第74話 貴族たちの思惑
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今回は、ヴァルター男爵の過去と、貴族たちの思惑が交錯する回です。死の淵から生還したヴァルターと彼を支えるリヒト、そしてノヴァたちの信頼と判断が試されます。辺境伯領での一連の出来事を通して、政治的駆け引きと家族の絆、信念が静かに描かれます。
傷を負ったヴァルター男爵の治療中に、腹心のリヒトが現れヴァルターの助命嘆願の一幕があったが、ノヴァの治癒魔法とカイルの応急処置により、かろうじて死の淵から生還した。ノヴァたちは一度辺境伯領のギュンター邸へ向かうことにする。
馬車の揺れの中、腹心のリヒトは手厚く介護をしながらも、時折、彼の表情を気遣うように見つめた。ノヴァはヴァルターの涙ながらの告白を思い出し、複雑な表情で窓の外の景色を眺めていた。隣に座るレオンハルトが静かに口を開く。
「ノヴァ、本当にこの男を信じるのか? 奴は我々を陥れようとした、まごうことなき敵だ。裏切り者が簡単に心を入れ替えるなど、現実ではあまりありえないことだ」
ノヴァはレオンハルトの言葉に静かに首を振った。
「信じますよ。彼はもう敵ではない。それは魔力の流れにも出ている。それに彼がいなければ、真の敵にたどり着くことはできない」
ノヴァの言葉に、ヴァルターが弱々しく笑う。
「はっはっは……ノヴァ殿、君は本当に面白い。この私を信用してくれるとはな……。リヒト情けない顔をするな。私はまだお前と話したいことが山ほどあるのだから」
「……はい、旦那様」
リヒトの瞳にかすかな希望の光が宿る。一行は、グロリアス辺境伯領のギュンター卿の屋敷へと到着した。屋敷の扉が開くと、そこには、ヴァルターがかつて辺境に追いやった剣聖ノヴァの義理の祖父であるギュンターが立っていた。
「ヴァルター殿。……久しぶりだな」
ギュンターの言葉には冷たさも、憎悪もなかった。ただ静かにかつて自分が仕え、また一時は師事をしたこともあるアウグスト男爵家の御曹司を見つめている。
「ギュ、ギュンター卿……」
ひとまず一行は各客室へと通され、その後応接間へ集まった。ノヴァは事の内容をギュンター卿に報告し終わると、ヴァルターは椅子に座り、過去の出来事をぽつりぽつりと語り始めた。なぜギュンター卿を辺境に追いやったのか、当時のアウグスト男爵家の経済状況、そして高位貴族(クライン公爵)からの陰湿な圧力。
「父上の後を継いで周りの期待に応えられず、私は焦っていた……。私が受け継いだ途端に領地経営は火の車、その焦りにつけ込まれ……。最後にはクライン公爵家の言う通りにすれば、アウグスト家は再興できると、そう信じていたんだ……!」
ヴァルターの言葉に、リヒトが静かに補足を入れる。
「はい。アウグスト男爵家は、ノルレア自由都市群との国境ということでの当主(ヴァルターの父)が国からの要望により領地拡大、防衛強化を計画しすすめておりました。その莫大な資金のほとんどが前領主の信用から得られていたものでした。」
リヒトは自分が親から家業を継いだ時を思い出しその時のアウグスト男爵家の状況を説明する。
「先代様が急に亡くなられたことで信用問題が発生しアウグスト男爵家は深刻な財政難に陥っておりました。家中では辺境伯家を頼る話も出ましたが、借財のほとんどがクライン公爵家に由来するものである以上……思惑に沿って動く他ならず……。領地を継いだばかりのヴァルター様はそれに逆らうことができなかったのです」
ヴァルターはさらに続けた。
「それで、私はお前を辺境に追いやった……。優秀な人材ということはわかっていたが、クライン公爵家からは執拗に排除するよう言われていた。愚かな私を、許してくれとは言わない。ただ謝罪をさせてほしい。」
ヴァルターの言葉に、ギュンター卿は静かに頷いた。その瞳には、かつての主家への哀れみと、当時の自分への待遇に対する納得の色が浮かんでいた。
「わかった。……しかしこの話は、一介の士爵位のものが扱える話ではない。エルネスト辺境伯様にご報告せねばなるまい。一刻も早く、辺境伯の元へ向かおう」
一行はグロリアス辺境伯に連絡を取り、辺境伯家の執務室へ赴いた。辺境伯はヴァルターとリヒトの証言を聞きながら、眉間に深い皺を寄せ、言葉に詰まりそうな様子を見せた。
「クライン公爵家か……。王家を巻き込むとなれば、軽々に動くことはできぬ。これは王国の秩序を揺るがす大事件になりかねん」
辺境伯は腕を組み、深く考え込む。ノヴァとレオンハルトは、その重苦しい空気に言葉を失った。
「辺境伯閣下、我々の父上にご相談してみてはいかがでしょうか。父上は、この事態を穏便に収める方法を考えてくださるはずです」
カイルが静かに提案すると、レオンハルトもそれに続いた。
「同感です。ノヴァの件で三家の面識も深まったはず、この件は、政治的な判断が不可欠。父上ならば、王都の貴族たちの動きを読み、最適な対処法を見出してくれるでしょう」
辺境伯は二人の方を見やり静かに頷いた。
「そうだな。ヴァイスブルク侯爵とアルマ侯爵、そして我々三家で話し合う必要があるだろう。レオンハルト殿、カイル殿、至急ご両侯爵に手紙を送ってくれ」
レオンハルトとカイルは、互いの顔を見合わせ頷いた。
「承知いたしました、辺境伯閣下。父上には、この一件の政治的背景と、ノヴァの功績を詳細に伝えます」
「はい。父上もこの事態を穏便に収める方法を考えてくださるはずです」
こうして、ヴァイスブルク侯爵家とアルマ侯爵家、そしてグロリアス辺境伯家が政治的判断を下すための会合が開かれることとなった。その間、ノヴァたちは待機を命じられ、ヴァルター男爵とリヒトの身柄は剣聖であるギュンター卿が預かることとなる。
「ヴァルター、お前は私の屋敷で預かろう。ここならばクライン公爵家の魔の手は届かぬだろう」
「……ギュンター卿、ありがとう。私がかつてお前を追いやったというのに……」
ヴァルターは言葉を詰まらせる。リヒトはそんな主人を支えながら、ノヴァたちに深々と頭を下げた。
「ノヴァ様、レオンハルト様、カイル様……。この度は、本当にありがとうございました。私たちが犯した罪は決して消えるものではありません。しかし、あなた方の優しさがヴァルター様を救ってくれました」
リヒトの言葉に、ノヴァは静かに微笑んだ。
「顔を上げてくださいリヒト殿。あなたがヴァルター男爵を案じている姿を見て、僕も彼を信じる気になったのですから」
ノヴァの言葉に、リヒトは再び涙をにじませた。数日後、辺境伯領の会議室に、二家の侯爵と辺境伯、ノヴァたちが集められた。重厚なオーク材のテーブルを挟んで、ヴァイスブルク侯爵アルブレヒト、アルマ侯爵アラステア、そしてグロリアス辺境伯エルネストが向かい合う。彼らの背後には、それぞれ腹心や護衛が控えており、ぴんと張り詰めた空気が漂っていた。
「……クライン公爵家の野望、そしてアウグスト男爵家を巻き込んだ陰謀。ヴァルター男爵の証言は、極めて信憑性が高いと判断する」
ヴァイスブルク侯爵アルブレヒトが、厳粛な面持ちで口火を切った。彼の言葉はその場にいる誰もが否定できない重みを持っていた。
「しかし、これは単なる不正ではない。公爵家が王家の血筋を貶め、王位継承権を揺るがそうとする危険な企てだ。万が一この件が公になれば、王国の秩序は崩壊しかねん」
アルマ侯爵アラステアが、穏やかな口調ながらもその言葉には冷たい響きを込めて付け加える。
「我々三家は代々、王家への忠誠を誓ってきた。この事態を看過することはできない。しかし正面からクライン公爵家と対峙すれば、それは王国を二分する内乱の火種となりうる。賢明な対処が求められる」
辺境伯エルネストが冷静に現状を分析する。その視線はノヴァたちをちらりと見た。
「そこで我々三家で連携し、この件を水面下で処理することを決定した。クライン公爵家には政治的な圧力をかけ、静かにこの一件を処理する」
アルブレヒト侯爵が告げた方針にノヴァは思わず身を乗り出した。
「政治的な圧力とは具体的にどのようなことでしょうか?」
ノヴァの問いに、アラステア侯爵が静かに微笑んだ。
「それは公爵家が保有するいくつかの重要な利権を、我々三家の管理下に置くことを要求する。例えば王都の魔石流通ルートや、軍関連の利権、王立魔術学院への寄付金の流れなどだ。公爵家はこれらの利権を失うことを恐れるはずだ。彼らにとって、これらは単なる金儲けの手段ではなく政治的な影響力を維持するための生命線だからな」
辺境伯がさらに付け加える。
「さらにヴァルター男爵の証言を記録した文書を作成し、王家や他の有力貴族に密かに回覧する。もちろん公爵家の関与を直接的に示す証拠は伏せておく。しかし我々の意図は明確に伝わるだろう。彼らはいつこの文書が公になるかわからないという恐怖と向き合うことになる。それだけで彼らの動きは著しく鈍くなる」
この話は単純な悪事を暴く話ではない。王都の政治構造そのものに深く根ざした、権力争いの縮図なのだとノヴァは理解した。
「ですがそれではグレンの罪は?」
ノヴァの問いに、アルブレヒト侯爵が冷厳な表情で答える。
「グレンの罪は我々がしかるべき形で対処する。しかしそれは公爵家を直接的に断罪する行為とは異なる。グレンが関わったとされる不正の証拠を我々の手で確保、それを基に公爵家がグレンを自ら処分するよう仕向けるのだ。その過程でグレンの罪が明らかになり、彼はその地位と権力を失うことになるだろう」
「アラステア殿の言う通りだ。公爵家が自らの手でグレンを切り捨てる。それこそが、この件を最も穏便に、そして王国の秩序を揺るがすことなく解決する方法だ」
辺境伯が静かに語りかける。それは彼らが長年培ってきた知恵と経験から導き出された、最善の策だった。
「そしてヴァルター男爵の身柄は、剣聖殿が自ら護衛を引き受けてくれた。彼がアウグスト男爵家を再興するに値する人物か?その真意を見極めるためでもある。王都の貴族たちの動きを監視しいつでも対処できるよう備えることになるだろう」
「先代のアルフォンス様には返しきれない恩義があるからな。それに……昔の教え子を助けるのも、師匠の務めだ」
ギュンター卿は、ヴァルターをちらりと見た。ヴァルターはただ静かにその言葉を聞いていた。
「ノヴァ、お前たちは精霊郷へ向かえ。お前たちが今やらなくてはいけないことはそちらの方だろう」
「師匠!ほんとにそれでいいのですか?」
「当たり前だ! お前たちをこんな政治的な駆け引きに巻き込むわけにはいかん。それにお前たちの旅は、まだ始まったばかりだろう?」
ノヴァは、安堵と感謝の気持ちを込めてギュンター卿に深々と頭を下げた。隣にいたレオンハルトが珍しく安堵の表情を見せる。
「まったく、やっと出発できるな。この数日貴族の政治的駆け引きに付き合うだけで、俺の魔力が回復する暇もなかった」
「レオンハルト先輩、先輩の得意は魔法だけじゃないじゃないですか。僕は心臓が1つしかないので、こんなに偉い人たちの前だと、ドキドキして魔力が半分も使えない気分でしたよ!」
カイルが心底ホッとした様子でノヴァの肩に手を置く。ノヴァは面白そうにカイルに尋ねる。
「おいおい、カイル。お前の得意な治癒魔法でどうにかできないのか?心臓の鼓動を抑える魔法とか」
「治癒魔法はケガや病気を治すんです!鼓動を抑える魔法なんて聞いたことも、習たこともありません!」
カイルが必死に否定する様子に、レオンハルトが静かにフッと笑った。その様子を遠くから見ていたヴァルターは、リヒトにそっと話しかけた。
「……リヒト。やはり私は運が良い男だったようだな」
「はい、旦那様。……まったく世話が焼けますな」
リヒトはそう言って深く安堵の息をついた。ヴァルターは再び涙を流していた。しかしそれは救われたことへ安堵ではなく、後悔と周りの暖かさへの感謝の涙だった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回は、ヴァルター男爵の告白とリヒトの献身により、過去の過ちと政治的陰謀の全貌が少しずつ明らかになりました。ノヴァたちは重苦しい状況の中でも信念を貫き、仲間との絆を深めます。次回は、精霊卿への旅の再開、新たな試練が展開されます。どうぞお楽しみに。
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