第37話 美の波紋、そして都市の鼓動
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さて今回の話は。
噂は静かに広がり、やがて王都を揺らすほどの波紋に――。
ノヴァの「ちょっとした趣味」は、王都屈指の商会をも動かし、辺境伯家を巻き込む大騒動へと発展します。一方、彼のもう一つの夢である上下水道整備計画も着実に形を帯びていき……。
今日の話も楽しんでください。
辺境伯領で静かに始まったノヴァの「美容製品」開発は、アメリア夫人の熱烈な布教活動(という名の自慢)によって、瞬く間に貴族社会のネットワークを駆け巡った。その波紋はついに王都にまで達し、王家御用達として辺境伯家とも深い繋がりを持つ大商会、「金の羅針盤」の番頭、ガリオンの耳にまで届くことになった。
「ほう……辺境伯夫人がそこまで熱心に語るとは、並大抵の品ではないな。」
薄暗い執務室でガリオンは細い目をさらに細め、手元の報告書を睨んでいた。そこには辺境伯領で「神童」と呼ばれる少年が作った、髪を艶やかにし肌を滑らかにする「奇跡の製品」の噂が詳細に記されている。彼の商会の嗅覚はこの情報が巨大な商機を秘めていることを告げていた。
「よし、すぐに辺境伯領へ向かう! この『奇跡の製品』、必ずや我が商会が独占するぞ!」
ガリオンはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
数日後、ノヴァはバルドの工房で、新たな付与魔法の試作に没頭していた。そこへ見慣れない男が、満面の笑みを浮かべて現れた。それが「金の羅針盤」の番頭、ガリオンだった。
「おお、こちらが噂のノヴァ殿ですかな! はじめまして! 王都の『金の羅針盤』のガリオンと申します! 本日は、あなた様がお作りになられたという、奇跡の美容製品についてぜひともお話を伺いたく参上いたしました!」
ガリオンは開口一番、大仰な身振りで頭を下げた。その熱意にノヴァは少しばかり引き気味になる。
「は、はあ……どうも。しかし私がお作りしたのは、あくまで身内の者向けに試作したものですので……。」
ノヴァが謙遜すると、ガリオンは顔を輝かせた。
「何を仰いますか! すでに王都の貴族方、特にご婦人方の間では、その噂で持ちきりですぞ! 某の妻など夜も眠れぬほど欲しがっておりましてな! これはもはや『個人的な趣味の品』などではございません! まさに『世界をいや、この国の経済を動かす』革命的な品でございます!」
ガリオンは身振り手振りを交え力説する。その勢いにノヴァはたじろいだ。前世のビジネス経験から彼の言葉が大げさではないことは理解できたが、それにしても熱量が違いすぎる。
「つきましてはノヴァ殿。ぜひとも我が『金の羅針盤』と、この美容製品の独占販売契約を結んでいただきたく、参りました! もちろん破格の条件をご用意させていただきます!」
ガリオンは分厚い契約書をノヴァの前に突き出した。ノヴァはその契約書を軽く見て眉をひそめた。
「独占契約ですか。それはありがたいお話ですが……この仕入れの要求物量、あまりにも膨大ではありませんか?」
ガリオンが提示してきたのは、ノヴァ一人ではとてもさばききれない、途方もない量の生産要求だった。それどころか他の研究にまで深刻な支障をきたすことは明らかだった。
「ハッハッハ! ノヴァ殿はご謙遜なさる! あなた様のような天才ならば、これくらいは容易でしょう! ご安心ください資材はいくらでも手配いたしますし、人手もこちらで用意いたします!」
ガリオンはノヴァが遠慮していると捉え豪快に笑った。ノヴァは彼の現代的なビジネス感覚とのあまりのギャップに頭を抱えたくなった。
(おいおい!これじゃ前の世界で言うブラックになっちまうぞ!!)
「いえ、そういう問題では……。これはあくまで私の個人的な趣味の範疇でして、大量生産など考えたこともありませんしましてや工場設備も……。」
ノヴァが説明しようとするがガリオンは聞く耳を持たない。
「そこは問題ございません! ノヴァ殿の指示さえあれば、全て整えてみせますとも! さあこの契約書にサインを!」
ガリオンはもはや押し売り営業マンの様に契約を迫ってくる。ノヴァは途方に暮れバルドとギュンター卿に相談することにし、ガリオンについてくるよう話す。ギュンター卿の執務室に、ノヴァ、バルド、そしてガリオンが集まった。ノヴァはガリオンからの途方もない生産要求と、それに応えられない現状を説明した。
「……というわけで、バルドさんと僕だけでは、とてもこの量の生産は不可能です。付与魔法の研究にも支障が出てしまいます。」
バルドも腕を組み唸る。
「ノヴァ坊主の言う通りだ。俺は鍛冶屋の親父で、美容製品の大量生産なんて畑違いもいいところだ。釜の数も、人手も、まったく足りねえ。」
ギュンター卿も、二人の言葉に頭を抱えた。
「うむ……まさかノヴァの作った品が、これほどの騒動になるとはな。ガリオン殿、この量は、いささか……。」
ギュンター卿が遠回しに辞退しようとすると、突如として執務室の扉が勢いよく開かれた。現れたのは辺境伯夫人アメリアと、それを引き留める執事のレオナルドだ。
「辺境伯夫人お待ちください。主人は今来客中でありまして……。」
「あなたたち、一体何を話しているのですか!? 私の『奇跡の製品』のことですわね!?」
アメリア夫人は、商会が町に来ていた情報をキャッチ。真っ先にノヴァの美容製品が話題になっていることを察知し目を輝かせた。ガリオンは、夫人の登場に驚きつつも、商売のチャンスとばかりに頭を下げた。
「アメリア夫人! まさにその通りでございます! 私ども『金の羅針盤』が、ノヴァ殿の素晴らしい製品をより多くのご婦人方に届けるべく、独占契約を結びに来た次第でございます!」
「まぁ! それは素晴らしいわ! でも……」
アメリア夫人はフッと笑みを消し、ガリオンの前に詰め寄った。その表情は、先ほどまでの感激に光る夫人とは別人のように冷たい。
「でもその契約によって、私の分が確保されなくなる、なんてことはありませんわよね?」
その言葉に室内の空気が一瞬にして凍り付いた。ガリオンは思わずゴクリと唾を飲み込む。
「い、いえ、滅相もございません! 夫人の分はもちろん、辺境伯家には最優先で供給させていただきます! お約束いたします!」
「よろしい。で、ノヴァ殿。あなたこの量では無理だと、そう言っているのですわね?」
アメリア夫人はノヴァに鋭い視線を向けた。ノヴァはコクンと頷くしかない。
「はい、辺境伯夫人。現状では、とても……。」
「では辺境伯家が間に入りましょう!」
アメリア夫人は突如として宣言した。室内の全員が驚きに目を見開く。辺境伯と息子のユリウスがあとから慌てた様子で姿を現したが、辺境伯は「え、うちが?」という顔で妻を見る。夫人はそんな夫を一瞥もせずに続けた。
「あなた! そしてユリウス! いいですか、この美容製品はもはや辺境伯領の未来に関わる問題です! 辺境伯家の名誉にかけて王都の貴婦人方にこの素晴らしい品が行き渡らないなど、あってはなりませんわ! 私が責任を持ってこの件を指揮します!」
「お、お言葉ですが、母上……私どもは民や領の発展を示唆、誘導するべき立場でありこのような……」
ユリウスが母親を諭そうとするが、アメリア夫人はユリウスを指さし、ビシリと言い放った。
「お黙りなさいこの朴念仁が!! あなたにはこの美の革命が、どれほど重要か理解できないでしょうね! これは単なる金儲けではありません! 辺境伯領に住むすべての民の未来を築く投資なのですわ!」
ユリウスはまたもや母親の一喝に、叱られた子供のようにピタリと黙り込んでしまった。辺境伯もその光景にドン引きしながら、ただひたすら首をすくめている。執事のレオナルドはいつも通り冷静を装っているがその目の奥にはかすかな恐怖の色が浮かんでいた。
結局アメリア夫人の強い介入により、辺境伯家が主導する形で「金の羅針盤」との契約が結ばれることになった。ガリオンは辺境伯家の全面的なバックアップを得られるとあって狂喜乱舞した。
「か、かしこまりました! 辺境伯様、夫人! このガリオン、必ずやノヴァ殿の製品をこの国の隅々まで広めてみせます!」
ガリオンはさらにノヴァに破格の条件を提示した。ノヴァ自身には研究資金として十分すぎるほどの報酬が約束され、生産設備や人員といった初期投資を全て商会と辺境伯家が手配するという。ノヴァはまさか自分の趣味がここまで大きなビジネスになるとは思わず、ただただ呆然としていた。
一方美容製品の一件で騒動があったものの、ノヴァのもう1つの夢である上下水工事技術の開発研究も、彼のおかげで大幅な進捗を見せていた。特に付与魔法を用いた耐久性の高い配管の製造法は、筆頭執政官ユリウスに大きな希望を与えていた。
ユリウスはこの革新的な技術の信頼性を確かめるため、友誼の深い魔法師団長に『付与魔法』について話を聞いた。魔法師団長は、付与魔法が一部の古代魔術師の間で研究されていた「失われた概念」であること、そしてその潜在能力がいかに計り知れないものであるかをユリウスに語った。その話を聞きユリウスは納得し、ノヴァの天才性を改めて確信した。
「ノヴァ殿。先日、魔法師団長殿から付与魔法について伺いました。あなたの知見はまさにこの世界の魔法技術を遥かに凌駕している。これまで夢物語だった都市の上下水網も、あなたがいれば現実となるでしょう。」
ユリウスは感慨深げに言った。ノヴァはさらに畳み掛ける。
「はい。王都で使用されている技術も素晴らしいですが、僕が考えているのは、より効率的で、維持コストも低いシステムです。例えば自然の傾斜を最大限に利用した流路設計や、魔力を用いた自動清掃機能の導入も可能です。」
ノヴァが語る構想はユリウスの想像をはるかに超えるものだった。彼の瞳には単なる技術的な進歩だけでなく、人々の生活が劇的に向上する未来の光が見えているかのようだった。
「な……なるほど! 自動清掃機能ですと!? それは、維持管理の面でも画期的な発想だ! ノヴァ殿あなたはまさしくこの領の、いや!この国の未来を築く者だ!」
ユリウスのノヴァへの信頼と期待は、今まで以上に積み重なっていく。ノヴァの「温水洗浄便座」を作るという熱い夢は、単なる個人的な願望を超え、都市全体のインフラを改革する壮大な計画へと発展していた。
「ノヴァ殿。この上下水整備計画は辺境伯領の最重要課題と位置づけます。今後さらなる開発協力はもちろんのこと、あなたが必要な時には私の力の及ぶ範囲で、どんな便宜でも図ることを確約しよう。何なりと申し付けていただきたい!」
ユリウスは深々と頭を下げた。ノヴァはその言葉に静かに頷いた。彼の持つ知識と技術が、確実にこの世界を変えつつあることを実感していた。
辺境伯領では、アメリア夫人の指揮のもとノヴァの美容製品の大量生産体制が、急ピッチで整えられ始めた。ガリオン率いる「金の羅針盤」の商人たちが、次々と新たな生産設備を導入し従事者たちも、ノヴァの指導のもと、製造技術を習得していく。工房からはかつてないほど華やかな香りが漂うようになり、女性たちの期待は高まるばかりだった。
一方で筆頭執政官ユリウスは、ノヴァの協力のもと上下水整備計画の具体的な設計図を練り上げていた。耐久性の高い配管の試作も始まり、領都の地下にはいずれ前世のような現代的な水脈が張り巡らされる日が来るだろう。
ノヴァの生活は、研究と開発、そして予期せぬビジネスの波に揉まれながらも、充実したものとなっていた。彼の2つの夢、付与魔法による「守る」力の確立と、清潔で快適な都市環境の実現。その両輪が今力強く回り始めていた。
美を巡る熱狂と、都市を変える革新。その両方が同時に動き出したことで、ノヴァの生活はますます慌ただしく、そして刺激的なものに。
次回、王都に赴くノヴァ。そこでうれしい出会いがあります。その出会いが導くものは――。
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