もできないことが悔しかった。


 領主は背を向け、馬車へ戻ろうとした。そのとき――


「お父様、私も一粒いただいてもよろしいでしょうか?」


 凛とした少女の声が空気を裂いた。

 ……リネット様だった。


 彼女は、父からぶどうを一粒受け取り、迷いなく口にした。

 そして、ふわりと笑った。


「これは――続けた方がいいですわ」


 あまりに意外な言葉に、場がざわつく。

 俺も、父も、領主さえも、彼女の口元に視線を奪われていた。


「どういう意味だ、リネット。この渋さでは、食用には向かん」

「ええ、ですが――“ワイン”には最適ですわ」


 香りが強く、酸味と渋みのバランスが良い、

 この気候も発酵に向いている――と、彼女はさらりと語る。


「このぶどうを“ワイン専用”に育て直せば、きっと価値が出ます」


 領主は眉をひそめながらも、彼女の提案に耳を傾けた。


「……失敗したら、お前は責任取れるのか?」

「ええ。約束します。絶対に成功させてみせますわ」


 堂々とそう言い切る姿に、父が慌てて止めに入る。

 けれど彼女は――一歩も引かなかった。


(……ああ、恋をする瞬間って、こんな感じなんだ)


 幼いながらに、俺は確かにそう思った。

 美しいだけではない、その堂々とした姿に、俺は恋に落ちていた――


 それから、リネット様は何度も村を訪れた。

 専門家を連れ、土壌を調べ、父と共に試行錯誤を繰り返した。

 俺も手伝った。子どもなりに、必死だった。


 そして一年後――


 彼女が導いたワインは王宮に献上され、“陛下御用達”という栄誉を得た。

 父はその功績から爵位を授かり、今も幸せそうにぶどう畑に囲まれている。


「リネット様、本当にありがとうございました!!」


 村民全員で頭を下げる。

 リネット様は目を大きく開き、愛らしく微笑んだ。


「この村はまだまだ成長途中です。これからも頑張ってくださいね」


 ああ、彼女が王都へ戻ってしまう。

 もう簡単に会うことも難しいだろう。


(……いやだ)


 もっと彼女と話したい、

 もっと彼女を知りたい、

 もっと彼女の側にいたい、

 これが最後なんて――絶対に嫌だ。


 彼女が馬車へ戻ろうとしたとき、俺はたまらず声を上げた。


「どうしたら……あなたのようになれますか!」


 もう一度、堂々と彼女の前に立ちたかった。

 救われた恩を、返したかった。


 その問いに、リネット様は静かに答えてくれた。


「知恵は、何よりの武器です。

 誰かを守りたいなら――まずは、学びなさい」


 そう言い残し、彼女は王都へ帰っていった。


 ――彼女から本や資料がたくさん届いたのは、僅か数日後のことだった。

 農業だけではなく、爵位をもらった父のために作法のマナー、歴史から有名な本まで沢山。


 そこから俺は必死に勉強をした。

 彼女のようになりたかった。

 誰かの未来を変えられるような人に。

 今度は、俺の“知恵”で、あの人を守れるように――


「リネット様が……婚約、された……?」


 その頼りが届いたのは、数ヶ月前のこと。

 分かっていた。成り上がりの男爵家令息と公爵家令嬢なんて釣り合わない。

 彼女と恋仲になることなんて絶対に無い。

 だけど、それでもこの思いを無かったことにはできなかった。


 さらに、婚約者があの“嫌われ者のブサイク王子”ときた。

 許せなかった。認めたくなかった。


「あんな奴に渡すぐらいなら……」


 ――いっそ、俺が彼女を奪ってやりたい。

 彼女が困ることのないよう、一生籠に閉じ込め、めちゃくちゃに可愛がりたい。

 

“俺の全てを、彼女へ捧げたい”


 悔しさのあまり、周りに当たり散らかしてしまうこともあった。

 しかし、その一ヶ月後、転機が訪れる。


「公爵家の、跡取りですか……?」

「お前なら適任だと、声がかかったんだ。――恩を返せる機会だと思わないか?」


 公爵家の養子になる。

 それは、父と母に別れを告げることを指す。

 彼女へ恩は返したい。だが、両親を捨てるようなこと、俺にはできなかった。


「私達のことは気にしなくていい」

「だ、だけど……!」

「お前の気持ちはよく分かってる。だからこそお前はもっと先を見据えるべきだ。

 幸せな未来を切り開いてほしい、だからお前にこの名を付けたんだよ――“ノヴァリア(未来の希望)”」


***


「………っ……ここは……?」


 どれぐらい寝ていたのだろうか。

 ゆっくりとまぶたを開けると、茜色の光が部屋を包んでいた。


(……身体が、軽い)


 驚いたことに、熱がひいたようだった。

 いつもなら、もう二、三日は長引くはずなのに。

 乾いた喉を潤すために、手を上げたとき、違和感に気がついた。


「……ああ、お姉様が側にいてくれたから、ですね」


 ぎゅっと手を握りしめ、顔をベッドに伏せたまま、リネット様は眠っていた。

 擦れて化粧が落ちたのか、目元には隠していた隈がうっすら浮かんでいる。

 

 彼女と王子の婚約は、望まぬものだと思っていた。

 しかし、実際は違った。

 俺が来てからも毎日文通を交わし、彼のために時間を費やしている。

 それが悔しくて、羨ましくてたまらない。


 だけど、彼女の幸せのためならば――と、心に蓋を被せた。


「……こんな割れた蓋じゃ、気持ちは溢れるばかりですね」


 彼女が起こさぬよう、身を起こし、


 静かに眠る愛らしいその額に、そっと唇を落とした――

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