第41話 置き土産の光、育つ芽吹き
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さて今回は、王都への出発を前に、ノヴァは自らの歩みを振り返ります。
二年間で育まれた知識の実りと、それを受け継ぐ仲間たち。
置き土産の光が、確かな芽吹きとなって広がり始める瞬間を描きます。
王都の王立魔術学院への出発まで、いよいよ秒読み段階に入っていた。ノヴァは、自室で旅支度を整えながらも、どこか落ち着かない様子だった。この二年間、彼が知識と情熱を注ぎ込んできた辺境伯領での日々が、まるで走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
付与魔法の研究、上下水道の整備計画、そして思わぬ形で始まった美容製品の事業。彼の知識はこの地で確かな形となり、多くの人々の生活に変化をもたらした。
「ふぅ……これで、本当に全部滞りなくいくのかな?」
ノヴァは独りごちた。不安がないわけではなかった。彼がいなくなった後、これらの事業がどうなるのか。しかしその不安は、すぐに期待へと変わっていった。なぜなら彼の知識を受け継ぎ、自らの手で動かしていく者たちが、すでに育っていたからだ。
ノヴァが王都へ旅立つ前にどうしても確認しておきたかったのは、美容製品の製造ラインと、上下水道の研究開発の現状だった。彼の知識はこの領地で根を張り、人々を巻き込みながら確実に花を咲かせようとしていた。それは彼がこの世界に残す、最も重要な「置き土産」だった。
まずノヴァが向かったのは、美容製品の製造工房だった。以前は薬草の調合に使われていた簡素な小部屋が、今や複数の作業台と釜が並ぶ、簡易的な工場へと変貌を遂げていた。甘く華やかな香りが漂う中で、作業者たちが忙しそうに作業している。
「ノヴァ坊ちゃま! お久しぶりでございます!」
「お待ちしておりました!」
働く者たちが、一斉に挨拶する。その中心でひときわ活発に指示を飛ばしている女性がいた。短く切り揃えられた黒髪に大きな瞳、引き締まった体格が特徴のメイド、イザベラだ。
「イザベラ。順調そうだね。」
ノヴァが声をかけると、イザベラは満面の笑みで振り返った。
「もちろんでございます、坊ちゃま! お任せください! 坊ちゃまから教わった通り、いやそれ以上にこの工場は完璧に稼働しておりますわ!」
その自信満々な態度に、ノヴァは思わず苦笑した。
イザベラは、ノヴァが化粧品製造のノウハウを教え始めた当初から、その驚くべき適応力と行動力を見せていた。前世でノヴァが後輩から得た知識や製造方法、注意点などを教え伝えた結果、彼女はあっという間にそれらを吸収し、今やノヴァがいなくとも、彼女の指示のもとで工場は完璧に機能していた。
「見てください、坊ちゃま! この『きらめきシャンプー』の泡立ち! そしてこの『うるおいクリーム』のしっとり感! 」
イザベラは、試作中の製品をノヴァに見せつけながら、熱弁を振るう。彼女の好奇心旺盛な性格と、新しいものへの探求心が、この事業を牽引していた。
「ああ、素晴らしいよ、イザベラ。僕がいなくてもこれなら安心だ。」
ノヴァが素直に褒めると、セレスティナはさらに顔を輝かせた。
「坊ちゃまご謙遜を! これも全て、坊ちゃまの素晴らしい知識のおかげでございます! しかし……」
イザベラは、ノヴァにコソコソと耳打ちした。
「実は、坊ちゃま。契約している製品以外にも、いくつか新商品を開発しましてね。それが王都の貴族の方々に大層好評でして、別ルートでもちゃっかり販売しておりますのよ。へへっ。」
イザベラは、片目を瞑ってニヤリと笑った。ノヴァはそのまさかの事実に呆れてものが言えなかった。
「は、はは……いつの間に、そんなことまで……。」
「これも全て、お客様のご要望に応えるためでございます! 美への探求は止まることを知りませんから!」
イザベラは胸を張り、得意げに語る。辺境伯夫人の協力もあって、この新商品販売は問題なく運営されており、この二年間でノヴァに莫大な資金をもたらしていたのだという。ノヴァは、自分の知らない間に、とんでもない商才を持ったメイドが育っていたことに、半ば恐怖すら覚えた。
次にノヴァが訪れたのは、上下水道の研究開発を行う区画だった。そこでは、筆頭執政官ユリウスと、鍛冶屋のバルドが設計図を広げて激しい議論を交わしていた。
「ユリウス殿! この管のカーブは、もっと角度をつけねぇと水の流れが悪くなる! 理屈だけじゃなく、実際に作ってみりゃわかることだ!」
バルドが、設計図を指さしながら、声を荒げる。
「バルド殿! 統計学的に、この角度が最も効率良いと算出されております! 経験則だけで語られても困りますな!」
ユリウスが眼鏡の奥から鋭い視線を投げ返す。二人は時に激しく言い争い、時に相手の意見に唸りながら、お互いの知識と知見を出し合っていた。ノヴァが近づくと彼らは顔を輝かせた。
「おお、ノヴァ殿! ちょうどいいところに来ましたな! この頑固オヤジにもっと理詰めで言ってやってください!」
ユリウスが、ノヴァに助けを求める。
「なんだと、学者気取りの青二才め! てめぇこそノヴァ坊主の説明がなきゃ、こんな設計図すら描けねぇだろうが!」
バルドがユリウスに反論する。二人の言い合いはもはや日常風景となっていたが、そこには確かな信頼と親密さが感じられた。ノヴァの知識の一端を一緒に研究してきたことで、今やノヴァがおらずとも、ある程度は研究を進めていくことが可能となっていたのだ。
「フフフ……二人の連携、完璧だね。」
ノヴァが笑いながら言うと、二人は顔を見合わせて照れたように笑った。ノヴァが二人の成長に感心していると、ユリウスが突然、真剣な顔でバルドに向き直った。
「バルド殿。あなたにお願いしたいことがある。辺境伯領開発工房局の局長に就任していただきたい!」
ユリウスの言葉に、バルドは固まった。
「はぁ!? な、なんだと、ユリウス殿!? 俺が局長だと!? ふざけるな! 俺はただの鍛冶屋の親父だぜ!」
バルドは手を振って激しく嫌がった。
「ふざけてなどおりません! あなたは、ノヴァ殿の知識を最も深く理解し、それを形にする技術と経験をお持ちだ! 我が領の開発には、あなたの力が必要不可欠なのです!」
ユリウスは、バルドの手を握り、熱心に説得する。
「いやいやいや! 無理無理! 俺は職人肌でな! 机に座って書類なんぞいじるのは性に合わねぇんだ! 勘弁してくれや!」
バルドは、必死に抵抗する。しかしユリウスの熱意は尋常ではなかった。彼はバルドの才能と経験が、辺境伯領の発展にいかに必要であるかを力説した。
「ですが、バルド殿! あなたがいなければこの上下水道計画も、ノヴァ殿の残された知識も宝の持ち腐れとなってしまう! どうか、どうか、この領のためにお力をお貸しいただきたい!」
ユリウスはもはや半ば懇願するように頭を下げた。ノヴァもバルドの背中をポンと叩いた。
「ユリウスさんの言う通りだよ。バルドさんならきっとうまくできるさ。」
バルドは、観念したように大きくため息をついた。
「くっ……わかったよ! わかった! そこまで言うなら、しぶしぶだが、引き受けてやる! ただし! 面倒な書類仕事は、全部てめぇがやれよユリウス殿!」
バルドは不満そうにしながらも、その顔にはどこか誇らしげな色が浮かんでいた。
「もちろんですとも! バルド局長!」
ユリウスは満面の笑みでバルドの手を握りしめた。ノヴァはその光景を見て、安堵のため息を漏らした。彼がいなくなっても、この領地は彼が残した知識とそれを支える人々によって、さらに発展していくことだろう。
バルドが開発工房局の局長に就任したことで、辺境伯領の開発事業はノヴァの知識がなくても、さらに加速していくことが確実となった。ノヴァは自分の知識がこの世界に根付き、多くの人々の成長を促していることを実感し深く満足した。
「ノヴァ殿。これで安心して王都へ旅立てますな。あなたの知識は、この領地に確かな光を灯しました。」
ユリウスが、深々と頭を下げた。バルドも渋々といった表情ながらも、ノヴァに感謝の言葉を述べた。
「ノヴァ坊主、世話になったな。お前の教えは決して無駄にはしねぇ。この領をもっと良い場所にしてみせるぜ。」
ノヴァは、二人の成長と、彼らが築き上げた信頼関係を見て、目頭が熱くなるのを感じた。そして、王都への旅立ちの朝が来た。ノヴァは、家族や友人、そして領地の事業を支える人々に囲まれて、見送りの場に立っていた。エリスがノヴァの服の裾をぎゅっと握りしめている。
「お兄い、いかないで……!」
エリスの言葉に、ノヴァは優しく頭を撫でた。
「大丈夫だよ、エリス。僕はもっと強くなって、もっとたくさんのものを守れるようになるために、勉強しに行くんだ。すぐに帰ってくるからね。」
エレノアとリアム、そしてアメリア夫人とグロリアス辺境伯も、ノヴァに温かい言葉をかけた。
「どうぞお元気に! 美容製品の事業は、私とイザベラに任せて学業と研究に専念してきてください!」
アメリア夫人が、自信満々に胸を張る。その隣でイザベラがニヤリと笑っている。
「坊ちゃま、王都で面白いものを見つけたら、ぜひ私に教えてくださいね! 新商品のヒントになるかもしれませんから!」
ノヴァは思わず笑みを漏らした。彼がいなくとも、この領地は、確かに動き続けるだろう。
ノヴァは辺境伯領の門をくぐり、王都へと続く道を歩き始めた。彼の背中には未来への期待と、彼がこの地に残した確かな足跡が光っている。剣と魔法、そして「知識」が織りなす彼の物語は、今新たな舞台へと飛び立とうとしていた。王都で彼を待ち受けるのは、どのような出会いと、どのような試練なのだろうか。無限の可能性を秘めた彼の旅は今始まったばかりだ。
ノヴァが去った後も、残した知識は人々の手で確かに生き続けます。
イザベラやユリウス、バルドたちの姿に、未来への安心と誇らしさを感じたことでしょう。
そして旅立ちの朝、仲間や家族に見送られ、物語はいよいよ新たな舞台――王都へと向かいます。




