第42話 王都の豪邸、八人の教育者
この物語を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、王都に到着したノヴァを待っていたのは、豪奢な邸宅と八人もの専門教師。
二週間にわたる濃密な学びは、試験対策以上に、彼の知識と探求心をさらに磨き上げていきます。
新たな舞台での始まりを、ぜひお楽しみください。
辺境伯の手配した豪華な馬車は、安定した揺れでノヴァを包み込んだ。実際の王立魔術学院への入学はまだ先だが、今回は入学試験を受けるため、王都にある辺境伯邸へ向かうことになっていた。
広々とした車内は、上質なクッションで満たされ、揺れもほとんど感じない。窓の外は見慣れた辺境伯領の風景が、ゆっくりと遠ざかっていく。
「ふぅ……本当に、ここからが始まりなんだな。」
ノヴァは、深く息を吐いた。彼の胸には新たな学びに向けた期待と、少しばかりの緊張が入り混じっていた。
馬車は順調に進み、数日後ついに王都の巨大な城門が姿を現した。門の前には幾重にも衛兵が配置され、厳重な警備が敷かれている。一般の馬車が列をなして手続きを待つ中、ノヴァの乗る馬車はそのまま列を横目に悠然と進んでいく。
「ん? なんだ、あの馬車は?」
「ああ、あれは辺境伯家の紋章だな。貴族様は別格ってことか。」
衛兵が馬車に近づくと、一瞥するなり敬礼し何の手続きもなく門を開放した。貴族特権というものの威力を目の当たりにし、ノヴァは素直に感嘆の声を漏らした。
「すごい……まるで、通行手形がいらないみたいだ。」
ノヴァはその光景にギュンター卿の言ていた「王都には辺境とは異なる種類の魔物が潜んでいる」という言葉の意味を垣間見た気がした。貴族の持つ力がこの王都ではさらに色濃く現れることを、肌で感じたのだ。
王都に入ると道幅は広がり建物はより壮麗になった。活気に満ちた市場を抜け商業区画を通り過ぎると、周囲は次第に落ち着いた雰囲気に包まれていく。
そして貴族街へと入ると周囲で一際目を引く品の良い豪邸が建っていた。石造りの壁は蔦に覆われ、手入れの行き届いた庭には色とりどりの花が咲き誇っている。
「うわぁ……すごい。これが王都の辺境伯邸か……」
ノヴァは思わず感嘆の言葉を発した。領都の辺境伯邸もお城になっておりで威厳があったが、王都の邸宅はより洗練された威厳を放っていた。馬車はそのまま邸宅の門をくぐり、広大な敷地の中へと進んでいく。建物の玄関に到着すると、ずらりと並んだ使用人たちが深々と頭を下げてノヴァを迎えた。その中央に立つのは、背筋をピンと伸ばした老紳士、執事長グレイブスだ。
「ようこそおいでなさいました、ノヴァ坊ちゃま。執事長のグレイブスでございます。長旅お疲れ様でございました。」
グレイブスは恭しく頭を下げた。ノヴァは、その威厳ある雰囲気に、少しだけ身が引き締まるのを感じた。
「グレイブスさん、ありがとうございます。道中特に問題もなく無事に着きました。」
「それは何よりでございます。では坊ちゃまのお部屋へご案内いたします。」
グレイブスは、ノヴァを連れて邸内を進んでいく。広々とした廊下には、高価な調度品や絵画が飾られ、辺境伯家の財力と品格を物語っていた。
「ささ、こちらへどうぞ。ノヴァ様には、こちらのお部屋をご用意させていただきました。」
案内された部屋はノヴァが辺境伯領で使っていた部屋よりもはるかに広く、豪華な内装だった。天蓋付きのベッド、大きな書斎机、そして専用の応接スペースまである。
「すごい豪華だ……ありがとうございます、グレイブスさん。」
ノヴァが感謝を述べると、グレイブスは静かに微笑んだ。
「さて坊ちゃま。学院の入学試験まで、残すところ二週間となりました。辺境伯様のご指示により、その二週間に集中して試験対策を進めさせていただきます。」
グレイブスの言葉にノヴァは姿勢を正した。
「はい。どんなことでも、お申し付けください。」
「承知いたしました。つきましては坊ちゃまのために八人の家庭教師を手配いたしました。」
グレイブスの言葉に、ノヴァは目を丸くした。八人?
「え、八人ですか? そんなに大勢……?」
「はい。王立魔術学院の入学試験は、魔術理論、歴史、地理、古代文字、数学、魔法薬学、魔物学、そして実践魔術の八科目で構成されておりまして。それぞれの科目の専門家をマンツーマンの詰め込み式で指導できるよう専任で揃えました。どうぞ存分にご活用くださいませ。」
グレイブスは淡々とそう告げた。ノヴァはその手厚すぎる待遇に思わず苦笑いを浮かべるしかなかった。
翌日からノヴァの地獄(?)の特訓が始まった。家庭教師たちはそれぞれが専門分野の第一線で活躍する学者や魔術師ばかりだ。彼らは十歳の子供を教えるという任務に最初は戸惑いを隠せない様子だった。
「わたくしは魔術理論を担当いたします、エルザ・グラハムと申します。さあ坊ちゃま。まずは基本的な魔力回路の構築から……」
エルザ先生が丁寧に説明を始める。しかしノヴァは彼女の説明が終わる前に、あっという間に魔力回路を構築しさらに独自の改良を加える提案をし始めた。
「先生この回路を少し分岐させて瞬時に複数の属性を切り替えられるようにすれば、戦闘時の応用範囲が広がると思うんですが……。」
エルザ先生はノヴァの言葉に絶句した。
「え……ええと、ノヴァ坊ちゃま。それは、上級魔術師でもなかなか思いつかない発想なのですが……。」
ノヴァは他の科目でも教師陣を驚かせ続けた。
数学の授業では教師が解き方を説明する前に、ノヴァが答えを導き出す。
「ノヴァ坊ちゃま! まさかこの高等な微分積分を暗算で……!?」
「あ、すみません。つい癖で……。」
ノヴァは申し訳なさそうに頭を掻いた。教師はガックリと肩を落とした。
魔法薬学の授業では、教師が指定した薬草の調合方法を説明しようとすると、ノヴァが異世界から持ち込んだ知識に基づきより効率的で強力な薬の調合方法を提案する。
「先生、この薬草の成分は熱を加えるよりも、特定の魔力波長を当てた方が、より純度の高い抽出が可能です。それにこの触媒を少量加えることで効果を三倍にできますよ。」
魔法薬学の教師はポカンと口を開けた。
「ノヴァ坊ちゃま……あなた、まさか、この薬草の魔力波長まで理解していると……? そんなことはこの国の魔術師でも、ごく一部しか……」
教師たちはノヴァの計り知れない才能を目の当たりにし、驚きを通り越して呆れるばかりだった。
「もう……私たちが教えることなど、何もないのでは……?」
ある教師が思わず漏らした。ノヴァは彼らの反応を見て、少しバツが悪そうに笑った。
しかし、ノヴァにも不得意分野があった。それは彼の前世の知識では補えない、この世界の固有の歴史や地理そして古代文字だ。
「ええと……この時代の王族の系譜は、全く覚えられませんね……。多すぎる!」
ノヴァは歴史の教科書を睨みつけながら、頭を抱える。彼の不得意分野といっても、他の生徒よりははるかに優れているレベルだが彼自身にとっては納得がいかない。
「先生! この古代文字の意味合いについて、もう少し深く教えていただけませんか? この記号の組み合わせが、なぜこのような複雑な概念を表すのか論理的な根拠が知りたいんです!」
ノヴァは知らない分野となると、持ち前の探求心を爆発させる。教師たちはノヴァの質問攻めに辟易としていた。
「ノヴァ坊ちゃま……その質問はこの分野の第一人者でも、論文になるような深遠な問いでして……」
「ええい! 坊ちゃまはなぜそこまで知りたがるのですか!? もう時間がないのですよ!」
ノヴァは歴史や地理、古代文字の教師たちを逆に質問攻めにして疲弊させていく。家庭教師たちはノヴァに教えるというよりも、彼からの質問に答えるために必死で知識を掘り起こす羽目になった。
「助けてくれ……私たちは、この二週間で、坊ちゃまに知識を詰め込むはずが、逆に坊ちゃまから知識を吸い取られているような気がする……!」
「私の研究室にある文献を片っ端から読み漁られそうになっている……!」
教師たちはノヴァの飽くなき探求心と知識欲に、ただただ参ってしまうばかりだった。ノヴァは彼らの知らないこの世界の深淵な知識を根掘り葉掘り聞き出し、自分の知識体系に組み込んでいった。二週間の詰め込み教育は、教師陣にとってはある意味で苦行だったが、ノヴァにとってはこの世界の知識を効率的に吸収できる、かけがえのない時間だった。
彼は自身の知識とこの世界の知識を融合させ、より強固なものへと昇華させていった。試験前日の夜、ノヴァは自室の書斎で静かに参考書を閉じた。窓の外には王都の煌びやかな夜景が広がっている。
「ふぅ……できることは、すべてやった。あとは本番で実力を出すだけだ。」
ノヴァは大きく伸びをした。彼の中には不安はもうなかった。むしろこれまで吸収してきた膨大な知識と、培ってきた力が彼に確かな自信を与えていた。翌朝、試験会場へ向かうノヴァを、グレイブスが玄関で見送った。
「ノヴァ坊ちゃま。この二週間、大変お疲れ様でございました。教師陣の皆様も、坊ちゃまの御力に大変感銘を受けておられました。どうぞ、ご自身の力を信じて、試験に臨んでくださいませ。」
グレイブスは、深々と頭を下げた。ノヴァはその言葉に静かに頷いた。
「ありがとうございます、グレイブスさん。行ってきます。」
ノヴァはグレイブスに別れを告げ、辺境伯の馬車に乗り込んだ。馬車は静かに邸宅の門をくぐり、王立魔術学院へと続く道を走り出した。
馬車の中で、ノヴァは目を閉じた。頭の中にはこれまで学んだ知識が整然と並び、彼の身体からは静かな闘志が漲っている。彼が目指すのは単なる入学ではない。この世界の魔法の真髄を極め、いつかエリスや家族そしてこの世界全体を守る力を手に入れることだ。
王立魔術学院の荘厳な校舎が、ノヴァの視界に入ってきた。その門は新たな知識と、無限の可能性を秘めた世界への入り口だ。ノヴァは静かに馬車を降り、試験会場へと足を踏み入れた。彼の物語は、今、新たな舞台の幕を開ける。
八人の教育者との出会いは、ノヴァにとってただの試験準備ではなく、この世界の知識を吸収し尽くす貴重な時間となりました。
前世の知識を活かしながらも未知の学問へ挑む姿は、教師たちさえも圧倒してしまいます。
そして迎える学院入試――物語は、次なる大きな扉を開こうとしています。
執筆の励みになりますので少しでも面白いと思われましたらブックマーク・高評価をお願いいたします。また次回の話でお会いしましょう。




