第25話 星導の道標
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。
今回はノヴァたちがついに故郷を離れ、新たな道へ踏み出す物語です。
剣聖ギュンター卿の導きのもと、幼い決意と深い別れが交差します。
ノヴァの成長への旅立ちを、どうぞお楽しみください。
ステラ村に降りかかった悲劇から数日後、焼け焦げた土と焦げ付いた木材の匂いが、未だ村を覆っていた。ギュンター・ヴァルシュタイン卿は、生き残ったわずかな村人たちと共に、廃墟となった村の片隅に立っていた。彼の目には再建の希望が見えない絶望的な光景が映る。この村に留まることは、もはや残された者たちをさらなる困難に晒すだろう。
戦いの中で倒れ伏したロランドの亡骸を前に、嗚咽を漏らしたノヴァの小さな背中。7歳になったばかりの幼い体に、あまりにも重すぎる悲しみがのしかかっていた。瓦礫の中で幼いリアムを抱きしめ、お腹の新たな命を守ろうと必死だったエレノアの憔悴しきった顔。そしてこの惨劇を引き起こした「黒鴉」傭兵団の卑劣な襲撃。
彼は自身の力の限界と、守るべきものの重さを痛感していた。剣聖と呼ばれる己が守りたかった村を、友を、そして教え子たちの日常を守りきれなかったという事実が彼の心を深く抉る。
(もはや私がこの場で剣を振るうことだけが使命ではない。ノヴァのあの異質なほどの才。そして、ロランドが命を賭して守った家族。彼らをこの悲劇から救い出しノヴァの力を正しく導き、彼と家族を安全な場所へ連れて行くことこそが私の残された道だ。)
彼はかつて先代アルフォンス・フォン・アウグスト男爵に仕え、その公正な統治と先見の明に深く感銘を受けていた。アルフォンスはギュンター卿の才を見出し惜しみなく力を与え重用した。その恩義に報いるべく彼は忠誠を誓い、この辺境の地を守り続けてきたのだ。しかしもはや守るべき正義も、育むべき希望もない。
ギュンター卿は傍らに控える四人の従士たちに目を向けた。彼らは皆長年苦楽を共にしてきた、家族同然の者たちだ。年長者のアラン、若く血気盛んなアーベル、寡黙だが実直なベルンハルト、そして病弱な妹を抱え常に責任感に苛まれているルーク。彼らもまたステラ村の惨劇に深い傷を負っていた。
「アラン、アーベル、ベルンハルト、ルーク。お前たちにはこれまで世話になった。長きにわたり私に付き従い、共に剣を振るってくれたこと深く感謝する。」
ギュンター卿の言葉に従士たちは皆、表情を引き締めた。彼らの間に言葉にならない緊張が走る。アランが震える声で口を開いた。
「ギュンター卿、何を仰せで……我らは、どこへなりとも貴方様にお供いたします。」
「そうです卿。我らは卿の剣。いかなる時も貴方様のお傍に。」
アーベルとベルンハルトも頷き、ルークはただじっとギュンター卿を見つめている。彼らの忠誠心は疑いようがなかった。だからこそギュンター卿は苦渋の決断を下す。
「これより私はヴァルター男爵騎士の位を退き、さすらいの身となる。私に仕えることは、もはやお前たちを苦境に晒すだけだ。それぞれの道を行くが良い。」
ギュンターはそれぞれに語り掛けるように話を続ける。
「アラン、お前は故郷に帰り静かに余生を送るがよい。アーベルお前はその若さと才を活かし、王都で新たな仕官先を探せ。ベルンハルトお前は腕の良い職人として、どの町でも生きていけるだろう。そしてルーク、お前は故郷で妹の治療に専念しろ。必要であれば私が資金の援助をしよう。」
ギュンター卿の言葉に従士たちは愕然とした。特にルークは、妹の病のことに触れられ思わず顔を上げた。
「ですが、卿!我らは貴方様を見捨てることなどできません!」
ケインが感情的に叫んだ。ギュンター卿は、静かに首を横に振る。
「これはお前たちのためだ。そしてノヴァとエレノア、リアムのためでもある。今後この身は彼らを守るために使う。ゆえにお前たちを巻き込むことはできぬ。」
従士たちはギュンター卿の固い決意にこれ以上何も言えなかった。彼らは深く頭を垂れ、最後の別れを告げた。
「ヴァルター男爵殿へ。私ことギュンター・ヴァルシュタインは老齢と体力の衰えにより、これまでの役職からの引退を願い出ます。」
ギュンター卿は従者にそう記した書状を託した。ミルウェン王国の貴族社会における役職は、もはや過去のしがらみに過ぎなかった。新たな使命のために過去の役職という枷を断ち切る、静かなる決意表明だった。
ヴァルター男爵はその書状を受け取り内心で歓喜した。ギュンター卿はその高潔さと実力ゆえに、彼の無能さを浮き彫りにする「目の上のたん瘤」であり、自らの権力を脅かす存在だった。その剣聖が自ら引退を申し出たことに、男爵は胸を撫で下ろし即座にその願いを承認した。
「ほう、ギュンター卿が引退とな。老いには勝てぬか。よかろう長年の功績に免じて、速やかに承認する!」
彼は自らの保身と安寧のためならば、いかなる犠牲も厭わない。その醜悪な本性がステラ村の悲劇を間接的に引き起こし、多くの命を奪ったことを男爵は知る由もなかった。彼の承認はギュンター卿にとって、過去との完全な決別を意味していた。
数日後、ギュンターはノヴァ、エレノア、リアムを連れ辺境伯の領都を目指す旅に出た。ステラ村を出て数日、彼らは人里離れた森の小道を歩いていた。旅の道中彼らは何度か魔物に襲われた。
最初の襲撃は、旅の二日目の朝だった。朝露に濡れた森の中で、彼らの行く手を阻むように、3匹のゴブリンが現れた。背丈はノヴァとさほど変わらないがその表情は凶暴で、手には錆びたショートソードを握っていた。ギュンターは咄嗟にノヴァ達を庇うように前に出たが、すぐに足を止めた。彼はノヴァが五歳の時にウルフ二匹を、七歳の時には体長二メートルを超える凶暴な熊の魔物を危なげなく倒したことを思い出したのだ。
「ノヴァ、あのゴブリンを退治しろ。」
ギュンターの言葉にノヴァは軽く頷いた。わずかな緊張が彼の心臓を微かに早く打たせた。
「はい、師匠。」
ノヴァは腰に提げたショートソードを握りしめ、一番前のゴブリンに向かっていく。ゴブリンはノヴァの幼さに嘲笑を浮かべ、錆びたショートソードを振り上げている。ノヴァは基本の構えを取り、ゴブリンの動きを注意深く観察した。ゴブリンが攻撃を仕掛けてきた瞬間ノヴァは素早く身をかわし、その隙を突いてショートソードをゴブリンの腹に叩き込んだ。
「ガハッ!」
ゴブリンは呻き声を上げその場で息絶えた。ノヴァは不用意に近づいていたもう一匹を蹴り飛ばす。よろめいたもう一匹のゴブリンは体勢を大きく崩し。残りのゴブリンを巻き込んで転倒した。チャンスと見たノヴァはたたみかけるようにショートソードを突き出し、よろめいたゴブリンは顔面を串刺しにされ地面に倒れ伏した。残りのゴブリンは何とか立ち上がり、錆びたショートソードを構えるも、続けざまに切り込まれた剣をかわせず袈裟斬り(けさぎり)に左肩から右腰骨に向かって切られ息絶えた。
ノヴァは一連の動きを終えて静かに息を吐いた。訓練の成果が、確実に形となっている。ギュンターは静かに頷き、ノヴァの成長を頼もしく見守っていた。
旅は続く。三日目には、群れをなしたコボルトに襲われた。ノヴァは、躊躇なくショートソードを抜き、ギュンターの指示に従いながら、一匹ずつ確実にコボルトを仕留めていった。彼の剣筋は徐々に研ぎ澄まされ、その動きには迷いがなくなっていった。夜には焚き火を囲んで食事を摂り、ギュンターはノヴァに、戦いの中で気づいた点を丁寧に指導した。ノヴァは真剣な眼差しで耳を傾け、その言葉を心に刻んだ。
四日目、鬱蒼とした森の木々の間から、ひときわ大きな影が現れた。筋骨隆々とした体躯、緑色の粗野な肌、そして太い棍棒を携えたオークだ。これまで遭遇したどの魔物よりも強力なオーラを放っている。ノヴァはいつものように愛用のショートソードを構え、オークの動きをじっと見据えた。
ギュンターは、ここ数日のノヴァの目覚ましい成長を目の当たりにし、彼が単独でこの程度の魔物ならば対処できると確信していた。彼は一歩下がり静かにその戦いを見守ることにした。エレノアは幼いリアムを抱きしめ、固唾を飲んで成り行きを見守っている。
オークは雄叫びを上げ太い棍棒を振り上げ、ノヴァに向かって襲い掛かった。その一撃は地面を揺るがすほどの威力だ。ノヴァはオークの豪快な攻撃を紙一重でかわし、鍛えられた脚力で素早くオークの懐に潜り込んだ。そして磨き上げた剣術でオークの脇腹にショートソードを突き刺した。
しかし感触が違った。確かに剣はオークの皮膚に触れたものの、まるで硬い革を引っ掻いただけで刃が身体の奥深くまで入らない。信じられないといった表情でノヴァは剣を見つめた。直後オークの反撃が来た。巨大な棍棒がノヴァの体を捉え、彼はまるで木の葉のように吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
激しい衝撃にノヴァは息をするのも苦しい。体中が痛むが彼は体勢を立て直し、オークを睨みつけた。オークの脇腹には、確かに浅い傷がついているが、ほとんど出血も見られない。
「なんて固い体だ!」
自身のショートソードがこれほどまでに通じないことに、ノヴァは愕然とした。これまで彼の剣は的確に魔物の急所を捉え、仕留めてきた。しかしこのオークにはまるで通用しない。
その時、ギュンターが動いた。彼は一瞬でノヴァの傍らに駆け寄り、彼を庇うように前に立った。
「ノヴァ、お前はよくやった。だが相手が悪かったようだ。これは私が出る。」
ギュンターは静かにそう言うと、腰の剣に手をかけた。彼の目は獲物を定める猛禽のように鋭い。
しかしその直後、ノヴァはギュンターの背中に向かって叫んだ。
「待ってください、師匠!まだやれます!」
ノヴァは地面に落ちたショートソードを拾い上げ、再びオークに向き直った。彼の瞳には先ほどの戸惑いは消え、代わりに強い決意が宿っていた。オークの強靭な防御を打ち破るには、どうすればいいのか。彼は必死に考えを巡らせ、1つの考えが彼の脳裏をよぎった。
ノヴァは再びオークに向かって走り出した。オークは再び棍棒を振り上げる。今度は真正面から衝突するのではなく、オークの攻撃をぎりぎりでかわすと同時に、低い姿勢でオークの足元に潜り込んだ。そして、体勢を崩したオークのわずかに装甲の薄いと思われる膝裏に向かって、渾身の力でショートソードを突き立てた。
「グギャアアア!」
今度は確かにオークの悲鳴が上がった。膝裏から黒い血が噴き出し、オークは体勢を大きく崩した。ノヴァはその隙を見逃さなかった。体勢を立て直すと再びオークの脇腹、先ほど浅い傷を負わせた箇所に狙いを定め、何度も何度もショートソードを叩き込んだ。
オークは苦悶の表情を浮かべ、棍棒を振り回すが、すでに動きは鈍い。ノヴァは冷静にそれらをかわし、的確に急所を攻撃し続けた。そしてついにオークは巨体を地面に倒し、絶命させた。
荒い息をつきながら、ノヴァは倒れたオークを見下ろした。彼の体にはオークの攻撃を受けた際の痛みが残っている。自身の剣が全ての敵に通用するわけではないという現実を身をもって知った。しかしそれを乗り越え、知恵と勇気で格上の敵を倒したという事実は、彼の心に新たな自信を芽生えさせていた。
ギュンター卿は、息を切らせているノヴァに近づき、その肩に手を置いた。
「ノヴァ、見事だった。確かにお前の力は大きく成長している。今回の戦いはお前にとって非常に良い経験になっただろう。」
エレノアもリアムを抱きかかえたまま駆け寄り、ノヴァの無事を確かめた。
この経験はノヴァにとって大きな自信となった。彼は自分の内に秘められた力が、少しずつ、しかし確実に覚醒していくのを感じていた。そしてどんな強敵にも、知恵と工夫次第で立ち向かえるということを学んだのだった。
そして五日目、彼らの目の前には、ついに領都の城壁が見えてきた。旅の疲れから解放された安堵と、新たな生活への期待が、ノヴァの胸に広がった。ギュンターもまた、これまでの苦労が報われるかのように、その表情にわずかな光が灯っていた。しかし彼らの旅はまだ始まったばかりだ。領都での生活、そしてノヴァの成長には、さらなる困難と試練が待ち受けているだろう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
村を後にするその背中には、失ったものの重さと、新しい希望が同居していました。
剣聖と共に歩み始める最初の一歩を描きました。
次回は、新たな地にて新生活が始まります。
どうか、ノヴァの成長をこれからも見守っていただければ幸いです。




