第79話 新たな絆、裏切りの果てに
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今回は、ノヴァたちが精霊郷で修行に入る少し前、王国の裏でうごめく陰謀が明らかになります。ギュンター卿の屋敷を襲う暗殺者、ヴァルターの決意、そしてノルレア自由都市の影。静かな忠誠と裏切りの狭間で、運命の歯車が動き出します――。
ノヴァたちが精霊郷で修行に入る数日前、グロリアス辺境伯領のギュンター卿の屋敷は突如として緊張に包まれた。深夜、降りしきる激しい雨の中、五人の黒装束の男たちが音もなく壁を乗り越え屋敷へと忍び込んだ。その手には鋭利な短剣が握られていた。
彼らの目的はヴァルター男爵とノヴァの暗殺である。その頃ヴァルターはギュンター卿の部屋でリヒトと共に今後について話し合っていた。
「本当にこのまま身を預けてしまってよいのでしょうか……?」
リヒトが不安げに尋ねる。
「ああ。エルネスト辺境伯様と侯爵家の方々が決められたことだ。それに、ギュンター卿の庇護下にある限り、クライン公爵家も迂闊には動けまい……」
その時、窓の外から何かがぶつかる音がした。ヴァルターとリヒトが顔を見合わせ身構えると、ドアが開き剣を抜いたギュンター卿が現れた。
「……どうやら、招かれざる客が来たようだ。ヴァルター殿、私の後ろへ!」
「ギュンター卿! まさか……!」
「王都の駆け引きはすでに我々の知らぬところで激化しているらしい。殺気が漂っている……!」
言葉が終わるより早く、五人の男たちが窓を蹴破って雪崩れ込んだ。その身のこなしは騎士団のものではなく、ただ殺しに特化した動きだった。
「ヴァルター男爵……クライン公爵閣下より“ご苦労様”との伝言だ。その舌を縫い付け、永遠の眠りをくれてやろう」
冷酷な声とともに、五人が一斉に襲いかかる。ギュンター卿は剣聖としての実力を発揮し、老体とは思えぬ速さで捌いていく。しかし、暗殺者たちの連携は完璧で、容易には崩れない。ヴァルターとリヒトは恐怖に震えるばかりだった。
その時、扉が勢いよく開く。剣を握ったノヴァの弟リアムが飛び込んできた。
「師匠! 何事ですか!? 襲撃!? 私も加勢します!」
状況を一瞬で理解し、剣を構えるリアム。暗殺者たちは彼を一瞥すると、再びギュンター卿へ襲いかかった。
「坊主、お前も短い人生に幕を閉じろ!」
「うるさい! 師匠に手は出させない!」
叫ぶや否や、リアムは風の魔法で素早く回り込み、一人の背を切り裂く。暗殺者は驚愕と苦痛に顔を歪めた。
「ガキのくせに……!」
鋭利な短剣が迫るが、リアムは光の魔法を剣に宿し相手をけん制する。
「リアム! ここは任せて、ヴァルター殿たちを頼む!」
「承知! 師匠もお気を付けください!」
加勢により形勢が傾いたと見た暗殺者たちは距離を取った。ギュンター卿はその隙に叫ぶ。
「ヴァルター殿! 私を囮に、裏口から逃げろ!」
「すまないがギュンター卿……俺は、もう逃げない!」
ヴァルターは震えながらも前へ進み、懐から一冊の手帳を取り出した。
「これは、クライン公爵家との取引を記録した手帳だ! 俺を殺しても、この証拠は残る!」
直後、暗殺者たちが飛びかかる。
「その命と共に、証拠も消えろ!」
刃が迫った瞬間、ギュンター卿が電光石火の速さで剣を振るい、三人を吹き飛ばした。
「……ヴァルター殿。そこまで覚悟を決めていたとは」
「俺はただ、自分の愚かさを償いたかっただけです……」
涙を流すヴァルター。ギュンター卿は倒れた暗殺者の所持品から一枚の羊皮紙を拾い上げた。そこにはクライン公爵家の紋章とともに、こう記されていた。
『……ヴァルター男爵と、彼と関わるすべての者、特にノヴァを排除せよ。これは王国の秩序を維持するための当然の処置である ――グレン・フォン・クライン』
「見ての通り、グレンは己の愚かさに気づいていない……」
ギュンター卿は装備に目をやり、小声でつぶやく。
「……これは正規の騎士団のものではない。傭兵か……? それに、この短剣……ノルレア自由都市の流通品……ノルレア!」
表情が険しくなり、ステラ村での悲劇を思い出し怒りが込み上げる。
「あの忌まわしい連中がノヴァを狙っているというのか……許さん!」
その時、ヴァルターの脳裏にクライン公爵との会話が甦る。
『……ヴァルター君、我が息子を支えてくれれば、一族の門地は全面的に保証しよう……。我々の同志は王都だけではない。ノルレア自由都市の評議員商人とも手を結んでいる……』
当時は軽い話と聞き流していたが、今すべてが繋がった。グレンはヴァルターを切り捨て、秩序を乱す存在と偽り、王国最大の脅威ノルレアと組んでいたのだ。
ギュンター卿はヴァルターの肩に手を置いた。
「ヴァルター殿、昔の師匠の一人として言わせてもらう。君の覚悟、しかと受け取った。もう逃げるな。過ちを正すため戦え」
「はい……俺はこの罪を償い、この陰謀を暴きます」
「いいか。これから歩む道は苦難に満ちているだろう。だが君は一人ではない」
老いた手で肩を叩き、続けた。
「君は、私が大恩ある先代アルフォンス・フォン・アウグスト卿から託された唯一の血筋だ」
ギュンター卿の声は力強かった。
「アルフォンス卿は領民を愛し、その高潔さは王国に影響を与えた偉大な領主だった。私は彼に見出され、剣聖として育てられた。そして今、その遺志を継ぐ者として、お前の師として戦おう」
まっすぐにヴァルターを見据える。
「彼の遺産は金銭ではない。信念と信頼だ。それを君が取り戻すことこそ、償いであり新たな始まりとなる」
「ギュンター卿……!」
ヴァルターの目に涙があふれる。父アルフォンスが命を削って築いた名声と財産を、自分は食い潰してきた――その事実に初めて気づいたのだ。
夜が明け、屋敷を襲った雨は止んでいた。ヴァルターはギュンター卿と共に、エルネスト辺境伯の執務室へと向かう。道中ヴァルターは震える声で、自家の負債のこと、クライン公爵家との取引、全てを包み隠さず語った。ギュンター卿は静かに耳を傾け、時折深く頷いた。彼の表情は厳しく、しかしヴァルターを咎める色はない。
執務室の扉が開くと、そこにはグロリアス辺境伯エルネスト・フォン・グロリアスと、その嫡子ライナス、そして筆頭執政官ユリウス・フォン・グロリアスの三人が待ち構えていた。エルネスト辺境伯は、一見穏やかな顔つきだが、その瞳の奥には鋭い光が宿っている。
「ギュンター殿、ヴァルター殿。何があったのか、話してくれ。」
ギュンター卿は手短に深夜の襲撃事件を報告した。
「クライン公爵家が放った刺客は、五名の傭兵でした。彼らが所持していた武器や装具から判断するに、ノルレア自由都市の傭兵団と見て間違いありません」
「ノルレア自由都市……だと?」
エルネスト辺境伯の表情が一瞬にして硬くなる。ノルレア自由都市は、王国の法に縛られない独自の自治を敷き、その陰で王国の不安定化を画策していると噂される無法地帯だ。
「ヴァルター殿。クライン公爵家がノルレアと手を組んでいるというのか?」
エルネスト辺境伯の鋭い視線に、ヴァルターは動じずに向き合う。ヴァルターは深く頭を下げ、手帳を差し出した。
「……はい。俺は愚かにも、クライン公爵家の甘言に乗せられ、このような卑劣な行いに加担してしまいました。この手帳には、公爵家と当家との詳細な記録が記されています。そしてこちらが刺客より手に入れた羊皮紙です」
エルネスト辺境伯は手帳を受け取ると、慎重にページをめくっていく。そこに記された内容を見て、彼の顔がさらに険しくなる。ライナスとユリウスもその内容を覗き込み、驚愕に目を見開いた。
「……クライン公爵家のグレンが、ノルレア自由都市の傭兵団に暗殺を依頼していたというのか……?これは明らかな犯罪行為だ!しかも外部の国に頼むなど貴族としてあるまじき行為。卑怯きまわりない!!」
ユリウスが震える声で呟いた。普段の冷静沈着な様子からは想像もつかない激情ぶりだった。
「クライン公爵家……彼らはノルレア自由都市群とどの様な繋がりが有るのか……。」
エルネスト辺境伯は深くため息をついた。
「一度クライン公爵にお会いした時、ノルレア自由都市の評議員商人と繋がりが有ると漏らされていました。」
「ヴァルター殿。君は自分の命を危険に晒して、この証拠を私に託してくれた。その勇気に感謝する。だが……君が償うべき罪は、グレンの悪行に加担したことだけではない。君が、君の父アルフォンス・フォン・アウグスト卿が築き上げた偉大な遺産を、無為に食い潰してきたことだ。」
エルネスト辺境伯の言葉に、ヴァルターは再び頭を垂れた。
その日の昼過ぎ、グロリアス辺境伯の屋敷の会議室に、主要な家臣たちが集められた。エルネスト辺境伯はヴァルターから受け取った手帳の内容をユリウスと共に説明した。
「……クライン公爵家が、ノルレア自由都市とつながっている、今回の件はグレンの独断専行だろうが。国内で有数の大貴族と他国の高位のものが裏でつながっていることは由々しき事態だ。」
家臣たちは、辺境伯の言葉に息をのんだ。
「しかし、クライン公爵家もそこまであからさまに国内に混乱をもたらそうとは考えますまい。」
「ノルレア自由都市……あの忌まわしい無法者の悪徳商人たちが、王都にその手を伸ばしている……。」
ライナスが落ち着いた声で口を開いた。
「父上。この件は、ただちに王家に報告すべきですが、クライン公爵家は王家とも繋がりが深く、迂闊に動けば我々が逆に反逆者として扱われる可能性があります。」
ユリウスも同意見なのだろう大仰に頷く。
「ライナス様のおっしゃる通りです。まずはこの手帳の信憑性とヴァルター男爵言っていた評議員商人とのかかわりなどの裏付け調査が必要です。そして王都の有力者で、クライン公爵家と敵対している派閥と密かに連絡を取るべきでしょう。」
エルネスト辺境伯は、二人の意見に満足そうに頷いた。
「うむ。ライナスの言う通り、慎重に行動しなければならない。ユリウス、手帳の内容を精査し、裏付け調査を始めなさい。そして私自身が王都の侯爵家と連絡を取ろう。この事態を公にすれば王都にいる我々の派閥のものたちも危険に晒される。まずは信頼できる者たちだけで、この陰謀の全貌を明らかにしなければならない。」
その時、遠くから1台の馬車が屋敷へと近づいてくるのが見えた。ノヴァたち一行の馬車だった。しばらくすると屋敷にノヴァたちが姿を現わした。
「ノヴァ! 無事だったのか!」
ライナスが駆け寄る。
「はい。おかげで無事に戻ってこれました。」
ノヴァはライナスの顔を見て、笑みを浮かべた。辺境伯もまた、ノヴァの無事を喜び彼に寄り添っていた。
「ノヴァ、よくぞ無事帰ってきてくれた。」
その日の夕食時、ノヴァたちは食堂で辺境伯一家やギュンター卿と共に食卓を囲んでいた。エレノアも呼ばれており、精霊郷での出来事をかいつまんで語った。
「精霊郷では、本当に素晴らしい出会いがありました。魔法の才能も郷のエルフのおかげでさらに高みに至り、付与魔法の情報も得てさらに発展させることができます! 精霊の森にいる精霊たちとも心を通わせることができたんですよ。」
ギュンター卿はエレノアと共にノヴァの言葉に静かに耳を傾け、じっと見つめていた。ノヴァの瞳の奥にはかつてないほど強い光が宿っている。彼が新たな希望と力を手に入れた証だった。
食事を終え、ノヴァはライナスに連れられ、屋敷の中庭を散歩していた。
「ノヴァ。君は少し変わったな。」
「……そうですか? 僕は何も変わっていないつもりですが……。」
「いや、変わった。前のお前はどこか迷いを抱えていた。だが今の瞳には、確固たる決意が宿っている。まるで父上……いや、剣聖ギュンター殿のように……。」
ライナスの言葉に、ノヴァは微笑む。その時、ノヴァの頭の中に、精霊郷で聞いた神霊の長老の声が響いた。
『……ノヴァよ。汝には、新たな試練が待ち受けているであろう。汝の力は、この世界の光となるか、闇となるか……それは、汝自身の決意にかかっている。』
ノヴァは静かに空を見上げた。満月が、彼の決意を照らすように輝いている。冷たい夜風に髪をなびかせながら、彼の胸には確かな覚悟が芽生えていた。
「……よし。覚悟はできた。もう、逃げはしない。」
その目には、かつてないほどの強い光が宿っていた。ノヴァの物語は、今、新たな章へと進もうとしていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回、ヴァルターがついに過去と向き合い、ギュンター卿との間に新たな絆が生まれました。
その一方で、ノルレア自由都市とクライン公爵家の闇が姿を現し、王国は不穏な気配に包まれます。
次回、ノヴァの決意が未来を照らす新たな章へ――どうぞお楽しみに。
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