第54話 刻印と天才たちの化学反応
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今回は、ノヴァが仲間たちに“付与魔法”という新たな扉を開きます。
常識外れの理論と実践に、天才たちがどう反応し、どんな可能性を見出していくのか。
そして物語の裏では、学院に不穏な影が忍び寄ろうとしていました。
王立魔術学院の一角にある特設研究室。壁一面に並ぶ古文書、中央に鎮座する不可解な魔術具、そして実験台に広げられたノヴァの手帳。その空気はただの研究室ではなく、何かが生まれようとしている予感に満ちていた。
「くそっ、あと一粒……!」
ユーリが額に汗を浮かべ、砂時計の砂を完璧な速度で流そうと集中している。隣ではセシリアが複数個の水晶球を同時に安定した光で満たし、カイルは自身の魔力で生み出した優しい光を、弱った植木鉢に絶え間なく供給し続けていた。
彼らは皆数週間にわたるノヴァのスパルタ式訓練によってすでにへとへとだった。
「もうダメ……体が……動かないですわ……」
セシリアがへたり込むとユーリが笑いながら声をかける。
「セシリア、大丈夫か? もう少しだ頑張ろうぜ!」
「無理ですわ……ユーリさん、お茶を一杯いかがですか?」
「お前もな!」
ノヴァの指導は過酷だったがその効果は驚くほどに絶大だった。彼らは自分の魔術が以前とは比べ物にならないほど洗練され、無駄なロスが極限まで減っているのを実感していた。
セレスティアはノヴァから課せられた炎の魔力制御訓練を終え、その様子を冷めた目で見ていた。彼女の掌から放たれる炎は、もはや周囲の空気を歪ませるだけの単純な破壊力ではなく、炎の分子1つ1つを制御しているかのような、精密な動きを見せていた。
「フン……ようやく、あなたが少しは役に立つ男だと認めてあげますわ」
セレスティアの言葉にノヴァは表情1つ変えずユーリとセシリアの方を向いた。
「ユーリ、君の魔力ロスは七割減、セシリアは八割減だ。カイルの治癒魔術の速度も以前の三倍に向上している。セレスティアは……魔力効率は完璧だ。あとはそれを何に使うか、だ」
ノヴァは皆に休憩を促すと研究室の教壇に立ち、黒板にチョークで文字と図を書き始めた。図は今までに見たことのないものだった。
「今日から付与魔法の研究を本格的に開始する。そのためにまず君たちに知っておいてほしいことがある」
ノヴァが語り始めたのは魔術師が聞いたこともないような、異世界の知識だった。
「この世界の魔術は現象を『発動』させることに重点を置いている。例えば炎の魔法は発火という現象を起こすことに特化している。だがそれでは効率が悪い。魔力は世界に満ちているエネルギーだ。そして物質は、原子や分子という小さな粒でできている。温度とはその粒がどれだけ激しく動いているかということだ」
「……原子? 分子?温度?」
ユーリが首を傾げる。セレスティアもノヴァの言葉に眉をひそめていた。
「ノヴァ……それは、今までに教わったり本で読んだ魔術理論とはかけ離れていますわ」
「ああ、違う。だがこれが真理だ。君たちの魔術は炎というエネルギーを、分子の運動エネルギーとして物質に叩き込んでいる。魔力ロスをなくすということは、この運動エネルギーの転換効率を最大限に高めることだ」
ノヴァの言葉は今まで聞いたことのない理論であり、知らない人間がいきなり高度な講義を聞いているようで、メンバーは戸惑いを隠せない。しかし彼らがノヴァの言葉に耳を傾けるのは、彼の魔術の力がその言葉を証明しているからだった。
「そして付与魔法はこの分子に特定の『情報』を刻み込む技術だ。単に魔力を流し込むだけの『一時付与』ではない。物体そのものの性質を恒久的に改変する」
ノヴァは手帳に記された『付与魔術真録』を皆に見せる。
「付与魔法には3つの核心がある。1つは付与対象の『核』を見つけること。2つ目は付与したい魔法の『本質』を明確にイメージすること。3つ目はその情報を『符丁』で固定することだ」
ノヴァは手のひらサイズの魔石に魔力を集中させる。そしてその魔石の最も安定した中心点、つまり「核」に魔力を流し込む。次に彼の頭の中で複雑な魔力の流れと光のイメージが1つの塊となる。
「そして最後の鍵が、この『符丁』だ」
ノヴァは指先で魔石の表面に、ルーメンのルーン文字を描いた。その文字は魔石の中に深く刻み込まれると魔石は穏やかな光を放ち始めた。
「これが付与魔法だ」
「……信じられない」
セレスティアが呟く。彼女はノヴァが施した魔法が単なる一時的な光ではないことを、その魔力的な構造から直感的に理解していた。
「まさかそんな物の本質を改変する魔術が……」
カイルも驚きを隠せない。
「なぁノヴァ!それ俺の持ち物にもできるのか!?」
ユーリが興奮して身を乗り出す。
「ああ。君のローブに『硬守』という情報を刻み込めば殴られても。いや剣で攻撃されても大丈夫になる可能性は高い」
「すげー! じゃあ、俺の体にも……」
「それは無理だ。生物に付与魔法を施すことは理に反する。改変できないようだ」
ノヴァの言葉にユーリはガクッと肩を落とす。
「なんだよ、つまんねー」
「つまらないなんてとんでもない! ノヴァさんこの『符丁』はこの世界の文字とは違うようですが……」
セシリアが、ノヴァが書いた線について尋ねる。
「これは漢字という文字だ。1つの文字に複雑な概念を圧縮できる。この符丁を使えばルーン文字よりも少ない文字でより強力な効果を付与できる。物には素材や性質により込められる文字数、と言うか力に限界がある。漢字を使用すればルーン文字より多くの効果を付与することが可能だろう。」
ノヴァの講義を聞きながらセレスティアの頭の中では、炎の魔術と付与魔法が融合していくイメージが広がっていた。
「……付与魔法の『本質』を明確にイメージする、ですか。それなら炎の持つ『破壊』と『再生』の2つの側面を、1つの符丁に込められれば……」
彼女はノヴァの隣に立ち手帳を覗き込む。
「この文字は『炎』と読むのですか? この文字は私の魔術にどういった情報を与えるのでしょう?」
ノヴァは、セレスティアの洞察力に驚きながらも、その質問に答える。二人の間には魔術への純粋な探求心からくる新しい絆が生まれ始めていた。
一方カイルはノヴァが施した魔法の穏やかな光を見てある提案を思いつく。
「ノヴァさんこの付与魔法を治癒に使うことはできませんか? 例えば包帯に癒しの文字を刻み込めば傷の治癒を早めることができるのではないかと……」
カイルの提案にノヴァは目を丸くする。普通の人には考えつかない生まれながらの治癒士ならではの発想だった。
「素晴らしい発想だカイル。普通の素材の布には付与するのは無理だがその可能性追求してみよう」
「じゃあノヴァ俺のローブに付与してくれよ!」
ユーリが目を輝かせて申し出る。
「いいだろう。だが今はまずみんなの魔力を物質に定着させる練習からだ。無駄な魔力ロスをなくすために、その感覚を体に覚えさせる必要がある」
ノヴァはユーリにローブではなく彼の足元の魔石に魔力を流し込むよう指示した。
「えー!俺のローブじゃないのかよ!?」
「無駄だ。まずは魔石から始めろ」
ユーリの文句にレオンハルトは苦笑しながら、ノヴァの講義を真剣に聞いていた。彼の頭の中ではノヴァの提唱する付与魔法が防御魔術や戦術に応用できる可能性が広がっていた。
その日の午後ノヴァはレオンハルトを他のメンバーとともに訓練場の片隅に呼び出した。
「さあレオンハルト昨日に引き続き君の剣術を少し見せてもらおうか」
ノヴァの言葉にレオンハルトは引きつりながら懐から愛用の剣を抜き、流れるような動きで剣を構える。その姿勢は彼が「水霊剣術 動麗流」の中級剣士であることを証明する、確かなものだった。
「水霊剣術 動麗流剣術は、水の流れのように滑らかな剣技が特徴だ。しかし君の剣には無駄な力が入りすぎている」
ノヴァはそう言いながら一本の木剣を手に取って打ち込むように指示する。レオンハルトが驚きと警戒の眼差しを向ける中、ノヴァは流麗な動きでレオンハルトの剣をいなすし弾き飛ばす。それはレオンハルトの剣技と全く同じ流派でありながら、その精度と速度は彼を圧倒していた。
「まさか、君も動麗流を……」
「ああ。小さなころから親父に鍛えられた。その後は剣聖に教わっていたからね。君の剣は確かに優れているが、武術としては基礎の段階だと思える。力を込めるべきは力そのものではなくその先の『意図』だ」
ノヴァはレオンハルトに拾ったの木剣を差し出す。
「君はチームの要だ。剣術を今以上に魔術と同時に磨けば、チームを守る術となるだろう。君の剣は中級の域を抜け出す必要がある」
レオンハルトはノヴァの言葉に静かに頷き木剣を受け取った。
「他のメンバーのみんなも基礎体力をつけてもらうためにそれぞれ訓練をを受けてもらおうかな?」
「まじかよ!俺は剣術なんてできねーぞ?」
ユーリが不満を漏らし他のメンバーも顔を青ざめる。
「剣術はレオンハルトだけだよ。魔術を使えるといっても戦いになると体の動きが重要になるからね。各個人に合った基礎訓練を受けてもらうよ。」
彼らが訓練に没頭し始めたその時だった。
「大変です!」
訓練場の扉が勢いよく開き、息を切らしたレオンハルトの知人が駆け込んできた。
「レオンハルト様、学院でまた体調不良の報告が……今度は発熱だけでなく、魔力の暴走に近い症状が出ているそうです!」
その言葉に研究室メンバーの空気は一変する。彼らの目の前には付与魔法という新たな希望が広がっていた。だが同時に学院の闇は以前にも増してその凶悪な爪を研ぎ澄ませていた。
最後までお読みくださりありがとうございました。
ノヴァの新理論に刺激を受け、それぞれの強みを生かした発想が芽生え始めた仲間たち。
彼らの成長は確かに進んでいますが、学院では原因不明の症状が広がりつつあります。
新しい力と迫りくる不安、その両方が絡み合う次回をどうぞお楽しみに。
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