第29話 兄の誓いと、もう一つの才能
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力がもたらす小さな悲劇。ノヴァは兄としての自覚を育みます。守るべき家族のため、彼は無謀な探求を改め、真に力を制御する術を学ぼうと決意します。一方、弟リアムの中にも剣の才が芽生え始め、家族は新たな絆で結ばれていきます。家族の確かな温もりを、どうぞお楽しみください。
領都にある工房は、まるで嵐が通り過ぎた後のようだった。煙がくすぶり床には炭になった布切れと、小さな氷の塊が散らばっている。その中心で鍛冶屋のバルドは頭を抱え、まるで魂が抜けたかのように立ち尽くしていた。彼の目の前には、眉間に皺を寄せ、目を血走らせたノヴァが、分厚い設計図を広げている。
「これならエリスは絶対に快適に過ごせる! 最強の揺りかごだ!」
ノヴァの言葉にバルドはガックリと肩を落とす。
「勘弁してくれ、ノヴァ坊主! 『最強』って言葉を聞くたびに、俺の工房が壊滅に近づいてる気がするんだが、気のせいか?気のせいなのか!?」
バルドの悲鳴にも似た言葉も、ノヴァの耳には届かない。彼は前世の知識に基づく「現代の便利さ」を、この異世界の魔法で再現しようとしていた。しかしその革新的な発想は既存の魔法体系との間にたびたび齟齬を生み出し、付与魔術の実験は時に小さな爆発を伴いバルドの工房を揺るがすのだ。
「ノヴァ坊主、いくらなんでもこれは……!」
バルドが止めるのを無視し、ノヴァは実験を繰り返す。彼の無謀な探求は、まだ制御しきれない彼の力を、再び危険な領域へと導こうとしていた。その日、ノヴァの付与魔術の実験が、これまでで最大の規模で暴走した。それはエリスのために作ろうとした「自動温度調整機能付きベビー服」の試作中に起こったのだ。
魔力の制御を誤ったノヴァの掌から、熱と冷気が同時に噴き出し、試作中のベビー服は瞬時に炭と氷の塊へと変貌した。そしてその余波は、工房の中を駆け巡る。
「何だこりゃ!! 工房の中がぐちゃぐちゃじゃねーか!」
バルドの絶叫が響き渡る。彼の愛する鍛冶道具が、いくつも宙を舞い、壁に激突しては砕け散っていく。ノヴァは間一髪で危機を乗り越えたものの、弟のリアムがたまたま見学に来ており、腕に軽い怪我をしてしまった。
「お兄様大丈夫です擦り傷ですから……。」
守るべき家族に危害を加えてしまい、ノヴァは顔面蒼白になり自身の未熟さと力の恐ろしさを改めて痛感した。
「もし、ここにエリスがいたら……!」
その考えが、ノヴァの胸を締め付けた。守るべき大切な家族を、自らの手で危険に晒してしまうところだったという事実に、彼の心はステラ村が壊滅した夜の絶望を再び味わうかのように深く沈む。
「僕は前世の知識と異世界の魔法を融合すれば、何でもできると思っていた。でもそれは僕のおごりだった……。」
愛する者を傷つける可能性を秘めた自分の力が彼に重くのしかかり、ノヴァは自室に閉じこもった。付与魔術の研究を一時中断し、自身の力が本当に「守るため」なのか、自問自答を繰り返す彼の心は深い闇に包まれ、その才能の輝きは一時的に失われたかに見えた。数日後、深い自責の念に囚われていたノヴァは、ふとのどの渇きを覚え、水を飲みに自室を出た。
廊下を歩いていると、やがて赤ちゃんが遊ぶ声と、メイドたちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。彼はその声に導かれるように、プレイルームへと足を踏み入れた。そこでノヴァの目に飛び込んできたのは、無邪気な笑顔を浮かべ、小さな手を伸ばすエリスの姿だった。フローラに抱きかかえられ、きゃっきゃと声を上げて笑うエリス。その透き通るような笑顔は、ノヴァの心に一筋の温かい光を差し込んだ。
「あ、ノヴァ兄様!」
弟のリアムがノヴァに気づき、優しく微笑む。ノヴァはその笑顔を見て、自分がどれだけ大切なものを守ろうとしていたのか、そしてどれだけ大切なものが今、自分の目の前にあるのかを思い出した。彼は、父ロランドが命を懸けて守ろうとした家族の温かさを、エリスの存在を通して改めて実感したのだ。
「そうだ……僕はみんなを守るんだ。」
ノヴァの心に、強い誓いが込み上げた。自分の傲慢な探求で、家族を危険に晒すわけにはいかない。今度は自分が、この家族を、エリスを、守り抜く。その日の夕食後、ノヴァは自室を出て、ギュンター卿の執務室を訪れた。彼の表情は以前よりも落ち着き、瞳には新たな決意が宿っていた。ノヴァは迷いなくギュンター卿の前で深々と頭を下げた。
「ギュンター卿。僕に剣と魔法、そして卿が持っている知識の全てを教えてください。僕は大切なものを守るための力を真に使いこなせるようになりたい。僕の力が誰かを傷つけることがないように、制御する術を教えてください。」
ギュンター卿は、ノヴァの真剣な眼差しに、静かに目を細める。
「ほう。何か心境の変化でもあったか、ノヴァ?」
「はい。僕は大切なものを守るための力を、真に使いこなせるようになりたいんです。僕の力が誰かを傷つけることがないように、制御する術を教えてください。」
ノヴァの言葉には以前のような浅はかな知識への渇望ではなく、深い責任感と覚悟が込められていた。彼の過保護な愛情はこの暴走を経て、より深く成熟した「兄の責任」へと変貌したのだ。彼はただ力を持つだけでなく、それを制御し正しく使うための「知恵」と「責任」を求めていた。ギュンター卿は、満足げに頷いた。
「よかろう。お前の決意しかと受け取った。私が持てる知識と技術、その全てをお前に授けよう。だが、忘れるなノヴァ。力とは常に責任を伴うものだ。そしてお前は一人ではない。我々という家族が常に共にある。何か困ったことがあれば私を頼れ。レオナルドもフローラたちも皆お前の味方だ。」
ギュンター卿の言葉に、ノヴァの胸に温かいものが込み上げた。彼はこの新しい家族がどれほど自分を支えてくれているかを改めて感じた。こうして、ノヴァの新たな鍛錬の日々が始まった。彼は付与魔術の研究を再開するが、以前のような無謀さは影を潜めた。安全性を第一に、実用性と制御を重視した研究へとシフトしていく。バルドもノヴァの真剣な姿勢を見て、全面的な協力を約束した。
「それにしても、ノヴァ坊主。お前が教えてくれた『付与魔法』ってのは、とんでもねえな。道具に魔力を込めて、勝手に動かすなんて、まさに神業だ。だが、本当に安全なものができるのか? 俺の工房がまた吹き飛んだら、家賃払ってくれるのか?」
バルドが不安げに尋ねると、ノヴァは真面目な顔で答える。
「大丈夫ですよバルドさん。今度は失敗しないようもっと慎重に魔力の流れを計算します。それにもしまた何かあったら、義理祖父であるギュンター卿が弁償してくれますから!」
ノヴァの悪気ない言葉に、バルドは「げぇっ!?」と声を上げてひっくり返った。その様子を見て、ギュンター卿がどこからともなく現れ、楽しそうに笑っている。
「ふむ、ノヴァはもう少し精神を鍛える修行を増やさないといけないようだな。しかしこの『付与魔法』は、私も少し興味がある。ノヴァ今度は私が直接見守ってやろう。安全には万全を期すが……面白いものが見られそうだ。」
ギュンター卿の言葉にノヴァは顔を青ざめた。バルドは剣聖に工房を見てもらうのは光栄なことだとは考えたが、それは同時に実験の規模がさらに過激になる可能性を意味していた。ノヴァが新たな道を進む一方で、弟のリアムもまた、妹エリスの誕生とノヴァの成長の影響を受け、剣術に対し真摯に取り組み始めていた。領都軍での日々の鍛錬に加え、夜にはギュンター卿に稽古をつけてもらうこともある。
「リアム、もっと腰を落とせ! 体幹を意識しろ! その小さな体でも、剣は振れる!」
ギュンター卿の厳しい指導にもリアムは必死についていく。彼の剣筋は日ごとに鋭くなり、その成長速度はギュンター卿の想像を超えるものであった。リアムの中にもノヴァとは異なる、剣の才能が確かに芽生え始めていたのだ。ノヴァと共にそれぞれの目標に向かって成長を続ける彼らは、悲劇を乗り越え、真の家族として互いを支え合う存在となっていた。
数ヶ月後、ギュンター邸の一室には、温かい光が満ちていた。ノヴァがバルドと共に安全性を追求して完成させた「揺りかご」の中でエリスは穏やかな寝息を立てている。それは以前ノヴァが目指したような過剰な機能は一切ない。しかしその揺りかごにはノヴァの家族への深い愛情が込められている。ギュンター卿は、エレノアと並んで、眠るエリスを見守っている。エレノアの顔には、安堵と幸福感が満ちていた。
「この子の成長が、本当に楽しみです、義理父様。」
「ああ、エレノア。そしてお前もこれからはもっと素直に私を頼ってくれ。我々は家族なのだからな。」
ギュンター卿の言葉に、エレノアははにかんで頷いた。そこには過去の悲劇を乗り越え、確かな絆で結ばれた家族の温かい光があった。ギュンター邸の庭には、ノヴァとリアムが剣の稽古に励む姿があった。ノヴァの剣筋には以前の無軌道さが消え、冷静な判断と制御が加わっている。リアムもまた驚くべき成長を見せ、彼の剣はすでに並の騎士を凌駕する域に達しつつあった。
ノヴァ、リアム、そして彼らの家族の物語は、まだ始まったばかりだ。彼らの未来には光と闇が交錯する、壮大な冒険が待ち受けているのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ギュンター卿の申し出を受け入れたエレノア、そして妹エリスの誕生に胸を躍らせるノヴァ。
それぞれの想いが交差し、新しい家族として歩み始める一歩が刻まれました。
次回は、領内に怪しげな動きが、それがもたらす波紋を描いていきます。




